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陰謀の庭園

シュルツ伯爵のお茶会

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婚約式が明け、妹が失踪し4日目の朝。
今だに僕の妹の消息はようとして掴めなかった。
生きていると信じている思いが、揺らぎ続ける。
やり場のない怒りが出どころを求めて、苛立った声となった。

「まだ妹は見つからないのか…っ」

僕は拳を机に叩きつける。
ジンッ、と骨に響く痛みが心の軋みを誤魔化してくれた。
叩いた机から、幾つも折り重なる手紙が崩れ落ちて、床に散っていく。
誰も動けない室内の中、扉が開く音がした。

「落ち着きなさい、ジーク。皆に気付かれてしまうよ」

僕が顔を上げると、父の優しい顔が柔らかく微笑む。
強ばっていた身体からすとん、と力が抜け、ようやく周囲に意識を向ける余裕ができた。

見渡せば、ダリアにヴィオレッタ、マグリットが身体を強ばらせている。
全員の怯えが、僕の肌を撫でた。

「───…父上、申し訳ございません」

瞳を伏せて呼吸を深めていく。
肩に触れる温もりに、視線を上げた。

「お前の気持ちは、十分理解できているから。安心しなさい。私も必死に堪えているからね」
「父上…、…」

ようやく冷静になった僕の視界に、散らばった招待状の一つが目に入る。
そこにあった家名に、吸い寄せられるように僕は手を伸ばし、封筒と取り上げた。
僕の様子に訝しむよう、父は僕の持つ封筒に視線を落とした。

「どうしたんだい、ジーク?」
「父上…僕は怪しい者がいないか、探ってきます。揺すぶりを掛ければ、尻尾を出すかもしれません」

僕が取り上げた封筒にはシュルツ伯爵家の娘、ヒルデの名前が書かれていた。



翌日に迫るお茶会への急な参加だというのに、シュツル家から快諾の返事がすぐに返ってきた。

───前のめりな返事だったが、それだけ公爵家と縁を持ちかったということか?

貴族街に街屋敷を持つシュルツ伯爵家の地位は、それなりに高いものだ。
兼ねてから緊張状態が続いていたマルム王国の侯爵家の三女を花嫁に向かえ入れ、両国の外交を担う立場を得ていた。
こう言うとやり手のように聞こえるが、実際のシュルツ伯爵は温厚な人柄で押しに弱く、良くも悪くも目立たない人だ。

だが、先日武官の筆頭であるフロレンスが出兵しなければならない程に関係が悪化したせいで、シュルツ伯爵への評価は微妙な方へと傾いていた。
それが、礼を欠く僕の突然の申し出を受け入れていくれた理由だろう。

「僕としては好都合だったけどね、ぇっぐっ」

呟いた声が、途中で押し潰される。
今日もダリアは容赦なく僕の肋骨を締め上げていた。口から内臓が飛び出しそうだ。

「今日は貴婦人、ご令嬢方がいらっしゃいますからね!いつも以上にお綺麗にしませんとっ!!」
「うっぐっ、う、 うう゛」

昨夜遅くまで今日のお茶会の準備をしていたとは思えないダリアの張りのある声に、僕も気合いを入れて腹を引っ込ませる。

「よし、できました!今度はお化粧の準備をしてきますね」
「うん…、…よろしく頼むよ」

ようやく解放されると、息も絶え絶えな僕の腰には人工的に作り上げられた、くびれが生まれていた。
思わず両手で腰を掴んで鏡の前で確かめる。男の僕は、とてつもなく複雑な気分になる。

───まるっきり、妹そのものだ。

なかなか成長期を迎えてくれない自分の身体に、僕は肩を落として溜息を吐き出した。
そんな僕の視界に、鮮やかなドレスが捧げられる。

「本日はこちらの青いドレスにいたしましょう。ジークヴァルド様の銀のお髪によくお似合いですわ」
「ああ、任せるよ。ヴィオレッタ」

貴婦人の従女は流行や社交に長けている者が勤め、主人のためにその知識を惜しみ無く注ぐよう仕えてくれる。
分家から選ばれてきたヴィオレッタとダリアは、そういう意味でもとても優秀だった。
彼女たちに任せておけば、まず流行から外れることはない。

ダリアと入れ代わりにヴィオレッタが、僕の身体に妹のドレスを着付けていく。
性別が隠せるように喉元を隠す上質なサテンのドレスは、光沢を帯びた淡い空色。
スカートは柔らかく広がり、身を翻せば海の波のように深い濃淡が宿る。
銀色の長い髪は纏め、大小の真珠の飾りで止めて終われば後は真珠とサファイアで作られた小振りなネックレスと耳飾りを身に付けて、終わりだ。

僕は全身を確かめるために、くるり、と身を翻して見せる。
朝の陽射しが注ぐ中、鏡の中の僕は宝石とサテンの輝きに包まれていた。
まるで海を泳ぐ人魚になったような気分だ。

出来上がりに満足している僕の耳に、吐息が漏れ出る音が聞こえた。
視線を向けると、頬に手を添えてうっとりと僕を見つめるヴィオレッタの姿があった。

僕の眼差しに気付いたヴィオレッタはこほん、と一つ咳払いをしてから居ずまいを正す。

「申し訳ございません。お仕えする立場でありながら、不躾に見つめてしまうなど」
「構わないよ。君を信頼しているし…何か助言があるなら教えてほしい」
「いえ、何の非の打ち所もございません」
「隠しても駄目だよ、僕の所作に問題があったなら直さないと」

否定しても無駄だと理解したヴィオレッタが、非礼を詫びるように僅かに頭を下げる。

「次期公爵様にお伝えするのは、非常に憚られるのですが…こんなにもお美しい方にお仕え出来る我が身の幸運を、噛み締めていたのでございます」

思わぬ言葉に、ドレスの裾を踏んでつんのめりそうになる。
そんな僕を、椅子を持ってきたダリアが颯爽と座らせた。

「ヴィオレッタったら、そんなこと今さらでしょ!!毎日毎晩、毎分、分家として生まれきた幸運を噛み締めて生きてるっていうのに」

かぱっ、と口を開けて快活に笑うダリアがワゴンに乗せた化粧品を運んでくる。

「僕は男だから、美しいって言われても困るんだけどね?」
「そこは、お嬢様と同じお顔ですから諦めて下さいませ。ご成長なさったら、きっと素晴らしい美男子に成長されますわ」

歌うように語ってくれるダリアの指先は、小鳥のように忙しなく、元気よく動いて僕の肌を整えていく。
色を重ねて、奥行きをつけていく頬の色は、淡い色の薔薇の花弁を重ねるような瑞々しい。
ダリアが得意とする、繊細な色使いだ。

「これで完璧な淑女の出来上がりです!誰もジークヴァルト様には敵いませんから、堂々と乗り込んで敵を圧倒してやりましょう!」

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