君のいない場所

ヤン

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第3章

第2話 決別

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 一週間前のことだった。さいは、ピアノのレッスンの後、先生に、

津久見つくみくん。コンクール、興味ある? 一位になると、オケと演奏出来るんだけど」
「コンクールですか?」
「そう。津久見くんなら、良い所まで行けそうな気がするんだけどな」

 コンクールで一位になると、オケと演奏出来る。ピアノを弾く者として、それは、やってみたいことの一つのはずだ。

「来年の春だから、まだ勉強する時間もあるし。やってみたらどうかしら」
「考えさせてください」

 そうは答えたが、かなり前向きな気持ちだった。

 広いステージに、オケと指揮者。そして、ピアニストの自分。それを想像するだけで、胸が高鳴った。

 申込書を受け取り、カバンにしまうと、まるでもう一位をとったかのように心が弾み、家まで走ってしまった。

 帰宅してピアノに向かうと、今日弾いた曲をさらった。そして、申込書をじっと見る。

(やってみようかな)

 その時、唐突に気が付いた。

(待てよ、オレ。何考えてんだよ)

 弾んでいた心は、一気にしぼんで行った。

(バカだ。何の為に、ミハラくんを切ったんだよ。オレ、何考えてたんだ。浮かれちゃって、何やってんだよ)

 アスピリンというバンドでプロになるつもりで、ヴォーカルを交代させたのに、と才は自分を責めた。

 ピアノは、才にとって大事なもので、生涯弾くのをやめはしないだろう。が、職業にしたいのは、ピアノではなくバンドのはず。

(何考えてるんだよ)

 何度も何度も、自分を責める才だった。

 そして、昨日、レッスンの前に先生に断った。先生は驚きを隠しもせず、

「え。何で? 絶対、やるって言うと思ってたのに」
「オレは、ピアノで生きていきたいんじゃないんです。オレには、バンドがあります」
「バンドは趣味で、ピアノが将来やっていきたいことだと思ってたわ」

 落胆している先生に向かい、才は、

「今日で、このピアノ教室、やめます。今までお世話になりました」
「津久見くん。何言ってるの? コンクール、出なくてもいいから、レッスンはやめないでよ」
「オレ……迷った自分が許せないんです。それだけです」
「津久見くん」
「さようなら、先生」

 深々と礼をすると、教室を後にした。心は重く、俯きがちだった。才は、もう二度とクラシックは弾かない、と心に誓った。

(ごめん。ミハラくん)

 家に帰り着くと、まっすぐ自分の部屋に行き、カバンを床に放ると、ベッドに横になった。布団を頭まで被ると、考えることを放棄した。
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