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五 池田家家宝

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「大丈夫か従兄貴?」
「ああ、大丈夫だ。力加減を間違った」
 勝三郎は、この頼りになるのか、頼りないのかわからない従兄に協力してもらうしかなかった。
 一益の話では、三郎吉法師は杓子定規な人間を嫌うらしい。一番家老の林秀貞はその典型で、三郎吉法師は目も合わせない。二番家老の平手政秀は、秀貞とは逆に情け深い。三郎吉法師がなにか問題を犯せば、我が事のように涙を流して、頭を下げて回るらしい。三番家老の青山与三右衛門は政務の実務家で、四番家老の内藤勝介は武術の師匠だ。
 一益が言うには、二番家老の平手政秀にさえ話を通せば話は丸く収まるという。
「平手様は森寺の養父の上役だな」
 と、話は聞いたことはあるが、顔までは知らない。
(平手様に話を持ち込むにしても、子供の俺が行ったところでまともに取り合ってくれまい……)
 チリッ!
 勝三郎は、思わず懐に隠した短刀を触った。
「これだ!」
 平手様に、この短刀を渡せば俺の言うことを信用してくれるに違いない。どうせ、城へ上がるのに佩刀は許されぬ。
「従兄貴、これを見てくれ」
 勝三郎は、一益に池田家家宝の短刀を差し出した。
「これは、かなりの逸品だな」
 同じ滝川一族の一益も父の一勝からそれとなく池田家の家宝の話は聞いてはいるが見るのは初めてだ。
「従兄貴、これを平手様に見せれば、話を聞いてくれないだろうか?」
 一益は、勝三郎から短刀を受け取ると、クルクルと西陣の袋を解いて刀身を引き抜いた。
「どうだ従兄貴、この短刀ならば、誰に見せても信用されるに違いない」
 ブンッ!
 一益は、一振りくれた。そして、刃紋をじっくりのぞき込んだ。
「うむ、良い刀だ」
 そういうと「カチン!」と鞘へ収めて勝三郎へ返した。
「悪くはない。これならば平手様も話ぐらいは聞いてはくれるだろう」
(これであの大うつけを懲らしめられる)
 勝三郎は、右手の小脇に不動明王の首を、左手に風呂敷を掴むと、廃寺を飛び出した。
「おい待て、勝三郎! もう一つの風呂敷包みはなんだ?」
「それは、三郎吉法師に会うまで秘密です」
 燃えるような太陽の光を浴びて、
「みていろよ、大うつけ!」
 勝三郎は、額の汗を拭って走り出した。

「平手様、これと引き換えに若殿と掛け合う時間をください」
 勝三郎は、平手政秀との面会の席につくと、いきなり池田家家宝の短刀を差し出した。
「そうか、お前があの忠節一途な池田恒利の忘れ形見か」
 勝三郎が、池田家家宝の短刀を差し出すと、真っ白な頭髪の平手政秀が、勝三郎の顔に父、恒利の面影を見るように目を細めた。
 天文四年(一五三五)尾張おわり守山もりやま城を三河の岡崎城主松平まつだいら清康きよやすが急襲した。清康が織田家内部で信秀に対立した織田おだ寛故とおもとと結託したのだ。この戦は、後に森山崩れと呼ばれ急襲したはずの松平清康が家臣の阿部あべ正豊まさとよに背後から切り殺され、大将を失った松平軍の全面撤退で終結した。
「あの戦は危うい所であった。お前の父恒利が弁慶のように敵の前に立ち塞がってくれなければ、ワシは生きてここにはいない」
 父恒利は、防戦一方だった守山城へ援軍として派遣された平手政秀隊にあって、槍一本で敵の攻城を遊軍として攪乱かくらんした。それでも、圧倒的な戦力の松平軍の前では、次第に形勢は不利に傾いた。
 勝三郎が生まれた前年の話である。
「平手様、これを預かってくだされ」
 守山城は、松平清康におよそ一万の兵で囲まれた。対する城兵は、織田信秀の弟信光の守る八百を数えるのみ。劣勢は確実だ。信秀から派遣された平手政秀隊は七百。これでは焼け石に水だ。とはいえ、弟を見殺しにしたとなれば、織田一族同士で尾張の覇権を争っている国内事情の見通しがさらに不安定になろう。
 信秀から、信光への援軍の大将を任された平手政秀は、信用を守るため負けを覚悟の援軍にきた。
 平手政秀家中の精鋭部隊の森寺小隊は、わずかに三十人ばかりだ。主の政秀から、この小隊に命ぜられた任務は、一万の攻城兵を背後から急襲し混乱させ、攻城の手を止めることだ。
「難しい戦になるが、我ら一丸となって、道をこじ開けようぞ!」
「おう! 我ら死ぬときは共に‼」
 騎上の森寺秀勝の激に、足軽小頭の滝川一勝、池田恒利の兄弟が応じる。
 一勝と恒利の兄弟は、体格がズバ抜けている。およそ一間半(約二・七メートル)の大身の槍を兄弟が握れば、それだけで相対した敵の足軽は怖じ気づいて逃げ出す場合がほとんどだ。
(ここで守山城の信光様を上手く救援し、敵の兜首でも討ち獲れば、森寺殿のような騎上の身分に取りたてられよう)
 恒利は、この難しい戦を立身出世の機会ととらえていた。
 織田家に仕官したとはいえ、いまだに滝川兄弟は、最底辺の足軽の身分だ。戦で手柄を挙げれば平手政秀から取り立てられ思惑通りに立身も成る。死んでしまえば元も子もないが、生き残ったとしても手柄を挙げなければ、また、いくらでもいる足軽の一人のままだ。
(どうせなら、一度で騎上の身分に成る手柄を挙げたい)
「恒利、命は一つしかない。確かに我らの望みは立身出世なれど、はやるなよ」
「それもそうだが兄上、俺の家には赤児が生まれるのよ。これから増える食い扶持も稼がなければならぬのでな」
 恒利は血気に逸っている。
 足軽一人の禄高は、一人扶持(およそ二十万)戦に出れば食い物は支給されるし、活躍すれば褒美も出る。が、妻お福と二人の生活でやっと余裕はない。
「生きるには手柄を挙げるしかあるまいよ」
 恒利は、この戦でなんとしても手柄を挙げる気だ。命より手柄だ。ここで手柄を挙げて騎上の身分だ。
 当然、血気に逸れば危険は伴う。しかし、持って生まれた滝川の体躯が、恒利の自信の源であり弱点であるかもしれない。
 用は、恒利は力尽くで敵を粉砕して手柄を挙げようというのだ。
「掃いて捨てるほどいる、敵の足軽の命であっても命は命ぞ」
「兄貴、そんな甘っちょろいこと言っていたら、とても立身出世なんて叶わねぇぜ」
 恒利は「ペッ!」と、手のひらにツバを吐いて槍を握った。
「命を的の足軽稼業は、こちらもあちらも同じこと。躊躇なんかしていたら、こちらが殺されちまう」
「それはそうだが……」
 槍を振るうにも慎重な一勝は眉を曇らせた。
 戦場の混乱の中、誰が敵で誰が味方かなんてわからない。乱戦に入れば「敵だ!」と思った瞬間に槍を振るわなければ、こちらが殺される。命を奪うことを躊躇ってなどいられない。
「俺は先に行くぜ」
「恒利、用心しろよ」
 それが兄弟で交わした最後の言葉だった。
 平手政秀隊は、松平の攻城兵を突き崩せなかった。恒利の狙った兜首も奪えない始末だ。かわりに、追い込まれた上役の森寺秀勝を庇って敵の槍をその身に捻じ込まれた。
 しかし、幸運にも優勢だったはずの松平清康が、家臣に斬られて自滅撤退した。清康は、信秀と違って家臣から信用されていなかったのだろう。

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