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迷宮Rendez-Vous

(8)死神のカード

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「はあ、はあ…何だったんだ、こいつは」
 ブルーは、ようやく動きを止めた謎の石像を見下ろした。強力な魔法を連発したせいで、息切れがひどい。ジリアンも同様だった。
「さっきまでこいつに漲ってた魔力が、完全に消え去ってる。見て」
 ブルーは、人形の頭部にある真っ赤な目を指した。ブルーの魔法で射貫かれ、中心から放射状に砕けている。よく見ると、それはガラスなどではなかった。
「宝石?」
 ジリアンがその欠片を手に取って見る。割れ方からして、水晶の一種に見えた。
「その目が、こいつの心臓部だったらしい。さっき正面から向き合った時、そこに魔力が集中していた」
「アドニス君、さっき何か言いかけてたよね」
 破片のサンプルを事件現場のように拾い集めながら、ジリアンは訊ねた。
「うん…まさかとは思うんだけど」
「なに?」
「こいつは、『ゴーレム』かも知れない」
 ジリアンは、ブルーの推測に「まさか」という顔をした。
「ゴーレムって、グディス教会に伝わる秘儀でしょ。あれは泥で作られた人形の筈よ。それも、実在したかどうかは疑わしい」
 グディス教会とは、東の大陸が発祥らしい古い宗教で、古来から独特の呪術の類を用いるとされている。社会において一定の地位を占めている宗教でもあり、政治や経済の世界に深く入り込んでいる事で知られていた。
「うん…けど、今ある知識ではそれしか考えられない」
 ブルーは倒れている人形の装甲を注意深く観察した。石のように見えたが、割れた断面を見ると、どうも陶器のような雰囲気がある。ブルーも目と装甲の破片を拾い、ハンカチに包んで懐に入れた。
「これは先生に見てもらおう。こんな奴が眠っていたなんて」
「私もカミーユに見てもらうね」
 言いながら、二人は現場検証の要領で倒れている人形を調べた。
「構造は、7~8cm程度の黒く硬い素材で構成された骨格を、白く硬い装甲が覆っている。相当な強度を持った素材と思われ、製造方法は不明」
 ブルーはチェックしながら口頭で、ジリアンと確認を取り合う。ブルーが放った魔法は恐ろしく強力なもので、戦艦の大砲の胴体もねじ曲げられるほどの威力を持っており、わずか数cmの厚みでその直撃を受けてもひび割れ程度で耐えた素材というのは、通常では考えられなかった。
「状況から見て、動力は魔法によるものと推定。対象を破壊してしまったため、使用されている呪文などは不明」
「アドニス君、見て」
 ジリアンが、割れた人形の頭部の中を指差した。
「なに?」
「変な文字が書かれてる」
 それは、頭部の内骨格に白いインクのようなもので書かれた、全く意味不明の文字だった。字と字の区切りは筆記体ふうでハッキリしないが、文字数は5文字程度に見える。
「これも先生案件かな。いちおうその前に、自分でも調べないと怒られるか。怠けるなって」
 ブルーとジリアンはそれぞれ文字のメモを取った。デートでも万年筆とメモ帳を持ち歩くのは、完全に職業病である。
「ゴーレムも確か、動かすために文字を書くって言われてるよね」
 ジリアンは、うろ覚えではあるが知識を引っ張り出してみた。ブルーが答える。
「うん…近いものがある。微妙に異なる気もするけど」
「どのへんが?」
「確かゴーレムは、文字をひとつでも削り取れば動きを停止する、という伝承だったはずだ。でもこれは見た所、文字が欠けているようには見えない」
 うーん、と二人は唸った。
「そもそも、なぜこの人形はここにいて、なぜ僕達が来たら動き出したのか。そして、この部屋がさっき見た、魔女の石像の部屋と酷似しているのは何故なのか」
 二人が会話しているうちに、部屋を走っていた幾何学模様の光はだんだん弱まってきた。
「まずい」
 ブルーは杖を取り出して、短い呪文を詠唱した。すると、杖に室内に残っていた魔力が吸収されていった。
「少しだけど、魔力をもらっておこう。調査は、今度専門チームを連れてきて改めてって事で」
「そうだね」
 ジリアンも同様に杖を取り出す。先程放った魔法の一撃分くらいは取り返せたところで、光は消え失せて暗闇に戻ってしまった。
 ブルーは、再び杖に灯りをともす。

「参ったな。僕らは出口と反対方向に歩いて来てたのか」
 行き止まりの壁面を、ブルーは恨めしそうに見た。
「次はもうちょっと普通のデートにしたいよな」
 ブルーが何気なくポロッと言ったのを、ジリアンは聞き逃さない。
「いま、次って言った?」
「えっ!?」
「いま確かに言ったよ。次はもうちょっと普通のデートにしようって」
 十代女子探偵ジリアンは、犯人に自白を強いる要領で言質を取ってブルーに迫った。
「そっ、それは次があるならという仮定の話で」
「そうかしら。改めてデートしたいという動機がなければ出て来ない発言だわ」
「取り調べの要領でデートに持ち込もうとするの、やめてくれる?」
 ジリアンは例によって、勝ち誇ったようにニンマリと仁王立ちしてブルーを見下ろした。
「ふふふ」
「あのさ、今どこかわかんない迷宮の奥で、下手すると生きて出られるかどうかっていう瀬戸際かも知れないの、わかってる?」
 ブルーは立ち上がって膝のほこりを払った。
「もちろん。だから、生きて出られた時の目的を決めておきましょう」
 ジリアンは、ブルーの手を握って言った。
「不思議なものね。会ってまだ何日も経ってないのに、もう何年も、一緒にこんな探索をしてきたような気がしてる。そんな気がしない?」
「なんだい、それ」
「ふふ」
 ジリアンが笑った、その時だった。
 行き止まりだと思われていた円形の部屋の、ついさっき人形がブルーの魔法によって叩きつけられた壁が崩れ、大きく亀裂が入って壁の向こうに抜ける穴ができたのだった。
「アドニス君!」
「ああ。たぶん正しいルートじゃないんだろうけど、通り道はできたわけだ」
「行ってみよう!」
 

 人が何とか通れる亀裂を二人と一匹が抜けた先は、やはり今までと似たような、雑に切り出された石組みの通路だった。
「またか」
 ブルーはウンザリしたように奥を睨む。
「ライトニング、お前この遺跡の中は知らないのか?」
 訊くだけ訊いてみるが、何の反応もない。
「当たり前か」
「ねえ、アドニス君。デートの最中に遭遇したくないものランキングってあるかな」
 突然、わけのわからない事をジリアンが言って立ち止まった。
「なにそれ」
「うん、そういうランキングがあったらトップ3に食い込みそうなもの、いま見ちゃったから」
 そう言いながら、親指でゆっくりと左側の壁の下あたりを指し示す。嫌な予感しかしなかったが、ブルーはその指の先に視線を移動した。壁面は凹凸があったり、部分的に土が流れ出てきていたりして照明の陰で見えなかったのだが、確かにそこには何かがある。

 デートの最中に遭遇したくないものランキング、現時点で第一位に躍り出たそれは、人間の白骨死体であった。

「うわあ!」

 その白骨死体は、壁にもたれるような姿勢で上半身が崩れており、頭蓋骨は2mほど離れた所に転がっていた。
 死亡直後か数時間の遺体は事件でたまに遭遇するが、白骨死体が出たケースで魔法捜査課が呼ばれる事はほとんどない。頭蓋骨のインパクトは絶大である。
「まじか」
 驚きで語彙力がどこかに行ったブルーの、それが精いっぱいであった。
「ほら、刑事さん。現場検証」
 ジリアンはパンパンと手を叩いてブルーを急かす。
「手伝ってよね」
 あからさまに嫌そうな顔で、ブルーは死体を調べた。
「骨格の特徴から、死体は成人男性と推定。白骨化しており死亡時期は不明。毛髪などは腐食してすでになくなっているらしく、相当に古いものと思われる」
「外傷は見られないわね」
「そうだ。骨にも服にも斬られたり、撃たれたりしている様子がない」
「この服、だいぶ前に流行った感じよね」
 ジリアンは死体のファッションチェックを始め、ブルーのツッコミが入る。
「だいぶ前どころじゃないよ。50年以上前のセンスじゃない?今どきこんな服、演劇でしか着ない」
「て事は、これは相当昔の死体ってことか」
「気の毒ではあるけど少なくとも、僕らが扱う案件ではないと思う」
 ブルーは目を閉じて、弔いの印を切った。ジリアンもそれに倣う。
「扱う案件ではないかも知れないけど、今の私たちにとってはそこそこ重要な意味を持ってるわね」
「え?」
「この人はリンドンで昔流行った服を着ている。つまりここは、リンドン近辺である可能性が高いという事でしょ」
「あ、そうか」
 つまり、おそらくは最初に迷い込んだ遺跡である、という事でもあった。
「ひとつ希望が見えてきたんじゃない?遺跡のどこなのかはわからないけど、例の遺跡にいる事は確定したわけでしょ。最悪、魔力全開で天井をぶち抜いて脱出って方法もあるかも」
「失敗したら二人と一匹で仲良く生き埋めだけどね」
 天井が盛大に崩れてくる光景を想像して、ブルーは戦慄した。
「壁抜けで上に出る事はできない?」とジリアン。
「さすがに厚すぎるよ。下手すると土中で、土の原子と干渉して対消滅する事になる」
「そういうもんなの?」
「だから、この間の事件で僕は忠告したんだよ。壁抜け魔法は危険だっていうのは、単に魔力を消耗するからってだけじゃないんだ」
 じゃあそれをその時に言ってくれ、というツッコミを入れたかったが、ジリアンは脱出について考えることを優先した。

「この死体は、状況から見て遺跡に迷って出られなくなった、という可能性が高いよね」
 ブルーはいちおうジリアンの方を見て確認した。
「あたしもそう思う。疲れ果てて、そのまま死んじゃったっていう感じ。かわいそう」
「野外探索だとかの道具や、リュックの類は持っていない。つまり、この人はよほどの理由がない限り、観光ないし見物でここを訪れたという事になる」
「引ったくりにあった例のおばさんが言ってた、時々行方不明が出るっていう、あの話に合致するね」
 ジリアンの意見に、ブルーも同意した。
「問題は、それが単なる迷子なのか、それとも…」
「魔法が関係してるのか、って事ね」
「今の状況だと、後者も除外できない。むしろ、その可能性の方が高いとさえ言える」
「そうなると、厄介な可能性が出てくるわね」
 ジリアンの意見に、再びブルーは同意する。
「そうだ。魔法による転移であれば、ここは密閉空間である可能性も出てくるってことだ。しかも、困ったことがひとつわかった」
「何?」
「この遺跡は、レイラインが通っていないんだ」
「え!?」
 ジリアンは、杖を出してレイライン、つまり地脈のエネルギーを調べてみた。すると確かに、ここはエネルギーの流れが全く感じられなかった。
「ほんとだ…」
「実はさっき、アーネットとナタリーに連絡を取ろうと思って、通話魔法を使ってみた。けれど、あれはレイラインのネットワークを利用したものだ。それがない以上、外部に連絡を取って助けを求める事もできない」
「えっと…それってつまり、あたし達いま最悪の状況ってことじゃない?」
「そうだね」
 ブルーは、半笑いで吹き出しながら答えた。
「考えられる限り最悪の状況だ」
「何笑ってんのよ」
「最悪なんて丁度いいハンデさ」
 そんな無茶苦茶な理屈は聞いた事がない。この少年の自信は一体どこから来るのだろう、とジリアンは思った。しかし、ブルーには有無を言わせない何かがある、とも思う。物事の道理も全てひっくり返してしまうような。
 が、その時ジリアンは余計な事も思い出してしまった。
「あ」
 ジリアンの脳裏には、出かける直前にカミーユが引いていたタロットカードの中に、死神のカードがチラリと見えたシーンが浮かんでいた。
「終末だ」
「え?」
「何でもない」
 あまりに今の状況にピッタリすぎて、ジリアンまで半笑いになってしまった。
 だが、とも思う。もしカミーユが今日のブルーとジリアンの行く末を占って、本当に最悪の結果が出たのであれば、そもそも外出させなかったのではないか。

「アドニス君、タロット占いできる?」
 バッグをまさぐりながらジリアンは言った。
「え?占いは専門外だな。占星術の基礎くらいは学んでるけど」
「最悪のカードって何か知ってる?」
「え?そりゃ、死神じゃないの」
 ふふん、とジリアンは笑った。
「ダイレクトな意味での最悪のカードは『塔』よ。正位置でも逆位置でも最悪。死神のカードは、実を言うとそんなに悪いカードではないの」
「はあ」
 この子もこの子で、この状況で何を言うのだろう、とブルーは思った。すると、ジリアンは杖を振るって、いつの間にか取り出したタロットカードを空中に浮かべシャッフルし始めた。空中でシャッフルされたカードは、ブルーの目の前でひとつの束に戻り、カットされ、中から4枚のカードが抜き出される。それは四角形を作るように静止した。
 左下が「法皇」の正位置、右上が「恋人」の正位置、左上が「悪魔」の逆位置、右下が「死神」である。
「死神じゃん!縁起でもない」
「話聞いてた?死神のカードは、必ずしも悪いカードじゃないの」
 歩きながら説明してあげる、とジリアンはカードを手に取って先に進み始めた。

「死神のカードは13番目。この数字は色々な意味を持っているけど、『清算』みたいな意味合いも持っているの」
「清算?」
「そう。何かが始まる前には、何かが真っさらな状態に戻されるでしょ。バカな政治家が一掃されて、まともな政府ができる時のように。今まともかどうかは知らないけど」
 あまり十代の少女っぽくない例えだな、とブルーは苦笑いした。ジリアンは続ける。
「見て。同時に出た『悪魔』の逆位置と併せて考えると、どう読めばいいかわかる?」
「さあ」
「これはつまり『コミュニケーションが改善される』という意味。私たちの今の状況をそのまま表している」
 それが正しいのかどうか、ブルーにはわかりかねた。ただ、最初は何となく噛み合わなかった部分もあった二人と一匹は、迷宮で文字通り迷ってきた中で、妙な結束が生まれているのは確かだった。
「じゃあ『恋人』と『法皇』は?」
 残りのカードについてブルーは訊ねる。
「『恋人』は、あたしとアドニス君の関係性そのままと言いたいところだけど、もっと広い意味で捉えるべきね。ライトニングも含めて、チームワークが成熟している、という暗示よ」
 ここで、そのライトニングが口というか鳴き声をはさんだ。
「ワン!」
「おー、よしよし。そして最後の『法皇』は、『支援』があるという暗示よ。」
「支援?」
 ライトニング、ではなくブルーが訊ねた。
「誰かが助けてくれるってこと?」
 この状況でか、とブルーは思った。

 いま、助けを望める相手は誰かいるだろうか。そもそも、ブルー達が迷宮で文字通り迷っている事など、魔法捜査課の人間も、モリゾ探偵社のカミーユも、少なくとも今この時点で誰も知りようがない。向こうがその気になって魔法で探れば、カミーユやブルーの師ならすぐに見つけられるだろうが、その気になるとしたら、ジリアンやブルーが帰ってきていないと知った時だろう。つまり、その時はジリアン達が本当に遭難した時ということだ。

 今はまだ体力はある。しかし、このまま探索だけが続けば、じき体力は消耗してゆくし、体力がなくなれば魔法も制限される。それがわからない二人ではなかった。

 まだ、二人の前には湿った空気の闇が続いていた。
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