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八 尾張の悪ガキたち

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 天文十六年(一五四七)三郎吉法師改め織田信長は 、かわ吉良きら・大浜を領するみず信元のぶもとの守る大浜砦へ、今川義元の侵攻の一報を受け援軍の総大将に任じられた。
「若殿、見事な装いになりましたな」
 広間に集結した子分の元へ現れた信長は、馬子にも衣裳よろしく、傅役の平手政秀が涙して頼むので、
「爺に着せられたもの」
 と、紅の横筋を織り入れた焙烙ほうろく頭巾ずきんに、黒地に金色の刺繍の縁取り、背中にも金色の「織田木瓜もっこう」の家紋の入った陣羽織を纏い、乗り馬も金色の馬面と馬鎧を用意されたらしい。
「爺が、初陣に粗相があれば腹を切ると申すのだ。俺は嫌だったが、爺の顔を立ててやったのよ」
 信長は、平手政秀の頼みで、鎧兜を渋々纏ったが、本人は、いつも通りに茶筅髷の傾奇いた出で立ちで、
「尾張の大うつけ、ここにあり!」
 と、正々堂々とも違うが、いつも通りの姿で乗り込むつもりだった。
「小十蔵、戦の手立てはどうなった?」
 信長が、軍師役の室岩重休いわむろしげやすに心近しく幼名で問うた。
「出来ております」
 目標の水野信元の治める刈谷かりや城は、三河と知多ちた半島の間に位置する入り江にある。天守はないが本丸の周辺を土塁で囲み、二の丸との間には内堀と馬出があり、なかなかに強固な城だ。
(しかし、三河に織田に味方する者が居るとはどういう経緯だろう……)
「昨年、私達が元服の折に、松平竹千代を手の内に引き込んだのがようございましたな。竹千代が居らねば、水野信元も、今頃は、さして抵抗もせず降伏しておりましょう」
 と、小十蔵改め、岩室重休が分析した。
 
 昨年、元服式を子分たちと逃げ出した三郎吉法師は、遠乗りした三河・岡崎で、今から 今川いまがわ義元よしもと駿すんへ向かおうとするたけ千代ちよ一行に出くわした。
 当時、四歳の竹千代は、まだ自分で馬にも乗れない。護衛の戸田とだ宗光むねみつを先頭に駕籠かごに乗せられ、十人ばかりの少人数で渥美あつみ半島はんとうの街道を歩んでいた。
「おい、新介! 勝三郎! あの駕籠、あきらかになにかあるぞ。もしかすると相当面白い人物が乗ってそうだ。ちょっと先に行って探って来い」
(ほう、こんな馬鹿な大うつけの遊びにしては、面白い目標ができたな)
 勝三郎は、信長の命に従い、毛利新介と先行して、駕籠が向かう田原たばら城下へ聞き込みに入った。
「なんだって! 松平まつだいら広忠ひろただの嫡男竹千代が今川の人質になるらしい⁉」
 商人に銭を掴ませ町で聞き込むと、三河の主松平広忠は、森山崩れで父清康を失い求心力を取り戻せないでいる。織田派、今川派で家中は二分し、先頃、水野信元の織田への鞍替えで、家中の流れが一気に傾いた。
「竹千代は、水野元信の妹、於大おだいが産んだ子供ゆえ人質として今川へやって死んだところで痛くも痒くもないわ」
 血で血を洗う戦国時代であっては、当たり前の駆け引きだ。
(我が子の命を簡単に道具にするような、親父は、俺は好きになれない)
 勝三郎は、己も幼くして森寺家へ預けられ元服するまで居候として幼少期を過ごしていた。養父、養母はどんなに気を使って育ててくれても、折々に、垣間見える実の親子との違いがある。養弟の藤左に養母のお代がこっそり、菓子を食わせ、贔屓してかわいがる姿を見ると、どうしても比べてしまい、胸がキュッと締め付けられる。そのことで、何度、枕を濡らしたかしれない。
「親分どうするね?」
 三郎吉法師に、新介が単刀直入に決断を仰いだ。
「決まっているだろう。俺たちは、親に背を向けられた人間の集まりだ。竹千代を放っておけないだろう」
 三郎吉法師とその一党は五人。竹千代の一行が、街道を外れて林へ差し掛かるのを見定めて、息を殺して待ち伏せた。
「お前たち、俺の合図で一斉に飛び出し、護衛を組み伏せろ! いいか、絶対に殺すな‼」
「親分、殺しは無しかい?」
 と、新介が聞いた。
「そうだ、殺しは無しだ。俺たちの狙いは、竹千代を自由にすること」
「自由に?」
 勝三郎は、竹千代を自由にするとの言葉に疑問を持った。だって、これから俺たちは、今川が竹千代を人質にする代わりに、織田が奪い取るのだから、今川が織田に代わるだけで自由にする訳ではない。
「親分、どうせ竹千代も子分にするつもりなのでしょう?」
 人の良い河尻与四郎が、ニッコリ微笑んだ。
「そうだ、人質なんて息苦しい境遇になんか子供の竹千代をするものじゃない。俺たちが掻っ攫かっさらって子分にするのだ。いいか、お前たち竹千代を自由にするぞ!」
 
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