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50.牛歩
しおりを挟む「――では……参るっ!」
「「「「っ……!?」」」」
依頼人が動いた瞬間、また一つ世界が変わってしまった。決して大袈裟な言い方ではなく、本当に。
彼女が一歩でも動くたび、オーガが棍棒でも振り回すかのようなブンブンという音とともに、今にも倒れそうになるほどの強風が発生するのだ。対処が少しでも遅れたら一瞬でやられてしまう、そんな危機感を覚えた俺は、まずある一言を発することにした。
「風が強くなってきたみたいだから、みんな気をつけろ!」
「「「……は、はいっ!」」」
これはもちろん真っ赤な嘘だが、自然の力も加わってるならしょうがないってことで偽薬効果として充分な効果があるし、このタイミングで回復術を使うことで効果は一気に増す。
全員の動揺を抑え込んだあと、崩れた体の全体のバランス感覚を回復し、失われた士気もろとも取り戻す。だが当然これだけではダメで、俺は自分が受けた風の煽りをダメージとして変換し、それを回復――依頼人に返す――というやり方で打ち消そうとする。
それでも相殺とまではいかなくて相変わらず風が邪魔だが、これならいけるしまだ立ち向かえる。
「おおおおおぉっ! 私がこれだけ暴れているというのに、耐えられたのはあなた方が初めてだっ! 嬉しいっ、嬉しすぎて頭がおかしくなりそうだあぁっ……!」
「くっ……!?」
だが、そのことが却って化け物を喜ばせる羽目になってしまった。彼女が動くたびに発生する猛烈な風を軽減することには成功したが、そこまでなんだ。風の圧力によってスロー状態になってることに変わりはなく、俺たちは相手に近付くことすらできず、ただ依頼人の攻撃を回避するのに精一杯だった。
もうこうなると、回避というよりも逃げ回ってるといったほうが正しいかもしれないが、こんな状態で無理矢理突っ込んだ場合、待ってましたといわんばかりやられてしまうというのは目に見えている。
とにかくここはひたすら耐えるしかない。もちろん、ただ我慢するってわけではなく、これにはちゃんとした考えがあるんだ。
……だが、相手が送り込んでくるのは風だけじゃなかった。戦闘狂なだけあって、尋常じゃない殺気を放ってくるもんだから、現在進行形で意識がガンガン削られている。
もし俺のことをよく知っている観客がいた場合、これもダメージとして変換、お返しすればいいだけじゃないかと思うかもしれないが、このダメージを返すタイプの高度な回復術は精神をかなり浪費するので、既に消耗してるこっちの意識が先に飛んでしまう可能性が高いんだ。
「――い、いでよっ、ホムンクルスッ――って、わわっ……!?」
『グオオオオオオォォッ!?』
クールタイムが消化されたらしく、満を持してアイシャに呼び出されたゴーレムだったが、どんどん風に流されていく。
「ぬ、ぬうっ……!」
それでも効果がまったくなかったわけじゃないらしく、依頼人は余程ゴーレムが怖かったのか殺気や攻撃速度が幾分控えめになってくれた。よしよし、その分時間稼ぎができるってもんだ。
「ほら、ゴーレム、サポートしてやるぜっ!」
『グオオッ……!』
おっ、ルアンがゴーレムの背中を押してくれてる。ナイスアシストだ。
「わたくしの手柄ではありませんがっ、仕方なく嫌々力を貸してやりますことよっ!」
「ぬあっ……!?」
今度はジェシカがゴーレムの幻影をどんどん作り出して依頼人を牽制し始めた。これも本当に助かる。依頼人の殺気がかなり薄れてるし、もうそろそろ準備が整う。あとはみんなが俺のやろうとしていることを察してくれるかだけだ……。
◇◇◇
「う、うおおぉっ……!? いっ、いくらなんでも風が強すぎんだろっ……!」
一方、クラークたちはいずれも立ち上がれない様子で、死闘が繰り広げられている丘の上を見上げにくそうに見上げていた。
「最悪っ……嵐かなんかなの……これえっ……!?」
「おっ、おそらくっ……あの大女さんのパワーによるものかとっ……!」
「もっ……もう災害レベルだねえっ……あの偽乳女のパワーはっ……!」
「とっ、とにかくだっ……! こっ、このままじゃよっ……加勢すらできずに終わっちまいそうだしっ……なんとか根性で丘の上に行くぜええぇぇっ……!」
「「「りょっ……了解っ……!」」」
こうしてクラークたちは丘の上を目指して進み始めたわけだが、その進行具合はまさしく牛の歩みに等しいものであった……。
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