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1章

ビンタ

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 司令官室の前。

 アハートさんがドアノブを回したけど、開かない。
 カギがかかっていたことに、不思議そうな顔をしているよ。


『あれれ? 来たよアハート』(ヒソヒソ)

 部屋の中から、普通の人間には絶対に聞こえないが、俺にはアリシアに化けたサキュバットの間抜けな声がはっきりと聞こえる。

『……掃除でもする気か? 夜の集会のために』(ヒソヒソ)

 この声はファースト化したヤツのだな。

『ちょうどいいじゃん。みんないるし、アイツ気に入らないから食べようよ』(ヒソヒソ)

『まあ、まて。アハートはヒジカタのお気に入りだ。殺してもいいが、お前がなりすませるか?』(ヒソヒソ)

『できないよー。お嬢様は肩がこるし』(ヒソヒソ)

『だろう』(ヒソヒソ)

『でも、いいじゃん。アハートはロアンと一緒に服毒自殺ってことにすれば。ロアンも嫌いなんだよね』(ヒソヒソ)

『アハートが死のうが、ヒジカタは黙って剣を作り続けるだろうが、まだ早い。このままやり過ごすぞ』(ヒソヒソ)

 酷えなあ。

 
「あのう、誰か中にいるのですか?」

 アハートさんも部屋の物音に気づいたみたい。
 ドアを何度もノックするが、中から返事はない。
 リングを取り出し、たくさんの鍵の中からひとつを鍵穴に差し込んで回す。

『あらら、わざわざカギ持って来たんだあ。どうすんの、このありさまだよ』(ヒソヒソ)

 殺害した人間を食べ終えても、床の血痕や異臭は残ったまま。

『……仕方がない』(ヒソヒソ)

『アハートの怯える顔を想像したら、食欲が出てきちゃったよお♪』(ヒソヒソ)

『いいか、騒がれる前に殺すんだぞ』(ヒソヒソ)

『りょーかい。結局あたしの言ったとおりになるね、お兄ちゃん♪』(ヒソヒソ)

 こいつらみたいなのがいるから、人間がモンスターを恐れる。
 害虫のように駆除したり、結界を張り閉じ込める。

 モンスターの中には知能があり、人間と会話ができる生物だっている。
 共存だって可能なはず。

 くそったれがッ!

 おっと、興奮してしまったね。
 いけない、いけない。
 冷静にならなければ。

 ガチャ、とカギを開けたアハートさんの後ろの床へ、俺は静かに流れ落ち、急いで人間の姿になる。

「……あのう」

 ドアノブに手を伸ばすより早く声をかけたよ。
 できるだけ脅かさないよう心がけたつもりだったけど。

「きゃ――っ!!」

 絶叫しちゃったアハートさん。
 怖がり屋さんなのかな。

「……ヒジカタさま? ど、どうされたのですか、こんなところに」

 え。
 
 ヒジカタって……、あ……。
 ロアンくん似のイケメンのつもりが、咄嗟に人間化しちゃったから、核が記憶したヒジカタで形成したんだ。
 しまったーっ!

「いや、ちょっと……」

「驚きましたわ」

「急に声をかけて、すいませんでした」

「大丈夫です。でも、どこにいらしたのですか? 途中でお見かけしませんでしたが……」

 天井ですよー、とは言えないね。 

「……えっと……」

 サキュバットたちがざわつく。
 金属が擦れる音。

 ……抜刀か? 

 ドアのノブに手をかけ、少なくとも4名のサキュバットが抜刀して呼吸を整えているな。
 
「迷ってしまい。ここはどこでしょう。出口を探してて」
 
「迷う?」

「はい。分かんなくて、はははは」
 
 適当な会話をする。

「あの……内区へ入るのには通行証が必要です……、ヒジカタさま。失礼ですが、お持ちですか?
 それに、そのライン入軍服……門番や見習い兵だけが着るもの」

 完全に疑ってるよ、アハートさん。眼が座ってるもん。

「通行証ね。はいはい……。あれ? どこかなあ」

 ポケットを探すふりをするしかないよ。

「では、中で詳しい事情を伺いましょうか」

「え……この部屋で、ですか?!」

「……もちろん。なにか?」

 げっ! 逆だよ。

 アハートさんの後ろ、すうっと開いたドアの隙間から、サキュバットたちがギラつく剣を構えていた。
 えーい!
 
「ご、ごめんなさいっ!」

 俺は思い切ってアハートさんに抱きついたよ。
 むぎゅ~っ、と柔らかい膨らみの感触と、黒髪のいい香り。 

「なっ!? な……っ! 止めなさいっ。は、放してっ!」

「いや、あの、これはこれは……。ずっとずっと、好きでしたああああ!!」

 これはほんと。

「ダメ――ッ!!」

 抵抗は覚悟の上。
 アハートさんの意識を暴漢(俺だよ)に向けておき、その隙に両足のズボンの先から触手を出す。
 剣状にした一本を振り下ろし、サキュバットの両手首を切断。そっと静かに手から先を床に置く。
 もう一本で心臓を一突き。

 残り3名の心臓を連続で刺し、ゆっくりドアを閉める。
 全部で1秒もかからない。

「放しなさい。このストーカー!」

「い、いやです」

 ドサッ、と遅れて倒れる音がしたけど、アハートさんは気付いてないみたい。
 これでいい。知らないほうがいい。

 暴れるアハートさんを無理やりお姫様抱っこで、廊下を人間の走る最高速度くらいで進む。
 苦労して階段を降り、屋外でおろしたんだけど――。 
 
 バッチ――ン!

「見損ないましたわ、ヒジカタさま! なんて破廉恥ッ!」

 通行人の嘲笑を気にもせず、涙ぐむアハートさんの顔は真っ赤だ。
 
 ほっぺたがジンジンする。手形がついたかな。
 スライムだから皮膚の炎症は一瞬で元に戻せるけど、
 お淑やかなアハートさんがビンタをした。
 しなくちゃいけない。我慢できない事を俺は、させてしまったのだと、悲しかった。

「す、すいません」

「一般人がなぜ軍服を着ているのですッ! 納得のゆく説明をしてください」

「本当に、すいません……」

 謝ることしかできない。
  
 3ヶ月前に父親を亡くしたアハートさん。
 弟のファーストくんと妹のアリシアちゃんまで殺され、一緒に住んでいるのが殺害犯のサキュバットだとは、気の毒で言えない。
 
 それに、殺された185名の自衛軍たちの家族の心情を思うと、暴露をためらう。
 


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