13 / 62
婚約式
火花
しおりを挟む
長い回廊をフロレンスと共に歩いていくうちに、どうにか頬の熱は落ち着いた。
再び華やかなフロアに辿り着くと、彼女の姿に気付いた貴族たちのざわめきが聞こえてくる。
国境付近で隣国との小競り合いがあったからと、ロザモンド公爵家の次期当主である彼女が駆り出されたのは、3日前。
ちょうど、妹が居なくなった日のことだ。
公国の領土がさして広くない、といっても驚くべき進軍速度だった。
しかも戻って来ている、というこは片付いた、ということで。
───お化けを見たみたいにざわつのも、当然だ。
色んなショックから抜けきれず、変に冷静な目で周囲を眺めている僕の耳に、甘い声が聞こえてくる。
顔を向けると、ヘリオスの笑顔が輝いていた。
「お帰り、フロレンス公女」
「やあ、出迎え感謝するよ。大公子殿」
バチッ、と蒼白い火花が散らされそうな二人の視線に、僕の方がたじろいだ。
ヘリオスの完璧を絵に描いたろうな綺麗な笑顔は、笑っているのに全くそう見えない。
「女だてらに、また随分とご活躍されたようで」
真綿から飛び出しまくった、トゲ全開の言葉がフロレンスに投げられる。
フロレンスはヘリオスの嫌味に、猛々しく笑って見せた。
「ええ、誰かさんが何の考えもなしに、三日前に出陣を命じてきましたので、さっさと片付けて可愛いローゼの晴れ舞台に間に合うよう、夜駆けで戻って参りました」
軍門の長であるルベルのロザモンド家、その次期当主を婚約式から弾くような出陣命令を下した張本人であるヘリオスは、爽やかに笑っていた。
「フロレンス公女の能力を信頼してのことですよ」
「私などを信頼して頂き、ありがとうございます。こうして式に間に合ったのも、あなたの叔父上であらせられるサイラス大公弟殿下の采配の賜物でしょう。どなたかと違って、よくお出来になられる」
フロレンスの薔薇色の瞳は細められ、唇はヘリオスを哀れみ、侮辱にするように美しく歪んだ。
ヘリオスの目蓋が僅かに痙攣し、目には怒りの炎が揺らめいて見える。
このままでは、刃傷沙汰に発展しそうだ。
止めようと僕が口を開きかけると、先に太く威厳に満ちた声が二人を諌めた。
「まったく、晴れの日だというのに。よさないか」
決して大きい声ではなのに、人を従えるだけの強さを持った言葉は、大公閣下の姿をそのまま表すようだった。
大公閣下がゆっくりと二人の側まで歩み寄ると、フロレンスとヘリオスは膝を折る。
「申し訳ございません。大公閣下」
「口が過ぎました、お許し下さい。父上」
寛容に頷く大公閣下は、眦に皺を寄せるように眼差しを和めると、フロレンスに視線を落とした。
「弟が随分活躍しているようだな、フロレンス」
「はい、隣国だけでなく帝国にも武勇が轟くほどです。降伏した者には寛容に対処し、政治力にも優れていると」
大公閣下と歳の離れた弟は勇猛果敢で有名だ。
戦神と崇められ、平和を尊ぶ王家の中では異質な存在であった。
兄弟仲が悪いから公的な場に姿を現さない。
なんて噂がまことしやかに囁かれているが、満足気に頷く大公殿下の姿から、そんな気配は感じられない。
「フロレンス、なかなか無茶な弟だがこれからもよろしく頼むぞ」
「はい、大公閣下」
フロレンスの肩に軽く手を置くと、大公閣下はゆっくりと踵を返して立ち去っていく。
気配が遠ざかると、跪いていた二人はゆっくりと立ち上がった。
ヘリオスは僕の方を振り向くと、手を差し伸ばす。
「私達も行こう。ローゼ」
手を取りたくない。
反射的にそう思ってしまった。
さっきまで妹以外の女に愛を囁いていた唇で、触れていた指先で、誘いかけるヘリオスがおぞましくて、仕方なかった。
───妹は、どんな想いでこの男の手を取っていたんだろう。
考えるほどに腸が煮えくり返り、この男を殴り倒したくなってくる。
───それでも、微笑みながらこの男の手を取るしかないのか?
絶望的な思いを飲み下し、手を伸ばそうとした時、僕の身体はあらぬ方向に傾いた。
「申し訳ございません。ローゼは体調が優れないようなので、私が送っていきます」
「フロレンス…っ」
見上げた先には凛とした美しい顔があった。
薔薇色の瞳が、眩いほどに鮮やかに燃えて見える。
僕の肩を抱き寄せる暖かな体温に安心すると、ふと、力みが抜けていった。
「ローゼ…、…良い子だから、こちらへおいで」
ヘリオスの背筋を凍えさせるような、甘ったるさが鼓膜を震わせた。
従順なペットの不始末を叱るような、猫撫で声。
僕を見つめる青い瞳が、冷たく光って見える。
───こんな男に従ってたまるか!
僕は立ち向かうように姿勢を正すと、精一杯美しく膝を折って、顔を下げる。
「ヘリオス様、申し訳ございません。わたくし、今日は先に失礼致します」
僕の頭を見下ろすヘリオスの視線は、どんな色をしているのか。
今はそれが酷くおぞましかった。
「そうかい、なら仕方ないね。後日また二人で話そう。気を付けてお帰り、愛しいローゼ」
「はい、ヘリオス様」
微かな溜息と共に、ヘリオスの優しげな声が鼓膜を撫でた。
僕が顔を上げると、妹の婚約者は何ごともなかったかのように、優しく微笑んでいる。
全てを知るまでは完璧だと思っていた笑顔の仮面の下で、今は考えているのだろうか。
僕は嫌な想像を巡らせながら、フロレンスと供にフロアを後にした。
再び華やかなフロアに辿り着くと、彼女の姿に気付いた貴族たちのざわめきが聞こえてくる。
国境付近で隣国との小競り合いがあったからと、ロザモンド公爵家の次期当主である彼女が駆り出されたのは、3日前。
ちょうど、妹が居なくなった日のことだ。
公国の領土がさして広くない、といっても驚くべき進軍速度だった。
しかも戻って来ている、というこは片付いた、ということで。
───お化けを見たみたいにざわつのも、当然だ。
色んなショックから抜けきれず、変に冷静な目で周囲を眺めている僕の耳に、甘い声が聞こえてくる。
顔を向けると、ヘリオスの笑顔が輝いていた。
「お帰り、フロレンス公女」
「やあ、出迎え感謝するよ。大公子殿」
バチッ、と蒼白い火花が散らされそうな二人の視線に、僕の方がたじろいだ。
ヘリオスの完璧を絵に描いたろうな綺麗な笑顔は、笑っているのに全くそう見えない。
「女だてらに、また随分とご活躍されたようで」
真綿から飛び出しまくった、トゲ全開の言葉がフロレンスに投げられる。
フロレンスはヘリオスの嫌味に、猛々しく笑って見せた。
「ええ、誰かさんが何の考えもなしに、三日前に出陣を命じてきましたので、さっさと片付けて可愛いローゼの晴れ舞台に間に合うよう、夜駆けで戻って参りました」
軍門の長であるルベルのロザモンド家、その次期当主を婚約式から弾くような出陣命令を下した張本人であるヘリオスは、爽やかに笑っていた。
「フロレンス公女の能力を信頼してのことですよ」
「私などを信頼して頂き、ありがとうございます。こうして式に間に合ったのも、あなたの叔父上であらせられるサイラス大公弟殿下の采配の賜物でしょう。どなたかと違って、よくお出来になられる」
フロレンスの薔薇色の瞳は細められ、唇はヘリオスを哀れみ、侮辱にするように美しく歪んだ。
ヘリオスの目蓋が僅かに痙攣し、目には怒りの炎が揺らめいて見える。
このままでは、刃傷沙汰に発展しそうだ。
止めようと僕が口を開きかけると、先に太く威厳に満ちた声が二人を諌めた。
「まったく、晴れの日だというのに。よさないか」
決して大きい声ではなのに、人を従えるだけの強さを持った言葉は、大公閣下の姿をそのまま表すようだった。
大公閣下がゆっくりと二人の側まで歩み寄ると、フロレンスとヘリオスは膝を折る。
「申し訳ございません。大公閣下」
「口が過ぎました、お許し下さい。父上」
寛容に頷く大公閣下は、眦に皺を寄せるように眼差しを和めると、フロレンスに視線を落とした。
「弟が随分活躍しているようだな、フロレンス」
「はい、隣国だけでなく帝国にも武勇が轟くほどです。降伏した者には寛容に対処し、政治力にも優れていると」
大公閣下と歳の離れた弟は勇猛果敢で有名だ。
戦神と崇められ、平和を尊ぶ王家の中では異質な存在であった。
兄弟仲が悪いから公的な場に姿を現さない。
なんて噂がまことしやかに囁かれているが、満足気に頷く大公殿下の姿から、そんな気配は感じられない。
「フロレンス、なかなか無茶な弟だがこれからもよろしく頼むぞ」
「はい、大公閣下」
フロレンスの肩に軽く手を置くと、大公閣下はゆっくりと踵を返して立ち去っていく。
気配が遠ざかると、跪いていた二人はゆっくりと立ち上がった。
ヘリオスは僕の方を振り向くと、手を差し伸ばす。
「私達も行こう。ローゼ」
手を取りたくない。
反射的にそう思ってしまった。
さっきまで妹以外の女に愛を囁いていた唇で、触れていた指先で、誘いかけるヘリオスがおぞましくて、仕方なかった。
───妹は、どんな想いでこの男の手を取っていたんだろう。
考えるほどに腸が煮えくり返り、この男を殴り倒したくなってくる。
───それでも、微笑みながらこの男の手を取るしかないのか?
絶望的な思いを飲み下し、手を伸ばそうとした時、僕の身体はあらぬ方向に傾いた。
「申し訳ございません。ローゼは体調が優れないようなので、私が送っていきます」
「フロレンス…っ」
見上げた先には凛とした美しい顔があった。
薔薇色の瞳が、眩いほどに鮮やかに燃えて見える。
僕の肩を抱き寄せる暖かな体温に安心すると、ふと、力みが抜けていった。
「ローゼ…、…良い子だから、こちらへおいで」
ヘリオスの背筋を凍えさせるような、甘ったるさが鼓膜を震わせた。
従順なペットの不始末を叱るような、猫撫で声。
僕を見つめる青い瞳が、冷たく光って見える。
───こんな男に従ってたまるか!
僕は立ち向かうように姿勢を正すと、精一杯美しく膝を折って、顔を下げる。
「ヘリオス様、申し訳ございません。わたくし、今日は先に失礼致します」
僕の頭を見下ろすヘリオスの視線は、どんな色をしているのか。
今はそれが酷くおぞましかった。
「そうかい、なら仕方ないね。後日また二人で話そう。気を付けてお帰り、愛しいローゼ」
「はい、ヘリオス様」
微かな溜息と共に、ヘリオスの優しげな声が鼓膜を撫でた。
僕が顔を上げると、妹の婚約者は何ごともなかったかのように、優しく微笑んでいる。
全てを知るまでは完璧だと思っていた笑顔の仮面の下で、今は考えているのだろうか。
僕は嫌な想像を巡らせながら、フロレンスと供にフロアを後にした。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
ザ・聖女~戦場を焼き尽くすは、神敵滅殺の聖女ビームッ!~
右薙光介
ファンタジー
長き平和の後、魔王復活の兆しあるエルメリア王国。
そんな中、神託によって聖女の降臨が予言される。
「光の刻印を持つ小麦と空の娘は、暗き道を照らし、闇を裂き、我らを悠久の平穏へと導くであろう……」
予言から五年。
魔王の脅威にさらされるエルメリア王国はいまだ聖女を見いだせずにいた。
そんな時、スラムで一人の聖女候補が〝確保〟される。
スラム生まれスラム育ち。狂犬の様に凶暴な彼女は、果たして真の聖女なのか。
金に目がくらんだ聖女候補セイラが、戦場を焼く尽くす聖なるファンタジー、ここに開幕!
炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~
悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。
強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。
お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。
表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。
第6回キャラ文芸大賞応募作品です。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
異世界転移物語
月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……
時き継幻想フララジカ
日奈 うさぎ
ファンタジー
少年はひたすら逃げた。突如変わり果てた街で、死を振り撒く異形から。そして逃げた先に待っていたのは絶望では無く、一振りの希望――魔剣――だった。 逃げた先で出会った大男からその希望を託された時、特別ではなかった少年の運命は世界の命運を懸ける程に大きくなっていく。
なれば〝ヒト〟よ知れ、少年の掴む世界の運命を。
銘無き少年は今より、現想神話を紡ぐ英雄とならん。
時き継幻想(ときつげんそう)フララジカ―――世界は緩やかに混ざり合う。
【概要】
主人公・藤咲勇が少女・田中茶奈と出会い、更に多くの人々とも心を交わして成長し、世界を救うまでに至る現代ファンタジー群像劇です。
現代を舞台にしながらも出てくる新しい現象や文化を彼等の目を通してご覧ください。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~
胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。
時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。
王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。
処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。
これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる