発情薬

寺蔵

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<残酷な薬>

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「凜」

 すっごく怒っている叶さんの声に、びくりと肩を揺らしてしまった。
 無我夢中で気が付いてなかったんだけど、部屋には叶さんと結城さん、そして、高月さんも一緒に居た。

「あの部門長を脅すなんてやるねぇ」なんてからかってくる結城さんを押し退け、叶さんがオレの手を引いて部屋を出た。

「話は済んだ。一先ず本社に戻るぞ。荷物を纏めろ」
「は、はい!」

 クローゼットに入ってた服をバッグに詰め、叶さんの後に付いていく。ホテルの駐車場には見慣れた車があった。叶さんの愛車だ。
 車の中で、ちゃんと謝ろう。
 覚悟を決めて車の横で足を止めた。

「!?」

 強く引き寄せられた次の瞬間、ドンっと体に衝撃が走った。
「叶さ……!?」
 強く車に押し付けられ、オレをすっぽり包む大きな体に覆いかぶさられる。
 叶さんが眼鏡を外し、痛いぐらいのキスが始まった。

「――!!」

 舌、が、唇を舐めてる!
 上半身を完全に拘束された。
 オレと叶さんは圧倒的に力に差がある。一センチも逃げられはしないのに、足をばたつかせて逃げようと足掻いてしまう。

 やめて!

 抵抗も虚しく口の中に舌が入ってきてオレの舌に絡んだ。

「ぐぅ……!」
 眩暈と絶頂。
 車に押し付けられ開かされた足の間に、叶さんの足が押し付けられた。
 股間をぐりっと刺激され、上がった悲鳴がキスに吸われる。

「ぅ、んぅ、ん!」

 いやだ、吸わないで、
 ずって息を吸うみたいに唾液と舌を吸われて、叶さんの口に入った舌を歯で挟まれた。「きゅぅ!?」ぞくんと痺れ、思わず舌先を振るわせてしまった。

 陸に跳ねた魚みたいにびちびち動かした舌先を叶さんの舌がねっとりと撫でて意識が明滅する。

 ただでさえ、叶さんの唾液は毒なのに――――!

「あ……ぁ……」

 何度も何度も体を痙攣させても離して貰えなかった。
 涎を流して舌を出したまま啜り泣きをはじめ、ようやく解放される。
 オレの意識は八割方飛んでて、ずりずりと車の横にへたり込みそうになってしまった。
 叶さんはオレを片手で軽く抱き上げ、助手席に下ろした。

 シートベルトがカチリと鳴る。運転席のドアが開き、閉じる。

 車が発進すると同時に、失神に近い眠りに落ち、目が覚めたころにはどこか見慣れた景色が広がっていた。

「目が覚めたか」
 問われて、対向車線のヘッドライトに照らされる叶さんの横顔を見上げた。

「――はい」
 車が信号で止まる。
 叶さんがゆっくりとこちらを向く。

「二度と、あんな危ない真似をするな。約束しろ」

 ――――!!

 眼鏡の奥の瞳が冷たい。

 眼光だけで殺されてしまいそうなほどに。

 部門長に笑顔で睨まれた時、全身に冷や汗が浮いた。
 それとは真逆に体が芯まで一気に冷えて声さえ出なくなった。
 本気で怒ってる。
 こんな叶さん始めてだ。

 恐い。

 あ――あやまら、な、きゃ、

 声が出ない。動けない。

「凜」

 歯の根が合わなくなって、ただ、必死に頷いた。

 結城さん、言ってた。叶さんは、冷酷な、って、まさか、あれ、本当だったのかな?

 二度としません。ゆるしてください……!

 また、力づくで引っ張られた。
 ヒィ!
 殺される……!?


 逃げようと暴れることもできず恐怖の余り脱力するオレの耳に、叶さんの唇が触れた。



「次はキスぐらいじゃ許さないからな」



 注がれたのは、笑いを含んだ声だった。

 覗きこんでくる瞳も、いつもと同じ優しい瞳だ。




「――――!!!?」





 一気にオレの中から恐怖が消し飛んだ。





 いつもの叶さんだ。

 どうしてあんなに怖かったんだ……!!?

「返事は?」
「わ――わかりました、二度と、しません……!」

「約束できるか?」
「ヒッ――」
「凜」
「や、約束します……!」

 吐息と共に響く声が下半身に直撃して顔が真っ赤に火照る。
 数値が減少したなんて嘘だ。声だけでも平常じゃいられない。

 足の間に腕を挟んで、真っ赤になった顔で俯いてしまう。

「まだそんなに反応するのか。大変だな」
 ククッと笑われた。

「人事みたいに言わないでください……」
 一体、誰のせいだと! いえ、そもそもの原因はオレですけども!

「薬はいつ切れるんだ?」
「わかりません!」

 ふて腐れて窓の外に視線を向けると今度こそおかしそうに声を上げて笑われた。

 ――さっきのは何だったんだろう。オレの気のせい?

 気のせいじゃないかも。

 オレ、百瀬さんを道連れに死のうとまでしてたもん。
 恋人なら、物凄く怒って当然だ。
 あんなに怒らせたの初めてだから、過剰にビビッちゃっただけか。
 うー。普段優しい人を怒らせると恐いって本当だな。

 冷酷なんて思ってごめんなさい叶さん。
 叶さんは恋人の為に本気で怒ってくれる優しい人です。

 運転を始めた横顔にこっそりと謝る。


 とっくに日は沈み、時間は夜八時。
 実に半月ぶりに、オレは住み慣れた街へと帰ったのだった。



 あ――この道は。叶さん、本社に戻るんだ。


「あの、叶さん、途中で下ろしてください」
 この時間だと総務の人間は残ってないだろうけど、まだちょっと会い辛いから会社には行きたくない。

「なら、先に俺のマンションに行くか。今日は泊まっていけ。体調も万全じゃないだろう? 一人にするのは心配だからな」
「え!? いいんですか……?」

 実は凄く助かる。だって、オレ、なんの準備も無く家を出た。生ゴミや冷蔵庫の中身もそのままだ。
 家に帰ったらまず片付けからしなきゃならないし、む、虫がいたらそれこそ休むどころじゃないから。

「ミナムラスーパーの前で下ろしてもらっていいですか?」

 叶さんのマンションの最寄のスーパーだ。
 今日、オレは叶さんとお付き合いすることになった。
 ささやかでいい。お祝いがしたかった。
 百瀬さんと部門長のお付き合い記念日にもなればいいなぁ。オレ、部門長嫌いだけど。百瀬さんに部門長は勿体無いけど。

 叶さんは二つ返事でスーパーの前まで送ってくれた。

 お礼を言って車を降りる。
 ちょっといいワインとおつまみを買おう。
 一目散にお酒売り場へ――――あ。

 お酒売り場はコスメコーナーの先にある。

 ふと、目に付いてしまった。

 「素顔で勝負! 女子力UPコーナー」という大きなPOP。

 睫が長くなる美容液。唇の縦皺が無くなるリップ。ボディクリーム、化粧水、乳液、その他色々……。

『凜が女の子だったらよかったのに』
 子どもの頃言われた言葉が脳裏に蘇る。
 母さんと父さんの言った通りだ。

 叶さんの恋人になれた今、本気で思う。


 女の子に生まれてきたかったって。


 女の子にさえ生まれば、両親も離婚せずに、オレの人生なにもかも上手く行ってたのに。

 コーナーにくっつけてある、小さな鏡を覗き込む。

 ガサガサの肌、短い睫、硬い唇の鈴森凜がオレを見返す。
 手入れをすれば、女の子みたいな優しい体に変われるかな?

 衝動的に籠を取り、目に付くケア用品を片っ端から入れた。

 籠の底にケア用品を敷き詰め、お酒のコーナーに入る。
 ワインは当然、叶さんの好きな赤だ。
 おつまみも買わなきゃ。
 ワインのおつまみなら、チーズとチョコかな?
 チーズは叶さん用のおつまみだから高級なのを奮発。
 チョコはオレのおつまみだから、質より量。ファミリーサイズのパンダのクッキーチョコを購入した。





「お邪魔します……」

 叶さんの部屋のドアを開く。当然中は真っ暗だった。誰も居ないと知りつつも挨拶をして電気をつける。

(!!!)

 華やかな色彩で一杯だった部屋が別の部屋みたいに殺風景になっていた。

 この部屋は、叶さんと愛華さんが結婚してから新居として借りた部屋だ。

 専業主婦になる愛華さんがくつろげるようにと、家具はカーテンからテレビ台まで全部愛華さんの好みで買い揃えてた。
 完成したのはパステルカラーとピンク、そしてディズニーのキャラクターグッズが溢れる部屋で、初めてお邪魔したときは叶さんのイメージに合わなくて笑ってしまった。

 だけど、マンガに出てくる理想的な新婚さんの部屋みたいで羨ましかったんだ。

 それと比べると、今はまるで廃屋みたいにがらんどうだ。
 リビングにあるのはソファとテーブル、キャビネットだけ。
 沢山並んでたヌイグルミも、一つもない。



 テーブルの上にワインを出す。

 端に段ボール箱が置いてあった。
 この箱、なんだろ?
 蓋が開いていたからついつい覗いてしまった。

「あ」

 中に入ってたのは愛華さんと叶さんの思い出の品だった。
 真っ先に目に飛び込んできたのは、大きなフォトフレーム。
 フレームの中にはざっとみるだけでも十枚以上の写真が飾られてる。いろんな場所で撮影された愛華さんがカメラに微笑んでた。
 ベルベットの箱もある。指輪ケースだ。開くと、中には叶さんのサイズの指輪があった。

 その下の重厚な表紙には見覚えがある。二人の結婚写真だ。


 そっと、手に取る。
 ウェディングドレス姿の愛華さんとタキシード姿の叶さんが腕を組んで並んでいる。
 叶さんは優しく微笑んでた。

 一人きりの部屋で幸せだった頃の写真を見てたのか。
 苦しくて胸が痛くて勝手に涙が溢れてきた。

 もし、もし、オレが女の子だったら。
 タキシードを着た叶さんと並んで写っているのはウエディングドレス姿のオレだったのかもしれない。

 もし、そうだったら。
 オレは絶対に、叶さんを裏切ったりしなかったのにな。

(そして、叶さんの子どもを産んで)

 テレビのCMに出てくる家族みたいな、夢みたいな幸せが築けたのかも。

「――――――!!」

 テーブルの上にケア用品を全部出した。
 片っ端から封を切る。

 キャビネットに乗ってたアンティークな飾り彫りがあしらわれた卓上ミラーをテーブルの上に置き、睫の美容液を塗った。それから、リップも。

 パーカーとジーンズも脱ぎ捨てて、肌が柔らかくなるという謳い文句のボディークリームを手に取り、体中に擦り込んでいく。

 こんなことをしたって女の子になれるはずない。



 無駄な抵抗だとわかってるのに、自分を止めることができなかった。



(女の子になりたい)
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