大矢さんと僕

ヤン

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第二章 新たな道

第15話 幸せ

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 翌朝、名前を呼ばれた気がして重い瞼を無理矢理開くと、スーツ姿の大矢おおやさんが、僕を見て口の端を上げて笑っていた。そんな顔をされて、僕はいきなり赤面してしまった。大矢さんは、僕の髪を梳きながら、

聖矢せいや。顔が赤いぞ」

 からかい口調でそう言った。が、すぐに表情を改めると、

「聖矢。ごめん。先に食事した。今日はどうしても事務所に行かないといけないんだ。昨日は、絶対用事を入れるなって言って、休みを取ったんだけどさ。それで、聖矢。今日はここから出るなよ」

 その言葉で、やはり大矢さんは僕の憂鬱の理由をわかってくれていたのだ、と思った。

「オレ、心配し過ぎなのは自分でもわかってるんだ。でも……」

 憂いを秘めたような顔で、大矢さんは続けた。

「昨日は八月最後の日だから、もしかしたら調子が悪くなるんじゃないかと思って、絶対に用事を入れるなって会社に言ってたんだ。学校に行くのが辛い子たちが、命を投げ出すことが多い日だろう?」

 僕は、黙って頷いた。

「おまえは、もう高校を退学したし、その子たちとは違う。わかってるのにさ、おまえがそこのベランダから身を乗り出して落ちる、とか……何か、そんな起こりもしないだろうことが、数日前から頭の中を占めて。そんなことばっかり考えちゃってさ、仕事なんか出来そうもないから、それで休むことにしたんだ」

 僕の頬を優しく撫でる大矢さんの目が、少し赤いような気がした。

「昨日おまえは、オレが思っていた通り憂鬱そうな顔をしてた。休んで良かった、と思った」

 九月一日。新学期が始まる日。昨日、それに気が付いただけで、それにまつわる楽しくないエピソードが思い出されて、心のバランスが取れなくなった。

 大矢さんが外に連れ出してくれて、花火をすることになったから、今僕は生きているのかもしれない。一人だったら、一体どうしただろう?

 胸の奥の方が痛んだが、それはすぐに、大矢さんの優しさへの感謝の気持ちに変わって行った。僕は、微笑みながら大矢さんを見つめると、

「僕のこと、心配して休んでくれたんですね」
「オレが勝手に心配したんだ。スマホと同じで、そうすればオレが安心する、そういうことだよ」

 僕は大矢さんに抱きついた。大矢さんは、僕の頬にキスをした。

「じゃあ、行ってくる」

 そう言って大矢さんは、僕から離れた。僕もその後について行く。玄関で靴をはいた大矢さんが、僕の方に振り向いた。

「愛してる」

 呟くように言った。僕は大矢さんにもう一度抱きつくと、「僕も、大矢さんのこと、愛してます」

 長めのキスをしてから、大矢さんは玄関を出て行った。扉が閉まると、部屋は静まり返る。食事をしようかと思ったが、そんな気分ではなくなった。

「もう一度、寝ようかな」

 一人呟くと、寝室に戻ってタオルケットを頭までかぶった。

 一ヶ月ちょっと前、ここに来るまで、僕は人に触れることが、本当に苦手だった。触れられるのはもっとダメで、想像しただけで胃が気持ち悪くなるほどだった。それが今は、どうだろう。

 今までなら、人を好きになるなんてことはありえなかった。それなのに、今は大好きな人がいる。同性なのに本当に大好きで、大事にされるというのがどういうことかすら、わかるようになってきている。大矢さんに触れていると、ものすごく安心する。触れられたら、恐怖とは違う、胸の高鳴りを覚える。

 幸せだな。

 そこまで考えた時、睡魔に襲われ、眠ってしまった。


 また、僕を呼んでいる声が聞こえる。大矢さんが、忘れ物を取りに戻ってきたのだろうか。ゆっくりと目を開けると、スーツの上を脱ぎかけて笑っている大矢さんが、目の前に立っている。

「忘れものですか?」
「忘れ物? 何のことだ?」
「だって、帰るのがずいぶん早いから」

 大矢さんが一頻り笑ってから、ナイトテーブルに置かれた置時計を僕の目の前に持ってきた。僕はそれをじっと見て、「え?」と言った。

「この時計、狂ってますか?」
「いや。合ってる」
「でも、八時ですよ」

 大矢さんがここを出た時間から一分も経っていないことに疑問を感じて、そう言った。大矢さんはベッドの隅に座り、僕の肩を抱き寄せて、

「もう、夜だよ。オレは、仕事して帰宅したんだ」
「夜……ですか?」

 びっくりして、変に大きな声を出してしまった。それを聞いた大矢さんが、目を細めた。

「おまえ、ずいぶん声が出るようになったな。最初は、囁き声だったのに。こんなに出るようになったんだな」
「大矢さんが、いっぱい話し掛けてくれたからです。だから、こんなに話せるようになったんです。大矢さん。ありがとうございます」

 大矢さんは、僕の髪を軽く撫でた後、僕の頬に唇で触れた。温かくて、ほっとする。僕は、大矢さんの肩に頭をもたせかけて、「愛してます」と囁いた。
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