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呼び声
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アンドロイドは夢を見るのか。これは誰にもわからない。
腰から下のメンテナンスと改修を受けている間、OSをシャットダウンされていたサーキットロイド・シルバーストンの意識はなかったはずである。しかし、その間彼女は確かに”夢”を見ていたのだ。
目の前に、真っ赤な髪の毛の少女が立っている。後頭部でその髪は結い上げられ、駿馬の尻尾のように、雅やかに風に揺れていた。
少女が手を差し伸べると、シルバーストンはその手を取る。その時、少女の声が確かに聞こえた。
『眠るから起こしてね。約束よ』
OSが再起動した時、シルバーストンは戻った意識の中で、腰から下のハードウェアが一新されている事に気が付いた。身体はすでにガレージではなく、いつもの専用ポッドに寝かされているが、表面のコーティングは施されておらず、上半身と下半身で肌色と黒い硬質な装甲材の、ツートンカラーを形成していた。
「お目覚めね、シルバーストン。気分はどう?」
シルバーストンの装備担当の女性クルーが、衣装の入ったケースを抱えて現れた。基本的にサーキットロイドたちは「女性」として扱われるため、外装やメイクアップ等に関しては、同じ女性クルーが担当する決まりになっていた。
「…システムは良好です」
「そういう時は、”快調です”って言えばいいのよ」
「はあ」
「珍しいわね、寝ぼけた顔して。夢でも見てた?」
「はい」
そう言って、シルバーストンは自分で「え?」と考え込んだ。
「…おかしいです。アンドロイドの私が、夢を見るなんて」
「興味深いわね。どんな夢?」
女性クルーは、衣装の準備をしながら訊ねる。
「…赤い髪の少女が…私に向き合っているんです」
「赤い髪の?」
「はい。そして、眠るから起こしてくれ、約束だ、と…」
そこで、女性クルーは少し真剣な表情でシルバーストンを見た。
「その赤い髪の少女って、まさか」
「え?」
「あなたが毎日のように会いに来る、彼女の事ではないの?」
そう言われたシルバーストンは、雷に打たれたような気がした。
赤い髪の少女。似ている。彼女に。
その時だった。
『緊急警報!エアリオらしき気圧変化反応多数接近!3分以内にシェルター隔壁を全閉鎖する!全ての人員は最寄りの安全な区画に速やかに移動すること!繰り返す…』
「!」
「大変!」
シルバーストンは、コーティングがされていない脚で慌てて立ち上がる。しかし、システム調整用のケーブルが首の後ろに繋がったままであり、引っ張られて再びポッドのシートに背中を打ち付けた。
「いたっ!」
「落ち着きなさい。あなたらしくないわね」
言われてみればそうだ、とシルバーストンは思った。何か感覚がおかしい。いつもは、緊急事態でも自分で嫌になるくらい冷静である。しかし、今のシルバーストンは妙に落ち着きを欠いていた。
「…あの夢を見たせいだ」
「何言ってるの?ほら、ストッキングを履きなさい。コーティングしてる時間はないわ」
「は、はい」
言われるままに、用意された黒のストッキングを無機質な装甲の上に履くと、いつものモスグリーンの戦闘用ドレスを着込む。
「私は出動に備えて、ガレージに移動します」
「ええ。戦闘になるでしょうけど、無事に帰って来てね」
女性クルーはシルバーストンの襟元を整えると、その煌めく銀髪を撫でた。シルバーストンは力強く頷く。
「了解!」
オペレーションルームは再び騒然としていた。つい先刻、二体のサーキットロイドを出動させた直後であり、いますぐに動ける機体はハンガロリンクという名の少女のみである。
「モンツァの調整はいつ終わる?」
「あの15分との事です!」
「5分で終わらせろ!シルバーストンの改修は?」
「終わっています!システム調整がまだ手付かずで――――」
「いい!あの子なら調整なしでも何とかできる!三人に出動態勢で待機させろ!」
ガレージに出動用タイヤの準備命令が伝えられ、ハンガロリンク、モンツァ、シルバーストンの3人も急いでガレージに召集された。
「敵の数は推定で5体。こちらのシェルターの正確な位置までは、掴んでいないようだ」
オペレーターの男性が、ガレージで待機する3人に説明する。
「だが、確実にこのシェルターの周囲にいる。おそらくだが、先ほど出動したトランスポーターの経路から、大まかなこのシェルターの位置を推測してきていると思われる」
「だいぶ知能が高い個体のようですね」
冷静さを取り戻したシルバーストンは、まだ調整の済んでいない脚の動きをチェックしつつ話を聞いていた。
「5体くらい敵じゃないわ!3人でソフトタイヤを履いて、超スピードで一気に仕留めよう!」
モンツァはいつものように勇んでそう言ったが、シルバーストンは首を横に振った。
「相手がどういうタイプかも、まだわかっていない。相手の位置関係は?」
「シェルターの周囲に、だいぶ距離を取って散開しているな」
壁の中型ディスプレイに示された、状況を示すマップをオペレーターは示した。シェルターを中心として、半径500から800メートルくらいの範囲に、5体のエアリオらしき気流の渦が確認されている。
「…3人で、敵の各個撃破はできませんか」
それまで黙っていた、ブラウンのショートヘアにチョコレート色の戦闘用ドレスを着た、ハンガロリンクが意見を述べた。
「なるほど。相手が距離を取っている事を利用するわけだな。シルバーストンはどう思う?」
オペレーターから意見を求められたシルバーストンは、もう少し冷静だった。
「敵は本当に、こちらの位置を知らないのでしょうか」
「なに?」
「もし、仮にここの位置を相手が正確に掴んでいるとしたら、各個撃破に動いた瞬間、残りの4体の敵が一斉にここを狙って動く可能性があります。そうなれば、防衛力を失ったこのシェルターは陥落します。敵が、周囲をウロウロするだけで襲って来ないのは、こちらが動くのを待っているためだと見ていいでしょう」
シルバーストンの分析に、全員が一瞬黙り込んだ。
「じゃあ、どうするってのよ。1人1体ずつ撃破する?」
「それも作戦としてはアリだと思う」
珍しく自分の意見を否定されなかったモンツァは、逆に不安になって訊ね返した。
「マジで言ってるの?」
「各個撃破にせよ1人1体にせよ、ここが手薄になるのは避けられない。といって、トランスポーターで出たラグナ・セカ達の帰投を待つのは時間がかかりすぎる」
「じゃあ、どうするの」
同じ問いをモンツァが繰り返すと、再びハンガロリンクが口を開いた。
「私がここを守ります。お2人が、撃って出ている間に」
その意見に、シルバーストンも同意した。
「それしかなさそうね」
「冗談でしょ。最悪、3体をこの子1人で相手する事になるのよ」
モンツァはハンガロリンクを庇うように、手で示しながら言った。シルバーストンは、少し考えたのちオペレーターに意見具申した。
「ハンガロリンクの作戦に修正を加えて実行してみます」
人類がエアリオと呼称する、謎の気体現象。人の形をした気圧の塊、とでも表現すればいいだろうか。それが5体、シルバーストン達が配属されているE-J331シェルターの、メインゲートが隠された岩陰を500m程の距離で包囲していた。
「エアリオと思われる気圧の塊は、いぜん動く気配がありません」
シェルターのオペレーションルームで、一人の男性オペレーターがレーダーの情報を見ながら言った。
「こちらの位置を掴んでいるという事でしょうか」
「その可能性は、最大限考慮に入れるべきだろうな」
ベルガー司令が、ルーム全体を見渡すポジションに着座してモニターを睨む。
「出動の準備は?」
「モンツァが早く出せと、うるさくてかなわないそうです」
「ふっ」
モンツァの金切り声に耐えるクルー達の鼓膜を心配したのかはわからないが、ベルガーは立ち上がって司令を下した。
「よし、シルバーストンとモンツァを出せ」
「了解!オペレーションルームよりガレージへ。サーキットロイド、シルバーストン及びモンツァ出動せよ!」
『了解!』
『待ちかねたわ!』
人工のAIの筈なのに、どうしてこうも感情の個体差があるのだろう、とクルー達は毎度の事ながら思うのだった。
シェルターの周囲に展開するエアリオ達のうち、南東方向にいた個体の背後から、闇の中を高速で接近するふたつの影があった。
それは、シルバーストンとモンツァであった。
エアリオは、彼女たちが現れた方向に驚いたのか、しばし硬直している様子だったが、すぐに二人の方向に向かってきた。
「一撃で決めます!」
「ええ!」
シルバーストンとモンツァは左右に展開し、向かってくるエアリオを挟み込むように、トップギアで突っ込んだ。
「せええ―――いっ!!」
「うりゃあ――――っ!!」
二人の回転蹴りが、エアリオの頭と胸部に炸裂する。エネルギーとエネルギーが衝突し、サーキットロイドのフレームに衝撃が走った。エアリオは、パーンと弾けて消滅する。
「よし!まず1体!」
「気を抜かないで!来ます!」
シルバーストンは鮮やかにターンしつつ停止すると、衛星通信による極地気圧マップを確認した。明らかにエアリオの特徴を持つ極小の気圧の渦が4つ、シェルターを離れて二人の方向に接近している。
「作戦成功です。彼らはやはり、シェルターのメインゲートの位置は掴んでいなかったようですね」
「連絡するよ」
「お願いします」
「こちらモンツァ!オペレーションルームへ、作戦第一段階は成功!残りの4体があたし達の方に向かってる!」
モンツァからの連絡を受けたオペレーションルームから、ガレージに指示が飛ぶ。
「ハンガロリンク、発進せよ!」
『了解!』
敵の影がなくなったメインゲートから、悠然とハンガロリンクがミディアムタイヤを履いて発進する。進路は、シルバーストン達の方向である。
シルバーストンの発案により、彼女とモンツァの二人は、崩壊の危険があるため閉鎖されていた古いゲートを強引にくぐり抜け、エアリオ達の予測していないと思われる方向から接近したのだった。これにより、エアリオ達はシェルターのゲートの位置がわからなくなったため、シェルター攻撃は諦めてシルバーストン達の排除に動く。
その隙を突いて、メインゲート側からハンガロリンクが出撃し、4体のエアリオを前後から挟撃するというのがシルバーストンの作戦だった。
「あんたの作戦どおりね」
「ここまではね」
「ご謙遜」
モンツァが軽口を叩く間に、少しずつ残りの4体が接近してきた。距離は300m、エアリオどうしはおおよそ100m程度の等間隔で、その幅は少しずつ狭まっている。
「どれからやる?」
「左側よ。路面コンディションがいい所に奴らを引き付ける」
「ようし!」
何だかんだで呼吸ぴったりの二人は、月明かりに淡く照らされた大地をハードタイヤで蹴った。
まず最初の左端にいたエアリオは、呆気なくシルバーストン達に片付けられた。残りは3体だが、向こうも作戦を変えたのか、二人を包囲するように旋回を始めた。
「またこの手の戦法か。ちっ」
「舌打ちは品格に欠けるわよ」
「はん。この状況で、品格ですって」
モンツァは背中を預けるシルバーストンに呆れてみせた。
そうこうしているうち、遅れてシェルターを出たハンガロリンクがようやく、丘陵の上に姿を見せる。
「ハンガロリンク!」
モンツァが叫ぶ。エアリオ達は背後からの急襲に気づいて、シルバーストンたちの包囲を解き、そのうちの1体がハンガロリンクに向かって行った。
「ようし!これで3対3ね」
「行くわよ!」
二人も散開すると、残る2体の敵にそれぞれ向かう。
「それっ!」
ハンガロリンクはエアリオの懐に飛び込むと、連続して蹴りを叩き込んだ。一撃の威力はモンツァ達に及ばないが、連続の正確な打撃はトータルで大きなダメージとなる。
相手が弱ったところで、ハンガロリンクは頭に強烈な回し蹴りをくらわせた。
「せいや―――っ!」
重い手応えがあり、エアリオの身体が破裂すると、周囲の土や石が風圧で弾け飛んだ。思わず顔をガードしたハンガロリンクが目を開けると、すでに他の二人もそれぞれ敵を片付けた後だった。
「さすがね、二人とも」
低速ギアでゆっくりと丘陵の上に、3人が集まる。月明かりに照らされる荒廃した大地は、不気味な美しさをたたえていた。
「どうなる事かと思ったけど、ハンガロリンクのアイディアで何とかなったわね」
「シルバーストンの修正のおかげよ」
「何でもいいよ、帰って休もう」
モンツァがそれとなく、シルバーストンとタイヤの摩耗を比較してみる。今回は、それほど大差ないようである。
3人が、敵の掃討につい気を緩めてしまった、その時それは起こった。
突然、猛烈な風が巻き上がった。
「うわっ!」
慌ててハンガロリンクは髪とスカートを押さえる。シルバーストンは冷静に、風の状況をセンサーでチェックした。
「今の戦闘による影響か…」
一瞬そう考えたシルバーストンだったが、センサーの情報に異変を認めると、すかさず他の二人の肩を押した。
「離れて!!」
「えっ!?」
「早く!!」
シルバーストンに押されるまま、他の二人も訳がわからないまま、全速でその場を離脱する。
次の瞬間、渦を巻いた暴風に周囲の土砂や岩の塊が巻き込まれ、渦巻く風の中で凝縮されていった。
「なっ…」
モンツァは絶句する。ハンガロリンクは声を出す事もできず、シルバーストンは臨戦態勢で眼前の現象を睨んでいた。
それは、土と砂と岩の巨人だった。風は圧倒的な負圧で凝縮し、その負圧によって吸い付けられた土砂と岩が、あたかも骨格や筋肉のように胴体と四肢を形成していた。
「なんなの、こいつ!?」
「こんなの、データにないよー!」
モンツァとハンガロリンクは狼狽して後方に下がる。すると、考える暇も与えず、風と土砂の巨人はその拳を振り下ろしてきた。
それまでの風の攻撃とは違う、質量を伴った一撃が、乾いた大地を直撃する。
「うわわっ!!」
パワーはあっても瞬発力に欠けるモンツァは、至近距離での回避が苦手だった。直撃こそ避けたものの、巨人の腕に左肩を打たれてしまう。
「あぐっ!」
「モンツァ!!」
庇うようにシルバーストンが立ちはだかる。そこへ、巨人は次の一撃を放ってきた。
全身の質量からして移動速度は鈍いようだが、攻撃そのものは予想外に速い。シルバーストンはモンツァを突き飛ばすと、自身もその場を飛び退いた。
「うあっ!!」
地面に強烈な土砂と岩のパンチが炸裂し、巨大な振動とともに土煙が盛大に立ち上がる。しかもその動作じたいが強力な風圧を伴うもので、シルバーストンはその気流の渦に巻き込まれ、見えない腕にねじ伏せられるように地面に叩きつけられた。
「ぐああっ!!」
シルバーストンのフレームに衝撃が走る。深刻なダメージこそ負わなかったものの、制御系が一時的に不安定になってしまい、立ち上がるのにやや時間を要してしまった。
その間に、土砂の怪物はシルバーストンに狙いを定めて、地面を揺らしながら歩み寄る。
「ピット、こちらシルバーストン。応答を」
ピンチの中で、シルバーストンは冷静に通信を送った。若い男性オペレーターが応答する。
『こちらピット。シルバーストン、状況は』
「非常にまずい」
『映像はこちらでもチェックしている。そいつは一体何なんだ』
どうやら、ピット側でもこの土砂の怪物については把握できていないようだった。シルバーストンは決意したように相手を見据える。
「出来る限りこいつのデータを送ります。今の私には勝てない」
『何だって!?おい!!』
「通信終わり!!」
そう叫ぶと、シルバーストンはデータ送信の回線だけを生かして、一方的に通信を遮断してしまった。ピットのクルー達が混乱している様子を想像し、心の中で「ごめんなさい」と頭を下げる。
「てえぁ――――!!!」
高速で相手の懐に潜り込むと、渾身の肘鉄をくらわせる。怪物は大きくバランスを崩して、わずかに後退した。
だが、怪物は全くダメージを負ってはおらず、後退したその姿勢から、抉るようなパンチをシルバーストンの胴体めがけて撃ってきた。
まずい。
回避できない。そう、シルバーストンの全てのセンサーが冷酷に判断を下した。そして現在のフレームのダメージを計算すると、深刻なダメージは避けられそうにない。瞬時にシルバーストンは防御フィールドを全身に張った。
だが、この怪物のパンチの直撃に、果たしてエネルギーを消耗した状態の防御フィールドが、どこまで耐えられるだろうか。
「シルバーストン!!」
「シルバーストン!!」
モンツァとハンガロリンクの悲鳴が響く。だが、この至近距離ではシルバーストンは覚悟を決める以外になさそうだった。凝縮された風圧を伴うパンチが、シルバーストンの眼前に迫る。
その時だった。
シルバーストンのCPUは、彼女自身まったく予期しない名前を、その音声回路に出力させた。
「鈴鹿―――――――――!!!」
シルバーストン達の戦いを見守っていたオペレーションルームで唐突に、バツン、という嫌な音がして、オペレーションルームの照明が落ち、緊急用の弱い照明に切り替わった。シェルター内のメインコンピューターも「POWER SAVING MODE」の表示になっている。それは、全く予期していない事態だった。
「どうした!?」
ベルガー司令はオペレーター達に確認を急がせた。
「異常発生!シェルター内で、何かが急速にエネルギーの充填を開始した影響で、全体へのエネルギー供給が一時制限されています!」
若い女性オペレーターが、パネルに表示されるデータを仔細にチェックしながら叫ぶ。
「どこだ!?」
「…出ました!これは…開発セクション最奥部にある、サーキットロイド用ポッドが急速に稼働を開始しています!」
「シェルター内の発電システムの30パーセントがメンテナンスに入っているため、このポッドをシャットダウンしない限り電力が復旧しません!」
その報告に、オペレーションルームにいたオールドウェイ博士は息を飲んだ。
「いくらサーキットロイドでも、ここまでのエネルギーを必要とする個体なんて…まさか!」
パネルに飛び付いた博士は、慌ててそのポッドを確認する。メインディスプレイに表示された、エネルギー急速充填中のサーキットロイドの名前に、全員が絶句した。
[Circuit-roid ID : J-1962 Unit name : Suzuka]
それは、今まで眠り続けていたサーキットロイドの、突然の胎動だった。
腰から下のメンテナンスと改修を受けている間、OSをシャットダウンされていたサーキットロイド・シルバーストンの意識はなかったはずである。しかし、その間彼女は確かに”夢”を見ていたのだ。
目の前に、真っ赤な髪の毛の少女が立っている。後頭部でその髪は結い上げられ、駿馬の尻尾のように、雅やかに風に揺れていた。
少女が手を差し伸べると、シルバーストンはその手を取る。その時、少女の声が確かに聞こえた。
『眠るから起こしてね。約束よ』
OSが再起動した時、シルバーストンは戻った意識の中で、腰から下のハードウェアが一新されている事に気が付いた。身体はすでにガレージではなく、いつもの専用ポッドに寝かされているが、表面のコーティングは施されておらず、上半身と下半身で肌色と黒い硬質な装甲材の、ツートンカラーを形成していた。
「お目覚めね、シルバーストン。気分はどう?」
シルバーストンの装備担当の女性クルーが、衣装の入ったケースを抱えて現れた。基本的にサーキットロイドたちは「女性」として扱われるため、外装やメイクアップ等に関しては、同じ女性クルーが担当する決まりになっていた。
「…システムは良好です」
「そういう時は、”快調です”って言えばいいのよ」
「はあ」
「珍しいわね、寝ぼけた顔して。夢でも見てた?」
「はい」
そう言って、シルバーストンは自分で「え?」と考え込んだ。
「…おかしいです。アンドロイドの私が、夢を見るなんて」
「興味深いわね。どんな夢?」
女性クルーは、衣装の準備をしながら訊ねる。
「…赤い髪の少女が…私に向き合っているんです」
「赤い髪の?」
「はい。そして、眠るから起こしてくれ、約束だ、と…」
そこで、女性クルーは少し真剣な表情でシルバーストンを見た。
「その赤い髪の少女って、まさか」
「え?」
「あなたが毎日のように会いに来る、彼女の事ではないの?」
そう言われたシルバーストンは、雷に打たれたような気がした。
赤い髪の少女。似ている。彼女に。
その時だった。
『緊急警報!エアリオらしき気圧変化反応多数接近!3分以内にシェルター隔壁を全閉鎖する!全ての人員は最寄りの安全な区画に速やかに移動すること!繰り返す…』
「!」
「大変!」
シルバーストンは、コーティングがされていない脚で慌てて立ち上がる。しかし、システム調整用のケーブルが首の後ろに繋がったままであり、引っ張られて再びポッドのシートに背中を打ち付けた。
「いたっ!」
「落ち着きなさい。あなたらしくないわね」
言われてみればそうだ、とシルバーストンは思った。何か感覚がおかしい。いつもは、緊急事態でも自分で嫌になるくらい冷静である。しかし、今のシルバーストンは妙に落ち着きを欠いていた。
「…あの夢を見たせいだ」
「何言ってるの?ほら、ストッキングを履きなさい。コーティングしてる時間はないわ」
「は、はい」
言われるままに、用意された黒のストッキングを無機質な装甲の上に履くと、いつものモスグリーンの戦闘用ドレスを着込む。
「私は出動に備えて、ガレージに移動します」
「ええ。戦闘になるでしょうけど、無事に帰って来てね」
女性クルーはシルバーストンの襟元を整えると、その煌めく銀髪を撫でた。シルバーストンは力強く頷く。
「了解!」
オペレーションルームは再び騒然としていた。つい先刻、二体のサーキットロイドを出動させた直後であり、いますぐに動ける機体はハンガロリンクという名の少女のみである。
「モンツァの調整はいつ終わる?」
「あの15分との事です!」
「5分で終わらせろ!シルバーストンの改修は?」
「終わっています!システム調整がまだ手付かずで――――」
「いい!あの子なら調整なしでも何とかできる!三人に出動態勢で待機させろ!」
ガレージに出動用タイヤの準備命令が伝えられ、ハンガロリンク、モンツァ、シルバーストンの3人も急いでガレージに召集された。
「敵の数は推定で5体。こちらのシェルターの正確な位置までは、掴んでいないようだ」
オペレーターの男性が、ガレージで待機する3人に説明する。
「だが、確実にこのシェルターの周囲にいる。おそらくだが、先ほど出動したトランスポーターの経路から、大まかなこのシェルターの位置を推測してきていると思われる」
「だいぶ知能が高い個体のようですね」
冷静さを取り戻したシルバーストンは、まだ調整の済んでいない脚の動きをチェックしつつ話を聞いていた。
「5体くらい敵じゃないわ!3人でソフトタイヤを履いて、超スピードで一気に仕留めよう!」
モンツァはいつものように勇んでそう言ったが、シルバーストンは首を横に振った。
「相手がどういうタイプかも、まだわかっていない。相手の位置関係は?」
「シェルターの周囲に、だいぶ距離を取って散開しているな」
壁の中型ディスプレイに示された、状況を示すマップをオペレーターは示した。シェルターを中心として、半径500から800メートルくらいの範囲に、5体のエアリオらしき気流の渦が確認されている。
「…3人で、敵の各個撃破はできませんか」
それまで黙っていた、ブラウンのショートヘアにチョコレート色の戦闘用ドレスを着た、ハンガロリンクが意見を述べた。
「なるほど。相手が距離を取っている事を利用するわけだな。シルバーストンはどう思う?」
オペレーターから意見を求められたシルバーストンは、もう少し冷静だった。
「敵は本当に、こちらの位置を知らないのでしょうか」
「なに?」
「もし、仮にここの位置を相手が正確に掴んでいるとしたら、各個撃破に動いた瞬間、残りの4体の敵が一斉にここを狙って動く可能性があります。そうなれば、防衛力を失ったこのシェルターは陥落します。敵が、周囲をウロウロするだけで襲って来ないのは、こちらが動くのを待っているためだと見ていいでしょう」
シルバーストンの分析に、全員が一瞬黙り込んだ。
「じゃあ、どうするってのよ。1人1体ずつ撃破する?」
「それも作戦としてはアリだと思う」
珍しく自分の意見を否定されなかったモンツァは、逆に不安になって訊ね返した。
「マジで言ってるの?」
「各個撃破にせよ1人1体にせよ、ここが手薄になるのは避けられない。といって、トランスポーターで出たラグナ・セカ達の帰投を待つのは時間がかかりすぎる」
「じゃあ、どうするの」
同じ問いをモンツァが繰り返すと、再びハンガロリンクが口を開いた。
「私がここを守ります。お2人が、撃って出ている間に」
その意見に、シルバーストンも同意した。
「それしかなさそうね」
「冗談でしょ。最悪、3体をこの子1人で相手する事になるのよ」
モンツァはハンガロリンクを庇うように、手で示しながら言った。シルバーストンは、少し考えたのちオペレーターに意見具申した。
「ハンガロリンクの作戦に修正を加えて実行してみます」
人類がエアリオと呼称する、謎の気体現象。人の形をした気圧の塊、とでも表現すればいいだろうか。それが5体、シルバーストン達が配属されているE-J331シェルターの、メインゲートが隠された岩陰を500m程の距離で包囲していた。
「エアリオと思われる気圧の塊は、いぜん動く気配がありません」
シェルターのオペレーションルームで、一人の男性オペレーターがレーダーの情報を見ながら言った。
「こちらの位置を掴んでいるという事でしょうか」
「その可能性は、最大限考慮に入れるべきだろうな」
ベルガー司令が、ルーム全体を見渡すポジションに着座してモニターを睨む。
「出動の準備は?」
「モンツァが早く出せと、うるさくてかなわないそうです」
「ふっ」
モンツァの金切り声に耐えるクルー達の鼓膜を心配したのかはわからないが、ベルガーは立ち上がって司令を下した。
「よし、シルバーストンとモンツァを出せ」
「了解!オペレーションルームよりガレージへ。サーキットロイド、シルバーストン及びモンツァ出動せよ!」
『了解!』
『待ちかねたわ!』
人工のAIの筈なのに、どうしてこうも感情の個体差があるのだろう、とクルー達は毎度の事ながら思うのだった。
シェルターの周囲に展開するエアリオ達のうち、南東方向にいた個体の背後から、闇の中を高速で接近するふたつの影があった。
それは、シルバーストンとモンツァであった。
エアリオは、彼女たちが現れた方向に驚いたのか、しばし硬直している様子だったが、すぐに二人の方向に向かってきた。
「一撃で決めます!」
「ええ!」
シルバーストンとモンツァは左右に展開し、向かってくるエアリオを挟み込むように、トップギアで突っ込んだ。
「せええ―――いっ!!」
「うりゃあ――――っ!!」
二人の回転蹴りが、エアリオの頭と胸部に炸裂する。エネルギーとエネルギーが衝突し、サーキットロイドのフレームに衝撃が走った。エアリオは、パーンと弾けて消滅する。
「よし!まず1体!」
「気を抜かないで!来ます!」
シルバーストンは鮮やかにターンしつつ停止すると、衛星通信による極地気圧マップを確認した。明らかにエアリオの特徴を持つ極小の気圧の渦が4つ、シェルターを離れて二人の方向に接近している。
「作戦成功です。彼らはやはり、シェルターのメインゲートの位置は掴んでいなかったようですね」
「連絡するよ」
「お願いします」
「こちらモンツァ!オペレーションルームへ、作戦第一段階は成功!残りの4体があたし達の方に向かってる!」
モンツァからの連絡を受けたオペレーションルームから、ガレージに指示が飛ぶ。
「ハンガロリンク、発進せよ!」
『了解!』
敵の影がなくなったメインゲートから、悠然とハンガロリンクがミディアムタイヤを履いて発進する。進路は、シルバーストン達の方向である。
シルバーストンの発案により、彼女とモンツァの二人は、崩壊の危険があるため閉鎖されていた古いゲートを強引にくぐり抜け、エアリオ達の予測していないと思われる方向から接近したのだった。これにより、エアリオ達はシェルターのゲートの位置がわからなくなったため、シェルター攻撃は諦めてシルバーストン達の排除に動く。
その隙を突いて、メインゲート側からハンガロリンクが出撃し、4体のエアリオを前後から挟撃するというのがシルバーストンの作戦だった。
「あんたの作戦どおりね」
「ここまではね」
「ご謙遜」
モンツァが軽口を叩く間に、少しずつ残りの4体が接近してきた。距離は300m、エアリオどうしはおおよそ100m程度の等間隔で、その幅は少しずつ狭まっている。
「どれからやる?」
「左側よ。路面コンディションがいい所に奴らを引き付ける」
「ようし!」
何だかんだで呼吸ぴったりの二人は、月明かりに淡く照らされた大地をハードタイヤで蹴った。
まず最初の左端にいたエアリオは、呆気なくシルバーストン達に片付けられた。残りは3体だが、向こうも作戦を変えたのか、二人を包囲するように旋回を始めた。
「またこの手の戦法か。ちっ」
「舌打ちは品格に欠けるわよ」
「はん。この状況で、品格ですって」
モンツァは背中を預けるシルバーストンに呆れてみせた。
そうこうしているうち、遅れてシェルターを出たハンガロリンクがようやく、丘陵の上に姿を見せる。
「ハンガロリンク!」
モンツァが叫ぶ。エアリオ達は背後からの急襲に気づいて、シルバーストンたちの包囲を解き、そのうちの1体がハンガロリンクに向かって行った。
「ようし!これで3対3ね」
「行くわよ!」
二人も散開すると、残る2体の敵にそれぞれ向かう。
「それっ!」
ハンガロリンクはエアリオの懐に飛び込むと、連続して蹴りを叩き込んだ。一撃の威力はモンツァ達に及ばないが、連続の正確な打撃はトータルで大きなダメージとなる。
相手が弱ったところで、ハンガロリンクは頭に強烈な回し蹴りをくらわせた。
「せいや―――っ!」
重い手応えがあり、エアリオの身体が破裂すると、周囲の土や石が風圧で弾け飛んだ。思わず顔をガードしたハンガロリンクが目を開けると、すでに他の二人もそれぞれ敵を片付けた後だった。
「さすがね、二人とも」
低速ギアでゆっくりと丘陵の上に、3人が集まる。月明かりに照らされる荒廃した大地は、不気味な美しさをたたえていた。
「どうなる事かと思ったけど、ハンガロリンクのアイディアで何とかなったわね」
「シルバーストンの修正のおかげよ」
「何でもいいよ、帰って休もう」
モンツァがそれとなく、シルバーストンとタイヤの摩耗を比較してみる。今回は、それほど大差ないようである。
3人が、敵の掃討につい気を緩めてしまった、その時それは起こった。
突然、猛烈な風が巻き上がった。
「うわっ!」
慌ててハンガロリンクは髪とスカートを押さえる。シルバーストンは冷静に、風の状況をセンサーでチェックした。
「今の戦闘による影響か…」
一瞬そう考えたシルバーストンだったが、センサーの情報に異変を認めると、すかさず他の二人の肩を押した。
「離れて!!」
「えっ!?」
「早く!!」
シルバーストンに押されるまま、他の二人も訳がわからないまま、全速でその場を離脱する。
次の瞬間、渦を巻いた暴風に周囲の土砂や岩の塊が巻き込まれ、渦巻く風の中で凝縮されていった。
「なっ…」
モンツァは絶句する。ハンガロリンクは声を出す事もできず、シルバーストンは臨戦態勢で眼前の現象を睨んでいた。
それは、土と砂と岩の巨人だった。風は圧倒的な負圧で凝縮し、その負圧によって吸い付けられた土砂と岩が、あたかも骨格や筋肉のように胴体と四肢を形成していた。
「なんなの、こいつ!?」
「こんなの、データにないよー!」
モンツァとハンガロリンクは狼狽して後方に下がる。すると、考える暇も与えず、風と土砂の巨人はその拳を振り下ろしてきた。
それまでの風の攻撃とは違う、質量を伴った一撃が、乾いた大地を直撃する。
「うわわっ!!」
パワーはあっても瞬発力に欠けるモンツァは、至近距離での回避が苦手だった。直撃こそ避けたものの、巨人の腕に左肩を打たれてしまう。
「あぐっ!」
「モンツァ!!」
庇うようにシルバーストンが立ちはだかる。そこへ、巨人は次の一撃を放ってきた。
全身の質量からして移動速度は鈍いようだが、攻撃そのものは予想外に速い。シルバーストンはモンツァを突き飛ばすと、自身もその場を飛び退いた。
「うあっ!!」
地面に強烈な土砂と岩のパンチが炸裂し、巨大な振動とともに土煙が盛大に立ち上がる。しかもその動作じたいが強力な風圧を伴うもので、シルバーストンはその気流の渦に巻き込まれ、見えない腕にねじ伏せられるように地面に叩きつけられた。
「ぐああっ!!」
シルバーストンのフレームに衝撃が走る。深刻なダメージこそ負わなかったものの、制御系が一時的に不安定になってしまい、立ち上がるのにやや時間を要してしまった。
その間に、土砂の怪物はシルバーストンに狙いを定めて、地面を揺らしながら歩み寄る。
「ピット、こちらシルバーストン。応答を」
ピンチの中で、シルバーストンは冷静に通信を送った。若い男性オペレーターが応答する。
『こちらピット。シルバーストン、状況は』
「非常にまずい」
『映像はこちらでもチェックしている。そいつは一体何なんだ』
どうやら、ピット側でもこの土砂の怪物については把握できていないようだった。シルバーストンは決意したように相手を見据える。
「出来る限りこいつのデータを送ります。今の私には勝てない」
『何だって!?おい!!』
「通信終わり!!」
そう叫ぶと、シルバーストンはデータ送信の回線だけを生かして、一方的に通信を遮断してしまった。ピットのクルー達が混乱している様子を想像し、心の中で「ごめんなさい」と頭を下げる。
「てえぁ――――!!!」
高速で相手の懐に潜り込むと、渾身の肘鉄をくらわせる。怪物は大きくバランスを崩して、わずかに後退した。
だが、怪物は全くダメージを負ってはおらず、後退したその姿勢から、抉るようなパンチをシルバーストンの胴体めがけて撃ってきた。
まずい。
回避できない。そう、シルバーストンの全てのセンサーが冷酷に判断を下した。そして現在のフレームのダメージを計算すると、深刻なダメージは避けられそうにない。瞬時にシルバーストンは防御フィールドを全身に張った。
だが、この怪物のパンチの直撃に、果たしてエネルギーを消耗した状態の防御フィールドが、どこまで耐えられるだろうか。
「シルバーストン!!」
「シルバーストン!!」
モンツァとハンガロリンクの悲鳴が響く。だが、この至近距離ではシルバーストンは覚悟を決める以外になさそうだった。凝縮された風圧を伴うパンチが、シルバーストンの眼前に迫る。
その時だった。
シルバーストンのCPUは、彼女自身まったく予期しない名前を、その音声回路に出力させた。
「鈴鹿―――――――――!!!」
シルバーストン達の戦いを見守っていたオペレーションルームで唐突に、バツン、という嫌な音がして、オペレーションルームの照明が落ち、緊急用の弱い照明に切り替わった。シェルター内のメインコンピューターも「POWER SAVING MODE」の表示になっている。それは、全く予期していない事態だった。
「どうした!?」
ベルガー司令はオペレーター達に確認を急がせた。
「異常発生!シェルター内で、何かが急速にエネルギーの充填を開始した影響で、全体へのエネルギー供給が一時制限されています!」
若い女性オペレーターが、パネルに表示されるデータを仔細にチェックしながら叫ぶ。
「どこだ!?」
「…出ました!これは…開発セクション最奥部にある、サーキットロイド用ポッドが急速に稼働を開始しています!」
「シェルター内の発電システムの30パーセントがメンテナンスに入っているため、このポッドをシャットダウンしない限り電力が復旧しません!」
その報告に、オペレーションルームにいたオールドウェイ博士は息を飲んだ。
「いくらサーキットロイドでも、ここまでのエネルギーを必要とする個体なんて…まさか!」
パネルに飛び付いた博士は、慌ててそのポッドを確認する。メインディスプレイに表示された、エネルギー急速充填中のサーキットロイドの名前に、全員が絶句した。
[Circuit-roid ID : J-1962 Unit name : Suzuka]
それは、今まで眠り続けていたサーキットロイドの、突然の胎動だった。
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