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泥のような愛

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ガゼボでユーノに別れを告げた後、私はきららを生徒会室から連れ出した。
戸惑うきららに反して、私の足取りは軽かった。
きららを連れ込んだ先は、誰もいない教室だ。
教壇を囲うようにして扇形に広がる机には誰もおらず、窓際に立つ私ときららの影が、長く、黒く伸びていた。

「どうしたんです、アステリオス様。ユーノちゃんは?」
「ユーノのことはもう、口にしないでおくれ」
「えっと…どうされたんです。珍しく、喧嘩でもなさったんですか?」
「そうじゃないよ、きらら」

私の瞳を覗き込んだきららが、不穏な空気を察してか一歩後ろに下がった。
私はきららを追い詰めるように、踏み込む。
きららの華奢な背中が壁に当たる軽い音が響いた。
私は腕を伸ばすと、きららを閉じ込めるように壁に手を据えた。

「君を愛してしまったんだ、きらら」

告白した瞬間のきららの顔は、夕陽の中でも青ざめて見えるほどだった。
ショックを受けるきららが余りにも憐れで、私の心は酷く痛むのに、その感覚は一瞬にして別の、から沸き上がってくる歓喜にすげ変わる。

「え…、…」

榛色の瞳が溢れ落ちそうなぐらい見開かれ、私の顔を見つめている。

「え、どうしたんです?アステリオス様…そんなこと冗談でも言ったら、ユーノちゃんがびっくりしちゃいますよ?」
「私は本気だよ、ねぇ…きらら」

笑い話にしたがって、引き攣った笑顔を見せるきららの瞳が、一点を凝視して止まった。
その先にあるのは、私の手の中に残ったレースペーパーに包まれたマシュマロだ。
鈍い虹色に輝く、到底お菓子とは思えない塊が現実のものか確かめるように、きららは私の手ごとマシュマロを引き寄せた。

「これっ、どうしたんですか!?食べたんですか!?」
「ああ、ユーノから貰ってね」
「そんな…、…どうしよう…なんで、私、使う決心がつかなくて…置きっぱなしに…」

よろけて再び壁に寄り掛かるきららは、譫言のような言葉を繰り返す。
混乱しきったきららの足元に跪くと、焦点の合わない瞳をこちらに向けさせるために、私はきららの手を取った。

「きらら、私は君しかもう愛せない。どうか、君の愛を請うことを許して欲しい」

その瞬間のきららの絶望しきった顔ときたら、どれだけ私を悲しませ、私の中に巣くう何かを喜ばせたことか。

混乱しきったきららは返事ができないまま、私の手を振りほどいて逃げていった。
きららの姿が見えなくなると同時に、私は立ち上がる。

────大丈夫、大丈夫、一週間だけだから。大丈夫。それで元通り。だから、大丈夫だよ。アステリオス

頭の中の同居人の声が、私に語り掛ける。
その声を聞いていると、私と深く混ざり合おうとするから、一瞬だけ切り離される感覚があった。
このまま抜け出そうと思った瞬間。私の指が動いて、残ったマシュマロの一粒を、口に運ぶ。

途端に酩酊感が、私の心を溶かしていった。

『駄目だ、また…』

声にならない私の呟きは、私の意識と一緒にの中に飲み込まれていく。
そして、と私が溶け合う程に、いつも一緒にいた声が、遠ざかっていった。
私ではない私が、暮れ掛け窓の外へと視線を向ける。

「お前は私…私はお前。これからが見物だというのに、離れてしまっては寂しいじゃないか」

歌うように囁いた私の、ガラスにうっすらと映り込んだ顔は愉悦に歪んでいた。



ユーノと私の関係に亀裂が入ってからも、ユーノは生徒会室に通っていた。
いつも通り業務をこなし、皆に笑い掛ける。
そして、私にも必死に笑顔を向けていた。

「アステリオス様」

私の名前を呼ぶユーノの声は、可哀想になるほど震えていた。
だが、私がその声に応じることはなかった。
居心地の悪そうなきららを見つめるのに、忙しかったのだ。
見かねたオルフェウスが、私の肩をつついてわざわざ教えてくれる。

「アステリオス様、呼ばれていますよ」
「ああ、ごめんね。きららを見るのに忙しくて」

ようやく返事しながら顔を向けると、ユーノの顔は憐れなほどに、引き攣っていた。
 
「…わ、たくし…気分が優れませんのでこれで失礼いたします」
「待って、ユーノちゃん!」

逃げるように生徒会室を後にするユーノ。
きららがユーノを追い掛けていき、残った私を生徒会の面々が取り囲む。
心配と、怒り、戸惑い。
沢山の感情が顔に浮かんでいるのを、私は椅子に座って寛ぎながら、見上げていた。

「なんでユーノ姉さんにあんな態度を取ったんだ、兄さん」

口を開くイカロスへと、私は最初に視線を向けた。

「私は、きららを愛してしまったんだ。君も…いや、君たちもそうだろう?誰より愛しいきららから、一時だって目を逸らすことなんて出来ない…違うかい?」

じっくりと、心の内の隙間を探るように順繰りに全員を見詰めていく。
私と溶け合うの声は甘く滴り、思考を溶みしかす。
そして、人の心の内側へと滑り込んで欲望を肥大させ、精神を汚染する。

いつもなら時間が掛かる洗脳も、きららが使っていた薬のお陰で笑いが出るほど簡単だった。

私の声に応じて、男たちの瞳から生気が抜けていく。 きららへの優しい恋心が、どろりとした欲望に変わっていくのが見て取れた。

「きららはたった一人、そして結ばれるのも一人だけ。でもね、きららを私の妃に据えれば、皆で彼女を分かち合えるよう取り計らうよ」

男たちの目の色が変わる。
私は、全員を順繰りに見渡して、満たされた思いで微笑んだ。

しばらくして、泣きながら一人帰ってきたきららが私たちを見たときの、驚きと恐怖の顔といったら!
一生の思い出になるほど、美しいものだった。
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