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☆ひとりだから
しおりを挟むビジネスホテルを出てそのまま大阪駅へ向かった。
僕がどうするか――――、岩田に話すと邪魔をされるかもしれないし、いらない心配をさせる事にもなる。
もう決めたのだから、決めてしまったのだから。
後で怒られるだろうな……。あの日本刀で斬られるだろうか。
それなら、それでも良いさ。
殺される事はないだろうから。
携帯で時刻表を確認する。
ここから大阪駅まで約三十分。広島行きの新幹線7:15分発に乗れれば、9:30分には到着する、そのまま呉地線の電車で三十分かけて呉地駅。岩田家には十時三十分までにはつきそうだ。
だが呉地線の項目で《大雨により運行見合わせ》と表示が入っていた。詳しく調べると広島県南部は大雨洪水カミナリ警報が発令されていた。
おいおい。よりによってなんで今日なんだよ。
現在愛里がどうしているのか益々心配になり、液晶画面に《岩田宅》を表示させ思い切ってクリック。直ぐにダイヤル中に変わる。
以前何度か試みようとして諦めていた電話だ。岩田や岩田ママが出るんじゃないかと、ビクビクしていたが今は愛里しかいない。
コール中愛里に言われた言葉が蘇る。
『なんとも思ってないんですからっ! 勘違いしないでくれないっ!! もう近寄らないでっ!!』
何度思い返しただろうか、何度凹んだだろうか。
顔を振って雑念を散らし、ポケットに入っている財布を握りしめた。
愛里が大切なムカデを財布に入れているように、僕も愛里が唐揚げと一緒にくれたセミの折り紙を財布に入れてお守りにしている。
待つことコール五回めで繋がった。
『もしもし? 岩田ですが』
弱々しい声。愛里だった。急に緊張してくる。
「あの……山柿だけど……」
『……お兄ちゃん?』
声のトーンは低いままだった。意外な人物からかかってきたので困惑している風にとれる。
「大丈夫かい? 今一人なんでしょ」
『そうですけど……』
「寂しくないかい?」
『いえ……大丈夫です。本当に』
えらく他人行儀のように思う。不安で動揺しているからだろうけど、何だか大きな壁を感じた。
愛里は自分の兄が受験生なのもあって、どれほど僕がこのK大学に打ち込んでいたかを十分承知している。
小学生のくせに、我慢しなくたって……。
「今からそっちに行こうと思うんだ」
『えっ! そんな……いいです。本当に』
「大丈夫だ。十時三十分ごろにはついているだろうから、待っててくれ」
『えっ、えっ!!』
喜んでいるぞ。よしよし。それでいいんだ、それで。
『きゃ――っ!』
「ど、どうしたっ!??」
『いえ、何でもないんです。カミナリが鳴ったので、つい』
受話器を通しても強い風雨なのは伝わる。
「分かった。じゃ、いまから行くからっ」
通話を切って僕は大坂駅に急いだ。
防寒マスクが効いているお陰で、普通に公共機関に乗る事ができた。
もっと早くにこうすれば良かった。
新大阪駅から乗った新幹線は予定通りに広島駅に到着したが、依然として呉地線は運行を見合わせていた。
くっそーっ! 運が悪すぎる。
当然バスも運行を止めているじゃないか。
なら、もう残るのはタクシーかよ。高くつくが仕方がない。
何にしても、この往復費用でもうテンニュンフィギュア防水加工、着せ替え洋服+ビキニ付き『¥48000』は買えないのだから。
激しい横殴りの雨が屋根付きスロープに容赦なく入り込む中、タクシー乗り場に行ってみると、帰宅を急ぐ人で列をなしていた。
仕方なくその最後尾に並んだ。
約1時間待ってようやく乗車でき呉地市に向けて出発。海沿いを通ると危険という事で、遠回りになるが山沿いルートで走る事となった。
時計は十時三十分を過ぎており、四十分以上かけてやっと岩田家に到着する事が出来た。
僕は料金を支払いタクシーから飛び出し、門扉横のチャイムを鳴らした。
「ピンポーン!」
雨は小降りになったとはいえ視界は遮られ周りがよく見えない。それに真っ暗だ。
豪邸の玄関前の照明、各部屋の窓など全て明かりが灯っていない。
愛里は居ないのか?
居るのなら部屋に明かりが見えそうだが。
雨を吸ったマスクが重く冷たい。水滴がマスクから覗いた目と口に次々と落ち、喉を伝って服の中に入り込んだ。
いつまで待ってもインターフォンから反応が無くて、再びボタンを押してみる。
いくら待っても玄関の明かりは点かないし、マイクから返事も無かった。
この雨の中、愛里がどこかに出かけたとは考えにくい。知り合いも居ないはずだし、電話で僕が来ることは知っているはず。
依然として玄関は真っ暗なままだ。
だが今気付いた。
近辺の家々に明かりが全く灯っていないじゃないか。
おかしい……夜なのに……。
あっ! 停電か!
余計愛里が心配になって、勝手に門の蝶番を外して敷地に足を入れ、直接玄関のベルを鳴らした。
ブーブーブーと振動音が室内に響いているのがドア越しからでも分かる。
だけど一向にドアは開かなかいし照明は灯らない。試しにノブを動かしてみたが、もちろん鍵はしっかり掛かっている。
携帯を取り出してもう一度岩田家にかけてみたが愛里はでない。
寝ているのか? いやいや、この激しい雨音で寝れそうにない。
どうする……。
家の中にいるだろう愛里は、ただでさえ一人ぼっちで寂しいのに、停電だからテレビもラジオも点かないどころか真っ暗な状態なのだ。
怯えきってぶるぶる震えているかもしれない。泣いているかもしれない。
なんとかして家に侵入できないか? せめて僕が来たことを知らせることは出来ないか?
そうだ!
何処かの窓が鍵がかかってないければ、いや、そうでなくとも各窓を叩けば、愛里が気付くかもしれない。
よーしっ!
ほぼ闇と言っていいだろう岩田家の庭。
遠くで輝く街灯の光だけを頼りに、壁に手をあててゆっくりと進む。
洋風建築の岩田家は出窓だから窓の場所は簡単に分かる。
雨水を吸って僕の衣類は重たく冷たくなっていた。
最初の窓にたどり着き、叩いてみたが何も反応は帰ってこない。
雨音に消されているのかと、「愛里、愛里っ!」と連呼しながら叩いたが同じだった。
窓にはカーテンが敷かれていて中の様子は分からない。
諦めずに次々と窓を叩いてはみたがいずれも反応無し。
愛里がいる部屋ではないのだろう。
やがてたどり着いたのは、暗くて見えにくい広々とした場所。
勉強会で訪れた時にリビングから見た裏庭だ。
なんて贅沢なんだろうかと羨ましかった自宅プールが雨水で満タンになり、風で水面に強い波が起きていた。その近くの物干し台には、カチャカチャと風に揺れている洗濯物がある。
下着だ。
下着……。小さくて……、子供っぽいし……つまりあれは……、
愛里のとか……?
いや、でも、最悪男物ではなさそうだ。
『何が最悪だよ』と突っ込みながらも足が向く。
足下に注意しながらよろよろ進むと、突然横殴りの突風。何処からか飛んで来た大きなゴミバケツを、うっかりキャッチしてしまい。
ドッボ――――ンッ!!
バケツごとブールに落ちてしまった。
ヒーヒー言いながら這い上がり、物干し台まで四足歩行で辿り着いてから、揺れているタコ足ハンガー、その洗濯ハサミに付いている布を見上げた。
暗くてよく分からないっ!
立ち上がって携帯を取り出し、その液晶の明かりを照らしてみる。
――おおおおおっ!!
純白だ!! ピンクのもあるっ!
白地のイチゴの模様もイイ!
全部で六枚もあるじゃないか。
いわゆるトランクス系じゃない。少なことも岩田のではない、絶対。
愛里ママという事もあるが、柄といいサイズといい、子供向きっ!!
つまりこれ全部愛里の……。
――おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!
しかもこのパンツはどうだ。
横にふわふわレースのリボンが付いていて、生地も少し透けている。履いたら見え見えじゃーないかっ!
なんといやら――――挑発的なパンツだ……。
すっげ――っ!! って………………、
待てよ。
これを愛里が履いているって?
うーん…………どうだろうか。
これ一枚だけ愛里ママのなんじゃ……、でも四十歳くらいのお母さんがこんなの履くかぁ?
不思議だ。これ一枚だけ浮いている。
愛里らしくない。全然可憐じゃない。
まるでアダルト系女優か、HなOLとかが履いてそう。
僕は透け透けパンツをハンガーから外して手にとって掲げた。
上空の黒い雲が夜空を駆けている。僅かに覗いた半月の光に照らされてパンツが輝いている。
この透け透けが全ての謎を知っている。
読み解けば導いてくれるはずだ、正解に。うーむ。
なんにしても取り込み忘れたコレを、このままにしてはおけない。
タコ足ハンガーを持って、ふと岩田家に目をやると、リビングの大窓にはカーテンが閉じてない事に今更ながら気づいた。
だが真っ暗な部屋の中、壁際に超大型プラズマTVとソファーが見えるだけ。
三度ここで勉強をしたんだ。
愛里と初めて出会ったのも、あのリビングのソファーだった。
大きな羽根をして妖精みたいに可憐だった……。
すると突然カチカチッと明滅の音。同時にリビングの照明が灯った。
周囲の家々の明かりもついて、暗かった僕のいる庭にも光が刺す。「おーっ」「わーっ」と近隣の家々から感嘆の声が上がった。
雨もすっかり上がり、静かな夜に緩やかな風だけが舞っていた。
「やれやれ……」
停電が直ったんだな。
リビングの大窓から見える部屋のプラズマTVは画像を写しだして、止まっていた何もかもが動き出したようだ。
中の様子が気になる。もしかしたら愛里が居るかもしれないわけだ。
ぐっちょんぐっちょんと水が入った靴が鳴るのもそのままに、広いプールサイドを進むと何かの音が聞こえた。一定のリズムで届いてくる。
大窓の側まで行くと更に大きくなり、耳を大窓につけると、
「ふふふふふ……」
にやけてしまった。
まるで怪獣が、敵に向かって威嚇をしているようじゃないか。
「ぐがあああぁーっ! ぐぎゅああ――っっ!
キリキリキリッ! ごぐああぁぁ――っ!! ぐがああぁーっ! ごあ――っ!」
リビングのソファーの上、乱した艷やかな長い黒髪をこっちに向け、体操服姿でうずくまるように丸まった女の子。
僕の妖精愛里だった。聞こえてくるのは可愛らしく眠る愛里のイビキだった。
「参ったな……」
リビングの窓に手をついて、じっと、二メーター先の妖精を見つめると、頬に雫が伝った後があった。
やっぱり泣いていたのか。悲しかったのだろう。怖かっただろう。もう少し早くに来てやればよかった。
「ごめんな、愛里……」
吐息が触れた部分だけ、窓を白くぼんやり濁らせたが、直ぐに透明になる。
「来たよ、愛里。僕だよ、山柿お兄ちゃんだよ」
届くはずもなく、眠っているのだから聞こえているはずもなく、だけどこの窓を叩いて愛里を起こすのは余りにも可哀想で、だから優しく寝顔を眺めるしかできなかった。
どれほどこうしていただろうか、時計の表示は深夜を迎えていた。
窓に背中をつけてズルズルとしゃがみ込む。
地べたに腰を下ろしてしまったら、急に寒さを感じて身震いした。
びしょびしょに濡れた衣類が氷の板となって体温を奪う。
だけど、それでも、自分の背中の直ぐ後ろに愛里が眠っていると思ったら、それだけでなんだか居心地が良くて不思議と心が暖かくなる。
部屋の照明で僕の影がコンクリートの床に出来ていた。
誰かの為に何かをした事が過去にあっただろうか……。
こんな無茶をした事があっただろうか……。
僕はバカじゃないだろうか。
僕が来ようと来まいと別に問題無かったわけで、それに愛里が寝ているんだったら、わざわざ大阪から来た意味なんか……。
「ふふふふ……」
別にいいじゃないか……僕の事なんか別にいいじゃないか。
愛里は夢の中で冒険でもしているのだろうから、それで。
このまま始発の時間まで眠るか。
寒さで死んじまったりして……。
まあ少々大丈夫だろう。丈夫な身体だ。遺伝元の両親よありがとう。
目を閉じたけど、怪獣のようなイビキが耳について眠れない。
見上げると夜空に浮かぶ半月。
愛里と同じで、手を伸ばしても決して届きはしない。
綺麗な光を零してくれているのを、僕はいつまでも静かに眺めているだけだった。
そして、これからも……たぶん。
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