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本編
84 花を、待つ【side アレクセイ】
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昼前に届いたルーからの手紙には、シアと無事に合流できたこと、3日後に帰国すること、拉致の首謀者はイヴァンではない可能性が高いこと、などが簡潔にまとめられていた。
少し癖のある独特の筆跡は少しも乱れておらず、順調に事が進んでいることが窺える。急ごしらえの使者として送り出したので、ひと悶着あってもおかしくなかったが杞憂だったようだ。
今回の件を外交問題として交渉の材料にすることも考えたが、彼女の身の安全を最優先した。
国王への抗議文書程度で済んで、結果的にはよかった。
ようやくこれで安心という安堵の気持ちと、張りつめていた糸が切れたような脱力感が襲う。イヴァンの元であれば彼女の身に危険はないと楽観視してはいたものの、監禁され既成事実でも作られては困るという不安もわずかにあった。ルーがそばにいれば安心だ。
ふたりに返事を書くため、執務机の引き出しから紙を取り出す。伝令蝶に託すときに使用する特別製の紙で、とても薄く軽い。次いで専用のインクを使うためのペンを手に取る。
「セイは彼女に伝えたいことは?よかったら一緒に手紙を届けるけど。」
ふと顔を上げ、傍らに控えるセイに声をかける。決して自分から手紙を届けてほしいとは言い出さないであろう側近は、数秒の沈黙の後、覇気のない声で返事をした。
「いいえ、結構です。」
「控えめだなー。せっかくだから何か書けばいいのに。」
相変わらず欲がないと思いながら、なおも勧める。すると、返ってきたのは想像していなかった言葉だった。
「・・・陛下、遠慮ではないのです。単純に私は、彼女に何を書けばよいのか、どんな言葉を伝えればよいのか。本当に全くわからないのです。」
「・・・は?」
しまった、間抜けな声が出てしまった。
だってしょうがないだろう。今まで数多の女性と浮名を流した男が、長らく私の側近兼宰相補佐として仕え、大抵のことはそつなく器用にこなす男が。初めて恋を知った少年みたいに手紙の一つも書けないなんて言うもんだからさ。
笑えない冗談かとも思ったけれども、表情を見る限りはそんなこともなく。
(きっと余計なことを考えすぎているんだろうなあ)
セイは細かいところまでよく気がつく男だ。細かな兆候も見逃さず、物事を先回りして考える能力は政事においては非常に役立つ能力だが、色恋では勝手が違う。きっと彼女の気持ちを先回りして考えすぎて迷走している可能性が高そうだ。
とはいえ人の恋愛相談に乗れるほど私は経験豊富ではない。
「えーと、なんでもいいんじゃないの? 愛しい人、とか、早く会いたいとか、そういうので。」
適当に言葉を重ねているうちに、言っている自分自身が恥ずかしくなってきたので、途中で口をつぐむ。そもそも、歯の浮くようなセリフはセイのほうが得意なはず。なんで私がこんなこと言わなくてはいけないんだと我に返る。
セイは、すでに執務室に私と自分しかいないにもかかわらず、左右に視線を走らせ誰もいないことを再度確認する。それから、セイはぽつりと尋ねた。
「陛下は、、、正妃に、と望んでいらっしゃいますか?」
誰を、とは言わなかった。私は用意されている答えを自動で返す。
「やだなあ、前もいったじゃない。女性除けにしばらく寵姫のふりをしてもらってるだけだってば。」
「でも、以前お話してくださった”理想”に近い位置にいますよね。」
以前戯れに話した理想をまだ覚えていることにひやりとする。動揺を顔にださないよう細心の注意を払い、平静をよそおう。
「んーーーー、ま、ね。正直私もセイと同じでよくわからないよ。そもそも人を愛するって気持ち自体がよくわからないしね。」
ひらひらと手を左右に振って、軽い感じで返事をした。嘘は言っていない。私は、人を愛するということが本当にわからないから。
シアを手元に置きたいとおもうのは、単純にそばにいて心地がいいからにほかならない。まあ異世界からの知識とか、魅力的な肢体とか、他にも色々あるけれど。
あと、外見と中身が危なっかしくて放っておけないというもあるかな。
これ以上話を続けたくないので、手紙の続きを書くふりをして、机に視線を落とす。セイは、それでも話をやめようとはしなかった。
「それでは、私が彼女を妻にと望むことは許されますか?」
あまりにも直球で、思わず言葉を失う。視線を上げると、真剣な表情でセイがこちらを見ていた。
「もちろん、はじめに約束したとおり数年後には彼女は自由だ。シアは3日後に帰ってくる。そうしたら好きなだけ一緒に過ごして自分の気持ちを伝えるといい。幸い後宮は男子禁制というわけではないからね。」
そう。もともと我が国の後宮は男子禁制だったのだが、先王の代に法が変えられ男性の入宮は許可制になった。理由は先王が宦官を嫌ったのと、自分が無理やり娶った妃を他の男たちに嬲らせるためだったが、今は逆にそれがありがたい。
会うのは自由。望むのも。彼の意を汲んでいるようで、肝心な部分は明言しない。
我ながら詭弁めいてると思うし、もちろん相手も気づいているに違いない。それでも私の意図を汲んだのか、それ以上は何も言ってこなかった。
しばらくセイは下を向いたまま無言で・・・何も返事をしなかった。しかしわずか逡巡ののち、意を決したように、口を開いた。
「陛下・・・。お願いがございます。どうか私を──。」
セイが告げたのは、想定していなかった願いだった。おそらく、彼が私に言ったはじめてのわがままかもしれない。
ずっと以前、セイに「もっとわがままになってもいい」と言ったことをふいに思い出す。
とりあえずルーへの返事と共に、シア当ての短い手紙を書いて伝令蝶に託した。ほどなくふたりに届くだろう。
ふう、と息を吐く。
満月が近いせいか、頭痛がする。頭の芯がずきずきと痛む。気を紛らわせるように目を閉じた。
(はやく帰ってこないかなあ)
こんなときは心が弱くなる。だから、彼女と話をしたいと思うのも、柔らかなからだに触れたいと思うのも、きっと気の迷いだ。
少し癖のある独特の筆跡は少しも乱れておらず、順調に事が進んでいることが窺える。急ごしらえの使者として送り出したので、ひと悶着あってもおかしくなかったが杞憂だったようだ。
今回の件を外交問題として交渉の材料にすることも考えたが、彼女の身の安全を最優先した。
国王への抗議文書程度で済んで、結果的にはよかった。
ようやくこれで安心という安堵の気持ちと、張りつめていた糸が切れたような脱力感が襲う。イヴァンの元であれば彼女の身に危険はないと楽観視してはいたものの、監禁され既成事実でも作られては困るという不安もわずかにあった。ルーがそばにいれば安心だ。
ふたりに返事を書くため、執務机の引き出しから紙を取り出す。伝令蝶に託すときに使用する特別製の紙で、とても薄く軽い。次いで専用のインクを使うためのペンを手に取る。
「セイは彼女に伝えたいことは?よかったら一緒に手紙を届けるけど。」
ふと顔を上げ、傍らに控えるセイに声をかける。決して自分から手紙を届けてほしいとは言い出さないであろう側近は、数秒の沈黙の後、覇気のない声で返事をした。
「いいえ、結構です。」
「控えめだなー。せっかくだから何か書けばいいのに。」
相変わらず欲がないと思いながら、なおも勧める。すると、返ってきたのは想像していなかった言葉だった。
「・・・陛下、遠慮ではないのです。単純に私は、彼女に何を書けばよいのか、どんな言葉を伝えればよいのか。本当に全くわからないのです。」
「・・・は?」
しまった、間抜けな声が出てしまった。
だってしょうがないだろう。今まで数多の女性と浮名を流した男が、長らく私の側近兼宰相補佐として仕え、大抵のことはそつなく器用にこなす男が。初めて恋を知った少年みたいに手紙の一つも書けないなんて言うもんだからさ。
笑えない冗談かとも思ったけれども、表情を見る限りはそんなこともなく。
(きっと余計なことを考えすぎているんだろうなあ)
セイは細かいところまでよく気がつく男だ。細かな兆候も見逃さず、物事を先回りして考える能力は政事においては非常に役立つ能力だが、色恋では勝手が違う。きっと彼女の気持ちを先回りして考えすぎて迷走している可能性が高そうだ。
とはいえ人の恋愛相談に乗れるほど私は経験豊富ではない。
「えーと、なんでもいいんじゃないの? 愛しい人、とか、早く会いたいとか、そういうので。」
適当に言葉を重ねているうちに、言っている自分自身が恥ずかしくなってきたので、途中で口をつぐむ。そもそも、歯の浮くようなセリフはセイのほうが得意なはず。なんで私がこんなこと言わなくてはいけないんだと我に返る。
セイは、すでに執務室に私と自分しかいないにもかかわらず、左右に視線を走らせ誰もいないことを再度確認する。それから、セイはぽつりと尋ねた。
「陛下は、、、正妃に、と望んでいらっしゃいますか?」
誰を、とは言わなかった。私は用意されている答えを自動で返す。
「やだなあ、前もいったじゃない。女性除けにしばらく寵姫のふりをしてもらってるだけだってば。」
「でも、以前お話してくださった”理想”に近い位置にいますよね。」
以前戯れに話した理想をまだ覚えていることにひやりとする。動揺を顔にださないよう細心の注意を払い、平静をよそおう。
「んーーーー、ま、ね。正直私もセイと同じでよくわからないよ。そもそも人を愛するって気持ち自体がよくわからないしね。」
ひらひらと手を左右に振って、軽い感じで返事をした。嘘は言っていない。私は、人を愛するということが本当にわからないから。
シアを手元に置きたいとおもうのは、単純にそばにいて心地がいいからにほかならない。まあ異世界からの知識とか、魅力的な肢体とか、他にも色々あるけれど。
あと、外見と中身が危なっかしくて放っておけないというもあるかな。
これ以上話を続けたくないので、手紙の続きを書くふりをして、机に視線を落とす。セイは、それでも話をやめようとはしなかった。
「それでは、私が彼女を妻にと望むことは許されますか?」
あまりにも直球で、思わず言葉を失う。視線を上げると、真剣な表情でセイがこちらを見ていた。
「もちろん、はじめに約束したとおり数年後には彼女は自由だ。シアは3日後に帰ってくる。そうしたら好きなだけ一緒に過ごして自分の気持ちを伝えるといい。幸い後宮は男子禁制というわけではないからね。」
そう。もともと我が国の後宮は男子禁制だったのだが、先王の代に法が変えられ男性の入宮は許可制になった。理由は先王が宦官を嫌ったのと、自分が無理やり娶った妃を他の男たちに嬲らせるためだったが、今は逆にそれがありがたい。
会うのは自由。望むのも。彼の意を汲んでいるようで、肝心な部分は明言しない。
我ながら詭弁めいてると思うし、もちろん相手も気づいているに違いない。それでも私の意図を汲んだのか、それ以上は何も言ってこなかった。
しばらくセイは下を向いたまま無言で・・・何も返事をしなかった。しかしわずか逡巡ののち、意を決したように、口を開いた。
「陛下・・・。お願いがございます。どうか私を──。」
セイが告げたのは、想定していなかった願いだった。おそらく、彼が私に言ったはじめてのわがままかもしれない。
ずっと以前、セイに「もっとわがままになってもいい」と言ったことをふいに思い出す。
とりあえずルーへの返事と共に、シア当ての短い手紙を書いて伝令蝶に託した。ほどなくふたりに届くだろう。
ふう、と息を吐く。
満月が近いせいか、頭痛がする。頭の芯がずきずきと痛む。気を紛らわせるように目を閉じた。
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こんなときは心が弱くなる。だから、彼女と話をしたいと思うのも、柔らかなからだに触れたいと思うのも、きっと気の迷いだ。
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