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第二幕(後半)
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十四郎、文吾、宗助驚いて又右衛門を見る。
十四郎 (又右衛門に詰め寄り)殿が? 何故ですか、井川様。
又右衛門 お主らが知る必要はない。ご苦労であった。野島の死骸はひとまずここの坊主どもに片づけさせる。後で人をやって取りに来る故、帰って良いぞ。
文吾 野島殿の家に知らせなくて宜しいのですか?
又右衛門 こやつに家族はおらぬ。飯炊きの婆様がおるだけじゃ。何ならお主らで知らせてやれ。もう飯を炊かずともよいとな。屋敷はこの近くじゃ。
又右衛門はそう言い捨てて上手側門の前まで去っていく。
又右衛門(振り向いて)そうそう、この事は他言無用じゃぞ。良いな。
又右衛門退場。後には三人と死骸が取り残される。
文吾 (憤慨して)なんだ。あれは。仏に対してあまりにも無礼ではないか。
十四郎 死骸を片づけると言っておったが、ろくに調べもせずに動かして良いのか。
宗助 殿のご不興を買わぬ方が大事と言うことだろう。あの爺様の考えそうなことだ。
文吾 誰かに切られたのならばともかく、己で腹を切ったのだから放っておいても構わぬということか。あのくそじじい。
十四郎 それにしても、殿が何の御用があってこの黄昏時に?
文吾 知らないのか、十四郎。殿とここの住職は良い碁敵でな。暇を見つけてはよく碁を打ちに来る、というのが口実だ。
宗助 住職の妾というのがこの寺の離れに住んでいる。殿がその妾をお気に召してな。
足繁く通っておるのよ。住職は住職で、妾一人で寺が栄えるならという俗物だ。(唾を吐いて)全く、どいつもこいつも。
十四郎 それより、今の井川様の話、どう思う?
文吾 そうだな、(死骸を見下ろし)新参者が百石取りと聞いたときには腹も立ったが、こうして仏になってしまえば哀れなものだな。
十四郎 違う。俺がいいたいのは、野島殿が腹を切った理由は本当に「蒼月」に怪我をさせたことか、ってことだ。
文吾 どうって。筋は通っていると思うが。
十四郎 そうか? お前らがこそこそ話していた様子ではこの野島半次郎という男、かなりしたたか者のようだ。まだ決まってもいないのに切腹するような殊勝な人間とは思えん。仮に、そうだとしても、何故『ここ』なんだ。去年召し抱えられた新参者が、腹いせに元勝院様の墓前で腹を切る。妙だろう?
宗助 腹いせとは限らぬ。俺たちは野島殿についてほとんど知らぬ。噂に反して、忠義の厚い男やったやも知れぬ。元勝院様を慕ってその墓前で腹を切った、ということも考えられる。
十四郎 同じ事だ。野島殿を召し抱えたのも、謹慎を命じたのも今の殿だ。当てつけにせよ忠義にせよ、今の殿の前で切るのが当然だろう。目の前が無理なら城の前でもいい。場所はいくらでもある。
宗助 あるいは、禄を失うのが怖かったのかも知れぬ。阿呆払いになれば元の貧しい浪人暮らし。こんな僥倖は二度とあるまい。せめて武士として死にたい、とそう考えてもおかしくはあるまい。
その時上手側から人の足音と話し声が聞こえる。
又右衛門 (舞台外から必死な声音で)お待ち下さい。殿、そちらはまだ支度が調っておりません。
殿 (舞台外から)やかましい。貴様に指図されとうない。
又右衛門 (同じく)しばし、しばしお待ちを。
殿 (同じく)何があるというのだ。申してみよ。
上手奥から殿が二人の取り巻きの侍を連れて現れる。目付き鋭く傲慢な面持ち、酒に酔っていて赤ら顔。豪奢な着物を着ている。二人の取り巻きの侍は、身なりこそ地味だが、殿と同様酔っぱらって上機嫌。
その後から又右衛門が縋るようにやってきてどうにか墓に近づけさせないようにしている。
宗助 (上手側を向いて)あれが殿か。
十四郎 ああ。今まで遠目には見てきたが、こうしてこんな間近で拝謁するのは初めてだ。
文吾 (小声で)なんともまあ、派手なお方だな。
取り巻きの侍一が十四郎たちを見とがめ、殿の前に移動する。
取り巻きの侍一 (十四郎たちを指さし、甲高い声で)殿の御前である。控えよ。
文吾と宗助が慌てて平伏する。十四郎だけが呆然と立ちつくしている。文吾がそれに気づいて、十四郎の袴の裾を引っ張る。慌てて十四郎も平伏する。小姓は殿の斜め後ろに戻り、片膝ついて控える。殿、鷹揚に頷く。
そのまま十四郎らの前を通り過ぎたところで、野島に気づき、足を止める。
殿 (野島を指さし)なんじゃ。そこにも誰ぞおるのか。(声をわななかせて)な、何事じゃ。こやつ、死んでおるのか?
又右衛門 (殿の前に立ちふさがって)見てはなりませぬ。お目が汚れます。
殿 又右衛門、どういうことじゃ! 何故野島が当家累代の墓で腹切っておる。申してみよ。
又右衛門 (土下座して)申し訳ございませぬ。野島半次郎め、馬術の腕を見込まれ、殿に召し抱えられながら「蒼月」に怪我を負わせた事を恥じ入り切腹してございます。
殿 ふざけよって。
又右衛門 申し訳ありませぬ。
殿 (顔を背け)不愉快じゃ。片づけておけ。
顔を背けた時、十四郎に目を留める。
殿 (十四郎に近寄り)そちは確か………。
十四郎 はっ。(深々と頭を下げる)
殿 苦しゅうない、直答を許す。
十四郎 はっ。勘定組、加賀十四郎にございます。
宗助 郷村出役、羽村宗助にございます。
文吾 (上ずった声で)御納戸役、名和文吾にございます。
殿 (頷くと十四郎に目を向け)来月の試合に出るそうじゃな。精進しておるか。
十四郎 もったいなきお言葉。
殿 聞くところによると四天流の使い手だそうだな。ここでちと見せてみい。
又右衛門 (取り繕うように)おお、そうじゃ。ここで型の一つも殿にご覧頂くが良い。
十四郎 いえ、手前生来の不調法者故、到底殿にご覧頂くものではございませぬ。
殿 構わぬ。わしがよいと言うておるのだ。やってみせよ。
十四郎 (困惑した様子で)それが、その。
又右衛門 (十四郎に詰め寄り)加賀。殿の思し召しじゃ。
十四郎 (恐縮した様子で)ひらに、ひらにご容赦を。
十四郎はひたすら頭を下げる。文吾と宗助がそれを訝しげに見つめる。
殿 (苛立たしく)主君の命が聞けぬと申すか。つべこべ言わずにやれ。
十四郎 はっ、それでは。
十四郎、立ち上がると脇差しを鞘ごと引き抜く。
柄を握り、ゆっくりと引き抜くと切っ先を空高く掲げる。
中は竹光。一同、目を瞠る。
(照れた様子て)これでよろしければ、今より型を披露いたしますが………如何でしょうか。
殿が怒りに打ち震えている。十四郎に近付き、足の裏で蹴り飛ばす。十四郎は背中から転倒する。
殿 貴様。それでも武士か! 間抜けが! 我が藩の名折れじゃ。わしが切り捨ててくれる。(刀を抜こうとする。が手元が狂ってうまく抜けない)
文吾 お待ち下され。殿。
文吾と宗助が十四郎の前に進み出る。二人並んで殿に平伏する。
文吾 (必死に早口で)殿のお怒りはごもっともにございます。なれどこの加賀十四郎、先年より妻が病に伏せっており、誠心誠意手当しておりますが、甲斐無く薬代も嵩む一方。
宗助 (文吾と同様)差し料を銭に換えるなど確かに不面目、なれど忠義は厚く、ひとたび事あらば百、千の雑兵に勝る男に。必ずやお家のお役に立つ者にございます。なにとぞ、お許し願いますよう。
文吾 なにとぞなにとぞご容赦願いたく。
文吾、額を地面にこすりつけんばかりに土下座する。
殿は面白くないという表情になる。十四郎に唾を吐くと顔を背ける。
殿 どいつもこいつも。いくぞ。又右衛門。
肩を怒らせて下手奥へ退場する。その後を追って又右衛門、小姓、取り巻きの侍二人も退場。
完全に姿が消えたのを見計らって文吾と宗助が脱力する。
宗助 (十四郎に顔だけ向けて)お前なあ、脅かすなよ。寿命が縮んだぞ。
十四郎 (顔について唾を拭きながら)すまん、二人とも。
文吾 (手を振って)いいよ、それより、その刀、やはり雪江殿のためか?
十四郎 ああ。
宗助 それで御前試合出るつもりだったのか?
十四郎 試合は木剣だしな。もうすぐ扶持も入るし質屋から持ち出せるだろう。
文吾 質流れにならんようにな。
十四郎 面目ない。
上手から小者が二人、戸板とムシロを持って現れる。死骸を指さし「おい、あれだ」「えれえこった」「さっさとやっちまおうべや」と呟き、十四郎たちの脇を通り過ぎる。野島の死骸を仰向きにすると、戸板の上に載せる。その時、野島の握っていた短刀が地面に落ちる。十四郎、素早くそれを拾い上げる。刀身をじっと見つめる。小者が二人、困った顔でそれを見ている。文吾が十四郎の袖を引っ張る。慌てて小者に短刀を手渡す。小者らは短刀を野島の上に載せ、その上にムシロを被せて、戸板を持ち上げて、上手奥へ退場。
文吾 (小者の去っていった方に目をやり)行ってしまったな。
宗助 死骸も運ばれた訳だし、このまま居ても仕方あるまい。
文吾 今日は散々だったな。(背伸びして)先生の墓参りに来て死骸は見つける。お奉行には怒られ、殿は大層ご立腹。どうも、今日は日が悪いようだな。ゲン直しに飲みに行くか。
宗助 (己の肩を叩き)もう日も大分傾いてきたしな。ちょうどいい。
文吾 今日はお前の奢りだから。忘れるなよ。宗助。
宗助 割り勘じゃあ駄目か?
文吾 (きっぱりと)駄目だ。
宗助 悪い。十四郎、金貸してくれないか。後で返すから………。
(十四郎の方を向いて)どうした、十四郎?
十四郎は顎に手を当て何事か呟いている。
文吾 (十四郎の肩に手を置く)おい、どうした。
十四郎 (肩を叩かれて初めて気づいて)ん、ああ。済まない。
宗助 何をぼーっとしているんだ。今、文吾と話してたんだ。これから飲みに行って辛気くさい雰囲気を吹き飛ばそうと。
十四郎 ああ、そうだな。悪いが少し忘れ物がある。後から行くから………そうだな、先生の墓前で待っていてくれないか。
文吾 それはいいが、何を忘れたんだ。一緒に行こうか?
十四郎 いや、いい。一人で充分だ。すぐに行くから待っていてくれ。
宗助 そうか。気をつけてな。
文吾と宗助、上手側から退場。二人の姿が見えなくなったのを見計らって十四郎は死骸のあった場所にしゃがみ込み、地面を手探りで調べる。そこへ先程の小者の一人が戻ってくる。十四郎の横を通り過ぎたところで十四郎は急に立ち上がる。
十四郎 待て、そこの男。
小者一 (驚いて振り向く)へえ、あっしですか?
十四郎 (小者の側まで近寄る)ちとものを尋ねたいのだがな。(上手側の門を指さし)そこの門以外にこの元勝院様の墓へ来るにはどうしたらいい?
小者一 そんなもん。そこの裏口使えばすぐですだ。
十四郎 裏口?
小者一 んだ、(下手奥を指さし)むこうちょっと行ったところに、わしらが用足しに使う小さい戸があるだで。あっちからの方が近いですだ。
十四郎 そこはお主ら以外に使うものはいるのか?
小者一 普通は使わねえが、心中者とか、罪人とか世間様に顔向けできねえ死に方した奴、寺運ぶときに使ってるみてえだな。表から入るのは申し訳ねえって。
十四郎 今日、そこを使った者はいるか?
小者一 さあ、おらあ見てねえ。だけんど、鍵かけてる訳でもねえし、入ろうと思えば誰でも入れるんでねえか。
十四郎 もう一つ、お主らここで煮炊きもしておるのだろ? 今日何か変なものを燃やさなかったか? たとえば、そうだな。古着とか、あるいは、何かの死骸とか。
小者一 (首をかしげ)そういや、けだものの死骸ならあったべ。
十四郎 本当か?(小者一の両肩を掴む)
小者一 (十四郎の勢いに気圧されるように)んだ。風呂沸かそうと薪くべてたら、変な臭いがするだで。釜調べたら、黒こげの犬が百姓の着物に包んでつっこんであっただ。一体誰があんな真似しやがったか。
十四郎 最後だ。その犬、体のどこかが切られていなかったか?
小者一 (驚いて)なして知ってなさる? 確かに首と胴が離れてた。あらあ試し切りにでもしたんじゃねえかって、おらあ仲間と話してただけんど。
十四郎 そうか、(小者から手を離す)手間を取らせて済まない。もう行っていいぞ。
へえ、と相槌を打って小者たちが下手奥へ退場する。
十四郎 (舞台中央へ歩きながら)そうか。もしかすると。待て。そうと決まって訳では(自問自答を繰り返す)
そこへ下手から又右衛門が出てくる。不機嫌な顔。
十四郎 (又右衛門に気づいて)あ、お奉行。先程は申し訳ございません。
又右衛門 (不快さを隠さず)まだおったのか。さっさと家に帰って、その竹光で稽古でもするがいい。
十四郎 (頭を下げて)面目次第もございません。(頭を上げ)ですが、その前にお奉行にお尋ねしたい事がございまして。
又右衛門 わしはこれから屋敷に戻らねばならぬ。貴様らに呼び出されて家の者に何も言わずに出てきたからの。
十四郎 お手間は取らせませぬ。すぐに済みます。
又右衛門 忙しい。明日にせい。(歩き出す)
十四郎 (又右衛門の前に立ちふさがり)そこを何とか。お願い致します。
又右衛門 (腕を振り回し)ええい、鬱陶しい。一体なんじゃ。
十四郎 有り難うございます。野島殿が殿から頂いた着物の事で少々。遠乗りの時と申されましたが、それはどの辺りを駆けた時かご存じでありませぬか?
又右衛門 そのようなことわしが知るか! いや待て、そうか。(顎に手を当て)あれは、滝瀬村じゃ。野島が自慢げに話しておったのを聞いたことがある。二月程前、その村に休息のために立ち寄ったときに検見の者どもが村の畑を見ておったので、案内させた。その時に殿がご自身のお召し物を下された、と申しておった。
十四郎 滝瀬村というと。伊那川の上流にある?
又右衛門 そうじゃ。もう良いか? わしは行くぞ
十四郎 (満足そうに頷いて)分かりました。有り難うございます。(深々とお辞儀する)
又右衛門、不審な顔をしながらも上手側に退場。
十四郎は、頭を上げると元勝院の墓前に移動する。
十四郎 (野島の死骸のあった場所を見つめ)そういうこと、か。
十四郎、上手奥を見つめる。その顔は何か強い決意を感じさせる。
文吾 (舞台外から)おおい、まだかあ。
十四郎 (大声で)ああ、今行く。
十四郎がゆっくりと上手奥へ歩いて退場。
幕
十四郎 (又右衛門に詰め寄り)殿が? 何故ですか、井川様。
又右衛門 お主らが知る必要はない。ご苦労であった。野島の死骸はひとまずここの坊主どもに片づけさせる。後で人をやって取りに来る故、帰って良いぞ。
文吾 野島殿の家に知らせなくて宜しいのですか?
又右衛門 こやつに家族はおらぬ。飯炊きの婆様がおるだけじゃ。何ならお主らで知らせてやれ。もう飯を炊かずともよいとな。屋敷はこの近くじゃ。
又右衛門はそう言い捨てて上手側門の前まで去っていく。
又右衛門(振り向いて)そうそう、この事は他言無用じゃぞ。良いな。
又右衛門退場。後には三人と死骸が取り残される。
文吾 (憤慨して)なんだ。あれは。仏に対してあまりにも無礼ではないか。
十四郎 死骸を片づけると言っておったが、ろくに調べもせずに動かして良いのか。
宗助 殿のご不興を買わぬ方が大事と言うことだろう。あの爺様の考えそうなことだ。
文吾 誰かに切られたのならばともかく、己で腹を切ったのだから放っておいても構わぬということか。あのくそじじい。
十四郎 それにしても、殿が何の御用があってこの黄昏時に?
文吾 知らないのか、十四郎。殿とここの住職は良い碁敵でな。暇を見つけてはよく碁を打ちに来る、というのが口実だ。
宗助 住職の妾というのがこの寺の離れに住んでいる。殿がその妾をお気に召してな。
足繁く通っておるのよ。住職は住職で、妾一人で寺が栄えるならという俗物だ。(唾を吐いて)全く、どいつもこいつも。
十四郎 それより、今の井川様の話、どう思う?
文吾 そうだな、(死骸を見下ろし)新参者が百石取りと聞いたときには腹も立ったが、こうして仏になってしまえば哀れなものだな。
十四郎 違う。俺がいいたいのは、野島殿が腹を切った理由は本当に「蒼月」に怪我をさせたことか、ってことだ。
文吾 どうって。筋は通っていると思うが。
十四郎 そうか? お前らがこそこそ話していた様子ではこの野島半次郎という男、かなりしたたか者のようだ。まだ決まってもいないのに切腹するような殊勝な人間とは思えん。仮に、そうだとしても、何故『ここ』なんだ。去年召し抱えられた新参者が、腹いせに元勝院様の墓前で腹を切る。妙だろう?
宗助 腹いせとは限らぬ。俺たちは野島殿についてほとんど知らぬ。噂に反して、忠義の厚い男やったやも知れぬ。元勝院様を慕ってその墓前で腹を切った、ということも考えられる。
十四郎 同じ事だ。野島殿を召し抱えたのも、謹慎を命じたのも今の殿だ。当てつけにせよ忠義にせよ、今の殿の前で切るのが当然だろう。目の前が無理なら城の前でもいい。場所はいくらでもある。
宗助 あるいは、禄を失うのが怖かったのかも知れぬ。阿呆払いになれば元の貧しい浪人暮らし。こんな僥倖は二度とあるまい。せめて武士として死にたい、とそう考えてもおかしくはあるまい。
その時上手側から人の足音と話し声が聞こえる。
又右衛門 (舞台外から必死な声音で)お待ち下さい。殿、そちらはまだ支度が調っておりません。
殿 (舞台外から)やかましい。貴様に指図されとうない。
又右衛門 (同じく)しばし、しばしお待ちを。
殿 (同じく)何があるというのだ。申してみよ。
上手奥から殿が二人の取り巻きの侍を連れて現れる。目付き鋭く傲慢な面持ち、酒に酔っていて赤ら顔。豪奢な着物を着ている。二人の取り巻きの侍は、身なりこそ地味だが、殿と同様酔っぱらって上機嫌。
その後から又右衛門が縋るようにやってきてどうにか墓に近づけさせないようにしている。
宗助 (上手側を向いて)あれが殿か。
十四郎 ああ。今まで遠目には見てきたが、こうしてこんな間近で拝謁するのは初めてだ。
文吾 (小声で)なんともまあ、派手なお方だな。
取り巻きの侍一が十四郎たちを見とがめ、殿の前に移動する。
取り巻きの侍一 (十四郎たちを指さし、甲高い声で)殿の御前である。控えよ。
文吾と宗助が慌てて平伏する。十四郎だけが呆然と立ちつくしている。文吾がそれに気づいて、十四郎の袴の裾を引っ張る。慌てて十四郎も平伏する。小姓は殿の斜め後ろに戻り、片膝ついて控える。殿、鷹揚に頷く。
そのまま十四郎らの前を通り過ぎたところで、野島に気づき、足を止める。
殿 (野島を指さし)なんじゃ。そこにも誰ぞおるのか。(声をわななかせて)な、何事じゃ。こやつ、死んでおるのか?
又右衛門 (殿の前に立ちふさがって)見てはなりませぬ。お目が汚れます。
殿 又右衛門、どういうことじゃ! 何故野島が当家累代の墓で腹切っておる。申してみよ。
又右衛門 (土下座して)申し訳ございませぬ。野島半次郎め、馬術の腕を見込まれ、殿に召し抱えられながら「蒼月」に怪我を負わせた事を恥じ入り切腹してございます。
殿 ふざけよって。
又右衛門 申し訳ありませぬ。
殿 (顔を背け)不愉快じゃ。片づけておけ。
顔を背けた時、十四郎に目を留める。
殿 (十四郎に近寄り)そちは確か………。
十四郎 はっ。(深々と頭を下げる)
殿 苦しゅうない、直答を許す。
十四郎 はっ。勘定組、加賀十四郎にございます。
宗助 郷村出役、羽村宗助にございます。
文吾 (上ずった声で)御納戸役、名和文吾にございます。
殿 (頷くと十四郎に目を向け)来月の試合に出るそうじゃな。精進しておるか。
十四郎 もったいなきお言葉。
殿 聞くところによると四天流の使い手だそうだな。ここでちと見せてみい。
又右衛門 (取り繕うように)おお、そうじゃ。ここで型の一つも殿にご覧頂くが良い。
十四郎 いえ、手前生来の不調法者故、到底殿にご覧頂くものではございませぬ。
殿 構わぬ。わしがよいと言うておるのだ。やってみせよ。
十四郎 (困惑した様子で)それが、その。
又右衛門 (十四郎に詰め寄り)加賀。殿の思し召しじゃ。
十四郎 (恐縮した様子で)ひらに、ひらにご容赦を。
十四郎はひたすら頭を下げる。文吾と宗助がそれを訝しげに見つめる。
殿 (苛立たしく)主君の命が聞けぬと申すか。つべこべ言わずにやれ。
十四郎 はっ、それでは。
十四郎、立ち上がると脇差しを鞘ごと引き抜く。
柄を握り、ゆっくりと引き抜くと切っ先を空高く掲げる。
中は竹光。一同、目を瞠る。
(照れた様子て)これでよろしければ、今より型を披露いたしますが………如何でしょうか。
殿が怒りに打ち震えている。十四郎に近付き、足の裏で蹴り飛ばす。十四郎は背中から転倒する。
殿 貴様。それでも武士か! 間抜けが! 我が藩の名折れじゃ。わしが切り捨ててくれる。(刀を抜こうとする。が手元が狂ってうまく抜けない)
文吾 お待ち下され。殿。
文吾と宗助が十四郎の前に進み出る。二人並んで殿に平伏する。
文吾 (必死に早口で)殿のお怒りはごもっともにございます。なれどこの加賀十四郎、先年より妻が病に伏せっており、誠心誠意手当しておりますが、甲斐無く薬代も嵩む一方。
宗助 (文吾と同様)差し料を銭に換えるなど確かに不面目、なれど忠義は厚く、ひとたび事あらば百、千の雑兵に勝る男に。必ずやお家のお役に立つ者にございます。なにとぞ、お許し願いますよう。
文吾 なにとぞなにとぞご容赦願いたく。
文吾、額を地面にこすりつけんばかりに土下座する。
殿は面白くないという表情になる。十四郎に唾を吐くと顔を背ける。
殿 どいつもこいつも。いくぞ。又右衛門。
肩を怒らせて下手奥へ退場する。その後を追って又右衛門、小姓、取り巻きの侍二人も退場。
完全に姿が消えたのを見計らって文吾と宗助が脱力する。
宗助 (十四郎に顔だけ向けて)お前なあ、脅かすなよ。寿命が縮んだぞ。
十四郎 (顔について唾を拭きながら)すまん、二人とも。
文吾 (手を振って)いいよ、それより、その刀、やはり雪江殿のためか?
十四郎 ああ。
宗助 それで御前試合出るつもりだったのか?
十四郎 試合は木剣だしな。もうすぐ扶持も入るし質屋から持ち出せるだろう。
文吾 質流れにならんようにな。
十四郎 面目ない。
上手から小者が二人、戸板とムシロを持って現れる。死骸を指さし「おい、あれだ」「えれえこった」「さっさとやっちまおうべや」と呟き、十四郎たちの脇を通り過ぎる。野島の死骸を仰向きにすると、戸板の上に載せる。その時、野島の握っていた短刀が地面に落ちる。十四郎、素早くそれを拾い上げる。刀身をじっと見つめる。小者が二人、困った顔でそれを見ている。文吾が十四郎の袖を引っ張る。慌てて小者に短刀を手渡す。小者らは短刀を野島の上に載せ、その上にムシロを被せて、戸板を持ち上げて、上手奥へ退場。
文吾 (小者の去っていった方に目をやり)行ってしまったな。
宗助 死骸も運ばれた訳だし、このまま居ても仕方あるまい。
文吾 今日は散々だったな。(背伸びして)先生の墓参りに来て死骸は見つける。お奉行には怒られ、殿は大層ご立腹。どうも、今日は日が悪いようだな。ゲン直しに飲みに行くか。
宗助 (己の肩を叩き)もう日も大分傾いてきたしな。ちょうどいい。
文吾 今日はお前の奢りだから。忘れるなよ。宗助。
宗助 割り勘じゃあ駄目か?
文吾 (きっぱりと)駄目だ。
宗助 悪い。十四郎、金貸してくれないか。後で返すから………。
(十四郎の方を向いて)どうした、十四郎?
十四郎は顎に手を当て何事か呟いている。
文吾 (十四郎の肩に手を置く)おい、どうした。
十四郎 (肩を叩かれて初めて気づいて)ん、ああ。済まない。
宗助 何をぼーっとしているんだ。今、文吾と話してたんだ。これから飲みに行って辛気くさい雰囲気を吹き飛ばそうと。
十四郎 ああ、そうだな。悪いが少し忘れ物がある。後から行くから………そうだな、先生の墓前で待っていてくれないか。
文吾 それはいいが、何を忘れたんだ。一緒に行こうか?
十四郎 いや、いい。一人で充分だ。すぐに行くから待っていてくれ。
宗助 そうか。気をつけてな。
文吾と宗助、上手側から退場。二人の姿が見えなくなったのを見計らって十四郎は死骸のあった場所にしゃがみ込み、地面を手探りで調べる。そこへ先程の小者の一人が戻ってくる。十四郎の横を通り過ぎたところで十四郎は急に立ち上がる。
十四郎 待て、そこの男。
小者一 (驚いて振り向く)へえ、あっしですか?
十四郎 (小者の側まで近寄る)ちとものを尋ねたいのだがな。(上手側の門を指さし)そこの門以外にこの元勝院様の墓へ来るにはどうしたらいい?
小者一 そんなもん。そこの裏口使えばすぐですだ。
十四郎 裏口?
小者一 んだ、(下手奥を指さし)むこうちょっと行ったところに、わしらが用足しに使う小さい戸があるだで。あっちからの方が近いですだ。
十四郎 そこはお主ら以外に使うものはいるのか?
小者一 普通は使わねえが、心中者とか、罪人とか世間様に顔向けできねえ死に方した奴、寺運ぶときに使ってるみてえだな。表から入るのは申し訳ねえって。
十四郎 今日、そこを使った者はいるか?
小者一 さあ、おらあ見てねえ。だけんど、鍵かけてる訳でもねえし、入ろうと思えば誰でも入れるんでねえか。
十四郎 もう一つ、お主らここで煮炊きもしておるのだろ? 今日何か変なものを燃やさなかったか? たとえば、そうだな。古着とか、あるいは、何かの死骸とか。
小者一 (首をかしげ)そういや、けだものの死骸ならあったべ。
十四郎 本当か?(小者一の両肩を掴む)
小者一 (十四郎の勢いに気圧されるように)んだ。風呂沸かそうと薪くべてたら、変な臭いがするだで。釜調べたら、黒こげの犬が百姓の着物に包んでつっこんであっただ。一体誰があんな真似しやがったか。
十四郎 最後だ。その犬、体のどこかが切られていなかったか?
小者一 (驚いて)なして知ってなさる? 確かに首と胴が離れてた。あらあ試し切りにでもしたんじゃねえかって、おらあ仲間と話してただけんど。
十四郎 そうか、(小者から手を離す)手間を取らせて済まない。もう行っていいぞ。
へえ、と相槌を打って小者たちが下手奥へ退場する。
十四郎 (舞台中央へ歩きながら)そうか。もしかすると。待て。そうと決まって訳では(自問自答を繰り返す)
そこへ下手から又右衛門が出てくる。不機嫌な顔。
十四郎 (又右衛門に気づいて)あ、お奉行。先程は申し訳ございません。
又右衛門 (不快さを隠さず)まだおったのか。さっさと家に帰って、その竹光で稽古でもするがいい。
十四郎 (頭を下げて)面目次第もございません。(頭を上げ)ですが、その前にお奉行にお尋ねしたい事がございまして。
又右衛門 わしはこれから屋敷に戻らねばならぬ。貴様らに呼び出されて家の者に何も言わずに出てきたからの。
十四郎 お手間は取らせませぬ。すぐに済みます。
又右衛門 忙しい。明日にせい。(歩き出す)
十四郎 (又右衛門の前に立ちふさがり)そこを何とか。お願い致します。
又右衛門 (腕を振り回し)ええい、鬱陶しい。一体なんじゃ。
十四郎 有り難うございます。野島殿が殿から頂いた着物の事で少々。遠乗りの時と申されましたが、それはどの辺りを駆けた時かご存じでありませぬか?
又右衛門 そのようなことわしが知るか! いや待て、そうか。(顎に手を当て)あれは、滝瀬村じゃ。野島が自慢げに話しておったのを聞いたことがある。二月程前、その村に休息のために立ち寄ったときに検見の者どもが村の畑を見ておったので、案内させた。その時に殿がご自身のお召し物を下された、と申しておった。
十四郎 滝瀬村というと。伊那川の上流にある?
又右衛門 そうじゃ。もう良いか? わしは行くぞ
十四郎 (満足そうに頷いて)分かりました。有り難うございます。(深々とお辞儀する)
又右衛門、不審な顔をしながらも上手側に退場。
十四郎は、頭を上げると元勝院の墓前に移動する。
十四郎 (野島の死骸のあった場所を見つめ)そういうこと、か。
十四郎、上手奥を見つめる。その顔は何か強い決意を感じさせる。
文吾 (舞台外から)おおい、まだかあ。
十四郎 (大声で)ああ、今行く。
十四郎がゆっくりと上手奥へ歩いて退場。
幕
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