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第六章

ワイン造り始めました(その2)

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  ~ホロドー村長視点~

 ホロドー。それが俺――ワイズの育った村だ。
 俺がガキの頃に見た村は、葡萄しかないなんの変哲もない村だった。特に秋の終わりになると、畑が黄色く染まり、村中から葡萄を潰す匂いが溢れかえる。 村の外から来た連中は、「とてもきれいな景色だ」「とても素晴らしい香りだ」「素晴らしい村だ」と褒めたたえるが、俺はずっと「これのどこがいいんだ?」と不思議で仕方なかった。
 何故なら、それは俺が生まれたときからあった、なんてことのない当たり前の風景だったからだ。
 だが、その当たり前はもうない。
 去年の葡萄の収穫は全盛期の二割以下。しかも味は苦過ぎる。
 これじゃワインにして売ったところで買いたたかれて樽代の方が高くつくかもしれない。
 これからどうするか。
 村の今後を決めるため、村の代表四人で話が行われていた。

「坊ちゃん。そろそろ覚悟は決まりましたか?」

 そう言ったのは村の顔役の一人である俺の叔父だ。
 二年前、このホロドーの村長だった親父はなんとか葡萄園を復活させようと試行錯誤を繰り返し、無理がたたって亡くなった。
 当時まだ三十歳だった俺が跡を継ぐという形で村長になったが、その時には村人の半数は既に村を捨ててしまっていた。さらに村を出る人は増え、今残っているのは村に未練のある人間と、他に行く場所の無い奴だけ。
 労働力もない、そして畑を治すための知力もない。

「俺たちに残された選択は二つだな。いや、与えられたといった方がいいか」

 俺はため息をついた。
 不幸続きの俺たちだったが、ひとつだけ幸運が舞い込んだ。
 領主であるタイコーン辺境伯に支援を求めた。
 タイコーン辺境伯にはこれまでも税の減免などの支援をいただいていたが、今回はヴァルハという町の工房主アトリエマイスターに葡萄畑の三割を貸すことを条件に、資金を提供してもらった。
 葡萄畑の整備のためという名目の資金提供ではなく、村のために使って欲しいと言われた金だ。
 何のために畑を使うかはわからない。
 工房主アトリエマイスターなんて俺たちにとっては雲の上の存在。貴族様と同じ位のお方の考えていることは理解できない。
 だが、このお金のお陰で、俺たちには「小麦を買って今年を乗り切り、畑の改良に取り組む」か「葡萄作りを諦め、新たな作物を育てる」の二つの選択肢が与えられた。
 村とともに心中するしかないと思っていた俺たちにとっては、まさに与えられた選択肢と言えるだろう。
 そして、俺は若造とはいえ村長として、その決断を下すことにした。

「俺は――」
「兄貴、ちょっといいか?」

 俺が重い決断を下そうとしたその時、弟が入ってきた。
 話の腰を折るには絶妙過ぎるタイミングに、俺はため息をついて尋ねる。

「なんだ? 会議中だって言ってあっただろ」
「わかってたんだが、例の客人が来た」

 例の客人――工房主アトリエマイスターの代理さんか。
 そんなの後回し――いや、代理とはいえ相手は士爵様らしい。さらにはヴァルハの太守代理も随伴しているという。
 ここで機嫌を損ねて、畑の貸与による資金援助を白紙に戻されでもしたら、本当に村は終わってしまう。領主の使者からの話では、過度な歓待の必要はないとのことだが、しかし誰も挨拶に行かないわけにはいかない。
 弟はがさつだから、貴族様の相手なんてできないだろう。
 俺が直接相手をするか。

「俺が相手をしよう。皆、すまないが会議は貴族様の歓待が終わってから続ける。今朝仕掛けた罠を見てくるから、三時間後、また頼む」

 俺はそう言うと、集会所を出て俺の家に向かった。
 この村にあった唯一の宿は、三年前に村から逃げて現在は使われていないので、貴族様一行には村長宅、つまり俺の家に泊まってもらうことにしているからだ。
 俺の家の前には、前に領主が視察で訪れたときに乗っていたものよりさらに豪奢な馬車が停められていた。
 どこかの王族でも乗っているんじゃないかと思うほどだ。
 その馬を世話している見たこともない少年がいた。
 おそらく、貴族様の小間使いだろう。

「失礼する。俺はこの村の村長のワイズだ。ロックハンス士爵はもう中だろうか?」
「あ、はじめまして村長様。僕はクルト・ロックハンスと申します。工房主代理をさせていただいています」

 いま、何と言った?
 一瞬理解するのが遅れたが、俺は自分の失態に気付く。

「――っ!? 失礼しました、ロックハンス士爵」

 くそっ、予め工房主代理は十五歳くらいの少年だと聞かされていたが、なんて馬の世話なんてしているんだ。
 いや、もともと士爵は騎士に与えられる称号であるから、馬を大事にするのは――ってわかるか! どう見ても下男か、最悪、貴族の娼夫だろ。
 幸いなことに、ロックハンス士爵は俺の失敗に気を悪くした様子はない。
 それどころか――

「そんな、かしこまらないでください。僕はただの代理ですから」

 と何故か俺よりへりくだっている。
 本当に貴族なのか?
 いや、そういえば領主の使いからも、「士爵様は大変お優しい方ですから緊張する必要はないそうです。それより、共に来られる太守代理の方の扱いには気を付けるようにと、領主様より直接言伝っております」と聞いていた。
 つまり、警戒するのは太守代理か。

「太守様の代理の方は?」
「あ、リーゼさんでしたらベッドの確認をするために部屋に――あ、戻ってきました」

 ロックハンス士爵がそう言うと、彼と同じ年くらいの少女が家の中から出てきた。
 ただ、立ち振る舞いや歩き方からして、本当はこっちがお貴族様なのでは? という雰囲気を――いや、そんな雰囲気じゃないっ!
 これは、鬼かっ!

「あなた、少しよろしいでしょうか?」
「え、あ、はいっ!」

 おかしい、普通に尋ねられただけなのに、俺はいますぐ跪きたくなってしまう。
 もう、これは怒気というレベルじゃない。殺意だ。
 彼女は明らかに怒っている。

「少々、無理をしたのではありませんか?」
「無理――とは?」
「伝言、聞きませんでしたか? 過度な歓待は必要ないと」
「はい。自分共の村には余裕がなく、そのお心遣いにはとても感謝を――」
「なぜ、部屋が二つなのでしょうか?」
「はい?」

 まさか、もっと部屋が必要だったと?
 いや、用意した部屋は二つじゃなくて、ちゃんと御者の人間や小間使いが寝られる部屋もある。
 それでも足りないのか?

「私――期待……もとい想定しておりましたの! 宿もない小さな村ですから、きっと私とクルト様の部屋は一つしかなく、役得……致し方なく同じ部屋で寝ることになることを。だというのに何故部屋が二つ、しかも廊下を挟んで反対側の部屋なのですか。これでは感覚強化ロングセンスの魔法を使ったあとに壁に耳を当ててクルト様の寝息を聞く――ではなく、万が一のことがあったときにクルト様が危険ではありませんか」

 ……は?
 何言ってるんだ、この少女は。
 意味がわからない。

「すみません。えっと、ここは村長様の屋敷だと聞きましたが、本当に僕たちだけで使ってよかったのでしょうか? もしよかったら、僕は馬車の中で寝ますから、リーゼさんだけ泊めてもらえれば」
「そうですわ! では、私とクルト様は馬車の中で寝ることにして、ここまで操縦なさった御者だけ部屋で寝ていただきましょう!」
「そ、そんなことはできません! そんなことをしたら、我々がタイコーン辺境伯に何と言われるか」

 本当に何を言ってるんだ? 貴族様を馬車で寝かせて俺たちが家で寝られるわけがないだろう!

 その後、俺は士爵たちに畑を案内し、料理の手配を進めた。
 士爵は思っている以上に優しそうな方――というか、普通の子供って感じだが、太守代理はヤバイ雰囲気だ。
 くそっ、過度な歓待は必要ないと言われていたが、これ以上機嫌を損ねるとマズイ。
 仕掛けた罠に獲物がかかっていない場合、大事な牛を潰すことも考えなければいけない。
 あれだけは、今後、小麦畑を開墾することになったときのためにと、金にも換えずに置いていたのだが。
 俺が罠の様子を見るために少し離れた森に向かう。
 幸い、野兎が一羽、罠に引っかかっていたので、その場で首を切り落として血抜きを済ませた。
 これで今日はなんとかなりそうだと安堵し、村に帰ると、村の広場で皆が集まっていた。
 ただならぬ雰囲気であるのは間違いない。
 皆が俺に気付くと、弟が駆け寄ってきた。

「兄貴、大変だ!」

 こんなに焦った弟、見たことがない。
 ただならぬ事態が起こったのは確かだ。そして、このタイミングからして、間違いなく貴族様絡みだろう。

「何があったっ!?」
「と、とにかく来てくれ!」

  要領を得ない弟に連れられ、俺は貴族様たちがいる南の畑に向かった。

 そこに広がっていたのは、なんてことのない当たり前の風景だった。

「あ……あぁ……」

 声が出ない。
 光が反射して眩しい。
 俺が子供の頃から見てきた当たり前の、そしてもう二度と見ることができないと思っていた、黄金色の葡萄畑が広がっていた。
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