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一話 恩返し
しおりを挟む母さんと父さんはいつも喧嘩ばかりだった。
そんな二人の子供である俺は、自分がこの世から消えてなくなればいいんだと思うことが多かった。
思えば何をやっても長続きすることなく、気付けば路頭に迷っていた。今は過去に派遣社員として働いて得た金を切り崩しているだけの怠惰な生活。実家に帰るつもりもないし、アパートを追い出されてホームレスになるのは時間の問題だろう。
でも、こうなったのはちゃんと理由がある。誰かにお前は努力が足りないんだと言われたことがあった。でも、俺にはそうだとは到底思えない。
それこそ血が滲むほどの努力をしても、この先絶対に得られないと確信できるものがある。それは、幸福な家庭で育ったやつだけが持つ先天性の自信だ。
幸せなやつっていうのは、自分が愛されていると顔に滲み出ている。でも、俺はそうじゃない。ずっとビクビクしながら他人の顔色を窺ってきたから、何をするにしても二の足を踏むし、長続きすることもない。
家族から一切愛されなかった俺には、自分さえ信じられないし幸せになる権利なんてないのかもしれない。
俺は何故この世に産まれてきた? 生きる意味はなんだ?
物心がついたあと、そんな疑問の言葉が脳裏に浮かばない日は一日たりともなかった。父さんは怒鳴り散らすだけで俺と遊んでくれることは一度もなかったし、母さんは幼い俺と心中しようと包丁を手にした。首を絞めてほしいと俺に懇願してきたこともあった。
俺は気付けば独りぼっちになっていた。日銭を稼ぐために嫌々接していただけで、人間が嫌いだった。でも、そんなどうしようもない自分にも幸せになる権利はあるはずなんだ。
どんなに可能性が薄くても、俺は望みを手放したくなかった。子供のときから絵が上手いことだけが取り柄だったこともあり、仕事の傍ら漫画家を目指すも挫折の日々。
人間関係にしても何をやっても呪われているかのように上手くいかなくて、いつしか俺は無精ひげを生やしてパチンコに没頭していた。夢を置き去りにして。
そして、そんな自堕落の毎日はある日突然終わりを告げた。
急に降ってきた雨に絡まれたときだった。
俺は近くのスーパーまで買い物に出かけていて、傘を持っていなかったので走って家に帰ろうとして、前から自転車が来て……それを避けようとして横に飛び出したところで――
後ろから猛スピードで突進してきた車に轢かれた。この辺は普段から車どおりが激しく、スピードを出すことが多いから気を付けていたのに。
ああ、もう終わったと一瞬で悟るほどの衝撃だった。俺はこれから死ぬんだ。何も達成することができずに。幸せになるチャンスすら掴めずに。
もう体の感覚がない。かろうじて思考だけが働いていて、肉体と魂が完全に分離したかのようだった。結局、こうなるんだな。茨の道をひたすら彷徨い続けた挙句、交通事故死というこれ以上ない不幸な到達地点。畜生……。父さんも母さんも大嫌いだ。
今度産まれ変わるときは、両親なんかいらない。俺は一人でいい。ずっと一人で生きたい。
なのに最後の最後に浮かんだのは、小さな頃に見た覚えのある両親の笑顔だった……。
* * *
「あらあら、この子泣かないわね」
「ははっ、私に似て強いんだな。きっと将来大物になるぞ」
「調子がいいわね。この子が産まれるまでおろおろしてたのに。そうだ、名前は何にする?」
「そうだな。実はもう考えてあるんだが、ルーフっていうのはどうだ?」
「ルーフって、屋根?」
「そうだが私の名前、アルフォンスから取っている。それにリーネ、お前の名前の響きにも似ていて、さらに頂上っていう意味もある。この子は私たちや雄大な自然を見て大きく育つんだ」
「なるほど、それはいいわね。じゃあルーフで!」
「ルーフ、お父さんとお母さんの顔が見えるか。私たちはお前のことを心の底から愛しているぞ」
「愛しているわよ、ルーフ」
「…………」
俺は今、赤子になった夢でも見ているんだろうか。仲睦まじい様子の両親が俺を笑顔で見ながら、ルーフと名付けたところだった。
父親のほうは立派な口ひげを生やしたダンディな男で、母親のほうはなんとも柔和な表情の美しい女性だった。とても眠いが、なんだか心地いい。満たされている感じがして、束の間の夢でもいいから、どうかしばらくの間覚めないでほしいと願う。
次に目覚めたとき、俺は母親に抱かれて鏡に映った赤ん坊――自分の姿を見て、転生していることに気づくのだった。
まさか、本当にこんなことがあるとは……。
それから十三年後、俺は13歳の誕生日を祝ってもらっているところだった。両親、それから今年で10歳になる双子の弟妹、アレンとエリスから。
「ルーフ、13歳の誕生日、おめでとう!」
「ルーフ、もう13歳なのね。あっという間だわ。おめでとう!」
「ルーフ兄様、誕生日おめでとー!」
「ルーフお兄様、おめでとうございます!」
「あ、ありがとう……」
リビングで家族みんなが集まってると思ったらこれだ。あまりにも照れ臭い。いや、確かに愛されたいなんて思ってたけど、これは極端すぎる。
「これねー、僕が描いたルーフ兄様の似顔絵! どう?」
アレンが似顔絵を渡してきた。顔がやたらと大きいかと思えば体が小さくていかにも子供が描きそうな絵だが、ちゃんと特徴を掴んでいる。
「ありがとう、アレン。ちょっとイケメンすぎだが」
「そんなことないです! お兄様は凄くイケメンですよ!」
妹のエリスがすかさずフォローしてきた。彼女は俺とアレンの両方に心遣いができる優しい妹なんだ。
「ルーフはおそらく私に似たんだろう」
「いえいえ、パパ。ルーフはあたしに似たんですよ」
「どれ、ママがそんなに言うならルーフから直接聞いてやるとするか!」
「あっ……」
俺は悪戯な笑みを浮かべた父さんから肩車され、視点が一気に高くなる。それでも全然余裕があるくらい、天井は高い。あとで知ったことだが、この屋敷は貴族の家だからだ。13歳にもなって肩車なんて照れ臭いが、特別な日なこともあってか嫌じゃなかった。
「まったく、パパは相変わらず子煩悩なんだから……。ねえ、ルーフ、あなたはあたし似よねえ?」
「うっ……」
威圧するような笑顔を母親に向けられる。母さんのこの笑みは父さんでも青ざめるくらい怖いんだ。
「りょ、両方かなあ?」
「はは、一本取られたな!」
「本当ね!」
「「あははっ!」」
「…………」
絵に描いたような円満な家族。それに対して、俺は嬉しいと思う反面、どこか喜びきれずにいた。俺が交通事故で死んだあと、前世の両親はとても悲しんだはずなんだ。だからだろうか。
あんなに喧嘩ばかりしていたのに、やっぱり心配だった。俺だけが幸せになっていいのか。そんな疑問が生まれていた。誰だって幸せになる権利があるなら、それは両親だって同じなはず。いつも喧嘩ばかりするのは、現状に不満があるからだろうし……。
でも、そんなのただの綺麗事かもしれない。もうあの頃に戻りたいなんて微塵も思わないから。
見返り無しに注がれる愛情というものが眩しすぎて、見つめるのが辛いほどだった。本当に俺が貰っていいのか。未だに思ってしまうのは前世のことを引きずっているからだろう。
けれども、悪いことばかりじゃない。これを維持しようと頑張らなきゃいけないと思えるから。またあの頃のような不幸な家族に戻らないように、俺がしっかりしないといけない。
だから、絶対に俺はこの異世界で失敗しないように生きなきゃいけない。それこそが、前世の両親への恩返しにもなるはず。きっと俺にも悪いところはいっぱいあったはずだから……。
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