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キャンディ売りの少女

(7)蝶ネクタイの御者

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 マリエの案内でアーネット達が訪れたのは、彼女がキャンディを売っているポイントのひとつで、リンドン市警の駐在所が近くにある劇場の脇の小さな公園だった。小川沿いに桜の木が並んでいる。
「ここだよ」
 マリエが示した場所は、道路に近いスペースだった。桜の近くは毛虫が出るので寄りたくないらしい。
「ここで誰かに魔法のペンを売ったの?」
 ブルーが訊ねると、マリエは頑張ってその時の記憶を手繰り寄せてみた。
「うーん、その筈なんだけど。あっ、そうだ。確かここで、高そうなスーツに蝶ネクタイのおじさんに売った記憶がある」
「蝶ネクタイのおじさん?」
 どういう人だろう、とブルーは思った。見当がつく知識がありそうなアーネットを見る。
「蝶ネクタイか。その、おじさんの顔とか、髪型とかは覚えてるかい」
 アーネットの質問に、マリエはピンときたようで次々と記憶を解いていった。こういうのも刑事の話術なんだろうか、とブルーは思う。
「うん、刑事さんよりもっと歳は上の感じ。横に張り出した細いヒゲと、確か髪は黒くて、ペタッと撫でつけてたような記憶がある」
「お金持ちっぽい?」
「お金持ち、なのかな。なんか、そういうのとは違う気もする。高そうな服だったけど」
 マリエの証言をもとに、アーネットは人物像をまとめてみる。このへんの技術は、さすがに刑事十年というところであった。
「つまり、何かお仕事してる人って印象かな」
「そうそう!そんな感じ」
「うん、俺のカンだが…その人、馬車の御者とかじゃないかな」
 そのアーネットのプロファイリングに、少年少女三人は「おおー」と納得する。
「あくまで推測だからな。しかし、ここは劇場も近いし、それなりの身分の人たちの送迎もあるだろう。辻馬車でも、ある程度の身なりをしてないと客が取れないかも知れない」
「このへん、きれいな馬車はよく通るよ」
 マリエの情報を総合すると、おおむねアーネットの推測は当たっているのではないか、と全員が思い始めた。だが、そこでレベッカからツッコミが入る。
「そんな頻繁に馬車が通るなら、その中の一台を特定するのって難しくない?」
「それはそうだ」
 そのへんどうなんですか、と少年少女たちの視線がベテラン刑事に集中する。アーネットは咳払いしてから言った。
「だから俺たち刑事は聞き込みをするんだよ。事件捜査の八割は聞き込みだ。ほら、行くぞ」
 
 アーネットはとりあえず、近くのカフェで訊ねる事にした。ちょうどオープンテラスにいた若い男性給仕をつかまえると、マリエが言う蝶ネクタイの中年男性について訊ねる。
「うーん。そんな風体の人、ここらじゃ珍しくもないですからね」
 給仕の反応は素っ気ないが、まあそうだろうな、という内容でもある。
 続いてコーヒー屋台、雑貨店、通行人数名、さらには通り掛かった馬車をダイレクトにつかまえて訊いてもみた。しかし、マリエからペンを買った男性に関しての証言は得られない。
「お手上げかな」
 ブルーが諦めの様子で、文字通り両手を上げてみせた。そもそも、事件を一日で解決できるはずもない。
「うーむ。これは何日かかかりそうだな」
 さすがにアーネットも諦めかけたところで、胸ポケットの杖が振動を始めた。
「おっ」
 取り出すと、杖が黄色に点滅発光している。ナタリーからの魔法電話だ。
「もしもし」
 通話に出ると、杖の向こうからなんだか賑やかな喧騒が聞こえる。ナタリーの声はその喧騒が混じって、聞き取り辛かった。
『アーネット、わたし。聞こえてる?』
「なんとかな。今どこにいるんだ」
『バロウズ市場!』
 どうりでやかましいと、アーネットは納得した。
「なんかあったのか?」
『見つけたわよ!魔法のペン!』
「なんだと!?」
 アーネットと、会話を聞いていたブルーたちも驚いた。まさか、こうも簡単に見つかるとは。
「どうやって見つけたんだ!?」
『カミーユが裏技を使って探してくれたの』
「裏技だと?」
『ええ。私の分はサービスだけど、手伝って欲しければ探偵社として正式に別料金で承る、ですって』
 なんだ、それは。ナタリーは無料なのに。というか、それは一体どういう裏技なのだ。
『とにかく、あたし達これで今日は終わるからね。あとよろしくー』
「おい、ちょっと待て!」
 アーネットの引き留めは完全に無視して通話は切られた。無音の杖を渋い表情で睨む刑事の背中に、少年少女たちはそこはかとない哀愁を覚えるのだった。
「…とりあえず、ナタリー達が残り3本のうち、1本は回収してくれたわけだ」
「どうやったの?」
 ブルーが訊ねる。アーネットは魔法の杖を胸ポケットにしまった。
「カミーユの事だからな。おおかた、得意の占いでも使ったんだろう」
「もうあの人、魔法捜査課に採用したほうがいいんじゃない?給料はずんでさ」
 国家予算に容赦がない少年刑事の意見はともかく、アーネットは目の前の捜査に頭を切り替える事にした。
「あと2本。もう、今日中に片付けるつもりでいくぞ」
「無茶苦茶言うなあ」
 ブルーは欠伸をしながら、腰に手を当てて通りを見渡した。
「ん?」
 その時ブルーは、巨大な劇場の裏口のような所で、何やらスーツの男性と、高そうなドレスを着た女性が口論しているらしい事に気付いた。女性の脇には、付き人らしい男性も控えている。
「あれ、何だろう」
「ん?」
 ブルーに言われて、アーネットもその方向を見る。
「何だろうな」
「あの人、有名な女優さんじゃない?」
 突然、レベッカが知識を披露して、演劇方面に全く関心がない他3名の視線が集中した。
「そうなの?」とブルー。
「うん。確かケイト何とかって人」
「ファミリーネーム覚えてもらえてないじゃん」
 ブルーのツッコミはともかく、遠目に見ても女性の剣幕はわかるので、アーネットは警察官として一応、声だけはかけておく事にした。

「すみません。警察の者ですが、何かありましたか」
 警察手帳を示しながら、アーネットとブルーが口論中の男女に近寄ると、女性に迫られていた男性は驚いた様子で振り向いた。
「けっ、警察!?」
 そう言って、今度は女性を見る。女性は、腕組みして男性とアーネットを交互に見た。
「なに?まさか私が警察を呼んだとでも?そんな事するわけないでしょ!」
 腹の底から張り出してくるような迫力のある声は、さすが女優である。
「刑事さん?別に事件じゃないわよ。変な噂が立つと迷惑だわ、関わらないでちょうだい」
「そうですか、わかりました。ただ、一応事件性がない事だけは確認させて頂いて構いませんか」
 アーネットが形式的に確認を求めたので、やむなく男性がかいつまんで説明を始めた。
「はい、実はここ最近、当劇場で公演中に、客席からひどい笑い声が響いて、公演が止まるといった事が起きているんです」
「何が起きている、よ。おかしな客を入れた劇場の責任でしょう!」
「そう仰られましても、千数百人というお客様全てを当劇場が把握できる筈もなく…」
 アーネットそっちのけで口論が再開されたので、アーネットは強めに咳払いして割って入った。
「その…お話の内容がわからないのですが、劇の最中に笑い声が起きた、と?」
「そうよ。あんな失礼で不愉快な思いをしたのは、この劇場だけよ!もう二度とここでの出演はしないわ。それを言いに来たの!」
 女優はものすごい迫力でアーネットに詰め寄ったが、アーネットは何か腑に落ちないので再び訊ねた。
「劇の内容に笑い声が起きるのって、その…特段珍しくもないのでは?」
「は!?あなた、遠征先で夫が死んだ報せを受けて妻が泣き崩れる場面で、大爆笑するの!?」
 女優の指摘は全くもってその通りではある。アーネットは、どうやら劇場の支配人か何かであるらしい男性に訊ねた。
「…そういう事があったんですか」
「ええ、はい。それも、一件や二件ではなく…その、笑われたお客様がたは出入り禁止にさせて頂きましたが」
「当たり前よ」
 女優は冷たく吐き捨てたが、アーネットとブルーは「もしや」と顔を見合わせた。
「あのう、そちらは支配人さんか何かで?」
「ええ、わたくし当劇場の支配人、ガーバーと申します」
「ガーバーさん、つかぬ事をお訊きしますが。この劇場に送迎でやってくる馬車の中で、蝶ネクタイを締めた御者に見覚えはありませんか」
 アーネットの問いに、ガーバー支配人は記憶を辿る様子を見せながらも、首を傾げた。
「さあ…公演の日は馬車も人も往来がありますから」
「そうですか」
 すると、それまで黙っていた女優の付き人らしき初老の男性が、ふいに口を開いた。
「刑事さんの言われる方かはわかりませんが、蝶ネクタイの御者なら見覚えがあります」
 その証言に、アーネットとブルーは驚いて訊ねた。
「ほんとに?」
「よく見かける人ですか」
 アーネットの問いに、男性は顎に指を当てて、思い起こすように証言した。
「見たのは一度だけです。こちらの、わたくし、こちらのイライザ・ヘイマー嬢のマネージメントを担当しているハモンドと申しますが、その…イライザ様が訴えておられる、笑い声が起きた公演のあった日に見ました」
「細い口ひげでしたか」
「ええ、はい。歳あんばいは私くらいでしょうか。髪はなでつけてありました」
 まさにマリエの証言と一致する。となると、次は得られた情報からその人物にどう辿り着くかだった。
 だが、そこで話を聞いていた女優のイライザが、痺れを切らして会話に割って入った。
「もういいかしら。言う事は言ったし、私失礼するわ。支配人さん、そういう事だから」
 イライザ嬢はマネージャーに顎で合図すると、舗道に足音を響かせて立ち去った。マネージャーのハモンドは、一礼して申しわけなさそうにイライザの後について行く。

「ああ、困った事に…」
 ガーバー支配人は、額に手を当てて天を仰ぐ。そこにブルーはあっけらかんと言った。
「別にいいんじゃない?客席から笑いが起きた程度でへそを曲げるなんて、プロとは言えないでしょ」
「とんでもない!イライザ様は確かに鼻持ちならない高慢なお方ですが、立派な女優です」
 尊敬しているのか軽蔑しているのかわからない擁護のあと、支配人は言った。
「あの日も、客席から爆笑が聞こえる中、一切動じる事なくそのシーンを演じ切ったのです。私共は笑っている客を速やかに退場させましたが、重要な場面が台無しになってしまったのは間違いありません」
 話を聞く限りでは劇場に落ち度はないようにも思われるが、女優本人が立腹してしまった以上、どうにもならないのだろうな、とアーネットは思った。だが、これもやはり民事であり、アーネット達の出る幕ではない。
「まあ、そのへんについて我々警察は口出しできませんので…ところで、その大笑いしていたお客っていうのは、その1人だけではないんですね」
「ええ、はい。他のケースでは、笑いが止まらなくなって過呼吸で病院送りになった客もいます。どうしてこんな、変な事が続くのか、私共も不思議に思いつつ、次は起こらないで欲しいと思う次第です」
 売り出し中の有名女優にそっぽを向かれた哀れな支配人は、肩を落としてうなだれた。アーネットとブルーは頷き合って、支配人に声をかけた。
「ガーバーさん、イライザ嬢の件は何とも言えませんが、今後そうした事が起こらないように、できるかも知れません」
「…どういう事ですか」
 支配人は、全く理解できない様子でアーネットを見た。

 アーネットとブルーは、自分達が魔法犯罪特別捜査課の捜査官であること、そして魔法のペンが市内に複数、行方不明になっている事を説明した。
「魔法捜査課!この間のリンドン大暴動事件の」
 支配人は、本当にいたのか、とでも言いたげな目でアーネットとブルーを交互に見た。大事件のおかげで自分達の認知度が向上しているらしいのは、手放しで喜ぶわけにもいかず、二人は複雑な気持ちだった。
「そっ、それで、なぜ魔法捜査課がその、馬車の御者などを」
 まあそれは疑問に思うだろうな、とブルーも思った。一般人に魔法の事件について説明するには、実のところけっこうな話術が要る。魔法というものをはなから信じない人などは、ある意味事件の犯人よりも対処が難しい。極力、魔法の万年筆の存在は隠さなくてはならないため、アーネットは今回も精一杯言葉を選んで説明した。
「詳しい内容は明かす事はできませんが、とにかく我々はその、口ひげの御者に話を聞かなくてはなりません。今までの証言内容から、おそらくその御者は、恒常的にこの劇場で客の送迎をしていると見ています。そして、笑い上戸の客は、その御者の馬車に乗って来た可能性が高いのです」
「…よくわからないのですが、その御者を捕まえれば、変な客は来なくなる、ということですか」
 なんだか、都合よく大雑把に理解してくれているな、とブルーは思った。

 アーネットとブルーが推理したのは、その御者が魔法のペンを署名などに利用したために、魔法が発動して笑い上戸の客が劇場に送り込まれた、というシナリオである。感情に作用する魔法は確かに存在し、警察の規定では魔法捜査課も使用を制限されている。
 だが、いったい馬車の御者が万年筆を使うタイミングはいつなのだろう、という疑問があった。それを突き止めるためにも、まず御者にコンタクトを取らなくてはならない。
 アーネット達がそんな事を思っていると、劇場正面の方から、突然高らかな笑い声が聞こえてきた。

「あーっはっはっは!!!ぶひひひひ!!!ぎゃはははは」

 蚊帳の外だったレベッカとマリエは、声の方を向いたあと、何事かと顔を見合わせる。アーネットとブルーは、力強く頷いてダッシュした。
「すごいタイミングだね」
「ブルー、構わん。魔法を使え。責任は俺が取る」
「そういう事なら」
 ブルーは、素早く魔法の杖を取り出すと自らの両足に魔法をかけた。すると、脚力と全身の感覚が強化され、ブルーはまるで豹のようなスピードで、アーネットの前を駆け抜けて行った。

 ブルーが劇場前に出ると、一人の男性が何やら笑い転げており、その前には先ほど支配人と口論していた、女優のイライザ嬢が憤慨した様子で仁王立ちしていた。
「何がおかしいのよ!人の顔を見て爆笑するなんて!失礼にも程があるわ!!」
 その場面をチラリと見たブルーだったが、そこはアーネットに任せる事にして、自分は目当てのものを探す。強化された感覚で周囲を見ると、一台の馬車が走り去るのが見えた。
「あれだ!」
 ブルーは脚に力を込めると、馬車を目指して駆け出した。200m、150m、100m、50m、あっという間に距離が詰まって行く。この辺でいいな、という距離で、ブルーは杖を取り出すと、馬車に向けてひとつの魔法を放った。

「ん!?」
 口ひげの御者が、突然スローダウンした馬に何事かと驚いて、手綱に力を込めた。しかし、馬はスローダウンどころか、走るのをやめてその場に座り込んでしまった。
「おい!」
 往来のど真ん中で突然走るのをやめた馬に、御者は焦った。馬車を降りて馬に駆け寄ると、馬が生きている事を確認する。だが、一目でわかった。馬は何やら、猛烈な睡魔に襲われているらしい。そんな事があるものか、休息はこまめに取らせているのに、と御者は訝しむ。
 そこへ、ブルーが警察手帳片手に歩み寄った。
「ごめんごめん。すぐ起こすから」
 その声に振り向いた口ひげの御者の襟元には、整った蝶ネクタイが結ばれていたのだった。
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