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本編

29.覚悟と誘惑

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 魔王が、ルーチェのことを好き。
 それはどうやら、人が人を好きになる感情に近い好きらしい。
 つがいというのは、人間でいう夫婦のようなものだろうから。

 魔王の言っている意味は理解したが、ルーチェはとても信じられなかった。
 まずどうして好きになられるのかも分からないし、魔族にとっての人間は、人間にとっての動物らと同じだという話をしたのも彼だ。

――え、つまりこいつ、わたしたちでいう動物性愛者ってこと……?

 今までさぞ大変だっただろうと哀れみの目を向けていると、魔王は苦笑した。

「ええ……これでもだめなんだ? どうすればいいんだろう」
「いや……えっと……言ってる意味は分かったのよ? でもほら、変わった性嗜好の方なんだなって……」
「え、なんで?」
「あなたたちにとっての人間が、わたしたちにとっての動物なんでしょう? それでわたしを好きって……」
「あー……それのせいか。えっとね、命の価値としてはそうなんだけど、性対象としてはまた別だよ? だって魔族とニンゲンって繁殖できるし、言葉だって通じるからね」

――は、繁殖って……。

 でも確かに、生殖ができるのならば、性の対象になるのはおかしくないとは思う。
 そんな例を聞いたことがないので、魔王の言うことが正しければ、だが。
 ああでも、昔は淫魔に悩まされたという話を聞いたことがあるので、それもそういうことなのだろうか。
 でもそういうときって、瘴気はどうするのだろう……? あ、もしかして、そのための淫紋……?

 思考が目の前のことからずれていきそうになり、ルーチェは頭を振った。
 というか、性対象にはなるのに命の価値は低いというのも、ちぐはぐでなんだか怖い。
 ルーチェには分からない感覚だ。
 やはり、言葉は通じるし知性があっても、人間と魔族は全く違う生物なのだと思う。

「だ、からって……なんで……」

 それにしたって、どうしてルーチェを好きだと言い出したのか。
 戸惑うルーチェの様子に魔王が察したのか、額にキスをしてから言った。

「さあ。誰かを好きになるのって、理由とかいる? 俺はただ……」

 ルーチェは次の言葉を待ったが、魔王は首を振った。

「ううん。ここから先は、俺の口からね。ぜーんぶこいつなのは、癪に障るから」

 そう言って、魔王はまた歩みを進めた。
 横抱きのまま揺られ、ルーチェは魔王を見ることができずに自分の手元を見つめる。

『それはとても魅力的な誘いだが……今の状態、では無理だな。残念だ』

 以前レオに乗り移っていたときに言われたことを思い出し、ルーチェの背筋がぞわりとする。
 あのときのルーチェはまだ相手をレオ本人だと思っていたから、解呪が終わったらまたしたいと思っているという意味で受け取ってしまったのだが……。

――つまりあれって、本当の自分の体でって意味……?

 ルーチェはまた眉を寄せた。
 正直、敵から好意を寄せられたところで困るというか、どうでもいい。
 むしろ、言動の端々から貞操の危機を――ルーチェはもう処女ではないしレオと恋人でもないわけだが、気持ちとしてはレオに純潔を誓っている――感じて怖いくらいだ。

 見た目がレオなのでまだそこまで嫌悪感を感じていないが、見知らぬ男に勝手に好意を持たれて拉致されるなんて、かなり気持ちの悪いことなのではないだろうか。

――でも待って、こいつ、わたしに気があるってことは……。

 もしかしたら、性交に持ち込める可能性があるのではないだろうか。
 もちろん、解呪に繋がるから拒否される可能性の方が高い。
 だがレオも、魔族は欲求や衝動性が強いというのを言っていた。
 押して押して押し続ければ、あるいは……。

――本当に、心の底から嫌だけれど、それでレオを救うことに近づくのなら、わたしは……。

 ルーチェは、ぎゅ、と拘束されている手に力を入れた。





 魔王はルーチェを抱き上げたまま、道なき道を進んだ。

 ルーチェは夜は眠り、昼間は時折言葉を交わしながら揺られ、魔王が通りがかりに採取した果実や木の実、湧き水を彼の手から直接与えられた。
 魔王の指に摘ままれた食べ物を口に入れられたり、手のひらにあるものを啜っていると、餌付けされているような気分になる。
 やっぱりペットのような感覚なのではないかと思いながらも、行動を起こす機会を窺っていた。

 魔王――というかレオの体はもう魔族だからなのか、一睡もしないで歩き続けている。
 今日でもう、四日目だろうか。
 食べ物に関しては、ルーチェに与えるときに一緒に食べてはいるのでまったく必要ないわけではないのだろうが、ルーチェよりもはるかに量が少なかった。
 体の大きさを考えればおかしいのだが、魔族の生態については詳しくないので何とも言えない。

 問題は、性交に持ち込む隙がないことだ。
 ルーチェはもう、覚悟を決めている。
 どこかで魔王が横になれば這ってでも襲ってやろうと思っているのだが、何せ歩き続けるので、きっかけがなかった。
 体中の拘束も相変わらずなので、どうしようもない。

「はい、これ。おいしそうだね」

 道中の森で、魔王が木の実を見つけて採取した。
 適当な大きい岩に腰掛けて、抱いたままのルーチェの口元に持ってくる。
 ルーチェはわざと、木の実だけではなく指の先まで口に含んで舐め上げた。

「っ……」

 すぐに指が引いていき、ルーチェの口内には木の実だけが残った。
 魔王は眉を寄せたが、すぐに自分の口に木の実を放り込んで咀嚼する。
 駄目だったか、と内心舌打ちしながら、ルーチェも木の実を噛み潰した。

 それでもめげずに、二つ目、三つ目と与えられる時にも挑戦したのだが、魔王はもごもごと食べるだけで、手は出されなかった。
 一応、こうして地道に誘惑? してみているのだが、結果はよろしくない。
 こういうところも、やっぱりペット扱いなのではないかと思う理由だ。


 魔王が歩き出してまたしばらく揺られていると、今まで魔の扉の方角に真っ直ぐ進んでいた魔王の足が、違う方向へ進んだ。

 例の寄り道だろうかと思っていると、洞窟が見えてきて、そこに入っていく。
 魔法を使ったのか周囲にいくつか火の玉が浮かび、あたりを照らした。
 突き当りまで来ると、瘴気が岩肌を包み、壁が消えていく。

 そうしてできた道をまた進んでいくと、洞窟を出た。

「わ……、え……?」

 そこには、村のような光景が広がっていた。

 小屋が立ち並び、畑や家畜の姿が見える。
 しかしそんな村の中を歩いているのは、瘴気を纏い、眼球が黒い人や獣たちだった。

「ここが、寄るところ。扉が閉まって帰れなくなった仲間たちが住んでいる、魔族の里だよ。疲れただろう。しばらくここで休んでいこうか」
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