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八 尾張の悪ガキたち

十六

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 恒興は、信長の供をして、毎日「おかめ」に上がると朝を迎えるまで月を抱いた。
 そんな日々が、三ヵ月に及んだ。
 今夜も、月は恒興の腕枕で眠っている。
(俺は、ずっぷりと、底へ向かって落ちている……もはや、侍としての矜持きょうじを捨てて、このまま、沼の底まで沈んでいきたい)
「勝三郎様」
 今夜の月は、少し寝息を立てたかと思うと、すぐに目を開けて、恒興に抱かれながら、甘えた子犬のような大きな瞳で、愛おしそうに恒興の頬に手をやり、唇を寄せた。
「どうした、月よ?」
 恒興は、いつになく甘える月に尋ねた。
「勝三郎様、子供は好き?」
 月は、恒興の頬を優しくなでながら尋ねた。「好きか嫌いかで言えば、ガキは煩いから嫌いだ」
「女の子でも?」
「う~ん。男か女かを問われれば、お前に似た娘の方がよいのじゃないか?」
「男の子なら?」
「男なら、そうだなぁ、俺の跡継ぎになるのだ。小身ながら俺も騎上の身分。煩いぐらい元気がなければならんな」
 完全に論理が破綻している。情事に交わす男と女の会話などこんなものだ。
 恒興は、ムクムクと欲情がもどり、再び、月を上に載せた。
 恒興が、下から突き上げ、月の恍惚と歪んだ顔を見ると欲望が迸り、あっけなく果てた。
 恒興は、少し眠った。気が付くと、いつもは身支度を調え出す月が、恒興の顔を愛おしそうに覗きこんで見つめていた。
「月よ、なにか言いたいことでもあるのか?」
 恒興が、そういうと、月は恥ずかしそうに眼を伏せて答えた。
「私、お腹に勝三郎様の子供が出来たみたいなの」
 と、月は、恒興に愛おしそうに唇を寄せ答えた。
 それを聞いた恒興は「ガバッ!」 と、月の身体を退けて我に返った。そうして、月に向き直り、
「真に、俺の子か‼」
 無粋にも真偽を尋ねた。
「私、勝三郎様意外とは、一度も関係を持ったことはありませんから」
 月は落ち着き払っている。言葉に嘘はない。
(俺は、なんてことをしでかしたのだ……)
 恒興は、確かに、信長の命で月と関係を持った。それが、丸三ヵ月、恒興は情事に転んで役目の方はナシの礫だった。
 事もあろうに、月から加藤図書の弱味すら聞き出せていないままに、子を宿させた。まったくの失態だ。
 俺の子を宿したとなれば、てて無子なしごにするわけにはいかない。恒興自身の生い立ちを考えれば、月と生まれてくる子供を捨てるなんてできない。
 月が望むなら、幸い恒興は独り身だ。いずれどこかの家から正妻を迎えるにしても、そうなれば側室として子供を育てればよい。
 恒興は、そんなことよりも、まずは、月の気持ちが大事だと心を聞いて見た。
「月よ、その子をどうやって育てるのだ?」
 恒興には、信長の命がある。勝手ながらもお善への義理もある。だから、こんな馬鹿な質問をせねばならなかった。
「心配しないで、子供は、私一人で育てるわ」
(馬鹿を申せ! 遊女が子供を抱えて食っていける保証がないだろう。遊女は、体を売って日銭を稼ぐのが宿命だ。その宿命から赤児を抱えてどうやって生きるのだ)
 月は、尚も愛おしい眼差しで恒興を見つめている。月は、本気でそう思っているのだ。
「女手一つで子供を育てるとはどういう了見だ。俺も若殿に仕える騎上の身分。お前と子供を養うぐらいには、今の俺ならばわけがない」
「いいの……」
 恒興には、月の気持ちがわからない。子供を抱えて遊女としてそんなに生きたいのか。
 恒興は、森寺家で居候として幼少期を生きた。自分の女と子供には同じ苦労を味合わせたくない。
「月よ、どうして嫌がるのだ。女手一つで子供を育てるのが、いかに辛いか俺は身をもって知っている。どうか、お前と子供の生活だけでも成り立つように、俺に面倒を見させてくれ」
 月は、申し訳なさそうに首を横に振った。
「違うの、勝三郎様。実は私はあなたを騙していたの」
「俺を騙すとはどういうことだ?」
「私、加藤図書の娘なの。父から、若殿かあなたに近づいて、織田家の動向を探るよう命じられていた密偵なの」
 若殿が言っていたのは、こういうことだったのか。織田家の動向を探る必要があるということは、加藤図書は織田家と、今川を両天秤にかけようとしている。
 しかし、月はそんな重大な秘密を俺に打ち明けたのだ。
「月よ、念のため尋ねるが、お前の父とは、加藤図書なのだな」
 月は、こくりと頷いて正直に答えた。
「私は妾腹とは申しても、歴とした加藤図書の娘でございます。子供を成しても生活に困ることはございません」
 恒興は、月の告白に烈火の如く噛みついた。
「月よ、お前は俺をたばかっていたのか!」
 恒興、お前もである。返って月の身体に溺れて役目を見失いかけていたではないか。
 むしろ、恒興は、月の告白に救われた。
「申し訳ございません勝三郎様。あなたの情け深い人柄に触れるにつけ私は、騙し続けるのが心苦しゅうございました。でも、こうなれば、もはや私は勝三郎様を裏切れません」
 そういって月は腹をさすった。
 素直で正直な女だ。若殿は、それを一目で見抜いただけでなく、馬鹿な独り身の俺をあてがった。
 恒興は、恥ずかしかった。
「月よ、すまぬ。謀っていたのはお前だけではない。俺も同じだ。俺も、若殿の命で加藤図書に近いお前に近づいたのだ。勝手を言うのは分かっている。勝手を承知で、お前の知っている事のすべてを俺に話してくれ」
 恒興は、正直に月に頭を下げて手をついた。
 月から聞き出した加藤図書の思惑の全貌を知って、恒興は、すぐさま信長の元へ走った。
「なに⁈ それは真か勝三郎!」
 加藤図書は、信秀の病が重く回復の見込みがない事を承知していた。信秀が死ねば一気に情勢が変わる。信秀の力で抑えていた不平分子が顔を出し、尾張は必ず混乱に陥る。その隙に、加藤図書は、手元にある竹千代を手土産に今川へ降り、熱田の独立を計る。
 加藤図書に先を越されては手遅れになる。信長はすぐに動いた。
 信長は、手勢の河尻秀隆、毛利良勝の両隊長。織田信時、岩室重休、そして、恒興を引き連れて熱田を急襲した。
 電撃の信長の襲来に、信長を酒と女で溺れさせ骨抜きにしたと油断していた加藤図書は、鎧に着替える間もなく全面降伏した。
 信長は、熱田に岩室重休を目付として残し、加藤家の当主の座を、息子の弥三郎へ代替わりさせ加藤図書に預けておいた竹千代も取り返した。
 そうしておいて信長は、かねて温めておいた五か条からなる政令を熱田に発した。
 この政令は、熱田神宮の自治治外権を認めるもので、織田家及び、その敵対勢力である今川・松平どちらへも中立を保つ胸を示すこと。実質は、目付の岩室重休による監視のもと、尾張と三河の経済交流は自由だということだ。
 熱田の裁きを終えた信長は、恒興を連れて、末森城の信秀に報告へ上がった。
 出迎えたのは、家宰として末森に戻っていた家老の林秀貞ではなくお福だった。
 お福の部屋へ通された信長と恒興は、母から衝撃の事実を告げられた。
「大殿は、身罷みまかられました。時間がありません。二人は、大殿へ報告を終え、了解を得られたものとして、ココを出て、急いで那古野へ帰り戦に備えなさい」

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