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☆病院へ

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「つ……、ついにやりやがった、アイツ……」

 往復ビンタを止め、マークⅢが苦しそうに言った。
 右目蓋がぴくぴく痙攣し、額にも薄っすら汗が滲んでいる。 
 携帯の充電が切れたみたいに、いきなりへたり込んで両手を床についた。

「愛里ちゃん!」

「クソ勇者……心配ない……薬飲んでいるから。それよか、あたしを広島に連れて帰るんじゃなかったの」

 床に座ったまま、立ち上がれない。話すのも辛そうだ。

「顔が真っ青だ。直ぐ病院に……っ!」

「……だいじょうぶ」

「大丈夫なわけあるかっ!!」

 マークⅢが鼻で笑う。

「うるせーんだよ、耳元で」

 隣の部屋の監督を呼ぶ。
 考え直してくれたとはいえ、娘を商品と捉えていた監督の考えは、そう一度に変わるものではない。
 事情を話したとしても、『そうか……、ちょっと診てくれないか、ミッチェルさん』と軽くあしらわれるのが関の山だろう。
 入室したら、監督はデスクワークをしていた。 

「愛里ちゃんの容態が急に悪くなって――」

 走らせていたペンを止め、顔が上がった。目を見開き険しい表情だ。「ミッチェル、ついて来いっ!」詳しい話しも聞かずに、慌てて部屋を飛び出してしまった。
 残され、ぽけーっとしているミッチェルさんと顔を見合わす。

「どうしちゃったんです、監督?」

「さー、ワカリマセン」

 遅れて愛里の部屋に戻ると、依然カーペットにべた座りしたまま元気がないマークⅢは、監督に顔を持ち上げられ、額をペタペタ触られても、嫌な素振りせずじっとしていた。
 
「熱はないが、右目が充血している。今朝はなんともなかったのに。……痛いか?」
 
 マークⅢが顔を横に振る。

「気分はどうだ」

 さっきと同じ、顔を横に振った。

「へいきです」

「うむ……」 

 監督がミッチェルさんに専門の医師を手配させる。精神科のだ。僕と同じで、多重人格が原因と予測したのだろう。
 驚いたのは、医師を往診させるのではなく、こちらから出向くと言い出したことだ。

「腕の良い医師がいい。一般でもかまわない」

 愛里の素性(トキメキTVのあいりん)がバレてもいいのか?
 僕が心配することじゃないが、人格障害者だとマスコミに知られるぞ。
 
「どうした? 私の顔に何か付いているのか」

「いえ」

「らしくないと言いたいのだろう」

「いえ、……。だけど、嬉しいです」

「私は変わる。もっと早くに変わるべきだったのだ。今度、愛ちゃんの病気を隠すことはない。
 この子は私の子供だ。幼稚園児のときに押し込めていた、やっと戻ってきた私の大切な子供だ。
 まだ心を開いてはくれないが、少しづつ近づけたらいい。少しづつ通わせたらいい。そうだろう坂本?」

 微笑んだ監督は、頼もしい母親にみえた。

 一時間後の正午。
 依然マークⅢの元気はない。ソファーにもたれかかって、聞かれたことだけ短く返事をするだけだ。
 病院の手配がつき、さっそくミッチェルさんがマークⅢを背負うのに屈みこんだ。監督と僕が付き添いで向かう。
 しかし、ミッチェルさんにおぶさることもせず、マークⅢはうつろな目で僕に向かって弱々しく片手を伸ばした。

「キモ勇者がするのっ」

 いつもの元気の半分もない。

「アンタが……愛里のボディガードっしょ」

 監督とミッチェルさんが、そうなのか? という顔で僕を見る。
 二人に詳しい経緯を話さず、僕は幼い手を両手で包んで、そうだね、と頷いた。

「いいですか監督」

「かまわん」

 不思議そうな顔をして立ち上がったミッチェルさんに、簡単にお礼を言って、僕が背負う。
 愛里の身体が以前に比べて軽くなったような気がした。
 背中に身体を預け、肩に腕をまわし、横顔も肩口辺りにぺったりくっつけている。
 マークⅢが話すたび、口の動きを背中に感じた。
  
「いつの間に仲良く、ナッチャッタ?」

「母親としても気になるところだな」

「そうそう、ちゃっかり何かプレゼントしてマシタネ、サカモトさん」 

「昨夜警察署で、愛ちゃん頑張っていたしな」

「知らないトコで、二人なにかしちゃっタ?」

「うむ。坂本には驚かされてばかりだ」

 1階のフロントを出て、待たせていたタクシーに乗る。運転手を驚かせないよう、僕はサングラスをしている。
 後部座席に愛里、僕、ミッチェルの順に座り、監督は助手席だ。
 僕は冷や汗をかき苦笑いしつつ、いまだ続いている二人の意地悪い発言に、言葉を詰まらせ辛うじて返事をしていた。
 これしきで、大学生にもなる男が、焦るのはおかしいぞ。

 実のところ、原因は別にあった。
 マークⅢは身体がしんどいのは分かる。分かるけど、ぴったり寄り添って、目を閉じ、僕の腕をむぎゅ~っと抱きしめているのはどうした? 未発達の胸をグイグイ押し付けているのはなぜ?
 ミニスカートから伸びた、真っ白な太ももに僕の手が触れている。
 詳しくいえば、太ももの間に入っちゃっている。すっぽり股間に埋もれちゃっている。
 股下ゼロ地点に月面着陸しちゃっているのだった。
 離脱するどころか、マークⅢが腕ごとハグしているから、人肌に温かい湿った部分にどんどん埋没しそう。
 助手席の監督に見えるはずはない。僕の身体に阻まれ、ミッチェルさんにも気づかれていない。
 たぶんマークⅢ本人も無意識でやっているに違いない。体調不良でそれどころではないはずだ。
 僕が無理に手を抜こうとすると、マークⅢの未開発地点を刺激しちゃいそうで怖い。
 そうでなくともタクシーがカーブしたり、減速するたびに、マークⅢが「あ……っ」と漏らす声にドキドキする。
 
 ぼぼぼぼ、僕はどうすればいいんだ。
 そんな気なんてさらさら無いぞ。
 純粋少女を、タクシー内で目覚めさせるわけにはいなかい。
  
「坂本を……愛里のボディガードに雇ったの」

 寝ていると思っていたマークⅢが、ぼそっと言い出したので驚いた。

「そうか。頼もしいな」

「適任デス」

「愛ちゃんを頼むぞ、坂本氷魔」 

「あ……はい」

 全く気付いていない。

 マークⅢがおもむろに僕の耳を引っ張る。

 なんだろう?

 小声でつらそうに、「気持ちイイじゃん」と囁いて目を閉じた。

 ワザとだったのか……。
 セミ好きの愛里に、似てきてないかマークⅢは?

 ◆

 ◆

 坂本氷魔があいりんを背負って病院にきたぞ。精神科みたいだ。
 院内で大騒ぎされることはないけど、患者やナースたちが僕たちを目で追っている。
 気にしないよう努めて平静を保ち廊下を急ぐ。
 事前に予約をしていたので、すぐに診察を受けた。
 診断結果はストレスからくるもの。そのストレスは人格障害が起因しているだろう、とのこと。
 マークⅢは点滴を受ける。薬剤を処方してもらい、定期的なカウンセリングを強く勧められた。

 マークⅢの顔は健康色に戻り、悪態もつきだしたので、僕と愛里は予定通り広島に戻るべく東京駅へ向かう。
 監督たちは今日の夜8時からのAHHテレビの情報番組ジャッジメントの生放送に出演して、明日広島に戻る予定だ。
 荷物を取りに一度ABCホテルに戻る。

「監督、気をつけて下さい」

 綾小路が何かしてくるかもしれない。
 全てを僕の仕業にして、警察に通報した男だ。
 僕は逮捕され、監督のボイスレコーダーの記録のお陰で釈放された。
 あのレコーダーの内容を警察が認めたということは、綾小路こそが幼女淫行未遂、脅迫、軟禁といった容疑で逮捕されてしかるべきなのに、(警察側がはっきりとした証拠と準備を整えてからなのかもしれないが)それらしい動きがあったという情報が入ってこない。
 あれだけの騒ぎだったのに、記者が嗅ぎつけてないのは腑に落ちない。
 ネットで『綾小路 淫行 犯罪 癒着 怪我』あたりでググっても何もヒットしないのはどういうことか。 
 綾小路が《私はね、政治経済に働きかける力があるのだよ》と自分は偉大な人間だと自負していたが、犯罪すらも無かったことにしてしまえるのか。情報操作も思いのままなのか。
 実際は綾小路の悪事を紐解いている最中で、警察サイドの秘匿性が高いから伝わってこないだけだと、思いたい。そうあってくれ。

「わかってる……、そのときは、ヤツが過去にした悪事を、生放送で洗いざらいぶちまけてやる」

 静かに監督が口唇を噛み、瞳の奥を光らせた。
 ジャッジメントの生放送中に、なにか仕掛けてくる可能性が高いが、過去に痛い目にあっている監督だからこそ、きっと用心深くこなすだろう。
 
「ジャッジメントはゴールデンで放送される。ヤツの醜態が夜8時に全国放送されるわけだ」

「諸刃の剣というわけですね」

「なんか変だと思う、ウチ」

 セナさんがスマホをいじりながら眉をひそめた。

「綾小路の公式ツイッターだけど……、昨夜から本人なにも書き込んでない。履歴には一日最低5回、多いときで10回も書き込んでいるのに、丸一日なにも本人が書き込まなかった日って……無いし」

 僕も携帯を取り出し、綾小路のツイッターを表示させた。
 他者からの書き込みだけが表示されているだけだ。

「あ……っ! 『意識不明ってホント?』って書き込みされてるし」



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