上 下
25 / 67
八 尾張の悪ガキたち

しおりを挟む
天文十八年(一五四九)二月二十四日。
 美濃の斎藤道三の娘帰蝶が織田信長へ輿入れした。帰蝶は十五歳、信長は十六歳になっていた。互いに、青春の息吹に溢れた年頃である。
 その日、信長は、美濃から蝮の娘がどのように輿入れしてくるか見物してやろうと、恒興と重休だけを連れて、美濃と尾張の国境を流れる境川さかいがわへ身を伏せた。
 向かってくる帰蝶の一団は異様であった。 とても、美濃を支配する男の姫の輿入れではない。
 先頭に、道案内を務める騎馬に乗った平手政秀がいるから間違いない。一団は、百人からなり、街道を埋め尽くしている。
 政秀は、困った顔をして、まだ寒いこの時期に、汗でもかいているのだろうか、しきりに、額の汗を拭いて、困った顔をしている。
 政秀の隣の堀田道空は、こちらは、まるで難題から解放されたかのような晴れやかな顔をしている。
「爺は、困っておるな。これは面白い女に違いない。おお! あれを見よ‼」
 信長が指さした先には、恒興の理解に苦しむ光景がつづいていた。
 前列の十人は騎馬だ。中列の二十人は弓を担いでいる。帰蝶の輿こしを挟んで、後列に三十人ばかりの槍隊。その後ろに、侍ではない白装束の四十人ばかりの荷駄隊がつづく。
「面白い、女武将の嫁入りか! それで爺は困った顔をしておるのだな」
「若殿、あの一団もう一度よくご覧ください」
 重休が進言した。
 信長はもう一度、目を凝らして一団を見た。
「あれは‼」
 帰蝶の一団の侍に見えたのは男ではない。鎧兜に身を包んだ長い髪の女たちだ。
 帰蝶は、女たちで構成された直属の軍隊を率いてきたのだ。後方の荷駄隊に見えた白装束はなんだ。
 荷車を押す者に混じって、背に葛籠つづらを背負っている。
「あれは、職能しょくのうを持つ者だ!」
 信長が、白装束の男の中に、のこぎりの柄を見つけた。
 普通の輿入れでも、山賊などの襲撃から、姫の乗る輿を守るため警護に兵をつけることはよくある。
 しかし、女ばかりの軍隊と、職能の士を連れての輿入れなど前代未聞だ。
 おそらく道三は、帰蝶に直属の軍隊をつけ、尾張で職能の士を使い屋敷を造らせ、そこを前線基地にしようというのだ。
「蝮の毒も中々のものですな」
「よし、分かった。勝三郎、帰るぞ!」
「えっ、帰るので?」
 信長は、恒興の返事も待たず馬に乗って、那古野へ駆け出した。

「いいか、お前たち。ここへ美濃の蝮の娘が攻めてくる。俺たちは今すぐ準備をして迎え撃つ!」
 信長は、那古野へ戻るなり、子分どもを集め、イタズラ小僧のような笑みを浮かべて計画を話した。
「親分、しかしよお。蝮の娘が攻めて来るって、そらぁ、姫の輿入れなのだろう?」
 帰蝶の輿入れ話は、聞きかじっている河尻秀隆が疑問を投げかけた。
「いいや、蝮の娘は、口が裂けていて、口からピョロっと細い舌を出す。そして、男を油断させて丸呑みにするのだ」
 悪い冗談である。人の良い河尻秀隆は信じてしまった。
「ええっ、蝮の娘は男を丸呑みにするのか?」
 毛利良勝、こいつも信じた。
「そうだ、蝮の娘は、そんな女たちを美濃から六十人ばかり連れて、尾張の男を喰らいに来た」
「なんだって!」
 河尻秀隆も、毛利良勝も顔が引き攣っている。
「兄上、蝮の娘が攻めてきても軍隊ではありますまい」
 信長の悪い冗談を看破している信時が、嘘はそのままに尋ねた。
「確かに、男の軍隊ではない。しかしだ、あの六十名の女たちは戦場を経験しているのは間違いあるまい」
「戦場を知る女が六十人だって!」
 河尻秀隆と、毛利良勝は、戦場においては鬼武者であるが、信長の仲間内で話をする時はいたって人が好い。信長の嘘とも冗談ともとれない言葉に簡単に乗せられる。
「しかし、若殿、女が、六十人ならば、問題ないのでは?」
 岩室重休が冷静に答えた。
「そうか!」
 重休の一言で秀隆と、良勝がなにかを閃いて色めきだった。
 恒興は、二人の閃きを手に取るように分かった。
「あんたらは、こないだ女房をもらったとこだろう」
 と、喉まで声が出かかったが、今は機嫌がよいが、一つ間違えば暴力に訴える二人をそのままに、言葉を飲み込んだ。
 良勝がニヤついて恒興を見た。
「おい、恒興。お前はいつまでも、信時の妻になったお善の事ばかり考えてないで、新しい女に乗り換えたらどうだ」
 良勝は露骨だ。恒興は飲みかけた茶を思わず吐き出した。
「なにを言い出すんだ毛利さん。俺はお善の事なんて、これっポッチも考えてやしない」
 誤解である。恒興は、そう言って隣に座って涼しい顔の信時を見た。
 信時には、まったく動揺というものがない。ボリッ! と、煎餅を齧って、武骨な物言いの良勝の言葉を笑っている。
「良勝、それは恒興には、こくってもんだ。しかし、本音をつかれてオタオタする恒興を見るのも面白いな」
 秀隆も露骨で配慮の欠片もない。悪気がないから始末も悪い。
 これだから武骨者は嫌なのだ。恒興も信長の仲間になってから、この武闘派の秀隆、良勝には、槍の腕と、向こうっ気の強さで敵わないと知った。戦場での活躍を見せられては腕っぷしが違いすぎるのだ。
 恒興は、武闘派としては二流で、最近は、政務と知略を学ぼうと、信時や、重休の元へ通いそちらの勉強を始めた。
 しかし、恒興の政務も知略も、二人に比べれば遠く及ばない。
 恒興の才知は、武にも知にも、気遣いにも信長の子分たちにどれ一つも敵わない。至って凡庸なのだ。それが、恒興の悩みだ。
「いいかお前たち、下の子分どもにも言って聞かせるのだ。美濃の蝮の娘たちが攻めてくる。俺たちは、早い者勝ち。無傷で女たちを捕らえて、好みの女を嫁にしろ!」
 これまた、俺たちの若殿は乱暴だ。女を子分たちに乱取りさせる魂胆こんたんだ。
「勝三郎、重休、お前たちはまだ妻をめとっておらなんだな。真っ先に、好きな女を選んで数多の子を産ませるのだ、そして、俺の精強な兵となすのだ」
 若殿の狙いは、俺たちに女をただ褒美として乱取りさせることではない。女を娶って子を産ませ、生まれた子供を自分の兵にするつもりなのだ。まったく、知略的な思いつきに思えても、そこに遠謀深慮を隠しているから驚きだ。
(まったく、俺たちの大将は、世間では大うつけなどと渾名あだなされてはいるが、もしかすると、稀代の俊才なのではないだろうか……)
 恒興は、ボンヤリ、そんな風に思った。
 信長は、恒興の気持ちを知らず、目を合わせると、急に何か閃いたように、目を見開き、皆を呼び集めた。
「いいか、みんな耳を貸せ」
 信長は、そう言って悪ガキ共に耳打ちした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜

皐月なおみ
歴史・時代
わけあり夫婦のところに、わけあり子どもがやってきた!? 冨岡八幡宮の門前町で田楽屋を営む「のぶ」と亭主「安居晃之進」は、奇妙な駆け落ちをして一緒になったわけあり夫婦である。 あれから三年、子ができないこと以外は順調だ。 でもある日、晃之進が見知らぬ幼子「朔太郎」を、連れて帰ってきたからさあ、大変! 『これおかみ、わしに気安くさわるでない』 なんだか殿っぽい喋り方のこの子は何者? もしかして、晃之進の…? 心穏やかではいられないながらも、一生懸命面倒をみるのぶに朔太郎も心を開くようになる。 『うふふ。わし、かかさまの抱っこだいすきじゃ』 そのうちにのぶは彼の尋常じゃない能力に気がついて…? 近所から『殿ちびちゃん』と呼ばれるようになった朔太郎とともに、田楽屋の店先で次々に起こる事件を解決する。 亭主との関係 子どもたちを振り回す理不尽な出来事に対する怒り 友人への複雑な思い たくさんの出来事を乗り越えた先に、のぶが辿り着いた答えは…? ※田楽屋を営む主人公が、わけありで預かることになった朔太郎と、次々と起こる事件を解決する物語です! ※歴史・時代小説コンテストエントリー作品です。もしよろしければ応援よろしくお願いします。

呪法奇伝ZERO・平安京異聞録~夕空晴れて明星は煌めき、遥かなる道程に月影は満ちゆく~

武無由乃
歴史・時代
「拙僧(おれ)を殺したければ――播摩の地へと来るがいい。拙僧(おれ)は人の世を壊す悪鬼羅刹であるぞ――」 ――その日、そう言って蘆屋道満は、師である安倍晴明の下を去った。 時は平安時代、魑魅魍魎が跳梁跋扈する平安京において――、後の世に最強の陰陽師として名をのこす安倍晴明と、その好敵手であり悪の陰陽師とみなされる蘆屋道満は共にあって笑いあっていた。 彼らはお互いを師弟――、そして相棒として、平安の都の闇に巣食う悪しき妖魔――、そして陰謀に立ち向かっていく。 しかし――、平安京の闇は蘆屋道満の心を蝕み――、そして人への絶望をその心に満たしてゆく。 そして――、永遠と思われた絆は砕かれ――、一つであった道は分かたれる。 人の世の安寧を選んだ安倍晴明――。 迫害され――滅ぼされゆく妖魔を救うべく、魔道へと自ら進みゆく蘆屋道満。 ――これは、そうして道を分かたれた二人の男が、いまだ笑いあい、――そして共にあった時代の物語。

義時という父 姫の前という母

やまの龍
歴史・時代
「これからじゃないか。母の想いを無駄にする気か。消えた命らにどう償いをするつもりだ」 胸倉を掴んでそう言ってやりたい。なのに父は死にかけてる。 「姫の前」の番外完結編。姫の前の産んだ北条義時の三男、北条重時のボヤき。

水滸拾遺伝~飛燕の脚 青龍の眼~

天 蒸籠
歴史・時代
中国は北宋時代、梁山泊から野に下った少林拳の名手「浪子」燕青は、薊州の山中で偶然少女道士の「祝四娘」と出会い、彼女ら二仙山の道士たちの護衛をすることになる。二人はさまざまなトラブルに遭いながら、青州観山寺に巣くう魔物その他、弱きを助け悪きを挫く旅を続ける。

無駄な紅葉は散り濡れる.

桜夢 柚枝*さくらむ ゆえ
歴史・時代
ひらひら舞うのが紅葉かな. 遊女であり、舞者である. それが白拍子・紅葉の役目. 好きだったのは、 将来有望なあなただった. 1日1更新します。

扇屋あやかし活劇

桜こう
歴史・時代
江戸、本所深川。 奉公先を探していた少女すずめは、扇を商う扇屋へたどり着く。 そこで出会う、粗野で横柄な店の主人夢一と、少し不思議なふたりの娘、ましろとはちみつ。 すずめは女中として扇屋で暮らしはじめるが、それは摩訶不思議な扇──霊扇とあやかしを巡る大活劇のはじまりでもあった。 霊扇を描く絵師と、それを操る扇士たちの活躍と人情を描く、笑いと涙の大江戸物語。

劉備が勝つ三国志

みらいつりびと
歴史・時代
劉備とは楽団のような人である。 優秀な指揮者と演奏者たちがいるとき、素晴らしい音色を奏でた。 初期の劉備楽団には、指揮者がいなかった。 関羽と張飛という有能な演奏者はいたが、彼らだけではよい演奏にはならなかった。 諸葛亮という優秀なコンダクターを得て、中国史に残る名演を奏でることができた。 劉備楽団の演奏の数々と終演を描きたいと思う。史実とは異なる演奏を……。 劉備が主人公の架空戦記です。全61話。 前半は史実寄りですが、徐々に架空の物語へとシフトしていきます。

晩餐会の会場に、ぱぁん、と乾いた音が響きました。どうやら友人でもある女性が婚約破棄されてしまったようです。

四季
恋愛
晩餐会の会場に、ぱぁん、と乾いた音が響きました。 どうやら友人でもある女性が婚約破棄されてしまったようです。

処理中です...