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壱場

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「この辺りのはずだが……」

直垂姿の男が歩みを止めた。少し後で市女笠を被った桃色の小袖姿の女が周囲を伺う。
小路を抜けるとそこには沼があった。大きさはどのくらいだろう。遠くは漆黒の闇で判然としない。

ここは城中からは2kmほど離れた場所で夜更けに訪れるところではない。当然、周囲に人家などありようも無く、男と笠をかぶった女、そして、後方にさっきまで威勢よく怒鳴っていた男が固まって立っているのみだ。

「ほな、いこか」

女が腰に差してあった篠笛を吹き出した。ゆったりしたリズムに合わせ女の身体が揺れる。

沼を見ていた男の太刀が黄金色に輝き、みるみるうちに光を集め眩い光を一瞬発する。その瞬間のうちに半分程度に収まったが発光は未だ継続している。

それを確認するように一転、女はリズムを転調させる。

音色と共に踊る女。

女と沼に視線を集中する男の身体の周囲に微細な光が集まりだした。
やがてその光は点になり、いくつかの玉となって、それぞれの周囲を公転すると同時に、虹色の玉へと変色し二人に吸収された。

一瞬、二人は黄金色に発光する。

目を伏せ身体を笛の調べにのせて踊っていた女が再度、転調させた。

こころに染み渡る様なゆっくりとした調べ。今まで踊っていた身体を静かに止めると、瞳をまっすぐ沼に送った。

沼の水面が何やらうごめきだす。

この沼は深いのだろうか?大きく水面が盛り上がっては消えていく。先ほどまで鏡の様だった水面が急にそれ自身が生き物の様にうごめいている。

五、六度それを繰り返すとやがて水面を突き破り水中から巨大な蛇が現れた。沼の岸に立つ男の身体の大きさと比較すれば太さは男の五倍はゆうにある。長さはどのくらいか先に水面から勢いよく出てきた頭は既に見上げる高さまで伸びているが水中には残りの身体が残っていそうだ。

「なんだ。あれは……」

後で固まっていた男が恐怖におびえた顔でひきつっている。

「なんだ? ……って……
あんた、あれが見えてはるん?」

いつの間にか隣に来ていた女が感心したように男に話しかけた。
固まっている男は僧兵のようだ。太刀を数本両腰に差して恐怖の表情で蛇を見つめている。

「ほうかぁ、なら教えたる。あんはこの辺りで悪さをしていた精(しょう)や。あんたにわかるように言うなら、純粋な悪鬼。それが蛇の姿になって見えてるっちゅうところやな。今から、ウチはあいつを退治するんや」

「私達だろ。靜華!」

蛇と対峙している男が話に割って入ってきた。

「あ!ウチらだ。あんたどないしはる?」

僧兵に向かって靜華はここで見るかと指で示した。

「靜華! そんな奴は後回しだ。こいつを止めろ」

男と蛇は既に戦闘状態に突入していた。

黄金色に輝く太刀を手にし、斬りかかろうとするが、あきらかに蛇の方が間合いが長い。身体を鞭の様にしならせて攻撃をかわしている。さらに、蛇はそのカウンターで頭を打ち付けて男を牽制している。男が攻撃するのには胴体に斬りかかればいいのだろうが、それは沼の中から生えている状態だ。沼の中に入らなければそこまでたどり着けない。

『沼の中になんか、はいりたくねぇ……』

「次ん攻撃時に3秒止める。そん間にやって!」

靜華がそう言うと笛を腰に差し、右手の人差し指と中指を蛇の頭に向けている。
蛇は再度、鎌首をもたげ男に襲いかかってくる。

次の瞬間、隣の僧兵は女が何か言ったように聞こえたが。
それが何だったのか……

見ると蛇は黄金色の太刀を持つ男の目の前で牙をむき今まさに男を捕食しようとしている瞬間だった---

しかし、その蛇は微動だにせず---

太刀を持つ男に首から上を両断された。

蛇が急に動き出した。

頭は時折、口を開けて最後のもがきを見せているが胴体の方は、まだ自分が斬られたことが理解できなのだろうか、男の方に一直線に襲い掛かって来た。

「であっ」

男は気合とともに一閃、太刀を振り抜き胴体を両断した。

蛇が動かなくなったことを確認した靜華は、すっと目を閉じると篠笛を奏でる。心の中に入り込んでくる調べ。やがて、両断された蛇だったものは黄金色に輝き、細かい粒子へと変化し、そのまま天へと舞い上がっていった。

「精は我らによって御霊となって常世へと帰る。そして、御柱として我々を支えてくれるのだ。
いわば我らはそのお助けをするための存在」

「靜華、そんな奴にベラベラしゃべって良いのか?」

「大丈夫やろ。例えどこぞで話したとしてもこないな奴や。誰も信じる事は無いやろうな。うふふふ。」

と、篠笛を指でクルクルと回転させ腰に差し込んだ。

「まぁ。それもそうだな。それで? お前、靜華に用事があったのではないか?」

僧兵は視線を外す。

目の前の僧兵は二人がこの沼に向かっている最中に後ろから声を掛け襲いかかって来たのだ。
恐らく物取りの類だろう。襲いかかった瞬間のうちに静華にその活動を止められた。先ほどの蛇と同じだ。そして、今、口以外は全く動けない状態なのである。

「あぁ!そやなぁ。あんた、しつこ~く、ウチん事呼んではったな。何用なん?」

「な、何でもない」

動かない身体で僧兵はしらを切ろうとしている。

靜華が僧兵の正面に立ち、僧兵の目を垂井越しにじっと見ている。

「そうなんか、あんたぁ、随分と悪さばっかりしてはるようやね? 二度としないと誓えれば身体を動かせるようにしたるよ。そないでなければ、ここで、このまま、かかしにでもなりなはれ。まだまだ、こん沼にはおんなじようなもんが、いてはるから。運が良ければ今夜中にも丸呑みやよ。どないする? 弁慶? ん?」

弁慶と呼ばれた僧兵は顔面蒼白だ。蛇に丸呑みにされる事なのか?名前を言い当てられたことのなのか?身体が動かない事なのか?

「ちょっと待ってくれ。俺はそんなに有名人なのか?」

弁慶は真顔で靜華に尋ねた。

「知らねぇよ」

間髪入れずに男が答える。

「あんたの心を読んだんや。そやさかい、全てを理解した。ここで説教臭い事を言うつもりはないんや。この瞬間からどないするかを問うているんや。弁慶。答えてや。ウチに!」

そういうと静華は市女笠を外し弁慶をまっすぐに見据えた。

市女笠を外した靜華の長い髪が背中まですっと落ちてきた。今まで垂衣が下りていて顔も判らなかったのだが、靜華の顔を見た弁慶は息をのんだ。

背中まで伸びた金髪に黄色い瞳。二十歳くらいの美人がこちらをすっとまっすぐに見ている。それだけでもこころの全てを奪われてしまいそうだ。

「……天女か……」

「どうしたんだ。靜華? そんな奴ほっとけよ」

焦れている男が言った。

「ええから……
どないする?」

「拙僧は人から奪う事で今まで生きながらえてまいりまいた。ですから、それしか、生きる術を知りません。靜華様、拙僧をあなた様の従者にしてはいただけませんか?」

「要らんわ」

靜華が即断する。

「ウチは比肩無き神の使い、降天の巫女。あんた如きの力など微塵も必要としていないわ。そんな気持ちがあるんなら無垢の民に尽くしてや。縁があればいずれまた会おうな。あんたの活躍を期待してるで」

精の退治も順調に終わった二人は京の街へと歩を進める。先ほどから吹き始めた北風が多少強めに感じられ河原の道はそれだけでも早歩きにさせる。風の強さに辟易としながら河原の道を外れ四条橋を街に向かい建物の陰になる事で風も大分和らぎやっと会話をしても良いと思うまでになった。

「なぁ、靜華、どのくらい請求するか?」

「そうやなぁ。今のん下級精やさかいなぁ。あんましアコギにクレクレ言ってもなぁ。次の仕事ん差し支えあるやろなぁ。安うしてはったらええのんちゃう」

静華が”しょうがないやろ”と言いながら微笑んでいる。

「そうだな。明日の昼にでも行って早速頂いてくるとしようぜ」
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