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祭りの後で

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 ルシアナは逃げ出そうとしたが、振り返ると、そこにも人が押し寄せていた。
 完全に囲まれている。
 逃げ場がない。

(どうしよう、このまま宿に戻れなければ――)

 現在、この場において、シアとルシアナが同一人物であることを知っているのは、ハインツとルシアナの部屋で護衛をしていた男の二人だけ。他の人間は、たとえ、ルシアナと共にこの場を訪れた者であっても知らない。
 ハインツには彼ら民衆を抑える力はないし、護衛に助けを求めようにも、そんなところをバルシファルに見られたら、自分がルシアナと言っているようなもの。
 かといって、ここから一人で抜け出すことなんて――

「たす……けて……」

 ルシアナの小さな呟きは、誰の耳にも届かない――はずだあった。

「その依頼、引き受けるよ、シア」

 突然、ルシアナの目の前にバルシファルが現れてそう言った。
 
「こうして君の依頼を受けるのは二回目かな? シア」
「ファル……様? 一体どうやって?」

 バルシファルがいた場所からこの壇上まで距離があった。小さな体の人間ならまだしも、細身ながらも鎧を付けている彼が、これだけ密集している群衆の中をすり抜けて来たとは思えない。

「なに、君の儀式を見てこうなることは予想できたからね。みんなが呆けている間に、裏側に移動させてもらったのさ」
「そうだったのですか。全然気付きませんでした」
「さて、助けるといったけれど、さすがに彼ら全員を気絶させるわけにもいかないし、ここは逃げるとしよう」
「でも、逃げるってどうやって――」

 ルシアナが尋ねたとき、バルシファルが屈んだかと思うと、突然、ルシアナを抱え上げた。

「え? え? え?」
「口を閉じて、しっかり掴まっているんだ」
「はむっ!」

 はいと返事をしようとするのと同時に、口を閉じ、バルシファルにしがみつく。

「では、皆さん。聖女様はお疲れのようですので、これで失礼します!」

 そう言うと、彼は大きく跳躍した。
 大きな圧力の直後、まるで世界から重さが消え、空を舞っているのではないかと思うような浮遊感を感じたのも一瞬――ルシアナとバルシファルは、群衆の波を跳び越え、町の郊外へと去っていった。

 そして、ルシアナとバルシファルは、小さな建物の屋根の上にいた。ちょうどその家の横に木箱が積み上げられていて、その上に乗って跳び移ったのだ。
 ここなら誰にも見られずに休むことができるだろうと、バルシファルはそこでルシアナを下ろし、屋根の上で二人並んで座った。

「大丈夫かい、シア」
「……凄かった……です。こんなの初めてで」
「怖い思いをさせてすまなかったね」
「……いえ、少しも怖くありませんでした」

 ルシアナは少し照れるように小さく言った。
 むしろ、ルシアナはバルシファルに抱えられているとき、安心していた。
 自分の正体がバレる可能性も、聖女と呼ばれたことに対する将来の不安もすべて忘れて。

「この時期はまだ少し冷えるね。シア、寒くないか?」
「寒くは……いえ、少し寒いです。もう少し側で座ってもいいですか?」
「もちろんだよ」

 バルシファルの言葉に、ルシアナは少し、ほんの少しだけ近付いた。
 ルシアナの修道服と、バルシファルの着ている服、衣と衣が微かに触れ合うか触れ合わないか、そんな距離に。

 特に二人の間に会話はない。
 夜空に浮かぶ星も、祭りの賑わいを残す町の灯りも、ルシアナの目にはもう映らない。
 ただ、時折聞こえてくるバルシファルの吐息と、そして、本当に感じているかどうかわからないその体温だけで、彼女は満たされていく気がした。
 このまま屋根の上で二人で居られたらいい、そんな気持ちになった。
 朝までに宿に戻らないといけないとわかっていながら。

(私は何て罰当たりなのでしょう。朝を告げる女神に、今日だけは少し寝坊をしてほしいと願うなんて)

 ルシアナがそう思ったときだった。
 どうやら、本当に罰が当たったらしい。

「ファル様、シアちゃん、酷いですよ。俺を置いていくなんて」

 サンタがそう言って屋根に上ってきた。

「サンタさん、いらっしゃったんですか?」
「え? シアちゃん、手を振ってたのに俺に気付いてなかったの?」
「はい――すみません」
「サンタは少し背が低いから、町の人の陰に隠れて見えなかったのかもね」
「酷いです。確かに俺はまだ背が低いけど、いまはまだ成長期だからこれから伸びますよ」

 サンタはそう文句を言うが、ルシアナがサンタの存在に気付かなかったのは、祭りに来ていたのかどうかではなく、そもそも、ルシアナの護衛についてきていることも気付いていなかったのだ。

「それで、サンタ。例の物は持ってきてくれた?」
「はい、一応持ってきましたが――ファル様一人で食べるんですか?」

 そう言って、サンタが置いたのは、肉串や果実など、祭りで出されていた料理だった。

「まさか。シアに必要だろうと思ってね」
「あ、そう言われたら――」

 聖女騒ぎや逃走劇のせいで気付かなかったが、祈りに魔力を捧げたため、ルシアナはエネルギーを必要としていた。

「でも、いくらなんでもこんなに食べ切れませんよ」
「じゃあ、二人で食べようか。そのうち、聖女騒ぎも収まるだろう」
「はい」

 ルシアナとバルシファルはそう言って、袋に入っている肉串を一本ずつ取った。
 朝を告げる女神に寝坊してほしいという願いは叶わなかったが、バルシファルと二人で祭りの料理を楽しむという小さな、だけれどもルシアナにとっては大切な願いは、こうして叶ったのだった。

「あの、だから俺のことを忘れないで下さいよ」

 直ぐに忘れそうになったサンタも負けじと一本、肉串を手に取った。
 こうしてルシアナがハインツの泊っている宿に届けられるまでの間、三人だけの祭りを楽しんだのだった。 
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