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本編

26.魔王の呪い

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 ギラギラと輝く紅い瞳に捕らわれて、ルーチェは目を逸らせなかった。
 視線を合わせたまま、呪いがレオの体を使って喋る。

「なかなか入れなかったから、何が起きたかと思ったよ。やっと来たら、瘴気はごっそり減ってるし……。俺のことに気づいて、急いで浄化してたんだろう? こいつと“えっちなこと”、したんだ?」

 呪いはからかうような声色で言いながら、ルーチェの下腹部から乳房の付け根までを撫で上げた。

「ヒッ……」

 生理的な嫌悪感と恐怖に、ルーチェの全身にぞわぞわと鳥肌が立つ。
 呪いは笑みを深めると、どこか恍惚とした色の乗った息を吐いた。

「ああ……いいねぇ、その顔。でも、そんなに怖がらなくても良いよ。君を傷付けるつもりはないからね」

 得体の知れないやつのそんな言葉を、誰が信じるのだろう。
 ルーチェが身を固くしていると、呪いはぽつりと呟いた。

「ああ、でも……妬けちゃうね。ずっとこいつといたなんて」

 呪いが動かすレオの右手が、ルーチェの首を覆った。
 大きなその手ならば、容易に気道を塞げるだろう。

 ルーチェは、勇気を振り絞って声を張り上げた。
 恐怖に震えるだけでは、何も変わらない。
 こっちは聖女だ。はったりでも良い。
 このまま、こいつの好きにさせるわけにはいかない。

「あ、あんた、なんなのよ。何が目的!? なんでレオの中にいるのよ! 早くでてって!」

 呪いはそう言われても表情を崩さず、どこか弾んだ声で言った。

「ふふ。俺のこと、知りたいんだ? 嬉しい。そうだね、もうちょっと親睦を深めてから行こうか」
「行くって……きゃっ」

 呪いは軽々とルーチェを抱き上げると、ベッドに腰掛けた。
 そして膝の上に、ルーチェを後ろ向きで下ろす。
 ちょうど胸の上下に太い腕が回されて、後ろからルーチェの細腕ごと抱き締められた。

 表面上は男女が戯れるような姿勢だったが、ルーチェの体に巻き付く腕の力は強く、完全に拘束されている。
 それでも相手が友好的な雰囲気なのがまた怖くて、ルーチェは冷や汗を流した。

「そうだね……何から話そうか。うん、まず俺はね、魔王だよ」
「…………は?」

 聞こえた言葉を飲み込めないルーチェに、背後の呪い――魔王は、くすくすと笑った。

「そうだね、流石にそこまでは分かってなかったね」

 魔王はルーチェの髪に時折キスを落としながら、話を続けた。

「俺がこいつにかけたのはね、眷属の呪い。生物を魔族に作り変えて、俺の配下にするんだ。でも、ただの手下とは違うんだよ。いつだって意識を移せる――いわば、もうひとりの俺、にするんだ」
「そ、そん、な、こと……」
「うん、ヒトに成功したのはこれが初めてじゃないかな? 動植物だと結構簡単なんだけどね。ほら、ヒトって知性とか感情が強いから、作り変えるのが結構大変なんだ。それだけ瘴気を植え付ける必要があって、馴染む前に身体が耐えられずに死んじゃうんだよね」

『魔王に呪い殺されちゃう人が結構いたらしいんだ。もしかして、レオのと同じなのかなって……』
『彼はたまたま浄化が早くて助かったが、その過去呪い殺された人々は間に合わなかった、もしくは浄化そのものがされずにそのまま……ということですか』

 ルーチェは、コスタンツォとデメトリオの言葉を思い出した。
 大昔に呪い殺されたという人々は、この、眷属の呪いをかけられてそのまま……と、いうことだったのだろうか。

「だから、初めに意識を移してみようとして上手くいかなくて……ああやっぱり失敗か、このままこいつは死ぬなって忘れてたんだけどね? ふと思い出して、暇だからやってみたら……この部屋で目覚めて、わりと元気になってるし、しかも聖女の君が来るしで、びっくりしたよ」

 怒涛の情報に、ルーチェの頭はフリーズしそうだった。

「まあ、気付くのが遅すぎて、呪いの馴染みが甘くて苦労したけどね……。しかもこいつ、君がいるとき守りが堅いし……」

 それでも、考えることを放棄するわけにはいかない。

 レオは寝ていないはずなのにどうして入れ替わったのか知りたかったが、魔王の言ったことからすると、ルーチェが離れたのが悪手だったのだろうか。
 聞けば答えそうだとは思ったが、あまりつつくと、こちらが立てていた計画を明かすことにもなってしまう。

 魔王が乗り移っているレオの纏う瘴気は、ルーチェが手紙を出しに行った時と変わらない。
 きっと、今までのように本物のレオに変わることがあるはずだ。
 そのときのために、あまりこちらの情報は開示しない方が良い。

 ルーチェは、乾いた唇をなんとか動かした。

「な、んで……レオに、そんな呪いを……」
「扉番っていうのはさ、そいつを殺しても、不思議とまた別の奴が出てくるんだよね。だから扉を開け続けるには、扉を閉められる前に次々現れる奴らを殺し続けるか、一人を生かしつつも扉は閉められないようにする必要があって……」

 扉番というのは聞きなれない言葉だが、おそらく、勇者のことだろう。

「でも、どちらも上手くいかなくてね。数代前の魔王は頑張ってたみたいたけど、結構長い間諦められていたんだ。もう魔界では、扉が開けばバカンスに行くぞーって感じ。でもそれってどうなの? と思って……ものは試しで呪ってみたってわけ」

 話を聞いていたルーチェの中に怒りが湧き上がり、振り返って魔王を睨みつけた。

「ふざけないで! そんな、そんな軽い気持ちで人のこと呪って……!!
「軽い気持ちなんかじゃないよ。扉の近くまで行くだけ、結構危険犯してるんだからね?」
「そういうことじゃないわ!! そんな、人の命を軽く扱って……! レオは死ぬところだったし、今だって勝手に体を使われてるし、あなたたちのそのバカンスのせいでどれだけこっちが苦しめられてきたと思ってるの!!」

 ルーチェが怒鳴ると、魔王は困ったように眉を下げた。

「うーん……あー、そうだね。君もヒトだもんね。ごめん。怒るのも分かるよ。でもね、命ってほら、しゅによって価値は違うだろう? 君たちだって動物や魚を食べるし、彼らの縄張りに入って開拓するだろう? それと同じだよ。君が自分と同じしゅの扱いに怒っちゃった気持ちは分かるけど、俺らとニンゲンは違うからさ、そういうものなんだよ」
「なっ……」

 そう言われてしまうと、彼の論理は理解できなくもない。
 けれどそれを許容できるかどうかは、また別の問題だ。

 ルーチェの中で、魔族への恐怖が増していた。
 別に人と魔族で手を取り合おうなどと思ったことは一切ないが、自分たちの命を尊ぶ気持ちが一切ない存在と相対するのが、これほど恐ろしいこととは。
 きっとルーチェが虫を気持ち悪いとか、鬱陶しい時に殺すのと同じように……彼らの気分によって、すぐに息の根を止められてしまうのだ。

 ルーチェが顔を青くして絶句していると、魔王は哀れむような表情を浮かべた。

「ああ、ごめん。また怖がらせちゃったね。大丈夫だよ、君のことはそんな風に思ってないから」

 ちゅ、と頬にキスをされて、ルーチェは震え上がる。
 この、変に馴れ馴れしい感じが何を考えているのか分からなくてまた怖かった。

「な、なんで……」

 震える声で問うと、魔王はにっこりと笑った。

「好きだからだよ。君のことがね」

 ルーチェは自分の耳を疑った。
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