上 下
5 / 28

security

しおりを挟む
「昨夜は失礼しました」

 翌朝、改めてドロシーに謝罪した。聖女様に向かって説教など、護衛騎士の振る舞いではあるまい。何より、ずっと国を支えてきた一人の女性に対しても恥ずべき振る舞いだった。

 聖女といっても結界維持のために作られた称号である。宗教譚に出て来るような聖者でも救世主でもないのだ。何もかも上手に運べるわけでもないし、それを求める方が無理というものだ。なのに昨夜は、一時の感情にかられて怒鳴りつけてしまった。

「あなたのお気持ちも考えずに大変ご無礼を働きました。誠に申し訳ございません」

 ドロシーとて、たった一人で悩んで苦しんで、心身ともに限界だったはずなのに。結局のところ、分かった風な顔をして何も理解していなかったのだ。傲慢にも程がある。慚愧に堪えない。

「辛かったでしょう。たいそう苦しまれたと思います。よくぞ、ここまで一人で頑張ってこられた。王国の民に成り代わってお礼を申し上げます」

 エクスは深々と頭を下げる。才能だけではなく、過去の聖女が残した記録にあたり、『結界』について理解を深めていた。ドロシーがいなければ、王国はとうに滅んでいたのだ。いくら感謝してもし足りない。

「謝罪の必要はありません、ピークマン卿。私こそお見苦しいところを見せてしまい、申し訳ございませんでした」

 ドロシーは気にした風もなく、あっさりと受け入れる。

「泣いたのは悲しかったからでも怖かったからでもありません。ただ、どうにも気持ちが昂ぶってしまって……」
 これだけの肉体の変化が起こったのだ。精神が不安定になっていても不思議ではない。エクスの言葉がきっかけになってしまったのだろう、と解釈する。

「それでですね」
 謝罪の後、エクスは改めて気になっていたことを言った。

「私のことはどうかエクスとお呼び下さい。敬語も不要です」

 離婚も正式に決まり、もうピークマン家とは縁が切れている。騎士なのだから改めて家名を作らねばならないのだが、辺境送りのせいで曖昧に放置されたままだ。このような状況でピークマンを名乗るのはいささか気が引ける。何より聖女の地位は一介の騎士より上なのだ。

 ドロシーはまた形の良い目を見開いていたが、やがて笑顔でうなずいた。

「では、私のこともドロシーと呼んで下さい」
「いや、それは」

 聖女様を呼び捨てなど、余人に聞かれたら不敬の誹りを免れない。昨日までなら誰もとがめ立てなどしなかっただろうが、今は違う。

「いけませんか?」
 上目遣いで問うてくる。

「……では、ドロシー様と」
「……わかりました」
 不満そうだったが、これ以上はゆずれない。エクスにも立場というものがある。

「おめみてえなバカタレはいっぺん頭かちわった方がええんだ」
 クリスティーナ婆さんはまだおかんむりのようだが、あえて無視する。

 野営の片付けを済ませ、馬車へと戻って来た。ドロシーは何故かエクスに先んじて御者台に座る。
 馬は自分が操るから、と言ったのだが頑として譲らない。

 仕方がないので、並んで座ることになる。小さな馬車なので肩の辺りが触れるのだが、ドロシーに不快そうな様子はなかった。お姫様抱っこや背中に担いだりもしたのだから今更気にも留めないのだろう、とエクスは解釈しながら手綱を握る。

「それでは行きましょうか」
 ドロシーが高らかに宣言する。

「どこへ?」
「決まっているでしょう」
 ドロシーは柔らかく微笑んだ。

「辺境伯様の領地へ慰問に」


 馬車を進めていくと徐々に周囲が荒れ果てていく。『結界』の端が近付いているのだ。出入りは自由だが、一歩外に出れば魔物の闊歩する土地になる。魔物の発する瘴気は土地や植物を枯らし、人間を容赦なく襲う。瘴気はまた別の魔物を呼び寄せる。

「もうすぐ『結界』の外、ですね」

 前を見れば薄い膜のようなものが空高くそびえており、その向こう側は荒野が広がっている。岩の陰には魔物らしき獣の姿も見える。時折、人の気配を察してか『結界』の方に突っ込んでいくのもいる。

「どうも『新結界』にはまだ慣れませんね」

 ドロシーが追放された翌日には、『新結界』に変更されていた。以前は淡い緑色だった膜が今は薄桃色に変わっている。効果は抜群らしく、『新結界』に触れた魔物がことごとく黒いチリとなって消えていく。エクスの倍以上はありそうな巨体も膜に触れると、砂人形のように崩れていく。範囲も広がっているようだ。以前はもう、この辺りは『結界』の外だった。

「……」

 ドロシーがじっと『新結界』を見つめている。内心は複雑だろう、とエクスは慮る。追放されるきっかけでもある。だが、そのおかげで『結界』維持の任を解かれ、『アプデの泉』まで行くことができたのだ。あるいは、悔しいのかも知れない。長年『結界』を維持してきた自負もあるだろう。新しい技術・・に自身の居場所を奪われたのだ。

 エクスとしては結果的に良かったと思っているが、割り切れるものではないだろう。

 そうこうしているうちにもう『新結界』の終点に近付いていた。

「ここから先は魔物の闊歩する土地です。覚悟はよろしいですか」

 今の間に荷台の方に下がった方がいい、というつもりで忠告したのだが、ドロシーはむしろ振り落とされないようにと肩に手を乗せ、体を寄せてきた。

 苦笑しながらエクスは魔物が近くにいないのを確認してから手綱を握り直し『新結界』を抜ける。特に何の抵抗もなかった。

「急ぎましょう」

 ここはもう安全地帯ではないのだ。黒い獣が遠くから馬車を見据えている。のんびりしていたら追いかけてくるに違いない。全力で駆け抜けたいところだが、それでは馬が途中で力尽きてしまう。さじ加減の難しいところだ。

 遠ざかっていく『新結界』を隣のドロシーが振り返って見ていた。やはり思うところがあるのかと思っていたら、軽い口調のつぶやきが聞こえた。

「あーあ、やっちゃった」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

聞こえません、見えません、だから私をほっといてください。

gacchi
恋愛
聞こえないはずの魔術の音を聞き、見えないはずの魔術を見てしまう伯爵令嬢のレイフィア。 ある時、他の貴族の婚約解消の場に居合わせてしまったら…赤い糸でぐるぐる巻きにされてる人たちを見てしまいます。 何も聞いてません。見てません。だから、ほっといてもらえませんか?? 第14回恋愛小説大賞読者賞ありがとうございました。 本編が書籍化しました。本編はレンタルになりましたが、ジョージア編は引き続き無料で読めます。

婚約者のいる側近と婚約させられた私は悪の聖女と呼ばれています。

鈴木べにこ
恋愛
 幼い頃から一緒に育ってきた婚約者の王子ギルフォードから婚約破棄を言い渡された聖女マリーベル。  突然の出来事に困惑するマリーベルをよそに、王子は自身の代わりに側近である宰相の息子ロイドとマリーベルを王命で強制的に婚約させたと言い出したのであった。  ロイドに愛する婚約者がいるの事を知っていたマリーベルはギルフォードに王命を取り下げるように訴えるが聞いてもらえず・・・。 カクヨム、小説家になろうでも連載中。 ※最初の数話はイジメ表現のようなキツイ描写が出てくるので注意。 初投稿です。 勢いで書いてるので誤字脱字や変な表現が多いし、余裕で気付かないの時があるのでお気軽に教えてくださるとありがたいです٩( 'ω' )و 気分転換もかねて、他の作品と同時連載をしています。 【書庫の幽霊王妃は、貴方を愛することができない。】 という作品も同時に書いているので、この作品が気に入りましたら是非読んでみてください。

天使の行きつく場所を幸せになった彼女は知らない。

ぷり
恋愛
孤児院で育った茶髪茶瞳の『ミューラ』は11歳になる頃、両親が見つかった。 しかし、迎えにきた両親は、自分を見て喜ぶ様子もなく、連れて行かれた男爵家の屋敷には金髪碧眼の天使のような姉『エレナ』がいた。 エレナとミューラは赤子のときに産院で取り違えられたという。エレナは男爵家の血は一滴も入っていない赤の他人の子にも関わらず、両親に溺愛され、男爵家の跡目も彼女が継ぐという。 両親が見つかったその日から――ミューラの耐え忍ぶ日々が始まった。 ■※※R15範囲内かとは思いますが、残酷な表現や腐った男女関係の表現が有りますので苦手な方はご注意下さい。※※■ ※なろう小説で完結済です。 ※IFルートは、33話からのルート分岐で、ほぼギャグとなっております。

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

あなたの子ですよ~王太子に捨てられた聖女は、彼の子を産んだ~

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
聖女ウリヤナは聖なる力を失った。心当たりはなんとなくある。求められるがまま、婚約者でありイングラム国の王太子であるクロヴィスと肌を重ねてしまったからだ。 「聖なる力を失った君とは結婚できない」クロヴィスは静かに言い放つ。そんな彼の隣に寄り添うのは、ウリヤナの友人であるコリーン。 聖なる力を失った彼女は、その日、婚約者と友人を失った――。 ※以前投稿した短編の長編です。予約投稿を失敗しないかぎり、完結まで毎日更新される予定。

ふしだらな悪役令嬢として公開処刑される直前に聖女覚醒、婚約破棄の破棄?ご冗談でしょ(笑)

青の雀
恋愛
病弱な公爵令嬢ビクトリアは、卒業式の日にロバート王太子殿下から婚約破棄されてしまう。病弱なためあまり学園に行っていなかったことを男と浮気していたせいだ。おまけに王太子の浮気相手の令嬢を虐めていたとさえも、と勝手に冤罪を吹っかけられ、断罪されてしまいます。 父のストロベリー公爵は、王家に冤罪だと掛け合うものの、公開処刑の日時が決まる。 断頭台に引きずり出されたビクトリアは、最後に神に祈りを捧げます。 ビクトリアの身体から突然、黄金色の光が放たれ、苛立っていた観衆は穏やかな気持ちに変わっていく。 慌てた王家は、処刑を取りやめにするが……という話にする予定です。 お気づきになられている方もいらっしゃるかと存じますが この小説は、同じ世界観で 1.みなしごだからと婚約破棄された聖女は実は女神の化身だった件について 2.婚約破棄された悪役令嬢は女神様!? 開国の祖を追放した国は滅びの道まっしぐら 3.転生者のヒロインを虐めた悪役令嬢は聖女様!? 国外追放の罪を許してやるからと言っても後の祭りです。 全部、話として続いています。ひとつずつ読んでいただいても、わかるようにはしています。 続編というのか?スピンオフというのかは、わかりません。 本来は、章として区切るべきだったとは、思います。 コンテンツを分けずに章として連載することにしました。

妹に全てを奪われた伯爵令嬢は遠い国で愛を知る

星名柚花
恋愛
魔法が使えない伯爵令嬢セレスティアには美しい双子の妹・イノーラがいる。 国一番の魔力を持つイノーラは我儘な暴君で、セレスティアから婚約者まで奪った。 「もう無理、もう耐えられない!!」 イノーラの結婚式に無理やり参列させられたセレスティアは逃亡を決意。 「セラ」という偽名を使い、遠く離れたロドリー王国で侍女として働き始めた。 そこでセラには唯一無二のとんでもない魔法が使えることが判明する。 猫になる魔法をかけられた女性不信のユリウス。 表情筋が死んでいるユリウスの弟ノエル。 溺愛してくる魔法使いのリュオン。 彼らと共に暮らしながら、幸せに満ちたセラの新しい日々が始まる―― ※他サイトにも投稿しています。

処理中です...