発情薬

寺蔵

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<解放と、再会>

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 叶さんがどこかに連絡を入れ、それから、お風呂に入れてもらって、オレに服を着せてくれて。
 予備のシーツでオレの体を包んで抱き上げてくれた。

 ドアが、やっと、開いて。

 入って来たのはピアスの人――結城さん。

「おー、ベッド滅茶苦茶~☆ 派手にやったみたいっすねえ。やっぱさすがの凜ちゃんも『運命の人』相手じゃ我慢することはできなかったかー。叶サン、発情してる子とのセックスはどうでしたあ? 体液の味も性器の動きも比にならないらしいですねえ。超羨ましいですよ。俺にも誰かサカッてくんねーかな―」

「うるさい。凜に何をした。手首と足に拘束痕があるじゃないか。場合によっては……」

「おおっと、文句は俺みたいな下っ端じゃなくて八雲部門長にお願いします。俺なんて会社の歯車にもなれない単なるイエスマンですから。ささ、上のお部屋まで案内します。凜ちゃんを運びましょ。って、ストレッチャー使わないの?」

「このまま運ぶ」

「姫抱っこで? 愛してますねぇ。ま、無理もないか。健気ですよねぇ凜ちゃん。叶サンに迷惑掛けたくないからって、限界値超えるぐらい薬効いてたのに抑制剤飲み撒くって耐えたり、ウチのモモちゃんが辛い目に合うぐらいなら自分も臨床実験に協力する、なんて言い出しちゃったりしたんですよぉ。あ、そだ。凜ちゃんに言っておくことがあったんだった。もう吹っ切れたかもしんないけど、モモちゃんのことは諦めてね。あのコ、部門長のお気に入りだから。凜ちゃんみたいな可愛いチワワちゃんじゃあの怪物は倒せねえよ」

 オレへの言葉に返事はできなかった。ただ、ぐったりと叶さんに体を預けて話を聞くだけで精一杯だ。

「百瀬君と何があった?」

「そう睨まないでください。おれより年下のくせ、その眼力怖すぎるんですから。二人が一緒に旅行してたのは知ってるでしょ? その間中ずっと、ちゅっちゅしたり一緒のベッドで寝たりしてたんです。モモちゃんと凜ちゃんも免疫情報の相性が良かったみたいで。いちゃいちゃしてるだけの間は部門長も微笑ましそうに見守ってたんだけど、とうとうお付き合い宣言しちゃって連れ戻されて引き離されちゃったんです」

 エレベーターの前で、止まる。

「ちゅーしてる画像見たけど可愛かったっすよぉ。ほんっと、上品なニャンコと手のひらサイズのチワワがじゃれ合ってるみたいで。はい、ドーゾ、この部屋使ってください。ここワンフロア貸し切りだからごゆっくりどうぞ。おれ達は408号室に詰めてます。ルームサービス好きに使っていいですからねー。えーと、十七時までは休憩だから」

 いつの間にかエレベーターから降り、ホテルの部屋にたどり着いてた。じゃーね、って言い残して結城さんが部屋を出て行く。

 百瀬さんは無事なんですか?

 そう訊きたかったのに、消耗し過ぎて口が動かないまま、ようやく真っ白の部屋から出れた安堵に意識を失ってしまったのだった。





 目を覚ましたとき、オレは一人だった。


 服は監禁されてた時と同じ服のまま。
 部屋も、真っ白――!?

「――――か、かのうさん……どこ……!!?」

 どうして!? 部屋から出れたはずなのに……叶さんが出してくれたはずなのに!!

 叶さん、叶さん、叶さん……!!

「凜? ――待て、止まれ!」

 !!?

 叶さんの声!?
 はっ、って気が付く。
 部屋に叶さんがいた。
 腕を伸ばしてオレを押さえつけてる。

 オレは、危うく、ガラスの丸テーブルに突っ込む所だった。

 あれ……。

 部屋は白くない。

 普通の、暖色で纏められたホテルの部屋だった。

 ――――――! また幻覚だったんだ!

「ごめんなさい……叶さん……」
「恐い夢でも見たのか?」

 子どもに聞くみたいなことを聞かれて、子どもにするみたいに頭を撫でられて、堪らず叶さんに抱きついた。

「――オレ、オレ、ごめんなさい、かのうさん、けっこんしてるのに、あんな、ごめんなさい……!!」

 顔を見るのが怖い。
 オレは卑怯にも叶さんの肩に額をつけて俯いたまま謝罪した。

「あぁ……まずはその話からだな」

 喉を引き攣らせるオレを叶さんが強く抱き締め、背中を摩ってくれた。

「愛華とは一ヶ月以上も前に離婚している。話すのが遅くなって悪かったな。直接話そうと機会を伺ってる間にこんなに間が開いてしまった」

 離婚!?

「ど――どう、して!? そんな、あんなに仲が良かったのに……!?」

 驚くと同時に既視感が襲ってきた。

 そうだ。オレがデロデロに酔っ払った飲み会の日、タクシーの中での話はこれだった!
 いくら酔ってたからって、どうしてこんな大事な話を忘れたんだ……!!

「……まぁ……、いずれはお前の耳に入るかもしれないか……」
 叶さんはどこか諦めたように呟いてから続けた。

「営業企画の佐伯という男は知っているな?」
「はい……」

 オレの同期で同じ年の男だ。
 本社に勤めてると麻痺してしまうけど、ウチの会社は本社に勤めることがステータスみたいな風潮がある。
 オレたちの一つ上も、今年の新人も本社勤めになった人材はない。そして、オレの年代で本社に配属されたのは二人。総務のオレと、営業企画の佐伯だけだ。
 そして、営業企画はかつて愛華さんが勤めてた部署でもある。

「先日東北支社へと移動になったんだが……そいつが愛華と不倫していたんだ」
「えっ……!? 愛華さんが……!?」

 まさか、愛華さんが不倫してたなんて!!

 しかも、オレと同じ年の男と!?
 頭の中に映像がフラッシュバックする。

 叶さんが出張中にひっきりなしに入って来た、愛華さんからのお誘いのメール。
 三人での食事会で、叶さんが席を外した途端によこされた意味ありげな流し目。
 叶さんが選んだ人が不倫なんてするはずない。そう信じてたけど、オレが見ないフリをしてただけで、兆候はあったんだ……!!

 オレも、美咲ちゃんに浮気されて辛かったはずなのに、両親の不倫で苦しんだはずなのに、何一つ慰めの言葉が出てこなかった。

 何を言っても叶さんを傷つけてしまいそうで恐い。
 慰めどころか、愛華さんを責める言葉さえ口に出せない。

 裏切られ他の人に取られても、好きな人は好きなまま叶さんの心に居続けているかもしれない。結婚までしたのなら尚更だ。

 一番傷ついているのは、憤っているのは、悲しいのは、叶さんなんだから。

「内三の鬼が新人に嫁を寝取られたと噂になったんだがな。聞いてなかったんだな」
「なっ……!? 誰が、そんな噂を!?」

 目の前が真っ赤になった。

 裏切られた人が誹謗中傷されるなんて酷すぎる!!

 オレ、生まれてこのかた暴力を振るったことなんてない。
 赤坂先輩に殴られた時だって、殴ったら負けだって思ってやり返しはしなかった。
 なのに生まれて初めて人を殴りたいって衝動にかられた。

「終わったことだ。気にするな。俺も悪かったんだよ。出張もあったしいろいろと忙しい部署だから寂しい思いをさせていたしな――それよりも、また、やったな?」

 悪いなんて言わないでください! 叶さんは悪くない!
 出張なら付いていく事だって出来る。会いに行く事だって。
 裏切られた方が悪いなんて悲しすぎる!
 憤って抱きつく腕に力を込めてたオレの服に叶さんの手が入って来た。

 脇腹にそっと触れる。

 ざぁっと全身が冷たくなった。

「しないって約束だったよな」

 叶さんはズボンは履いてたけど上は裸だった。爪を立てるように自分の脇腹に置いた指を、必死に握りしめた。

「――も、もうしません! しませんからやめてください! お願いです、オレがもちません……!」

 叶さんに傷を付けるなんてもう嫌だ、恐い!

「……。そうだったな。前に傷を付けたとき真っ青になったからこっちが驚いたよ。倒れるかとな」

 爪を立てようとした掌がオレの頬を撫でた。よかった、叶さんに傷を付けることにならないで、ほんとによかった……!

「手首と足首の傷はどうした? お前に一体何があったんだ? 臨床実験に参加していると聞いたんだがどんな内容だったんだ?」
「――――その」

 どこまで話していいのか判らない。何が八雲部門長の怒りに触れるかわからないから。百瀬さんの身の安全を確かめるまでは下手な言動を起こしたくなかった。

「お前の口から聞かせてくれ」
「…………」

 叶さんは随分長い間待ってくれたけど、オレは何も話すことができなかった。

「言えないか……」
「……ごめんなさい……」
「薬の効果を利用した望まない性行為を俺以外とも強要されたか?」
「さ――されてません!! 叶さんとだけしかしてません!」
「……俺としたことが、お前の傷になってないか?」
 叶さんの表情が辛そうに歪んで、オレは叫ぶように言った。
「なってません! 叶さんが許してくれるなら、オレは、」

 貴方に触れて嬉しかったんです……!!
 そこまでは言えなくて、ただ俯くことしか出来なかった。

「……オレ、どう、謝罪していいか……寝てる叶さんにあんな真似をして、ほんとに、ごめんなさい……。同性なのに、今まで散々お世話になってきたのに……」

「お前の『運命の相手』は俺だったんだな」
「……はい……」

 叶さんが吐息を漏らす。オレの恐怖を他所に、笑ったような声が滲んでた。

「嫌だったら殴ってでも止めてたよ。お前と俺の体格差ならそれぐらいできたからな……驚きはしたけどな」

 ――――――!!

 よかった……!!!!
 
「ッんぅ……!?」

 安堵した途端に全身に痛みが広がった。
 動揺に動揺を重ねて居たから気がつかなかったけど、体中が痛い。

 特に、初めて叶さんを受け入れた場所が軋んで足から力が抜けた。

「おい、大丈夫か?」
 ひょいっと抱き上げてベッドまで運んでくれた。
 監禁されてた部屋とは違う柔らかいベッドに下ろされたと同時に布団の中に潜りこむ。

「顔を見せろ」

 うぅ、嫌だ。恥ずかしい。それに、叶さんは怒ってないみたいだけどやっぱり顔を見るのが恐い。

「凜」

 叶さんの手が布団越しにオレの体を撫でる。
 腰の辺りまで辿られて、布団の中で吐く息の熱が上がった。

「お前を抱いた責任を取らせてくれ」

 せ、責任!?
 責任って何ですか!?

「責任だなんて、そんな! 叶さんはなにも悪く無いのに! オレが、勝手にして……! 叶さんは被害者なのに責任なんて……!」

 思わず身を起こして叶さんとばっちり目が合ってしまい、恥ずかしさに真っ赤になったり痛くて呻いたり一人で騒いでしまう。
 叶さんはおかしそうに笑って、オレの手をとった。

 え?

「離婚して一ヶ月半で次を見つけようとする不誠実な男でも良かったら、俺と付き合ってくれ。結婚はできないが、一生の伴侶を前提として」


 伴侶――!?


 ど、う、して、

「どして、オレなんか、か――叶さんは、幸せな家庭を作れるのに、誰よりも良い父親になれるのに、オレとなんて」


 言うと、叶さんは困ったみたいに微笑んだ。


 あ――――!
 離婚したばっかりの人に家庭の話をしちゃうなんてオレの馬鹿!


「結婚はもういいよ。幸せにしたいと思った女に裏切られるのは一度だけで充分だ。……情け無い話だけど一生傷が消える気がしない」

 ―――――!!!

「ご、ごめんなさい……不倫がどれだけ深い傷になるか知ってたのに……! オレ、最低でした……!」
「謝るな。結婚はもうこりごりだけど今後一生を一人で生きていくなんて寂しいからな。お前が傍に居てくれ。お前は……俺を裏切ったりしないだろう?」

 顔に大きな掌が添えられた。
 上からその掌を握って、視線を下げたまま、声を搾り出す。
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