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最終章

誕生日と、声が欲しい、

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 八月三日は普通に過ぎていく日じゃなかった。


 僕がお母さんを殺した日だった。



 僕は誰にも望まれない存在だ。

 産まれてから一度も誕生日なんて祝われた事がない。

 弟と兄さんの誕生日は一大イベントだった。

『おめでとう!』『おめでとうね』

 兄さんと弟の誕生日には、お父さんとお母さんだけじゃなく、お父さんの部下やお母さんの友達やたくさんの人がお祝いする。
 お母さんとお父さんの誕生日も同じだ。
 大勢の人がお祝いにくる中、僕はリビングから響くにぎやかな声を聴きながら、奥深くのキッチンでみんなが食べるためのお祝いの料理を作っていた。

 こっそり覗いた皆の誕生日の光景が薄い膜を重ねたみたいに脳裏にいっぺんに浮かぶ。

 たくさんの人たちに祝われる風景。
 兄さんや弟の誕生日にはクラスメイトの人たちがいっぱい来た。お母さんやお父さんの誕生日には親戚の人たちやお父さんとお母さんの友達がたくさん来た。

 それを悲しいともさみしいとも思ってなかった。

 僕の誕生日は祝われないのが当たり前だったから。

 8月3日は普通に過ぎていくだけの日だった。
 それだけじゃない。8月3日がなければ僕が生まれてこなかったのにと思った。
 この日さえなければって思った。
 一年で一番嫌いな日だった。




 ――――なのに――
 僕のお母さんは僕を家族にしたいと思って産んでくれていたなんて。

 なのに、なのに、僕のせいで死んでしまったなんて。

 僕の代わりにお母さんが死ぬぐらいなら僕を殺してお母さんが生きて欲しかった。
 産んでほしくなかった。

 悲しかった。

 悔しかった。

 お母さんが僕のせいで死んだのが悲しい。
 お母さんが僕のせいで死んだのが悔しい。

 僕は、僕を産んでお母さんが死ぬぐらいなら、お母さんに生きて欲しかった。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい


 おかあさん

 お墓の前で頭の中で何千回も謝っているのに言葉にならない。土下座をすることさえできない。固まって動けなくなった。


 あれ?
 僕の体がまた真っ黒に覆われてた。
 動けないまま謝罪を続ける僕の手が、体が、お弁当屋さんで黒くなった時以上に真っ黒になっていく。
(僕は――汚い人間だから……)

 自然と口が開いた。

「僕は――お母さんが浮気してなかったって知っても、まだ、生まれてきてよかったとは思えないんだ。産んでもらったのに、恩知らずでごめんなさい。僕は、ボクを産むぐらいならお母さんに生きててほしかった。お母さんが助からなかったなら、僕も一緒に死にたかった。水無瀬葉月には、お母さんの命と引き換えに産んで貰う価値なんてなかったよ」

 精いっぱいの謝罪だった。
 僕より、お母さんが。それを伝えるだけで精いっぱいだった。
 今、僕が死んでお母さんが生き返ってくるなら今すぐにでも命を取り換えたい。
 十和子さんのところにお母さんを還したい。

 目を閉じたら、僕の体が急に冷たくなった。瞼が落ち指先も足の先も凍傷ができそうなぐらい冷たくなって呼吸も止まった。苦しくて苦しくて苦しくて。


 声も出ない、音も出ない。
 自分より小さな棺桶に無理やり詰め込まれた感じがした。
 胸も腹も押しつぶされて肩も両方から圧迫されて顔には溶けたタールがかけられそのまま固まったしまったような感じがした。

 苦しい苦しい苦しい。

 でも言葉に出せない、助けて。

 固まって動けなくなった僕の背中に、ドンと重みが乗った。
 遼平さんだ。背中から抱きしめてくれていた。

 氷みたいに冷たくなった掌も大きな掌で包んでくれて、遼平さんの掌のあったかいのが伝わってくる!

「じゃぁ俺が葉月の代わりに葉月のお母さんに恩返しをしなきゃなぁ。里見さん。葉月を産んでくれて本当にありがとうございます。俺はこの子と家族になれてこの世で一番幸せな男です。葉月が生まれてきて良かったと心から言えるように俺が全力で幸せにしますので、どうか見守ってあげてください」

 ――――――。

「かわいい子供が俺みたいなマフィア顔負けの人相悪い男につかまったなんて、お母さんはさぞ心配だろうなぁ」

「――――――!!!!!」

 一気に呼吸が楽になった。


 僕はお母さんを殺した。

 なのに遼平さんがお母さんを殺した僕を受け入れてくれるのが嬉しかったんだ。


 遼平さんが家族にしてくれたって、僕の罪は一つも軽くならない。
 僕の罪も、お母さんを殺してしまった罰も、ちゃんと受けなくちゃいけなかったのに、


 遼平さんが僕を許してくれるのが嬉しかったんだ……!!!!!



 十和子さんにお辞儀をして別れ、汚い黒に覆われた僕が遼平さんの車の助手席に座る。

『ごめんなさい』

 話そうとしたら、声が全く出なかった。

(え?)

 どうして?
 お墓の……お母さんの前では声がでたのに。十和子さんにお礼も言えたのに、お母さんに生きてほしかったって言えたのに!
 肺から息を絞って声を出そうとしたけど、声どころかヒューヒューという音しか出ない!!!?

(どうして!?)

 黒いもやに阻まれて声が出ない!

 遼平さんに失望される。
 家族だって言ってくれたのに、僕を家族にしてくれたばっかりなのに!!!!
 耳の奥に遼平さんの言葉が響く。

『里見さん、葉月を産んでくれて本当にありがとうございます。俺はこの子と家族になれてこの世で一番幸せな男です。葉月が『産まれてきてよかった』と心から言えるように俺が全力で幸せにしますので、どうか見守ってあげてください』

 お墓の前で遼平さんに抱きしめられて――もらった言葉に息ができなくなるぐらいに驚いて泣くことしかできなかった。
 嬉しくて、嬉しくて嬉しくて嬉しくて、息が出来なくなって、
 ごめんなさいもありがとうも言えなかった。

 産んでくれてありがとうと言ってくれたのに、産まれてきてくれてよかったと思えるまで幸せにしてくれるといったのに、



 僕は、僕は、


 傍に置いてくれてありがとうございます、一生、貴方に尽くします、体をバラバラにされて殺されて内臓や脊髄や脳や筋肉とか、全部、全部売られてもいい。

 ちゃんと返事したいのに、どうしてどうしてどうして声が出ないんだ!?

 

 は、は。

(ヒュー、ヒュ、ヒュ、)
 必死に声を絞り出そうとするのに、何の言葉も出てくれない!!!


 遼平さんは絶対に失望する。失望どころか怒るに決まってる……!!!

 お墓の前で喋れたから遼平さんは僕の声が治ったんだと期待したはずだ。
 
 なのに、どうして、声が出ないんだ……!!




 僕は、僕の人生は、



 いつの間にか死んでいる人生だと予想していた。

 一人ぼっちで暮らしてた家賃三万円のアパートと職場の往復で一年を費やして、



 二年が過ぎ十年が過ぎ、僕はある日誰にも看取られないままアパートの部屋で死ぬんだと予想してた。


 高校を卒業して、初めて独り暮らしをしていた懐かしいアパートの映像がノイズ交じりに浮かぶ。
 あの家は寂しかったけど好きな家だったんだ。
 一人ぼっちだったけど安らげる家だったんだ。

 あそこで、そっと死ねるならそれでよかった。
 そう終われることが一番の望みだったんだ。



 なのに、


 遼平さんが家族になってくれた。

 優しい人が傍にいてくれるようになってしまった。
 暖かい場所を知ってしまった。

 寒い場所にずっといたら寒さに感覚が麻痺して寒さが分からなくなるんだ。
 どれだけ寒くても一人ぼっちでも平気になるんだ。
 僕は平気だったんだ。あの、一人ぼっちのアパートが幸せな場所だったんだ。


 でも暖かい場所に入ると暖かい人の傍にいると――――何十倍も何百倍も一人ぼっちの寒さが辛くなる。
 一人ぼっちで平気だったのに、遼平さんみたいな優しい家族が出来てしまった。

 暖かい場所を知ってしまった。今更一人ぼっちになるなんて心が凍ってしまう。


 遼平さんが居なくなる。
 捨てられる。
 は、は――――は、息さえ出来なくなって、涙を浮かべて蹲ってしまう。






「無理するなって」

 ぽん、と、大きな掌が僕の頭の上に乗った。

 まさか、撫でて貰えるなんて思ってもなくて俯いたまま遼平さんの掌を頭に乗せたまま固まってしまう。

「………………ショックでますます声が出なくなるかもしれないって予想してたんだ。お前のことだから自分のせいでお母さんが死んだって悩むだろうからな」

 笑って、抱きしめたまま撫でてくれ、て、



 遼平さんの暖かさに体が動かなくなる、

「葉月のお母さんはお前を家族にしたいと思って産んだんだ。……お前を家族にするために命を懸けて産んだんだよ。それだけは、知っててほしかったんだ」


「――――――!!!!!!!」


 お母さんは僕を家族にしたくて産んでくれたって知って、嬉しいのに、涙もでない!!!



(お母さん、ごめんなさい)
(ごめんなさい)











 ごめんなさい



 口を一生懸命に動かすのに声が出ない。ひゅ、ひゅーと喉から鳴る音しか出ない。
 嬉しいのに、それ以上に悲しいはずなのに涙も――――出ない!
 僕は、どれだけ薄情な人間なんだ!!
 お母さんは命を懸けて僕を産んでくれたのに、声も涙も出なくなるなんて……!!!!


 そんな僕を遼平さんは何度も撫でてくれた、のに、

(お母さん)

 嬉しかったんだ、お母さんが酷い人じゃなかったから。
 悲しかったんだ。僕のせいでお母さんが死んだことが。

 だから、優しいお母さんを犠牲に僕みたいな汚い子が生まれたのが許せなかった。
 僕が生きるぐらいなら、お母さんが生きてほしかった。

 声が出ない。

 誰も知らない部屋で一人で死ぬのが最後な人生だと思っていた。
 それが僕にとって当たり前の人生だったはずなのに、今は怖い。
 遼平さんと一緒にいたい。

 そんな幸せな人生じゃ駄目だ。
 僕のせいでお母さんが死んだんだから僕も不幸に死なないと駄目だ。
 駄目、じゃない。僕のような人間は神様が天罰が下す。僕は、神様の手で一人ぼっちになるに決まってる。

 遼平さんの傍にいたい。
 けど、傍にいれるはずなんかない。僕を産んだせいで母親が死んだのに涙さえ出ないひどい人間を、遼平さんみたいな優しい人が傍においてくれるはずない。

 僕はこんなにひどい人間だったんだ。
 みんなから嫌われるのも当然だ。

 泣くことも謝ることもできないのに、遼平さんが言った。

「予想してたのに無理をさせてごめんな。でも、葉月のお母さんは葉月が家族になるのを喜んでた。それだけは知ってて欲しかったんだ。お前は望まれて産まれてきたんだよ」


 ――――――――!!!

 何を言おうとしたのか、僕自身もわからなかった。
 でも、声が体の奥から出た。

 なのになのになのに音がでない!! ひゅーひゅー鳴る自分の喉が苦しい……!!!

 声が、声が欲しい…………!!!

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