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太陽は照らし出す

裏切り(2023/11/16改編)

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突如として現れた黄金色の手と、掲げられた天秤を見仰いだ僕は、唖然と口を開いていた。
光の粒子が滞留し、常に揺れ動く蜃気楼のような輪郭は内側から輝き、まるで太陽のようだ。
その光景を見上げたまま、動けなくなってしまった僕たちを、大公閣下は順繰りに見渡していった。

「全ての証言には往々にして、真実と嘘の両方が内包されておる。それぞれの証言と、証拠を天秤に掛けるとしよう。より真実を多く含んでいる方に、天秤は傾くであろう」

宣言した大公閣下の視線が、ヘリオスに定められる。
柔らかな眦の皺が深く、陰影を落とし、目元は暗く重たい色を宿していた。
陽光の眼差しは、影の奥から自分の息子であるヘリオスを真っ直ぐに射抜いていた。

「違うというなら、もう一度申してみよ。ヘリオス」

ヘリオスの額に脂汗が滲み、嫌な具合のぬめりを帯びていた。
血の気が徐々に薄れていく唇が数度、戦慄いたかと思うと、ようやく開かれた。

「わ、わたしは…知らないっ…っ、私じゃない、ソルが勝手にやったんです!!ソルが、私とローゼリンドの結婚に反対してっ、それでっ、こいつは公爵家に反発している貴族派だから!!」

引き攣るような悲鳴が、ヘリオスの喉から裂けるように迸った。
同時に、大公閣下の上に掲げられた天秤が、大きく右に傾いていく。
ヘリオスの言葉が、天秤の受け皿に乗せられたのだ。
人の言葉の真偽を示す秤という、にわかには信じられない存在が、確かにそこにあった。

しん、と謁見の間が静まり返る。

次に証言する人物は誰か、言葉にしなくても僕にも、みんなにも分かっていた。
全員の視線が、呆然とヘリオスを凝視するソルへと向けられていく。
ソルの目は、ヘリオスを見つめたまま動かずにいた。

「殿下…っ…、殿下の命令で、私はこんな事になったのですよ…?フロレンスの名を騙って呼び出せと、親書まで偽造したのは貴方じゃないですか!!全て、貴方のためなのにっ、っ…貴方が、ローゼリンドを殺せと仰ったんでしょう!!!」

徐々に見開かれていくソルの目は、軋むように血管を浮き上がらせ、充血していく。
口角を震わせる口から、血を絞り出すような悲鳴が、高い尖塔の先まで突き抜けていった。

ソルの叫びに呼応するように、天秤が再び大きく、傾いた。

ヘリオスの証言を乗せた受け皿が持ち上がり、反対の左の皿が沈み込む。
ソルの証言の方に真実が多く含まれていると、証明されたのだ。

「ぐうっ…、っ…うぅ」

突然、肺から押し出されるような呻き声が、謁見の間に響いた。
弾かれたように声がした方に視線を向けると、そこにはヘリオスが蹲っていた。
膝をつき、両手で床を押さえるようにして身体を支えるヘリオスに、大公閣下の悲哀に満ちた眼差しが注がれていた。

「悲しいことだな…、…息子よ。それがお前の嘘の重み。今お前の虚偽が、つまびからにされたのだ。ジークヴァルトよ、次はお前がもう一度証言せよ」

突然の名指しに、僕は一瞬、言葉を失いながらヘリオスを改めて見下ろした。
見えない何者かに押し潰されんとするヘリオスの顔が、僕に向けられた。
太陽と称された美貌は歪み、昏く淀んだ瞳からはどろどろと煮詰められた悪意が溢れている。
隠されていた本質が、まろび出ていた。

───彼の悪意が、僕から妹を奪ったのだ。

どうしようもなく腹の底が冷えていく。僕はヘリオスから視線を反らさないまま、口を開いた。

「私とフロレンスは、妹を謀殺しようとしたソルを昨日捕らえております。彼に命令できる者がいるとすれば、それはヘリオス様だけでしょう」

天秤の黄金の鎖が、重さに耐えきれないように引き伸ばされて、張り詰める。
僕とソルの証言が乗せられた左の皿は、完全に、沈み込んだ。
同時に、ヘリオスが地虫のように床に押し潰される。

「っ、ぐっ…」

手で床を掻いて身体を起こそうとして、何度も失敗を繰り返したヘリオスが助けを求めて、視線を彷徨わせる。
不意に一箇所で視線が止まると、彼は神に助けを求めるように片手を必死に差し伸ばした。

「た、助けて、くれ…ベアトリーチェ!!」

血の気の失せたヘリオスの指の先で、ベアトリーチェはこの上なく冷ややかに、美しく微笑んでいた。
彼女はヘリオスから、すい、と視線を離すと大公閣下に顔を向け、優美に膝を折って頭を垂れてみせた。

「大公閣下、ヘリオス様はどうやら混乱されているようです。どうか、寛大なご処置をお願いいたします」
「頭を上げよ、ベアトリーチェ。憐れな愚息はこんなにも縋っておるが。本当に関係はないのかな?」

大公閣下の太陽の瞳が、ベアトリーチェの内側を照らし出そうとするかのように、真っ直ぐに差し向けられる。

「ええ、御座いません」

ベアトリーチェは再び顔を上げると、堂々と背筋を伸ばして、大公閣下の正面から向き合った。
白い肌に燃えるような柘榴色の瞳、黒檀を思わせる髪は、何の瑕疵もないと告げるように、完璧な美しさを保っていた。
愛しい女性からの救いの手を求め、苦痛に耐えていたヘリオスの瞳から涙が湧き上がり、急速に力が奪われていく。
絶望に戦慄いた唇はそれ以上なにも言えずに、重みに抗うこともなくヘリオスはただ静かに床に額を擦り付けて蹲った。
大公閣下の厳かな顔に、深い悲しみが取り払えない影のように纏わりつく。

「お前は、これを我が息子の姿を見て、それでも黄金の精霊の前で証言できるかね」
「閣下…わたくしに脅しは効きませんわ。ヘリオス様を繋げる確かな証拠なんて、御座いませんでしょう?そして原告もおりませんから、私は被告になり得ませんわ」

堂々と告げるベアトリーチェの言葉に、僕は息を飲んだ。
大公閣下は黄金の精霊を喚び出す時に、確かに、こう言っていたのだ。

被告人と原告と、証拠、と。

黄金の精霊が調停者として立つ条件がこの三つであるなら、全てが欠けていた。
僕がヘリオスとベアトリーチェの関係を知ったのは、死に戻る前の未来での話だ。
そして、ベアトリーチェの使いであるアーベントとソルのやり取りも、過去に戻った今、無かったことになっていた。

「随分、頭が回るようだな」
「お褒めに預かり恐縮でございます。何もないのでしたら、これで御前失礼したします」

大公閣下が髭を緩く扱きながらベアトリーチェを睥睨すると、彼女は淑女の礼で応えて優美にドレスを翻す。
扉に向かって歩き出そうとする彼女の姿に、僕は内心、焦燥感に駆られていた。
ここでベアトリーチェを逃がす訳にはいかないのだ。
妹のためにも、公国のためにも。

「大公閣下、恐れながら申し上げたいことが…っ」

僕は声を張り上げた。
全員の視線が、こちらに集中した。
確証も証拠も不十分だったが、原告として立つ決意を固めた僕に、大公閣下は深く頷いてみせた。

「ジークヴァルト、分かっておるぞ」

僕の瞳に、ベアトリーチェの顔が映る。ここにきて初めて、ベアトリーチェの表情が陰っていた。
一瞬忌々しそうに僕の顔を一瞥したベアトリーチェは、再びこの場から立ち去ろうと歩き出す。
その背中に、大公閣下の穏やかな声が突き刺さった。

「ベアトリーチェ、待ちなさい。お前に他の罪がないとは、一言も言っておらんだろうに」
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