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☆片鱗

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 監督が来ていないだって。
 愛里を一人で寄越したってのか?
 あのヲタク先輩たちがなま愛里を目の前にして、冷静にいられるわけない。

「岩田一人で、大丈夫か……」

「その建成は、今ごろ……フフッ」

 セナさんが意味深に笑った。

「なっ、なにか……なにか有るのか?」

「綾部が迫るのよ。身体を武器にして、建成と二人っきり~♪」

「は? 二人っきり……」

「そうよ。ウチの作戦でなびかない男はあんたく「意味がわからんっ!! 綾部が迫るだって? 愛里が来るんだぞ! ひとりっきりになるじゃないか!」

「ああ~、ちょっとの間よ。だいじょうぶ、だいじょうぶ~っ」

 ちょっとの間……? セナさんが言うセリフ? 
 そのちょっとの間に先輩たちと愛里が出会ったらどうする! いや、もうヤツらはその気かもしれないじゃないか!

「まあ、直ぐに終るでしょ……案外盛り上がっちゃったりして、カッカッカッ!」

 笑っている場合かっ! 
 握った拳にギュッと力が入る。腹ワタが、脳みそが、沸騰しそうだ。
  
「ばっ……馬鹿野郎――――っっ!!」

「えっ……?」

 セナさんがビクッとして、振り向く。ふんわりカールする茶髪に縁取られた小顔が、驚きに満ちている。 呆気にとられている。

「ば、ばかって……?」

「セナさんの尊敬する岩田監督、その娘が危険にさらされるんだぞ! 愛里が危険なんだぞ!」

「バッ……、バカって言うなっ! ウチをバカって言うな――っ!!」

 騒ぎ出したセナさんを無視して僕は踵を返し、玉砂利が蹴散らして全速力で走った。
 セナさんが後で泣き叫んでいたが、どうでもいい。それどころじゃない。
 先輩たちより早く、一秒でも早く、愛里を見付けないとっ!
 
 突っ込んだ玄関には、寮生たちの小汚いスニーカーやらローファーに混じって、子供サイズの可愛らしい靴がきちんと揃えて並べられていた。
 愛里のだ。
 以前僕の家に来たときのと同じ。監督らしき女性用の靴は見当たらず、やっぱり愛里一人で来たんだと確信した。

「あっ、愛里――――っ!! 愛里――、いたら返事してくれ――っ!」

 叫びながら寮の階段を一気に駆け上がる。
 
 愛里が廊下で待ちぼうけしてるのなら良い。
 いや、案外岩田が綾部さんを放ったらかしにして、愛里を部屋に入れているかもしれない。
 僕の取り越し苦労だったら……。

 廊下を走って僕と岩田の部屋のドアを開けて――――固まった。唖然とした。

「……い、岩田……」

 目を疑ってしまうような光景――。
 18歳の剣道青年が後手で縛られ、脚も縄で縛られ、口にはガムテープが貼られていた。うーんうーん芋虫みたいに唸っていた。
 一瞬コントかドラマのワンシーンかと頭を過った。

「なっ、なんてことをっ!!」

 急いでテーブを剥がす。
 綾部さんの仕業か? 彼女が岩田をこんな目にしたのか? おかしい。セナさんの話しと違う。

「愛里は! 愛里はどうした。何処にいる?」

 訊ねながら両手の縄を解く。

「わ、分からんっ! お前が居なくなって少しして、あの先輩たちが入ってきて俺を――」

 ――あの先輩たち。
 胸の奥から生まれた熱が体中に溢れ震える。 

「分かったっ! もういい。僕は愛里を助ける! 絶対! お前も急いで愛里を探せ! それだけだっ!」

 僕は岩田の両手が自由になったと同時に部屋を飛び出し、飛んで階段を下りる。

 愛里は先輩たちの部屋だっ!
 ブルマと体操着に愛里の写真が貼られた最悪の部屋。僕を殴ったあの腹立たしい場所。クソ野郎のいる部屋だ。
 先輩の部屋のドアを叩いた。ノブを撚る。ガチャガチャ鳴るだけだ。

 クソッ! カギがかかっている。

「先輩! 先輩! 開けろ――っ! 居るんだろ、中にっ!」

 叩きながら叫んだ。返事がない。
 返事をする気がないんだ。愛里の声がしてもいいはずなのに、それすらない。
 僕が寮を出てから戻るまでの短時間で、愛里を連れて何処かへ行くとは考えにくい。この寮内で何かをするなら絶対ここしかない。

 構わずドアを蹴る。蹴る。蹴る。蹴り上げるっ!
 この薄っぺらい木の板の向こうに、愛里がいるはず。
 岩田にあれだけの事をする輩(やから)。愛里を狙っての計画的犯行だ。
 黙って何をしている? 愛里がいやらしいことをされているっ……。

 部屋の中から、パリーンと、ガラスの割れる音がした。
 僅かだが、思考の角にあった連れ出した可能性はぶっ飛んだ。

 いる、中にいやがる。あいつらっ。 

「出てこい!! おらおらおらあああああああ――――っ!!」

 さっき以上に蹴り上げた。
 ドアがきしむ。きしむ。きしむ。ぶっ壊してやる――っ!
 激しい物音に、何事かと寮生たちが廊下に飛び出してきた。寮母さんもいる。

「どうしたの山柿くんっ! ちょっと落ち着いて!」

「うるせ――――っっ!!」

 止めるの寮母さんすら腹立たしい。振り払って蹴る蹴る蹴る。

「中で犯罪がっ! 愛里がっ! 助けろっ助けろっ! 誰でもイイ。早く助けろ――――っっ!!」

 唸るように吠えた。廊下を響き渡らせた。

「ちょっと、ちょっと! 泣かないで山柿くんっ! 分からないわ。落ち着いて話して!」

 寮母さんが、止めようと後から抱きついたが、僕はもがく。

「これが、落ち着けるか――っ!! 急がないと。早く早く早く――っ!!」

「分かったからっ! 分かったから待ちなさい。合鍵持ってくるから」

 寮母さんは駆けて行った。
 待つのももどかしく、僕はドアを蹴り続けた。

「おい止めろ! 山柿!」

 上級生に注意されたが無視した。
 やっと寮母さんが戻ってきた時、ドアが独りでに開いて中から小太りな男が出てきた。先輩だ。その脳天気な顔を見るなり、僕の四肢に電流が走る。愛里が抵抗したのか、顔には引っ掻かれたような傷跡があった。

「普通じゃない、あいりん……っ」

 消えるような小さな声。 
 あいりん……、と言いやがった。吐き捨てるように、あいりんと……。 

「きっ、貴様――っ!!」

「ま、待てっ!」

 拳を握りしめ振りかぶった僕を、先輩は両手で防ごうとした。
 先輩が着ているあいりんTシャツに血がついている。襟首がだらしなく伸びていた。 
 争った形跡――、愛里に引っ張られたのか――。

「くっそ――――っっ!!」

 寮生みんなが見ている前で、6回生が広げた両手ごと、思いっきり拳を打ち下ろした。
 親父の遺伝子で無駄にデカイ身体の僕。筋トレしているわけでもないのに、体育会系でもないのに、意味なく力がある僕。
 ヲタク先輩のガードをぶち抜いて――メキッッ、と先輩の顔面にめり込んだ拳を振りぬく。ぶっ飛んだ先輩の身体は、後の壁にぶち当たってから廊下に崩れ落ちた。
 口をだらしなく開けて、白目を見せる。気絶したようだ。

「す……凄い……」

 寮生の誰かが呟いた。みんな唖然としている。寮母さんの短い悲鳴がした。

 愛里はっ?
 急いで入った6回生の部屋は、信じられない状態――。以前見たのとは別のモノだった。
 はやる気持は消え、足も止まり、その場で立ち尽くす。全身が凍りついた。

 ここ、こんな事ってあるのか……?

 ガラス製の大きなコレクションケースは半壊し、畳の床には割れて落ちたガラス片が無数にある。中に飾られていた卑猥なフィギュアがそこらじゅうに散乱し、山に積まれていた幼女本が崩れ、争った後が伺える。 
 
 そして、小太りの男がベッドで仰向けで転がっていた。もうひとりの先輩だ。
 顔面は蒼白で、胸から腹にかけて真っ赤。――血液?
 部屋に入ってきた僕に気がついておらす、一点を見つめ、そして両手を拝むように合わせていた。

「もう止めてくれないかっ! 頼むっ、頼むっ!!」

 懇願していた。お願いしていた。誰に……。小さな妖精に。 
 何故か何故か、愛里が先輩に馬乗りしている。口にガムテープを貼った状態。一心不乱にキラリと光る両手を振り上げては激しく落としていた。
 腰まである長い黒髪を乱し、白いワンピースを返り血で染め、淡々と餅つきのマネでもしているよう。それはまるで、機械が行っている作業。感情が無いみたいだった。

「あっ、あああああああああああ、愛里――――っ!!」

 思いっきり叫んだら、愛里がびくんと動きを止めた。すぼめた肩を微かに震わせ、赤い血がついた小顔は一点を見つめている。

「……、……愛里……」

 そっと囁いたが、反応がない。返事が出来ないのか? 
 ゆっくりと愛里に近づき、口に貼られていたガムテープを剥ぎ、硬く握られた両手を解くと、真っ赤なガラス片がほろりと落ちた。コレクションケースの破片だ。
 愛里が破片を拾って先輩たちをこんな目に……。一人で傷つけた……ってことになるのか……。
 分からない……。小学4年生に出来るのかそんな事が……。

「愛里ちゃん……。僕だ。分かるかい……?」

 両眼はうつろ、放心状態だ。
 頬に付いた血を指で拭い、こわばった身体をそっと揺すると、瞳孔がピクリと動いた。

「あう……あ……っ、勇者さ……ま……」

 かすれた小さな声だった。表情が緩む。 

「よかった……助けにきてくれたんですね……あたしの……勇者さま……」

 大きな瞳が潤んでいる。瞬きと一緒に一筋頬を伝って流れた。

「良かったっ! よかった愛里……もう大丈夫だっ! 愛里っ愛里っ愛里っ!」

 僕は小さな身体を抱きしめた。
 可憐な妖精。トイレの時と全く同じ、ミルクのような甘い香りがした。
 お姫さま抱っこをして立ち上がる。
 
「大丈夫その子?」「あいりんじゃないのか?」「岩田の妹?」「なにがどうなってるんだ?」
 
 そんな声を浴びせられたが、「ごめん。それどころじゃないんで」と返して部屋を出た。
 廊下には呆然と視線を向ける岩田がいた。

「あたし……うれしい……」

 僕の腕の中で愛里がそう呟いて目を閉じた。
 

 何かが――。 
 何かが、始まったような気がした。



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