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脆弱性 その1

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 婚約発表の場には大勢の貴族が詰めかけていた。大広間には楽団の奏でる音楽が静かに流れている。

「娘をよろしくお願い致します、殿下」

 そう言いながら恰幅のよい貴人が礼をする。カーネル・ロングホーン侯爵。ヴィストリアの父である。

「無論だ」
 メレディスは自信をこめてうなずく。

「そなたには大変世話になった。この忠誠には必ず報いよう」

 すでに公爵への陞爵しょうしゃくが内定している。魔術師や魔術に使う触媒など、人も金も山のように持ち出している。ウィンディ王国では公爵になれるのは王族の親類のみとされているが、些末な問題だ。

 それだけの成果を上げたのだから当然だろう。反対する者も多いが、黙らせる方法も用意してあるという。

 『新結界』は結界を張る場所も細かく指定できる。たとえば王都にある反対派の屋敷だけを解除することもできるのだ。地上から入るのは困難だろうが魔物は空にもいる。肥えた貴族など、羽の生えた魔物のいい餌になるだろう。

「有り難き幸せ」
 深々と礼をする。

「いささか気の強い娘ですが、私にとっては宝。最愛の娘なので」

 カーネルが一人娘に愛情を注いでいるのは貴族の間でも有名である。娘に言い寄った貴族を拳で黙らせたこともある。武人であり、魔術にも精通している。

「ねえ、何を話しているの」
 そこへヴィストリアが抱きついてきた。白いドレスにエメラルドのネックレスがよく映える。

「この国の未来についてだよ」

『新結界』はウィンディ王国の将来を確実に変える。昔から魔物の脅威にさらされてきたこの国では、『結界』を制する者が覇者となってきた。過去には聖女をめぐって内乱まで起こっている。それがこれからはメレディスに変わる。ひざまずくものに繁栄を、逆らう者には死を。

「難しい話は後にしましょう。それより踊りましょう。今日は私たちの日なのよ」
「そうだね、ヴィストリア」
 膨れ上がる野心をごまかすように、一礼して彼女の手を取る。

 曲が変わった。大広間ではたくさんの男女が軽やかなダンスを披露している。自分たちもその中に混ざろうと……否、自分たちこそが主役だと宣言するべく颯爽と踊ろうとした時、一人の騎士が進み出てきた。

「殿下、お話が」
「後にしろ」

 せっかくいい気分だったのに。少しは場の状況を弁えろといいたい。無作法者はあの平民上がりだけでたくさんだ。

「申し訳ございません、ですが急を要しますので」

 真剣な様子にただならぬ事態が起こったことを悟った。メレディスは舌打ちしながら話せと言った。
 騎士が耳打ちする。

「『新結界』の一部が消失しました」

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 それからも三人の旅は続いた。南のグッドオール領では飢饉に苦しむ土地に雨を降らせ、荒野に豊穣をもたらした。荒れ狂う海に住まう海獣を退治し、三つの山を焦がす山火事を消し止めた。

 東のエンドロイド領では荒れ狂う大風を防ぎ、一ヶ月続いた豪雨を止めて晴天を回復させ、黒雲のように押し寄せる蝗を遠い海へと追い払った。

 北のリナクス領では地震で崩れた土砂から人々を救い、大雪が吹き荒れる町村に暖を与えた。また噴火した火山から降ってきた噴石を食い止め、煮えたぎる溶岩を一瞬で裸足で歩けるほどに冷却した。

 力を発揮したのは自然災害だけではなかった。南のグッドオール領では海賊の襲撃を追い払い、東のエンドロイド領では盗賊団を壊滅させ、北のリナクス領の国外から攻め入ってきた異民族を傷一つ付けずに撤退させた。

 どの土地でもドロシーを聖女と崇め、尊敬と感謝の言葉を惜しみなく捧げた。

 気がつけば王都を出てから半年が経過していた。

 今いるのは北西部のサーフィスという町である。北には峻厳な山岳地帯が防波堤となって隣国からの侵略を防いでいる。

 ここを南に進めば、マッキンレイ辺境伯の領地である。ちょうどウィンディ王国を一周する計算になる。

 もうすぐ命じられた辺境巡回も終わるのだが、メレディスからの連絡はまだない。おそらく忘れているのだろう、とエクスは思っている。

 しばらく前にヴィストリア侯爵令嬢との婚約パーティを大々的に行ったという。『新結界』の功績により、第一王子になりかわって王太子になるのでは、とのもっぱらの噂である。ドロシーのことなどすっかり忘れているのだろう。それならそれで構わない。エクスとてバカ王子の命令など真っ平である。

 王都に戻るつもりはさらさらなかった。ドロシーも同じ気持ちのようだ。

 そのうちどこかに庵でも建てて落ち着くのもいいだろう。聖女とはあくまでウィンディ王国における『結界』管理者の呼称である。宗教的な意味はないのだが、信者や寄付も山ほど集まりそうだ。

 いっそ騎士を辞めて聖女様をたてまつる神官になるのも悪くない。

 今も山岳地帯からの雪崩を食い止め、山で遭難していた旅人を救ったばかりだ。
 回復魔法をかけても目を覚まさないので、サーフィス領主の館で看病をしている。

 防寒着に身を包んでいるが、身につけている布地は高価で身なりがいい。黒髪に長いまつげ、顔立ちも女かと見紛うほどの美男子である。おそらくどこかの貴族だろう。

「ここは……」
 客間のベッドの上で旅人は目覚めた。

「気づかれましたか」
 ドロシーが優しく声をかけると、旅人の顔が惚ける。死の淵で天使にでも出会った心持ちのようだ。

 無論、エクスもそばに控えている。クリスティーナ婆さんは暖炉のそばで船を漕いでいる。温かいスープを飲ませてから質問に入る。

「見たところ、お立場のある方とお見受け致しますが、なぜあのような場所に?」
 岩と雪しかないような山である。町の者の話では、山羊すらまともに越えられないという。

 考えられるとしたら、国境越えだ。隣国のミレニアム皇国に行くには、マッキンレイ辺境伯領を抜けて山岳地帯をぐるりと大回りしなくてはならない。そちらには関所を設けており、当然両国の兵士が厳重な警備を敷いている。

 山越えとなれば、両国の警備は薄い。その分、命懸けになる。真っ先に考えられるのは、犯罪者だ。
 旅人は目を伏せる。

「どうしても越えなければならなかったのです。……母の命がかかっているので」

 聞けば、彼の母親が疫病にかかり、余命幾ばくもないという。治療法を探すうちに、隣国のウィンディ王国には最近、ありとあらゆる災厄を退け、ケガや病を治す聖女がいるというウワサを耳にした。

 けれど、通常のルートでは間に合わない。そこで周囲の反対を押し切り、わずかな供を連れて危険な山越えを敢行した。だがウィンディ王国側に越えた辺りで雪崩に巻き込まれ、供とも離ればなれになった。

「ははあ、そうですか。ご母堂の」

 エクスは曖昧に相槌を打つ。今の段階では事実かどうか、不明だからだ。確かに旅人と同時期に数名の遭難者が見つかっているが、まだ意識は戻っていない。

 旅人はドロシーの方を向いた。

「あなたが、ウィンディ王国の聖女ですね」
「……そうです」
 一瞬、迷った風だったが、素直に認めた。

「お願いします。母を助けて下さい」
 旅人はドロシーに頭を下げると厳かな口調で名乗った。

「私は、ミレニアム皇国の皇帝の子、テレンスと申します」
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