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本編
121 ヤヌスの祈り 【閑話・side ミハイル・ゼレノイ】
しおりを挟む数日後に黒いローブの男と2人で再び地下室を訪れたときには、ヴィクトル様は立っているのがやっとなくらいぼろぼろだった。なにかに掴まらないと歩くことさえできない。来るたびに外しては嵌め直している魔封じの手枷が、ことさらに痛々しい。鍵を外すのを躊躇したほどだ。
なぜなら手枷を外す理由は、指輪に魔力を籠めるためだけだから。
ヴィクトル様の身体は酷使され続けて、とうに限界だと誰の目にも明らかだ。なのに、意志の強さを感じさせるエメラルド色の瞳の輝きは失われず、私にはどうしても止められなかった。
「もう、そのあたりでやめられてはいかがですか? このままだと倒れますよ。」
いくら私が進言しても、頑固な彼は、首を振るばかりで。
ヴィクトル様の魔力を私が無理矢理増幅し、それが尽き果てるまで指輪に籠める。その繰り返し。
毒薬なんて飲まなくても衰弱で死んでしまいそうだった。
「──たぶん、これが最後。あとは自分の始末をつけるだけだ。」
信じられないくらい弱弱しい声だった。ヴィクトル様は、テーブルの上に置かれた小瓶を手にする。
瓶の中身は即効性の毒薬だ。苦しまずに死ねる上、死後の変色も少ないため賜死の際によく用いられる。アレクセイ殿下の命で、私が彼に手渡した。
(この毒を飲めば、目の前の男は、あっという間に死んでしまう)
当たり前のことだが、改めて考えるとぞっとした。
「何か・・・・他に方法はないんですか?」
少し震える声で私は言った。別に罪を犯したわけでもない。何も命を無駄にしなくても、死んだと見せかけてどこかに逃げることだって可能なはずだ。アレクセイ殿下だって「先王を処刑した」という事実さえあればいいだろう。
逃げて、逃げて。どこか遠くで、ひっそりと暮らしていけばいいじゃないか。
私の言わんとすることを汲み取ったヴィクトル様は、ぽつりと口を開いた。
「いつも・・・眠るのが怖いんだよね。夢ではいつもキアナが笑って側にいるんだ。当たり前みたいに幸せで、幸せで。それなのに、目が覚めると、彼女はどこにもいない。しばらくして、ああ、これは夢だったんだと絶望することの繰り返し。」
「・・・キアナ様は、貴方の死を望んではいませんよ。」
「うん、きっとそう。私の我儘だってわかってる。でも、もう、許してほしいんだよ。楽になりたいんだ。」
「あなたは、残されたもののことを考えたことはあるんですか。アレクセイ殿下だって心に傷が残ります。私だって一生恨みますよ、あなたも、キアナ様も。」
行き過ぎた愛は、呪いよりも質が悪い。キアナ様に罪はないけれど、ここまでヴィクトル様の心を奪ったことを恨まずにはいられない。
キアナ様を恨むと言われてヴィクトル様は、少しだけ眉を下げた。
「それは勘弁してほしいなあ。あと少しだから、計画がうまくいったら水に流してよ。」
「ほんと、あなた、ばかじゃないですか。なんでいつも自分勝手に事を進めようとするんですか。」
目から涙が溢れ、服を濡らす。いい大人がみっともないと思いながらも止められなかった。目が痛くて、余計に涙が出る。涙が止まらない。我儘で、自分勝手な人だけど、有能な王だったし、私は彼が好きだった。
なのに、こんなばかげた理由で命を捨てようとするなんて。
「・・・ねえ、泣かないでよ。私まで悲しくなってしまう。」
そう言って、ヴィクトル様は憂いを振り払うかのように明るく笑った。
「もし、生まれ変わりなんてものが本当にあったなら、次こそは君に怒られないような人間になるからさ。」
「──私はまっぴらごめんです。女性にうつつを抜かして死にたがるような、無責任な国王なんていりません。貴方からチェスの駒のように使われるのも嫌です。」
必死で涙を堪え、それだけを言い捨てると、私は部屋の隅に控えていた黒いローブの男に目で合図した。男は小さく頷くと、小声で何かを呟く。
『…――――…』
何をされるのかわかったのか、エメラルド色の瞳が大きく開かれる。そのままヴィクトル様の身体がぐらりとかしいだ。私は、崩れ落ちる彼の身体を受け止める。
企みが成功して、安堵の息が漏れた。
「よくやりました。あとは転移で私の屋敷に運んでいただければ。」
想像以上に軽い身体を抱きかかえながら、近づいてきた男に声をかける。ぱさりとフードを外した男は、深紅の目で私を軽くにらんだ。
「いいけど、、、ほんとにアレクに何も言わなくていいの?」
「いいんですよ。ヴィクトル様はこれから眠りの魔法で安らかに眠っていただくんですから。きっともうアレクセイ殿下に会うこともありません。このまま知らずにいたほうが幸せでしょう。」
「でもさ、いつか魔法は解けるんだよ。このひと、計画が失敗したとわかったらがっかりするんじゃない?」
「私を恨んでくれればいい。こんな幕引きなんて私は許さない。」
眠りの魔法は、術者が解呪するまで、または術者以上の魔力を持つ者が強制的に解呪するまで続く。稀代の魔術師と呼ばれるルー・レイスティアの魔力を私が最大限増幅してかけたのだから、同じ条件のルー以外は、きっともう誰にも解けない。
私の気持ち次第では、眠ったまま寿命で命を終える可能性もある。
「なんで頭のいい人に限って、そんな馬鹿なことばっかり考えるんだろうね。」
「同感ですよ。我ながら馬鹿なことをしているという自覚はあります。」
ヴィクトル様は、そんなことを望まないとわかっている。それでもこうせずにはいられなかった。・・・生きていてほしかった。
いつかアレクセイ殿下にこのことを伝える日がくるかもしれない。アレクセイ殿下には妃がいて、子供がいて・・・父親のことを赦す日がくるかもしれない。
──いつか、いつか魔法が解けてヴィクトル様が目覚めたとき、何かひとつでもいいから「死ななくてよかった」と思ってくれる何かがあればいいと願わずにはいられない。
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