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ローバー下院議員殺人事件

ローバー下院議員殺人事件_6

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(6)容疑者

 殺害方法の解明に取り組んでいたアーネットとブルーだったが、デイモン警部からの情報が呆気ないほどすぐに届いたため、現場をひとまず置いてオフィスに戻り、そちらを当たる事になった。件のマールベル子爵の息子の名はドーンといい、現在19歳。勤務先はなんとメイズラントヤード管轄区域の、リンドン南東地区にある駐在所である。巡査ではあるが、同じ警察官だったのだ。
 その報を受け取ったアーネットは、顎に指をあてて、自分のデスクで思案を巡らせた。
「ブルー、どう思う?」
「そいつが犯人で決まりじゃないの?」
 ブルーは紅茶を飲みながら、悠然と返した。
「貴族称号の剥奪で土地は追い出される。両親はそれがきっかけで死亡。財産だってほとんど没収でしょ?優雅に暮らせていた身分のはずが、今やしがない駐在所勤務。まあ炭鉱夫だとかの労働者階級から見れば恵まれてるとは思うけど、そりゃ誰かに恨みをぶつけたくもなるんじゃない?」
 ブルーの言い分は理路整然としており、もっともだった。犯行に至る動機があり、何より拳銃を所持している。というより、最初から犯行のために警官になった可能性だってある。
「お前の言うとおりだ」
「ね?だからさっさと尋問して吐かせればいいじゃん」
「………」
 アーネットはそれでも腑に落ちなかった。
「簡単すぎないか」
「難事件なんて、フタを開ければそんなもんでしょ」
 捜査のイロハをろくに学んでいない少年は気楽でいいな、とアーネットは溜息をついた。
「まあ、ここで黙ってても仕方ない。ドーンとやらに聞き込みに行くか」
「ねえ、ところでナタリーは?」
「あいつも魔法が使えるくせに、本性は足で探すタイプだからな。情報局員時代のツテでも当たってるんだろうよ」

 ナタリーがいない地下室を出て、二人はリンドン南東区域の小さな商店街にやってきた。花屋や書店、高級な靴屋などがひっそり立ち並ぶ奥に、その駐在所はあった。
「頼むから、ここは職場なんだよおじさん!」
 何やら、若い男の声が駐在所のドアの奥から響いてきた。
「酔っ払いか何かかな」
「入るぞ」
 まだ新しい建物なのだろう、ゆるみのないガッチリしたドアノブを回して中に入る。すると、中ではまだ若い警官が、何やら手帳とペンを持った中年男性を奥から引っ張り出していた。
「もう少しだけ!」
「ダメだって!僕が上の人に怒られるの」
 間違いない。デイモン警部からもらったデータにあった、ドーン青年だ。身長はアーネットより少し低いか。やや坊っちゃん風の丸くカットされた髪が、あまり警官の制服に似合っていなかった。
「あー、仕事中にすまん」
 アーネットは刑事手帳を開いて声をかけた。
「はい?あっ、ご、ご苦労さまです!」
 ドーンは慌てて敬礼し、後ろの中年男性を隠すように苦笑いした。
「誰?そのおじさん」
 そっちこそ誰だ、という怪訝そうな表情をドーンはブルーに向けた。13歳くらいの子供が刑事手帳をヒラヒラさせていれば、イタズラにしか見えないであろう。
「こいつは気にするな。一応れっきとした刑事だ」
 気になるだろうなとは思いながら、アーネットはドーンに問いかけた。
「もし仕事中なら後にするが」
「ああ、いえ。この人はいいんです。ほらガッサおじさん、今日はもう帰って」
 ガッサ、と呼ばれた中年男性は、仕方なさそうに手帳をしまって駐在所を後にした。
「すみません、あれは私の知人です…」
「そうか。何してたんだ?」
「彼は最近、仕事をやめて作家になるために作品を書いているんです。で、推理小説を書くのに警察署の中を知っておくのは武器になる、と言って」
「君をアテにして中を取材してたというわけか」
「ホント困ってるんですよ。この間なんか本庁まで行ってたらしくて、入っちゃいけない所に入って逮捕されかけたんです。僕の名前を出してですよ!」
 世の中変な人もいるな、と思いながらもアーネットは平静だった。
「なるほど、大変だな。まあ、彼の事は今はいい。君に話があるんだ」
「はい?」
 一瞬、ドーンの顔が引きつった。
「なな何でしょう」
「ビビらなくていい。俺は本庁の魔法特捜課のレッドフィールドだ。ちょっとした確認をしたい。3月16日の朝6時から7時ごろ、君はどこにいた?」
 十分ビビる質問だろう、とブルーは突っ込みたかったが、ドーンは意外と平静だった。
「3月16日…ああ、事件があった日ですね」
 少し曇った表情を見せたドーンはアーネットの目を見て言った。
「14日から今日18日にかけて、僕はこの地区の朝の巡回でした。16日も同じです。事件の時刻には、確かな事は言えませんが、おそらくこの通りの北側にある、楽器屋さんのある辺りを歩いていた筈です」
 ドーンの言葉に淀みはなかった。
「証人はいるかい」
「証人、ですか?いません。まだお店が開く前ですし。ですが、5時半頃に駐在所を出て、7時くらいに戻って来た事なら、今日は非番のテイラー先輩が証言してくれるでしょう」
 まるで、ドーンの返答はこちらの質問を予期していたかのように整然としていた。
「僕を疑ってるって事ですよね?ジミー・ローバー下院議員殺害の犯人として」
 その、堂々とした口調にアーネットは驚いた。変な話だが、まるで十年も刑事をやっているかのような態度である。
「そういうことだ。だが、違うと君は断言できるんだな?」
「そうです。動機については、おそらく調査したうえでいらしたんでしょう。確かに、客観的に考えれば僕にはローバー氏を恨んでいる可能性がありますよね」
 アーネットとブルーはその返答にも面食らった。
「ですが、もしも僕が、父はああなっても仕方のない人物だったと考えているとすれば、どうでしょう」
「そう思っているのか?」
「ご想像にお任せします」
 ドーンは、まだ新しい椅子に腰掛けて語り始めた。
「僕が警察官になった理由、おわかりですか」
「さあな。個人的な考えには立ち入らない主義だ」
「理不尽な暴力が許せないからですよ」
 その言葉には、侮蔑と怒気が含まれていた。
「父はいつも怒っていた。なぜそんなに怒る必要があるのか、と思うくらいにね。領民の代表が陳情に訪れても、どこかの零細商人が訪ねてきても。息子がいい事をしても」
「いい事を?」
「他人に優しくすると、殴られました。いつか、地元の農家の馬車が窪みにはまって、抜け出せなくなっていたのを僕は手伝って出してあげた。そこへ、父の馬車が通りかかって見られたんです。帰宅すると、顔を殴られました」
 アーネットとブルーが、なぜ、という表情を浮かべているのを見て、ドーンは冷笑しながら答えた。
「言い分はこうです。この世の善行は全て偽善だ、あの農家どもは自業自得で、安全な道を確認する努力を怠っただけだ、助ける必要などない、とね」
 いささか信じ難いものの考え方ではあるが、長年色々な犯罪者と対面してきたアーネットには、驚き以上の驚きはなかった。世の中には、理解を超えた人間がいるのだ。
「だから、僕に人を殺害する動機があるとすれば、その対象はむしろ父です。正直な事を言いましょうか。精神病棟で父が病死したと聞いた時、僕はホッとしたんですよ」
 大胆な事をドーンはサラリと言ってのけた。
「母が死んだときは、それは当然ショックでした。数日間は、立ち直れませんでした。でも同時に、それまでさんざん神経症で苦しんでいた姿を見て来たので、もう苦しまないで済む世界に行ったのだな、と思うと、奇妙な安堵感を覚えたんです。あるいは、僕自身どこか精神が疲弊して、悲しみを感じ切れなくなっていたのかも知れません」
 16かそこらの少年がそこまで悟るというのは、どういう環境、人生だったのか。アーネットは、これ以上は立ち入るべきではないな、と思った。
「わかった」
 アーネットは静かにそう言って、話を終わらせた。
「君自身については、最後にひとつだけ訊く事がある。これに見覚えはあるか」
 アーネットは、胸元から一本の万年筆を取り出した。それは、例の魔法の万年筆であった。
「? 万年筆ですか」
「そうだ。これと同じ形の万年筆を、知っているか」
「さあ…文具方面はそんなにこだわりがありません。何か事件に関わりが?」
 どうやら、何の反応もない。アーネットの見たところでは、本当に知らなさそうだった。
「そうか。君の事はこれで終わりだ。仕事の邪魔をして悪かったな」
「いいえ。お仕事ご苦労さまです。僕も、あなたのような刑事にいつかなりたいです」
「俺を手本にするのはやめておけ。問題を起こして閑職に追いやられたダメ刑事だ」
 苦笑しながらアーネットは答えた。
「そうだ、さっきのあの男性、君との関係をもう少し詳しく聞いておくか」
「ああ、もともと父の秘書で、家がなくなったあと僕の後見人を務めてくれていた人です。あれで、簿記や経理のすごい資格を持っている人でね。ですが、僕もこうして一応は勤める身になったので、解放してあげました。作家は若い頃の夢だったようです」
 どうやら、デイモン警部が言っていた内容は本当だったらしい。
「なるほど、それで自由の身になった今、作家を目指しているという事か」
「実は、僕も彼の影響で推理小説オタクなんです。エルロック・ギョームズシリーズは全部読んでます」
「ああ!仲間がいた!!」
 ブルーが食いついた。エルロック・ギョームズとは、リンドンを中心にメイズラントでベストセラーになっている推理小説シリーズの題名および、主人公の名探偵の名前である。
 アーネットには何かまだ引っ掛かるようだったが、これ以上は何も引き出せまいと考え、ドーンを頑張れと励まして駐在所をあとにした。

「どう思う?」
 公園のベンチで、屋台で買ったジャガイモと魚のフライをかじりながら、アーネットはブルーに話を振った。
「ちょっと受け答えが完璧すぎない?僕はやっぱり怪しいと思うな。ギョームズシリーズ読者に悪い人はいないと思いたいけど!」
「なるほど」
 ブルーの言う事もそれなりに理解できる。あまりにも、ドーンには落ち着きがありすぎた。まるで何もかも予期していたかのようだ。
「父を憎んでいると装う事で、俺達の目を逸らそうという事か」
 すると、突然二人が座るベンチの横の茂みからガサガサと、黒い影が飛び出してきて声をあげた。
「坊ちゃまはそんな方ではありません!!」
 二人は本当に心臓が飛び出すか、でなければ喉から胃が飛び出るかと思った。
「うわあ!!」
 見ると、それは先程駐在所でドーンともめていた、作家志望の元後見人・ガッサであった。
「失礼ながら、駐在所でのやり取りを全て聞かせていただきました!ドーン坊ちゃまを殺人犯と疑うなど、何たる事か!」
「ちょっと、落ち着いて」
 アーネットは、まだバクバク鳴っている心臓を宥めつつガッサを制止した。
「待ってくれ、別に彼を犯人と決めつけたわけじゃない」
「どうだか!」
「あのな。仮にも作家志望なら、もうちょい考えてくれ。あんなわかりやすい犯人がいると思うか?」
 ガッサは、目を丸くしてピタリと止まった。
「なるほど」
「犯人ってのはもっと意外な人物が、推理小説の定番だろう」
「ではまさか、私が犯人!?」
「違う、そうじゃない!」
 大丈夫なのかこいつは、とアーネットは本気で心配になった。ブルーは笑いをこらえて悶えている。
「落ち着いて聞いてくれ。俺は、ドーンが事件の犯人だとは考えていない。そこは安心してくれ」
「では誰だと」
「それはわからん。捜査の進展次第だ」
「その捜査、密着取材させていただくわけにはいきませんか」
 ガッサの目は本気だった。
「できるわけねえだろ!!」
 アーネットの地が出て、ブルーは爆笑していた。
「これ以上絡んでくるなら、公務執行妨害でしょっ引くぞ!」
「それはご勘弁を!」
「とんでもない奴だな…まあいい、ついでだ。あんた、マールベル子爵の秘書だったってホントか?」
 ガッサは一瞬びくりとして、少しだけ姿勢を改めた。
「ええ、18年ほど彼に仕えましたよ」
「大変な人だったそうだが」
「それはもう。奥様も坊ちゃまも苦労なさっておりました。私は必死でお二人を庇ったものです」
 先程までの騒ぎが嘘のように、ガッサ氏は落ち着いた口調で語り始めた。
「わたしの心の支えは、奥様と坊ちゃまでした。お二人がいなければ、早々に職を辞していたでしょう」
「さては子爵夫人に横恋慕でもしてたか」
 図星だったのか、ガッサはまたも目を丸くして硬直した。
「坊ちゃまには言わないでください!」
「お前、どっちが地の性格なんだ」
 少なくともこいつは事件には関係ない、あってたまるかと思いアーネットはかぶりを振った。
「もういい、わかった」
「何がですか」
「何がじゃねえよ。お前と話してると際限がない。ああそうだ、そのドーン坊ちゃんに迷惑かけるんじゃないぞ。お前のせいでせっかく勤務してる警察を追い出される事だってあり得るんだからな」
 もうキリがない、と思ってアーネットはブルーを顎で招き寄せ、さっさと立ち去る事にした。ブルーはまだ肩を震わせている。
 だいぶ離れたところで、アーネットは小さくため息をついた。
「何なんだ、あいつは」
「いかれた領主に仕えてておかしくなったんじゃない?」
「ま、悪い人間ではなさそうだが…困った種類の人間ではあるな」
 言いながらアーネットは懐中時計を開いた。時刻は夕方、そろそろ戻れば退勤時刻になる。
「戻ってナタリーと情報を交換して、今日はお開きってとこかな」

 本庁の地下室に戻ると、ナタリーが「待ちくたびれました」という顔で紅茶を飲んでいた。
「くつろいでるな」
「やる事ないもの。調べ終わったし」
「そいつは頼もしい」
 アーネットは自分のデスクに座ると、魔法で自分のカップに紅茶を注いだ。
「で?何がわかった」
「期待していいわよ。あなたが昔付き合ってた情報局の彼女に調べてもらったわ」
「……」
 鬼の顔でも見るようにアーネットはナタリーの顔を睨んだ。
「そういう事わざわざ付け加えるか」
「あなたのそういう顔を見るのが私の愉しみだもの」
「ブルー!こういう女とは付き合うなよ」
「こういう女にだらしない男は手本にしないでね」
 やれやれ、という顔でブルーはナタリーのデスクの書類を手に取った。
「本題に入ったら?」
「そうね」
 ナタリーは一枚の紙を取り上げると、ピラピラと男二人に向けて文面を示した。
「結論から言うわね。マールベル子爵の称号剥奪を直接意見したのはローバー議員だった」
 アーネットは無言でうなずいて聞いた。
「マールベル伯爵家の内情は当時有名だったし、領民から勝手に独自の税を徴収したりして、国からもあまりに勝手だと問題視されていた。と、ここまではある程度の年齢の人なら知ってる話だけど、問題はこの先」
「なんだ?」
「子爵は、何者かと手を組んで阿片を密売していた疑いがあるの」
「!」
 アーネットとブルーは目線を合わせて、同時にナタリーの方を向いた。
「本当なのか」
「それが、相当に巧妙なルートを構築していたらしくてね。間接的で、断片的な情報しか残されていないの。でも、それらを総合すると、子爵の名が浮かんでくる」
「そのルートっていうのは、今もあるのか?」
「わからないわ。そういうものを取引している組織はあるかも知れないけれど、子爵が独自に構築していたルートは彼が没落した時点で無くなったと見るべきでしょうね」
「それが、子爵号を剥奪した本当の理由ってことか」
「阿片に関しては、後ろ暗い政治家も大勢いるから、表向きには隠されてたってことでしょうね。あ、この話は極秘情報だからね。偉い人に漏らしたらダメよ」
 言いながらナタリーは、舌を出して首を掻き切るジェスチャーをしてみせる。そんな情報、どうやって手に入れたのだろうとブルーは思った。ナタリーの情報源は、他の二人にとってもミステリーである。重要なデータはへたに探るより、ここに来てナタリーに金を払って依頼する方が早いのではなかろうか。
「ひとつ気になるのは、その阿片の取引の実態を調べていると、マールベル子爵の『一歩手前』でどうしても線が途切れてしまうらしいの。あなたの元カノの話だと」
「……」
「その、あなたの元カノの推測だと、『何者か』が子爵と阿片ルートの中継ぎをしていたんじゃないか、って言うのよね」
「中継ぎ?」
 アーネットには何かピンとくるキーワードだった。亡くなった子爵のすぐ近くで、阿片の密売を手引きしていた誰かがいたのだ。
「なるほど…その謎の人物が、今回の事件のカギかも知れんな」

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