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第六章

プロローグ

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 剣聖の里での戦いから一カ月が経ちました。
 あれから魔神王の行方は全く分かりません。
 王が不在となったため、戦争はヒルデガルドが勝利を掴んだことになり、結果として魔神王は魔王の座から追われることとなりました。結局、彼が何をしたかったのかは未だにわかりません。
 魔神王の領土は結果としてヒルデガルドのものとなりました。他の魔王は領土にそれほど執着はしないので、あっさりとしたものでしたが、彼女はこれから自国の領土を安定させるために奔走することとなり、暫くはこちらに来られないと仰っていました。
 私――リーゼロッテ・ホムーロスとしてはライバルが減って嬉しい限りなのですが、一つ、厄介なことが起きました。

 お父様――陛下が動いたのです。

「陛下――いまさら今年度の準貴族の叙勲式を行うというのは本当ですか!?」

 王の書斎に入った私は、目の前の六十歳に近いとは思えない、いまだに壮健なその父――陛下の姿を見て尋ねました。
 帝国との戦争が行われていた時代、ホムーロス王国は、グルマク帝国に対抗するために優秀な人材を速やかに集める必要がありました。そのため、地方を治める領主たちに、準貴族と呼ばれる士爵、准男爵(女准男爵を含む)について一定数、王の代理で爵位を授与する許可が与えられていました。
 それは貴族に力を与えすぎる行為として中央議会からの反発もあったが、しかし、これまでも領主貴族から推薦された準貴族候補の九割以上が、そのまま爵位を授与されていたという事実もあり、結局、強硬されることとなりました。
 その目論見は結果としてはうまくいきました。
 優秀な人間に対し、「準貴族に推薦するから配下になれ」と可能性の話として交渉するのと「準貴族に取り立ててやるから配下になれ」と確定した話として交渉するのでは、当然言葉の重みが違いますから当然ですわね。
 それに、力を持たせすぎると言っても、その数には限りがありますし、現在は王国内も安定しています。最大の貴族派閥であったタイコーン辺境伯が私と愛しのクルト様に忠誠を誓った現在となっては、貴族が反乱を起こすことなどまずないでしょう。

「ああ、そう言った。何か問題があるかね?」
「陛下は貴族との関係を壊すつもりですか?」

 いまや、准男爵の爵位授与は、貴族にとって権利の一つになっている。
 元々、戦争時の緊急措置とはいえ、戦争が終わって二十年経ったいまになってその権利を奪うとなれば、貴族の反発は必至です。

「そうは言っていない。貴族にはこれまで通り、一定数の準貴族に爵位を授与する権利を与えるつもりだ。だが、あくまで彼らが行っている爵位の授与は王の代理での行い。彼らの忠誠は王である儂に向けられないといけない。そのためには授与式を儂が行わなければならないのだ」

 陛下の言葉はもっともに聞こえる。
 いまでも多くの貴族は授与式で王から言葉を直接賜り、その忠誠を誓う。

「本当にそれだけが理由ですか?」

 私は思わずそう尋ねた。

「本当の理由を聞きたいかね?」

 陛下はまるで私の言葉を待っていたかのようにそう言うと、椅子から立ち上がり、私に背を向けた。

「クルト・ロックハンス士爵と言ったか」
「――っ!?」 

 私の心臓が激しく痛む。
 クルト様のことがお父様の耳に――いいえ、確かにこれまでクルト様の行いを考えると、知られていない方がおかしいと思っていましたが。

「リーゼロッテ。お前が懸想している相手だな」
「………………」

 その通りだと答えたいが、そうなると、クルト様の身に危険が及びそうです。
 しかし、好きではないなどと、たとえこの身が裂けても言えません。
 そんな私の葛藤を見抜いたのか、陛下は信じられない言葉を発しました。

「安心しろ、子供のままごとにとやかく言うつもりはない」

 子供のままごと――っ!? 
 私のクルト様への思いを子供のままごとですってっ!?
 いくらお父様といえど、いくら陛下の言葉といえど、それは許せません――が、ここで私が癇癪を立てたりしたら聞くべき話が聞けません。

「陛下、もう少しはっきりと仰ってくださいませんか? 一体何のためにこのようなことを?」
「とやかく言うつもりはないが、娘が惚れた相手だ。一回会ってみたかったんだもん」

 だもんって……あぁ、もう。
 陛下はこういう人だってわかっていたからクルト様のことは話したくなかったんですわ。

「やはりそういう理由ですか! いい加減、娘離れなさってください! もしくは構うならイザベラになさってください」
「いや、儂もそうしたかったんだけどさ、イザドーラっていまあんな状態でしょ? それでイザベラを引き離すのは気が引けてね。かといって、幽閉している塔に儂が何度も足を運ぶと宰相がうるさくて。本当は妻にもっと会いたいのに」

 陛下が我儘モードの口調になりました。
 実の父といえど、いえ、実の父だからこそ、子供のようなその口調には気が滅入るものがあります。
 まぁ、陛下が寂しい気持ちはわかります。

 陛下には三人の女性と婚姻を結んだことがあります。

 第一王妃のバイオレット義母様。
 陛下の正室であり、私の三人の兄と二人の姉の実母です。
 次期国王もその三人の兄のうちの誰かが継ぐことがほぼ決まっているため、この国で陛下に次ぐ権力の持ち主です。
 元々は父にとって従妹であり、私にとっては従妹叔母にあたります。そのため、幼いころから兄妹のように育ったと聞きます。元々外交的な性格であり、一年の半分以上は陛下そっちのけで外遊の旅に出ており、いまも不在です。

 第二王妃のフランソワーズ母様。
 私の実母であり、グルマク帝国の皇帝の娘です。記憶の中の人は無茶苦茶な人だった印象ですが、しかしながら誰からも愛される人柄の持ち主で、陛下からも多くの寵愛を得ていたと聞いています。
 私しか生まれなかったのは不思議でならないほどに。
 いまは故人です。

 第三王妃のイザドーラ義母様。
 イザドーラ義母様は弟のヴィトゥキントの行いが明らかになり幽閉されています。直接見たわけではありませんが、権力争いから解放されたイザドーラ義母様は、どこか憑き物が落ちたみたいに落ち着いた様子なのだとか。

 そのため、三人の妻には滅多に会えない状態。

「二人の娘も既に嫁いでしまい、イザベラにも会えない。だから、リーゼロッテ、お前しかいないんだ」
「そんなことで王権を私利私欲のために乱用なさらないでください! 王の特権は臣民のために使うものですわ!」

 あら? ユーリさんが「お前が言うなっ!」とどこかで仰っている気がしますが、気のせいですわね。

「リーゼロッテ。これは既に決まったことだ。議会の承認も得ている」
「くっ……」

 そうなのです。
 私が過去のハスト村に行っている間に、この準貴族の叙勲式に関する法案は議会に提出され、承認を得ているのです。
 いまさら私が何を言ったところで、この決定が覆るにはそれなりの時間が必要になり、その間に叙勲式は終わってしまうのです。

「わかりましたわ。失礼します」
「どこに行く?」
「城下町で用事を済ませてからヴァルハに戻りますわ。私は仮にも太守代行なのですから」
「……仮初の太守を立てておいて代行もなにもないだろう」

 やはりリクト様が架空の人物であることもご存知なのですわね。
 優秀な諜報員であっても見抜かれない対策はしていますが、お父様直属の暗部組織であるグリムリッパー相手ならばそうはいきませんか。

「それより、どうだ? 今夜一緒に食事でも」
「結構です」

 私はそう言うと執務室を出ました。
 これから、叙勲式に対する対策を立てなければなりません。

 この物語はクルト様を叙勲式という名の陛下の罠から守る、王女である私の物語です。

   ※※※

 私は馬車に乗って、目的の仕立て屋に向かいました。
 王都の大通りはいつにも増して祭り騒ぎとなっています。
 それも無理はありません。
 正式に発表されていないにも関わらず、国民の間では、既にホムーロス王国と魔族との間で終戦協定が行われるという話が広まっているのですから。
 これまで人類に積極的に敵対していた魔神王の国の滅亡。
 また、好戦的であった獣王も、ヴァルプルギスナハトでの失態で老帝に借りがある状態であるため、人族との和平について積極的に異論を唱えることができない状態。魔竜皇は我感知せずの中立魔族でありますから、人族との終戦は間違いなくなされるでしょう。
 大森林の利権についても、先の戦争でこちらが人員を派遣したことから、かなりの領土の割譲はなされるでしょうが、もっともあの森は魔領に属さない野生の魔物も多くいますから、簡単に資源の活用はできないでしょうね。
 懸念する点と言えるのは、戦争が終わればヴァルハへの防備に関する支援が減額、または打ち切られるでしょうが、そこはクルト様の工房が町に支払っている税金を運用すればなんとでもなります。
 アルレイド様はどこか別の砦に派遣されるかもしれませんが。

 馬車が止まり、私は仕立て屋の中に入りました。
 上級貴族を含め一部の特権階級の人間しか入ることが許されない店であり、たとえ士爵であるクルト様であっても入ることが許されない場所なのですが、それでも客足が途絶えることはほとんどありません。
 ですが、今日は私以外の客の姿はどこにも見当たりませんでした。

 あなた、クルト様はどちらにいらっしゃいますか?

 と店員に尋ねる必要はありません。
 このような室内であれば、《感覚強化ロングセンス》の魔法で嗅覚を強化しなくても、クルト様の匂いを辿って行けます。
 ふむ、あそこですわね。

 クルト様、お待たせしました。

 私はそう心の中で言って、クルト様が入っているであろう試着室のカーテンを無言で捲りました。

「あっ!? リーゼさん、すみません着替え中です」

 そこにはちょうどシャツを脱いだばかりのクルト様の姿が。
 クルト様が慌ててシャツで前を隠したのは残念ですが、鏡越しに見えるクルト様の背中も素敵です。
 機密費を使い、この日のために、試着室の壁を曇り一つない最高品質の鏡張りの壁に変えさせたのは正解でしたわ。

「あら、着替え中でしたか。失礼いたしました」

 私はそう言って、クルト様の背中をこの目に焼き付けます。
 まだです、まだ鼻血を出してはいけません。
 もしもここで私がなにか粗相をしてしまえば、私のことを心配するクルト様がお着替え会――ではなく、今度叙勲式に行くための服の試着をやめて私の看病をしてしまいます。
 クルト様に看病されるのは僥倖なのですが、しかし今回、優先すべきは別にあります。

「あの、カーテンを閉めてくれませんか?」
「たびたび失礼しました」

 私はそう言ってカーテンを閉めました。

「……あの、中に入ってからカーテンを閉めるのは何故ですか?」

 クルト様が少し困ったように言いました。

「せっかくですから、着替えを手伝わせていただこうと思いまして」
「一人で着替えられますよ」
「まぁまぁ。クルト様、こういう服を着こなすには手順がありますのよ? クルト様は慣れていらっしゃらないでしょうから手伝わせていただきます。変な服装で叙勲式に出たら、陛下に失礼ですわよ?」
「……お願いします」

 クルト様が私の屁理屈――ではなくて、申し出を受け入れてくださいました。
 これは役得ですわ。

 私は顔の可愛さに反し、しっかりと筋肉質なクルト様の背中に顔をうずめたく衝動を抑えながらも、クルト様に貴族の服の着方をレクチャー致しました。
 クルト様は直ぐに服の着方をマスターしました。

 普段の冒険者服のクルト様やエプロン姿のクルト様、メイド服姿のクルト様も素敵ですが、この貴族の服装も素敵ですわ。

「でも、本当に試着だけでなにも買わなくていいんですか?」

 クルト様が私に背を向けたまま仰いました。

「いいのです。クルト様、この店の服の値段を見ましたでしょ?」
「そうですが……でも、この店って他に客がいないようですし、申し訳ないんですよね」
「問題ありませんわ。貴族は現在、午後の紅茶アフタヌーンティーの時間ですから客がいないだけです」

 クルト様が現在着ている服でも、その値段は金貨五十枚します。
 もちろん、クルト様のハロワにある貯金残高は天文学的数字になっているため、金貨五十枚程度払えないわけはないのですが、しかしこの店の服の最高品質と比べても、同じような服をクルト様が自ら仕立てたほうがいい服が仕上がります。
 本来、このような店に入って試着だけで済ませるなど恥ずかしい行為ですが、王女の特権を利用し、店を貸し切りにすることで、クルト様に恥ずかしい思いをさせずに済ませています。それと、クルト様のことはこの店の人間に、普通に服を買った方が安くつくと思えるほどのチップを渡していますから、クルト様のことが口外される恐れはありません。

「そうですか……あの、リーゼさん。僕の服、おかしくありません……リーゼさんっ!? 大丈夫ですかっ!?」

 クルト様が振り向きざまにそう尋ねました。

「もちろん、大丈夫ですわ」
「鼻血が出ていますよっ!?」

 クルト様の滅多にみられないお姿、鼻血を出すなという方が無理というものです。むしろ、この時のために骨髄の造血幹細胞は血液を作り貯めているのですから。限界などとっくに超えています。これだけでパン三斤は食べられますわ。ご馳走様です。
 そうですわ、このクルト様の姿を見れば、いかに娘を溺愛している陛下といえども、

『なんと素晴らしい少年だ! ぜひ息子にしたい! そうだ、リーゼロッテの婿にしよう!』

 と言い出すはずです。

×この物語は叙勲式という名の陛下の罠から守る、王女である私がクルト様とともに奮闘する物語です。
〇この物語は叙勲式という名の千載一遇の機会に、王女である私がクルト様と次の展開に進む物語です。

 ふふふ、これは忙しくなりそうですわ。
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