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本編

5.恋に落ちたとき(2)

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「あ……あ……」

 ルーチェは狼の金色の目を見つめたまま、動けなくなった。
 威嚇に使えそうなものも持っていない。
 あったとしても、何か刺激するとすぐに向かってきそうで恐ろしくて、何もできなかっただろう。

 でも、ずっとこの状況が続くのも耐えられない。
 なんとか逃げなくては、と思ったルーチェは、ひ、ひ、と浅い呼吸を繰り返しながら、震える足をわずかに後ろへとずらした。
 かさりと草が音を立てて、狼が踏ん張る。

「きゃあああああ!」

 来る! と思ったルーチェはパニックになり、叫びながら狼に背を向けて村へと走り出した。
 狼が地面を蹴り、ルーチェを追いかける。
 ルーチェは死の危険に視野が狭くなっていて、レオが柵を登っている姿が実際の視界に映っていても、その情報を脳が処理できていなかった。

 もうすぐ柵に辿り着く、という時に、ルーチェは背後に狼の息遣いを感じた。
 もうだめだ、と目を瞑ったそのとき。

「あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 ルーチェに痛みはなく、レオの叫び声が聞こえた。
 すぐに振り返ると、ルーチェと狼の間にはレオがいた。
 レオは頭の前で両腕を交差していて、左腕に牙が突き刺さっている。
 狼は腕に噛み付いたまま首を振り、レオを転倒させた。
 そしてそのまま、ずるずると後ろに引きずっていく。

「や、やだやだ! やめて! レオ、レオ!!」

 ルーチェは慌てて、レオに縋りついた。
 当時のルーチェはとにかくレオが連れて行かれないよう必死だったが、今思えば狼とルーチェでレオの綱引き状態になっていたので、レオの負担がかなり大きくなっていただろう。
 もっとも、あのままレオが森の方まで連れていかれたら食べられてしまっただろうし、武器もなかったので、あれ以外の方法は思いつかないが。

 そうこうしていると、二人の悲鳴が届いていたのだろう。
 村の大人たちが柵の周囲に駆け付けた。

「おい! 子供が襲われてるぞ!」
「火を持って来い!」
「武器もだ!」

 何人かの男たちが松明を持って柵の外に出て、狼を脅かす。
 ひるんだときに狩人が威嚇の矢を放ち、狼はレオを離して森に逃げ帰った。

 二人は、すぐに大人たちによって柵の内へ戻された。
 しかしこの村には治癒師がいなかったので、レオは村長の家で応急処置を受けたあと、すぐにレオの父親と護衛役の男に近くの町まで連れて行かれた。

 村に残ったルーチェは何があったのかを話し、親と村長にこっぴどく叱られた。
 そして腕輪を外に投げたのはやはりいつもレオをいじめていた三人組だと判明し、彼らも怒られていた。

 ルーチェはレオが帰ってくるまで、家の手伝いがないときは毎日町の方角を眺めて待っていた。



 そして事件から一週間後、レオの左腕には傷跡が残ってしまったが、幸い動かすのにはまったく支障がなく、完治と言っても良い状態で帰ってきた。

 ルーチェは、レオが帰ってきてからすぐに家へと行って謝った。

「ごめんなさい、レオ。わたしのせいで……怪我して……うう……」

 泣いてもレオを困らせてしまうだけだと分かっているのに、涙が溢れてしまう。
 レオはそんなルーチェを困ったように見つめたが、嫌そうな様子ではなかった。

「……泣かないで、ルーチェ。その……ルーチェが腕輪をとってくれようとしたのは嬉しかったし……助けようとしてくれたでしょ。それに、治ったから。ルーチェが無事で、良かった」
「で、でも、傷が……」
「大丈夫だよ、ぼ……おれ、男だし。勲章……みたいな?」

 そう言って笑うレオはどこか頼もしく、今までの気弱そうな雰囲気が薄くなっていた。

 それ以来、レオは変わった。
 男らしくなった、と言うのだろうか。
 例の三人組にも立ち向かい、次第に負かすようになった。
 どこかたどたどしい口調だったのがはきはきと話すようになり、大人しかったのが活発になった。
 狩りに行く男たちに自分も連れて行ってと駄々をこね、困らせていたほどだ。

 獣に立ち向かったことと、なんだかんだそこから生還した経験は、レオにとって大きな成功体験だったのだろう。
 実際、レオは親に無茶をして、と怒られたそうなのだが、同時によく女の子を守ろうとした、立派な男だとも、村の大人たちから褒められているのを見たことがある。
 それが、レオの自信に繋がったのだろう。

 同時期にレオの体の成長も進み、体付きが普通の男の子くらいになったのも後押ししていた。

 そしてそんなレオは、女の子からも人気になった。

 元々顔立ちは整っていたのだが、前は人見知りでルーチェ以外の子とはあまり話さなかったし、なよなよした雰囲気のレオを男の子として見る女子が少なかったのだ。
 しかしレオの雰囲気が少しずつ変わり社交的になると、昔はレオを情けないなどと悪口を言っていた癖に、結構かっこいいわよね、と口に上がるようになった。

「レオくん、これあげるわ」
「わたしもあげる」
「ありがとう」

 そして毎年訪れる花冠の祭りで、レオは大人気となった。
 元々は女性が意中の男性に花冠を送り結婚を申し込むという祭りだったのだが、現在はそこまで重い意味を持たず、ただ女の子が男の子に手作りの冠を渡す慣習だけが残っている。

 とはいえ元の理由もみんな意識していて、いいな、と思っている男の子に渡すのだ。
 告白ほどの意味はないが、気になっていますとか、仲良くしてねとか、そんな意味合いで送られる。

 毎年、レオはルーチェからしか花冠を貰っていなかったのに、今年はいくつも貰っていた。
 全てを頭に乗せることはできないので、まず女の子に冠を乗せてもらって、次の子が来たら頭にあるものを腕に通して、空いた頭に乗せてもらう。そんなことを繰り返していた。

 様々な花の冠を持つレオを見て、ルーチェは無性にイライラした。
 レオのことを馬鹿にしてたくせに手のひらを返す女の子に怒っているのか、そんな女の子たちに冠を貰ってヘラヘラしてるレオに腹が立つのか、自分でも分からなかった。
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