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キャンディ売りの少女
(14)導かれた結論
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キャンディ売りの少女、マリエに魔法の万年筆を売らせたレオと名乗る男の正体は、結局わからずじまいだった。
「あの黒いコートの女たちが介入してなければ、白いスーツの男は取調べ室に送れたんだがな」
アーネットは、暗闇の街道を魔法の杖で照らしながら歯がゆそうにぼやいた。レオやコートの女たちの靴跡は残っているが、その程度では追跡の役には立たない。ナタリーは仕方ないといった風に、レオの頭から取った白いハットを眺めた。
「こんな帽子ひとつじゃ、追う手がかりにもならないわね」
「まあ、ないよりマシだ。それより、君が記録した、指紋や人相の方が役には立つだろう」
アーネットはナタリーからハットを預かると、カミーユを向いた。
「カミーユ、戦闘でお疲れのところ大変申し訳ないんだが」
「わかってます」
カミーユは笑うと、銀の杖をくるりと回した。杖の先端から現れた光球が地面に落ちると、そこを中心に真っ白なサークルが広がり、その場にいた三人を取り囲む。次の瞬間には、三人の姿はサークルとともに消え去ってしまったのだった。
少女マリエの住む屋敷で待機しているブルー、ジリアン、ミランダの三人は、不安そうに階段横の椅子に座るマリエを保護しつつ、大人組からの連絡を待っていた。
魔法の万年筆から生まれた謎の魔法の蛇は、いつの間にか消え去っており、ブルーは不思議がった。
「どういう事なんだろう。今まで押収した万年筆が、あんなことになった例はない」
「あの蛇、明らかにマリエちゃんを守るような動きしてたわよね」
ジリアンの指摘に、三人の視線がマリエを向いた。マリエは、怯えるように肩を縮める。
「わ、私は…」
「あまり、マリエさんを不安にさせない方がよいかと思います」
やわらかな声で、ミランダは他の二人を制した。
「今日のところは、マリエさんを休ませて差し上げるべきでしょう」
「うん、そうだね」
ジリアンも頷き、マリエの前に跪いた。
「マリエちゃん、ブルーから事情は聞いたわ。いま、お家の人がいないのよね。迷惑でなければ、私達にあなたの事、護衛させてくれないかな」
その申し出に、マリエの目がかすかに輝いた。
「…いいの?」
「もちろんよ。お母さん達が退院して屋敷に戻ってくるまで、私とミランダが、あなたを守る」
「ありがとう!」
マリエが好意を素直に受け取ってくれた事に、ジリアンは安堵した。魔女が二人いれば、歩兵師団が屋敷を守るより頼もしい。
「何なら、こいつも貸してやるけど」
ブルーが、ようやく落ち着いて座り込むライトニングの首をマリエに向けた。マリエは、ほとんど狼のライトニングを怖がる様子はないようだった。
「ほんと?」
「うん、こいつがいれば怖いものなしだよ」
「やった!ライトニング、よろしくね!」
マリエに抱きつかれ、ライトニングは上機嫌そうに尻尾を振った。やっぱり女の子に可愛がってもらうのが、一番楽しいようである。
「マリエちゃん、もう今日は眠りなさい。疲れたでしょう」
ジリアンはそう言ってミランダと頷き合うと、マリエをゆっくり立たせて背中を支えた。
「寝室はどっち?」
「こっち」
マリエはジリアンと手をつないで、階段を上がっていった。二階の奥まで足音が遠ざかる様子から、思っているより大きな屋敷らしいとブルーは思った。
かすかに寝室のドアが閉じられる音を確認すると、ブルーはミランダに訊ねた。
「君は見てないと思うけど、魔法の万年筆から蛇が生まれるなんて事、あると思う?」
ミランダは、珍しく難しい顔をして考え込んだものの、見当もつかない、といった様子で肩をすくめた。
「例の、白いコートの男はどうなのですか。それについて、何か知っていた様子を見せたとか」
「ああ。レオ、とか名乗ってたな。魔法の蛇が何なのかは知っているらしいけど、それが出現した事は奴の予想を超えていたらしい」
「あなたの知識には、説明がつきそうな情報はないのですか」
ミランダは遠回しに、今いる面子の中で最も広範な魔法の知識を有しているのはブルーだろう、と言っているのだ。だが、ブルーがいかに優れた少年魔導師であろうと、知らないものは知らないのである。
「カミーユに聞けばわかるんじゃないのかな」
「案外プライドないんですね」
ブルーがジロリとミランダを見たタイミングで、窓の外に一瞬、白い光が現れた。
「噂をすれば、ですね」
「片付いたのかな」
アーネット、ナタリー、カミーユの三人は、瞬間移動魔法によってリンドン市外の街道から、一瞬でマリエの屋敷に現れた。アーネットは、怪訝そうにカミーユを見る。
「なあ、俺カミーユにこの屋敷の場所、教えてないよな」
「はい。ですから、あなたの意識の中にある情報を拝借したんです」
そんなの考えるまでもない、とでも言わんばかりのカミーユの微笑みに、アーネットもナタリーも背筋が寒くなる思いがした。つまりカミーユはその気になれば、目の前にいる人間が知っている場所に、好き勝手に移動できるという事である。その懸念をフォローするようにカミーユは笑った。
「ご安心ください、私利私欲のためにこの魔法を使う事は、私達は特に厳しく禁じられておりますので」
それは、いくらか話がわかるギャングの若頭が「カタギの人間に手出しはしません」と言っているのと、同じようにしか聞こえないのだった。
そこへ、待ちくたびれたような顔をして、ブルーとミランダが屋敷から現れた。
「捕まえたの?あの男」
魚は釣れたか、とでもいうような調子でブルーが訊ねると、大人組は揃って申し訳なさそうな顔をした。
「駄目だったか」
「すみません、邪魔が入ったせいで…というのは、言い訳ですね」
カミーユは頭を下げる。ブルーは、レオを逃した事よりもそっちの方が気になった。
「邪魔?」
「ああ。謎の、黒いコートの女たちだ」
「なんだって?」
ジリアンを除く全員が、マリエの屋敷のエントランスに集まった。カミーユは万年筆から現れた謎の蛇によって割られた窓を、魔法で何事もなかったように修復してみせ、ブルーは自分との実力差に嘆息していた。
「なるほど。そんな奴らが現れたのか」
街道での出来事の説明を受け、ブルーとミランダは頷きながらも、進展を見せる状況にあれこれと思考をめぐらせた。
「その黒いコートの女達もまた、魔法の万年筆の流通に関わっているのは間違いないでしょうね」
ミランダの意見に、異論をはさむ者はいない。マリエにあの万年筆を預けたのが、白いスーツのレオと名乗る男である以上、それは自明の理であった。
「だけど、ひとつ気になる事を彼女たちは、あの男に言っていたわ。"遊びはほどほどにしろ"って」
ナタリーの指摘に、カミーユとアーネットも頷いた。
「確かに聞きました」
「ああ。つまり、あのレオとかいう男の行動は、少なくとも奴らの目的にとって、必須の行動ではなかった、という事になる」
「となると、やはりあの万年筆は用途がない欠陥品だった、という事なのでしょうか」
カミーユが顎に指をあてて考え込む。そこへ、ブルーが意見をはさんだ。
「ちょっと待って。実は、さっきマリエちゃんから、驚く事を聞いたんだ」
ブルーは、どうやらマリエ自身が魔法らしき力を発動させたらしいと、マリエの口から聞き取った事をアーネット達に伝えた。
「僕達はその場面を見てないから、それが本当かは判断のしようがない。けど、マリエちゃんを信用するのなら、彼女はレオから渡されたこの杖で、魔法を発動させて奴の攻撃を防いでみせたらしい」
「そんな事、あり得るの?彼女はただの一般人のはずよね」
ナタリーの疑問はもっともだったが、ブルーは話を続けた。
「じつは、それに合わせてひとつ気になることをレオが言っていたらしい。僕らが、失敗作と呼んでいた例の魔法の万年筆だけど、奴の言い分によると、あの万年筆には最初から魔法なんか封じられていなかった、というんだ」
「なんだと?」
アーネットが、まさかという顔をブルーに向けた。
「そんなこと、あり得るはずないだろう。俺たちは何件も、あの万年筆が引き起こした現象、事件を目の当たりにしたはずだ」
「そうなんだよなあ」
アーネットとブルーが唸っているところへ、カミーユが意見を述べた。
「ちょっと待ってください。いま、改めて気付きました。冷静に考えると、おかしくありませんか」
何がだ、という視線がカミーユに集中する。ナタリーが訊ねた。
「おかしいって、何が?」
「その、マリエという少女のことです。なぜ、あのレオという男は、わざわざマリエにあの万年筆を託したのでしょうか」
その問いひとつで、ブルーとアーネットは何か疑問がひとつ解けたように「あっ」と顔を見合わせた。
「なるほど」
「そういえばそうだ」
頷く二人に、カミーユが続ける。
「そうです。あの万年筆で愉快犯的に事件を誘発させるのが目的なのであれば、わざわざキャンディ売りの少女を仲介させる必要はない筈なんです」
それはカミーユが初めて見せる、探偵としての顔だった。それが新鮮なのか、ブルーはカミーユの話を黙って聞いていた。
「確かにそうだ。そもそも売れるかどうかもわからないものを預けるくらいなら、自分で誰かに格安で売るなり、手渡すなりした方が確実だ」
「そうなんです。それをマリエの話と併せると、何か見えてきませんか」
その場にいる刑事と探偵が揃ってあれこれ考えているところへ、階段を鳴らさないよう忍び足でジリアンが降りてきた。
「しーっ。マリエちゃん寝ちゃったから、会議はよそでやってちょうだい」
マリエのにわかメイドを引き受けたジリアンが、人差し指を唇に当てて一同を睨む。その様子を、不覚にも可愛いと思ってしまったブルーであった。
「今日は解散ね」
ナタリーが時計を見る。アーネット達も頷いた。
「ブルー、お前明日は休んでいいぞ。俺が適当に帳尻合わせておく」
やった、とブルーは無言でガッツポーズを取る。だが、すぐに表情を戻して言った。
「休みはもらうけどマリエちゃんも心配だから、外出がてら様子を見に来るよ」
「そうか。助かる」
アーネットは、穴が開いてしまったお気に入りのジャケットを肩にかけた。
「カミーユ。何日か私とジリアンが交替で、マリエさんのガードにつきたいのですが、よろしいですか」
ミランダの申し出に、カミーユは笑って頷いた。
「いいですよ。出勤扱いにしておきます」
なんと話のわかる上司だと、普段何かと上官から煙に巻かれる事が多い刑事たちは、聞きながら思った。
その夜はとりあえずジリアンがマリエ宅に泊まる事にして、一同はようやく長い一日を終え、帰途についたのだった。
石で組まれた暗い広間の中央に、白いスーツの男が跪いていた。彼の前には血のように真っ赤なクロスがひかれたテーブルがあり、そこに黒いフードを被った、三人の人物の影があった。
「報告は聞いた」
左端の人物が、やや乾いた女性の声で言った。燭台の弱い灯りでは、表情までは見えないが、スーツの男レオは震えていた。
「お前を自由にさせすぎたと、我々も反省している。あやうく警察の手に落ちかけたとなると、看過はできない」
レオは無言だった。ただ、黙って沙汰を受け入れる様子である。
「だが、お前は数少ない、力ある貴重な存在でもある。たとえ、カミーユ・モリゾには遠く及ばぬとしてもな」
その言葉は、恐怖よりもレオには堪えたようだった。下唇を噛み、顔の筋肉が引きつった。フードの女性はそれを無視して話を続ける。
「研究を続ける事は許可する。しかし今回のように、魔法捜査課に勘付かれるようなやり方は、今後は控えよ」
「は…はっ」
「今回目をつけた少女も、すでに魔法捜査課や、あのカミーユの息がかかっていよう。これ以上関わるのは危険だ。よいか」
レオは、深く頭を下げる。フードの女性は、それを見て頷いた。
「ついでに、忠告しておこう。魔法捜査課を侮ってはならぬ。奴らの魔法の実力はカミーユには及ぶまいが、奴らは警察と、おそらくは背後にいるであろう魔女どもに選ばれた者達だ、という事実は、忘れてはならぬ」
その言葉にも、レオは反応した。
「そっ、それは、どのような意味で…」
「魔女は無意味な人選はしない。今言えるのは、それだけだ」
その言葉に、レオはただ黙って頷いた。それ以上の疑問を述べる勇気は、彼にはなかった。
「よかろう。立て」
言われて、レオはカミーユにダメージを負わされた脚でヨロヨロと立ち上がる。すると、右端のフードの人物がレオに杖を向け、短い呪文を詠唱した。
「うっ!」
突然、レオが胸を押さえて苦しみ始めたかと思うと、全身を鈍い虹色のオーラが包んでいった。すると、たちまちレオの姿は、白いドレス姿の少女に変わってしまったのだった。
「お前もよくよく酔狂よの。わざわざ、あのような貧相な男に化けて活動せずともよかろう」
白い肌の少女は、その黒く真っ直ぐな髪を垂らして胸を押さえた。薄いブルーの瞳が、フードの女物たちを睨む。
「そのように恐い顔をするでない。聞きわけたのなら下がってよい、パトリシア」
黒髪の少女パトリシアは恨めしそうな表情のまま、黙って暗い石造りの広間を退出した。
翌日、魔法捜査課はブルーを除いた二名だけが出勤していた。幸いというか、疲労がたまっているものの、取り立てて事件などが舞い込んでいる様子はない。アーネットとナタリーは、紅茶を飲みながら前日の労苦をねぎらい合った。
「大変な休日だった。君にまで面倒かけて、済まなかったな、ナタリー」
「どういたしまして。貸しにしとくから、気にしないで」
「気遣うのか恩を着せるのか、どっちかに統一しろ」
いつものやり取りのあと、アーネットはカップを置いて本題に入った。
「昨夜の、カミーユの推理の件だがな。考えてみた」
「真面目なこと。で?何かわかったのかしら、名探偵さん」
「例によって、確証はないがな」
アーネットは、サンプルとしてデスクに入れてある魔法の万年筆を一本取り出し、クルクルと回してみせた。
「マリエの話だと、あのレオって男は、マリエに手渡した万年筆には魔法など封じられていなかった、と言っていたらしい」
「ええ」
「しかし、現実に魔法は発動し、様々な現象が起きた。看板が落ちたり、文字が書き換えられたりだ」
アーネットは、紅茶を一口飲んで続けた。
「そうなると、封じられていなかったはずの魔法が、一体どこからあの万年筆に封じられたのか、という話になる。しかも、全てコントロールがきかない、不完全な魔法だ」
「…ちょっと待って」
ナタリーも何か気付いたように、下を向いて考えた。
「マリエが魔法を放ったっていう話もあったわよね」
「ああ。レオによって、使わざるを得ないような状況に追い込まれた末の発動だったらしい」
「つまり、マリエには最初から魔女としての素養があった、という事になるわ」
それは、状況から考えて当然の結論だった。ナタリーはそこまで言って、ハッと気づいてアーネットを見る。
「まさか…」
「そういう事だ。それ以外には、考えられん」
その日の昼前、ブルーはひとりマリエの屋敷を訪れた。すでに一晩でマリエのメイドが板についてきている、ジリアンが出迎える。エプロンを下げ、いつもより家庭的な印象だった。
「あら、来てくれたのね、アドニス君」
「うん。マリエちゃんの様子は?」
「ええ、意外なくらいしっかりしてるわ。寝不足気味だけど」
それはそうだろうな、とブルーは思った。子供がとっくに寝ているはずの時間に、謎の魔法使いが現れたり、大変な目に遭ったのだ。13歳のブルーでもそれなりにキツイので、9歳の少女は言わずもがなである。
「意外なくらいしっかりしてる、か」
何やら思わせぶりなブルーに、ジリアンは訝し気な目を向ける。
「なに?」
「うん。マリエが魔法を使った、っていう話、聞いただろ」
「ええ。現場は見てないから、何とも言えないけど」
「今しがた、アーネットと魔法電話で話したんだけどね。カミーユも僕も、同じ結論に辿り着いた」
それは、ジリアンにとって驚きの内容であった。
「あの黒いコートの女たちが介入してなければ、白いスーツの男は取調べ室に送れたんだがな」
アーネットは、暗闇の街道を魔法の杖で照らしながら歯がゆそうにぼやいた。レオやコートの女たちの靴跡は残っているが、その程度では追跡の役には立たない。ナタリーは仕方ないといった風に、レオの頭から取った白いハットを眺めた。
「こんな帽子ひとつじゃ、追う手がかりにもならないわね」
「まあ、ないよりマシだ。それより、君が記録した、指紋や人相の方が役には立つだろう」
アーネットはナタリーからハットを預かると、カミーユを向いた。
「カミーユ、戦闘でお疲れのところ大変申し訳ないんだが」
「わかってます」
カミーユは笑うと、銀の杖をくるりと回した。杖の先端から現れた光球が地面に落ちると、そこを中心に真っ白なサークルが広がり、その場にいた三人を取り囲む。次の瞬間には、三人の姿はサークルとともに消え去ってしまったのだった。
少女マリエの住む屋敷で待機しているブルー、ジリアン、ミランダの三人は、不安そうに階段横の椅子に座るマリエを保護しつつ、大人組からの連絡を待っていた。
魔法の万年筆から生まれた謎の魔法の蛇は、いつの間にか消え去っており、ブルーは不思議がった。
「どういう事なんだろう。今まで押収した万年筆が、あんなことになった例はない」
「あの蛇、明らかにマリエちゃんを守るような動きしてたわよね」
ジリアンの指摘に、三人の視線がマリエを向いた。マリエは、怯えるように肩を縮める。
「わ、私は…」
「あまり、マリエさんを不安にさせない方がよいかと思います」
やわらかな声で、ミランダは他の二人を制した。
「今日のところは、マリエさんを休ませて差し上げるべきでしょう」
「うん、そうだね」
ジリアンも頷き、マリエの前に跪いた。
「マリエちゃん、ブルーから事情は聞いたわ。いま、お家の人がいないのよね。迷惑でなければ、私達にあなたの事、護衛させてくれないかな」
その申し出に、マリエの目がかすかに輝いた。
「…いいの?」
「もちろんよ。お母さん達が退院して屋敷に戻ってくるまで、私とミランダが、あなたを守る」
「ありがとう!」
マリエが好意を素直に受け取ってくれた事に、ジリアンは安堵した。魔女が二人いれば、歩兵師団が屋敷を守るより頼もしい。
「何なら、こいつも貸してやるけど」
ブルーが、ようやく落ち着いて座り込むライトニングの首をマリエに向けた。マリエは、ほとんど狼のライトニングを怖がる様子はないようだった。
「ほんと?」
「うん、こいつがいれば怖いものなしだよ」
「やった!ライトニング、よろしくね!」
マリエに抱きつかれ、ライトニングは上機嫌そうに尻尾を振った。やっぱり女の子に可愛がってもらうのが、一番楽しいようである。
「マリエちゃん、もう今日は眠りなさい。疲れたでしょう」
ジリアンはそう言ってミランダと頷き合うと、マリエをゆっくり立たせて背中を支えた。
「寝室はどっち?」
「こっち」
マリエはジリアンと手をつないで、階段を上がっていった。二階の奥まで足音が遠ざかる様子から、思っているより大きな屋敷らしいとブルーは思った。
かすかに寝室のドアが閉じられる音を確認すると、ブルーはミランダに訊ねた。
「君は見てないと思うけど、魔法の万年筆から蛇が生まれるなんて事、あると思う?」
ミランダは、珍しく難しい顔をして考え込んだものの、見当もつかない、といった様子で肩をすくめた。
「例の、白いコートの男はどうなのですか。それについて、何か知っていた様子を見せたとか」
「ああ。レオ、とか名乗ってたな。魔法の蛇が何なのかは知っているらしいけど、それが出現した事は奴の予想を超えていたらしい」
「あなたの知識には、説明がつきそうな情報はないのですか」
ミランダは遠回しに、今いる面子の中で最も広範な魔法の知識を有しているのはブルーだろう、と言っているのだ。だが、ブルーがいかに優れた少年魔導師であろうと、知らないものは知らないのである。
「カミーユに聞けばわかるんじゃないのかな」
「案外プライドないんですね」
ブルーがジロリとミランダを見たタイミングで、窓の外に一瞬、白い光が現れた。
「噂をすれば、ですね」
「片付いたのかな」
アーネット、ナタリー、カミーユの三人は、瞬間移動魔法によってリンドン市外の街道から、一瞬でマリエの屋敷に現れた。アーネットは、怪訝そうにカミーユを見る。
「なあ、俺カミーユにこの屋敷の場所、教えてないよな」
「はい。ですから、あなたの意識の中にある情報を拝借したんです」
そんなの考えるまでもない、とでも言わんばかりのカミーユの微笑みに、アーネットもナタリーも背筋が寒くなる思いがした。つまりカミーユはその気になれば、目の前にいる人間が知っている場所に、好き勝手に移動できるという事である。その懸念をフォローするようにカミーユは笑った。
「ご安心ください、私利私欲のためにこの魔法を使う事は、私達は特に厳しく禁じられておりますので」
それは、いくらか話がわかるギャングの若頭が「カタギの人間に手出しはしません」と言っているのと、同じようにしか聞こえないのだった。
そこへ、待ちくたびれたような顔をして、ブルーとミランダが屋敷から現れた。
「捕まえたの?あの男」
魚は釣れたか、とでもいうような調子でブルーが訊ねると、大人組は揃って申し訳なさそうな顔をした。
「駄目だったか」
「すみません、邪魔が入ったせいで…というのは、言い訳ですね」
カミーユは頭を下げる。ブルーは、レオを逃した事よりもそっちの方が気になった。
「邪魔?」
「ああ。謎の、黒いコートの女たちだ」
「なんだって?」
ジリアンを除く全員が、マリエの屋敷のエントランスに集まった。カミーユは万年筆から現れた謎の蛇によって割られた窓を、魔法で何事もなかったように修復してみせ、ブルーは自分との実力差に嘆息していた。
「なるほど。そんな奴らが現れたのか」
街道での出来事の説明を受け、ブルーとミランダは頷きながらも、進展を見せる状況にあれこれと思考をめぐらせた。
「その黒いコートの女達もまた、魔法の万年筆の流通に関わっているのは間違いないでしょうね」
ミランダの意見に、異論をはさむ者はいない。マリエにあの万年筆を預けたのが、白いスーツのレオと名乗る男である以上、それは自明の理であった。
「だけど、ひとつ気になる事を彼女たちは、あの男に言っていたわ。"遊びはほどほどにしろ"って」
ナタリーの指摘に、カミーユとアーネットも頷いた。
「確かに聞きました」
「ああ。つまり、あのレオとかいう男の行動は、少なくとも奴らの目的にとって、必須の行動ではなかった、という事になる」
「となると、やはりあの万年筆は用途がない欠陥品だった、という事なのでしょうか」
カミーユが顎に指をあてて考え込む。そこへ、ブルーが意見をはさんだ。
「ちょっと待って。実は、さっきマリエちゃんから、驚く事を聞いたんだ」
ブルーは、どうやらマリエ自身が魔法らしき力を発動させたらしいと、マリエの口から聞き取った事をアーネット達に伝えた。
「僕達はその場面を見てないから、それが本当かは判断のしようがない。けど、マリエちゃんを信用するのなら、彼女はレオから渡されたこの杖で、魔法を発動させて奴の攻撃を防いでみせたらしい」
「そんな事、あり得るの?彼女はただの一般人のはずよね」
ナタリーの疑問はもっともだったが、ブルーは話を続けた。
「じつは、それに合わせてひとつ気になることをレオが言っていたらしい。僕らが、失敗作と呼んでいた例の魔法の万年筆だけど、奴の言い分によると、あの万年筆には最初から魔法なんか封じられていなかった、というんだ」
「なんだと?」
アーネットが、まさかという顔をブルーに向けた。
「そんなこと、あり得るはずないだろう。俺たちは何件も、あの万年筆が引き起こした現象、事件を目の当たりにしたはずだ」
「そうなんだよなあ」
アーネットとブルーが唸っているところへ、カミーユが意見を述べた。
「ちょっと待ってください。いま、改めて気付きました。冷静に考えると、おかしくありませんか」
何がだ、という視線がカミーユに集中する。ナタリーが訊ねた。
「おかしいって、何が?」
「その、マリエという少女のことです。なぜ、あのレオという男は、わざわざマリエにあの万年筆を託したのでしょうか」
その問いひとつで、ブルーとアーネットは何か疑問がひとつ解けたように「あっ」と顔を見合わせた。
「なるほど」
「そういえばそうだ」
頷く二人に、カミーユが続ける。
「そうです。あの万年筆で愉快犯的に事件を誘発させるのが目的なのであれば、わざわざキャンディ売りの少女を仲介させる必要はない筈なんです」
それはカミーユが初めて見せる、探偵としての顔だった。それが新鮮なのか、ブルーはカミーユの話を黙って聞いていた。
「確かにそうだ。そもそも売れるかどうかもわからないものを預けるくらいなら、自分で誰かに格安で売るなり、手渡すなりした方が確実だ」
「そうなんです。それをマリエの話と併せると、何か見えてきませんか」
その場にいる刑事と探偵が揃ってあれこれ考えているところへ、階段を鳴らさないよう忍び足でジリアンが降りてきた。
「しーっ。マリエちゃん寝ちゃったから、会議はよそでやってちょうだい」
マリエのにわかメイドを引き受けたジリアンが、人差し指を唇に当てて一同を睨む。その様子を、不覚にも可愛いと思ってしまったブルーであった。
「今日は解散ね」
ナタリーが時計を見る。アーネット達も頷いた。
「ブルー、お前明日は休んでいいぞ。俺が適当に帳尻合わせておく」
やった、とブルーは無言でガッツポーズを取る。だが、すぐに表情を戻して言った。
「休みはもらうけどマリエちゃんも心配だから、外出がてら様子を見に来るよ」
「そうか。助かる」
アーネットは、穴が開いてしまったお気に入りのジャケットを肩にかけた。
「カミーユ。何日か私とジリアンが交替で、マリエさんのガードにつきたいのですが、よろしいですか」
ミランダの申し出に、カミーユは笑って頷いた。
「いいですよ。出勤扱いにしておきます」
なんと話のわかる上司だと、普段何かと上官から煙に巻かれる事が多い刑事たちは、聞きながら思った。
その夜はとりあえずジリアンがマリエ宅に泊まる事にして、一同はようやく長い一日を終え、帰途についたのだった。
石で組まれた暗い広間の中央に、白いスーツの男が跪いていた。彼の前には血のように真っ赤なクロスがひかれたテーブルがあり、そこに黒いフードを被った、三人の人物の影があった。
「報告は聞いた」
左端の人物が、やや乾いた女性の声で言った。燭台の弱い灯りでは、表情までは見えないが、スーツの男レオは震えていた。
「お前を自由にさせすぎたと、我々も反省している。あやうく警察の手に落ちかけたとなると、看過はできない」
レオは無言だった。ただ、黙って沙汰を受け入れる様子である。
「だが、お前は数少ない、力ある貴重な存在でもある。たとえ、カミーユ・モリゾには遠く及ばぬとしてもな」
その言葉は、恐怖よりもレオには堪えたようだった。下唇を噛み、顔の筋肉が引きつった。フードの女性はそれを無視して話を続ける。
「研究を続ける事は許可する。しかし今回のように、魔法捜査課に勘付かれるようなやり方は、今後は控えよ」
「は…はっ」
「今回目をつけた少女も、すでに魔法捜査課や、あのカミーユの息がかかっていよう。これ以上関わるのは危険だ。よいか」
レオは、深く頭を下げる。フードの女性は、それを見て頷いた。
「ついでに、忠告しておこう。魔法捜査課を侮ってはならぬ。奴らの魔法の実力はカミーユには及ぶまいが、奴らは警察と、おそらくは背後にいるであろう魔女どもに選ばれた者達だ、という事実は、忘れてはならぬ」
その言葉にも、レオは反応した。
「そっ、それは、どのような意味で…」
「魔女は無意味な人選はしない。今言えるのは、それだけだ」
その言葉に、レオはただ黙って頷いた。それ以上の疑問を述べる勇気は、彼にはなかった。
「よかろう。立て」
言われて、レオはカミーユにダメージを負わされた脚でヨロヨロと立ち上がる。すると、右端のフードの人物がレオに杖を向け、短い呪文を詠唱した。
「うっ!」
突然、レオが胸を押さえて苦しみ始めたかと思うと、全身を鈍い虹色のオーラが包んでいった。すると、たちまちレオの姿は、白いドレス姿の少女に変わってしまったのだった。
「お前もよくよく酔狂よの。わざわざ、あのような貧相な男に化けて活動せずともよかろう」
白い肌の少女は、その黒く真っ直ぐな髪を垂らして胸を押さえた。薄いブルーの瞳が、フードの女物たちを睨む。
「そのように恐い顔をするでない。聞きわけたのなら下がってよい、パトリシア」
黒髪の少女パトリシアは恨めしそうな表情のまま、黙って暗い石造りの広間を退出した。
翌日、魔法捜査課はブルーを除いた二名だけが出勤していた。幸いというか、疲労がたまっているものの、取り立てて事件などが舞い込んでいる様子はない。アーネットとナタリーは、紅茶を飲みながら前日の労苦をねぎらい合った。
「大変な休日だった。君にまで面倒かけて、済まなかったな、ナタリー」
「どういたしまして。貸しにしとくから、気にしないで」
「気遣うのか恩を着せるのか、どっちかに統一しろ」
いつものやり取りのあと、アーネットはカップを置いて本題に入った。
「昨夜の、カミーユの推理の件だがな。考えてみた」
「真面目なこと。で?何かわかったのかしら、名探偵さん」
「例によって、確証はないがな」
アーネットは、サンプルとしてデスクに入れてある魔法の万年筆を一本取り出し、クルクルと回してみせた。
「マリエの話だと、あのレオって男は、マリエに手渡した万年筆には魔法など封じられていなかった、と言っていたらしい」
「ええ」
「しかし、現実に魔法は発動し、様々な現象が起きた。看板が落ちたり、文字が書き換えられたりだ」
アーネットは、紅茶を一口飲んで続けた。
「そうなると、封じられていなかったはずの魔法が、一体どこからあの万年筆に封じられたのか、という話になる。しかも、全てコントロールがきかない、不完全な魔法だ」
「…ちょっと待って」
ナタリーも何か気付いたように、下を向いて考えた。
「マリエが魔法を放ったっていう話もあったわよね」
「ああ。レオによって、使わざるを得ないような状況に追い込まれた末の発動だったらしい」
「つまり、マリエには最初から魔女としての素養があった、という事になるわ」
それは、状況から考えて当然の結論だった。ナタリーはそこまで言って、ハッと気づいてアーネットを見る。
「まさか…」
「そういう事だ。それ以外には、考えられん」
その日の昼前、ブルーはひとりマリエの屋敷を訪れた。すでに一晩でマリエのメイドが板についてきている、ジリアンが出迎える。エプロンを下げ、いつもより家庭的な印象だった。
「あら、来てくれたのね、アドニス君」
「うん。マリエちゃんの様子は?」
「ええ、意外なくらいしっかりしてるわ。寝不足気味だけど」
それはそうだろうな、とブルーは思った。子供がとっくに寝ているはずの時間に、謎の魔法使いが現れたり、大変な目に遭ったのだ。13歳のブルーでもそれなりにキツイので、9歳の少女は言わずもがなである。
「意外なくらいしっかりしてる、か」
何やら思わせぶりなブルーに、ジリアンは訝し気な目を向ける。
「なに?」
「うん。マリエが魔法を使った、っていう話、聞いただろ」
「ええ。現場は見てないから、何とも言えないけど」
「今しがた、アーネットと魔法電話で話したんだけどね。カミーユも僕も、同じ結論に辿り着いた」
それは、ジリアンにとって驚きの内容であった。
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