インキュバス

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インキュバスになっちゃった!

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「………………」


あれから、狐につままれたような気分のまま、自分の家に帰っていた。


押入れの中であった幻覚や鍵のことについて、刀麻先輩に話そうかとも思ったけど、自分でもちゃんと説明する自信がなくて、結局何も話せなかった。


「まあ……いいか……」


最後には自分でもなにがなんだかわからなくて、考えないことにした。
まあ、ハロウィンだしな。不思議なことのひとつでもあったって事だろ。
自分でもかけらも信じていないけど、そう思って納得するしかない。

そんな投げやりな結論でベッドに入ると、やっぱり精神的に疲れていたのか、見る間に意識は落ちていって……


       シャイン!


「……え?」

再び、あの真っ白な空間に落ちていた。

「また……か?」

二度目ということと、結果的にあそこから帰れたことが、以前より少しだけ僕を落ち着かせていた。


だけど……


「また、会えた……やっぱり……」


「……っ!?」
あの時の声が、今度はもっとはっきり、しかも後ろから聞こえて、飛び上がらんばかりに驚いてしまう。


そして振り返った先には……


「ふふっ……」

嬉しそうに笑いながら、僕をまっすぐに見つめる女の子の姿があった。


「………………」
一瞬だけ、可愛いな、なんてどうでもいいことが頭をよぎる。
この現実感をなくしている状態で、だからこそか、その女の子の美しさは異様だった。
この世のものとは思えない状況で、この世のものとは思えないくらい美しい少女が、人外の笑みを向けている。


僕はただほうけたようにその女の子を見つめていた。


「やっぱり、素質があったみたい。もう、私の体が見えてるなんて。」


「え……?」


「この夢の牢獄の中で、私の姿も、自分の姿ももう認識できてる。」
言いながら、僕の体を指差す。


「え……?」
そのまま、指の先を視線で追って、自分の体を見下ろすと、今度はしっかりと自分の体が見えた。


「アサクラ、カズヤ……だったよね?」


「う、うん……」
自分は今、かなり間抜けな表情をしているんだろうなと思う。


「き、君は……?」
なんとかそれだけを口にする。


「私の名前は、キ・シキル・リル・ラ・ケ。」


「へ……き、しきる……?」


「呼びづらかったらリルって呼んで。」


「う、うん……」
呼びづらいという前に、名前として認識できなかった。


「その代わり、私もカズヤのこと、お兄ちゃんって呼ぶね?」

「お、お兄ちゃん?」

「そう。駄目?」

「駄目ってわけじゃないけど……」
今まで一人っ子だった自分がそう呼ばれるのは、少しばかりくすぐったいものがあった。

「いいじゃない、これからはお兄ちゃんは私と同じモノになるのだから。」
くすくすと、楽しそうに女の子……リルが笑う。


「それが、私をこの牢獄から出してくれるお礼。」


「……おなじもの……お礼……って……」
立て続けに、そんなわけの分からない事を言われて、こっちもなんと言っていいのか分からない。

「それより、とにかくさっさとここから出ましょう。
 鍵が開きっぱなしだからって、牢獄の中でお話なんて、あまり楽しくないわ。」

どこか上品に微笑みながらそう言うと、リルはそっと僕の手を引いて、そのまま……


「え……?」


「さあ、行きましょう。」

そして、こっちが驚いているのにも構わず、ゆっくりと浮かび上がって……


「う、わわわわわわっ!?」


      ボワッフ!


白一色だった視界が、一瞬にして夜空に変わる。


その瞬間……


「あは、あはははははは!
 そと、外だっ!」

耳のそばで鳴る風の音にも負けない勢いで、リルの声が突き刺さってきた。


「あの生ぬるい、絡みつく、いやらしい白じゃない!
 ちゃんと澄んだ、夜の空気!
 人の気配と、闇の気配!
 あは、あはは、あははははははははっ!」
 

それは、確かに、無邪気に笑っているもののように聞こえたけれど……
一瞬、なぜか、どこかに狂気が潜んでいるかのような気がしてしまった。

「ねえ、ねえねえねえ!
 お兄ちゃん、ここって、外だよね!?
 外なんだよね!?」


「あ、ああ、そうだよ。」
勢い込んで、僕の方を振り向くリルに、気圧されるようにうなずいてしまう。


「~~~~~~~~~~っ!!」

うなずく僕の顔を、リルは泣き出しそうな、笑い出しそうな、何かをかみ締めているような顔で見つめていたかと思うと……

「出られた、出られた、出られたんだっ!」
もう一度、さっきと同じように叫びだした。


「カズヤ、私、すっごくうれしいんだよ。
 今まで生きてきて、こんなにうれしかったことなんて、なかったくらいうれしいんだよ?」


「あ、ああ……」
それは、まあ、見ていればわかる。

こんなに嬉しがっている人間というのを、僕も見たことがない。
夜の空気をたたくように、リルの翼が大きくひるがえる。


「………………」

僕は、その光景を無理やり引かれた手の下から、ぼうっと見つめてしまっていた。
歓喜の声も、感じた一抹の狂気も関係ない。
僕の手をつかんだまま、自由に飛んでいるリルに、思わず見とれてしまっていた。


「……ん?
 どうしたの?」


「……あ……」
あんまりじっとして見ていたせいか、とうとうリルが気づいて声をかけてきた。


「いや……その、羽根……」


「うん?
 翼?
 これが、どうしたの?」


「いや、その、いいなって。」
なんと応えていいのか分からず、感じたままに言っていた。


「?
 どうして?」


「いや、そりゃ、だって、うらやましいだろ?
 空を飛べるっていうのは、古来万能の象徴だって言うし。」

なんとなく気恥ずかしくて、そんなどうでもいい薀蓄まで語ってしまう。


「ふうん……」
ばさばさと、クダンの翼を羽ばたかせながら、まじまじとリルが俺の顔を覗き込む。


「な、なんだよ……?」
決まりが悪くて、つるされたまま少しすねたみたいな言い方をしてしまうと……

「クスッ……」
小さく、リルに笑われてしまった。

だけどそれは、馬鹿にしているとかそういう類のものではなく、どちらかというと、なにか新しいおもちゃでも見つけたかのような笑い方だったと思う。

「いいよ、翼をあげる、なんでもあげる、カズヤが、お兄ちゃんがほしいものはなんでもあげる。
 だから……ずっといっしょにいてね。お兄ちゃん。」


「……え?」


「さっきも言ったでしょ?」


「なに……を……?」
子供に何かを言い聞かせる母親のように、柔らかく微笑むリルに、僕はそれこそ子供のように、呆然と聞き返すことしかできない。


「お兄ちゃんは、私とおんなじモノになるんだって……」
目の前に、薄く細められた、リルの瞳。


そして……


「ん……」


「……んんっ!?」


そして、唇にかすかに濡れた暖かい感触を感じる。

「んふ……」
僕が驚いているのを、リルが楽しそうに笑っているのが分かる。
だけど、そうやってもらした笑みの吐息さえ、僕の顔をなでていく。


「んく……?」
そんな、生まれて初めての感触に戸惑っていると……


「ん……ほら、お兄ちゃん、口をあけて……」


「え……? あ……む……っ!?」

「んっ……はむっ……ちゅっ……」
小さな舌が、僕の口の中に入ってくる。

思考が現実においついていない。
そのくせ心の片隅では、ファーストキスだったのになぁ、なんて、のんきなことを考えていたりもする。


「んっ……ふぅ……はぁ……」
熱い吐息が、自分の口の中に直接吹き込まれる。
僕の舌をくすぐるみたいに、リルの小さな舌が這っていく。


「んっ……ちゅっ……はむ……ぷはぁ……」
さらりとしてどこか甘い、だけど生々しいリルの体温を伴った唾液が、僕の口の中に滴らせられる。
その一つ一つに、頭が霞がかったように動かなくなっていく。


「あ……う……く……」
このまま、リルに食べられてしまうんじゃないか、なんて馬鹿げた事を考える一方で、それは、とても幸せな死に方なんじゃないかとも思ってしまう。

どれほどの間、そうしていただろう。


「ふぅ……」
ちゅるり、と、水の滴る音と一緒にリルの体温が、僕からはなれていた。


「あ……」
少しだけ、それが惜しいと思ってしまった。


「リ、リル……?」
さっきから、自分の周囲で現実感、という言葉が、ものすごい勢いで意味をなくしている。

「ふふっ……やっぱり、カズヤは私のお兄ちゃんになれると思ってたんだ。」
そんな僕の気持ちも知らず、リルは少しだけピンクに染まった頬と、赤く濡れた唇で、楽しそうな笑みの形を作る。
考えてみれば目の前の僕の日常を片っ端から破壊して回っている少女に、物を聞こうっていうこと自体が、間違っているような気もする。
でも、ほかに聞ける人がいるわけでもないし……

なんて、そんなことを考えていたら……

「あ……?」
不意に、それがやってきた。


「あ、あ……」

「ほら、始まった。」


「な、なに……を……」
それ以上は言葉にならない。


「あ、あがっ!
 うぐっ……く……う……」

突然、全身が灼熱に覆われた。


「いいよ、お兄ちゃん、こんなにうまくいくなんて思わなかった……」
どこか陶然としたものをにじませながら、リルが何かを言っているのが聞こえる。
だけど、そんなことを気にしている余裕はこっちにはない。

全身の細胞に火が点いたみたいな痛みとも、熱さともつかない感覚。


気が狂うんじゃないかと思うくらいの、その苦痛の中で、必死にあがく。

「あ、あああ……あ……」


「ほらほら、がんばって、お兄ちゃん♪
 もう少しだよ。」

楽しそうな声……

自分の正気を保つために、その声にすがるように、必死に意識を集中する。



と……




「え……?」

不意に、痛みが消えていた。
それどころじゃない。
なんだか全身が妙に軽くなっていた。

いや、それどころでもなくて……

リルが、僕の正面に立っていた。
正確には、正面から1メートルほど前で。
ホバリングするみたいに、夜闇に浮いていた。
もちろんその手はさっきまでみたいに、僕の体を抱えていたりはしない。


つまり……


「飛んで……る?」
僕の体が、夜空に浮いていた。

目の前のリルと同じように。


「まさか……?」
恐る恐る、後ろを見ると……

「う、わ……」
翼だった。
蝙蝠の翼だった。

リルの翼とおんなじようなデザインではあったけれど、自分が男なせいかリルの翼にあった線の細さはなく、典型的な、悪魔の翼という形になっていた。

「え?
 え?
 いや、ちょっと待った、なんだ、これ?」



「すごいすごい、お兄ちゃん、こんなにうまくいくなんて。」
喜んで一夜の周りを飛び回るリル。

「い、いや、なにが!?
 な、なんなんだよこれっ!?」

「なにって、翼だよ。お兄ちゃん。」
こともなげに、リルが言う。


「そ、それは見ればわかるっ!」

「うん?
 お兄ちゃん、嫌だったの?」

「そ、そんなの……」
当たり前だろう、と言いかけて、言葉はそこでとまってしまった。

当たり前だとは、思う。

「でもお兄ちゃんが言ったんだよ。
 ワタシの翼がいいなって。」

「それは……そう、だけど……」
確かに、そう言った。

「だったら、いいじゃない?」

「………………」
その言葉に納得してしまいそうになる。
いや、それどころか、完全に納得してしまっていた。
これで、今までのあたりまえな、退屈な日常から解放される。


それが……


それがとても魅力的に思えて……


「僕は……僕はどうなったんだ?」
自分でも意外なほど、落ち着いた口調で聞いていた。

「ふふっ……」
そんな僕の様子を満足そうに眺めながら、リルが笑う。

「言ったでしょ、私とおんなじになるって。」

「リルと……?」

「そう。私と同じ、夜の夢を渡るナイトメア。
 私のような雌体はサキュバス。
 お兄ちゃんみたいな雄体はインキュバス。」

「サキュバスにインキュバスって……
 異性の夢に入るって、あれか?」

「知ってるんだ?
 まあ、ホントはそれも、「あいつら」が勝手につくった区分なんだけどね。」

一瞬だけ、リルの眉間が苦々しげに狭められる。

「……?
 って、ちょっと待て、えっと、それって、もしかして、俺は夜な夜な女の子の夢に忍び込んで。
 そのエッチな事を……」

「夜な夜なって事はないよ。お兄ちゃん。」

「そ、そっか……」
ちょっとだけ残念な気もするけど……

「だけど、あんまり女の人の夢に入らないままだと、生気がなくなって死んじゃうけどね。」

「って、忍び込まなくちゃ駄目なんじゃないか!?」

「だ、大体どれくらいに一度忍び込まなくちゃ駄目なんだ?」


「さあ、今までに溜め込んだ生気にもよるみたいだし、私は三日以上空けたことはないから。」

「でも、1000年以上あの真っ白なところにいた間は……」
そっとリルを見る。

「あれは牢獄だもの。あの中にいる分には関係ないわよ。」
悲しそうに答えるリル。

「じゃ、じゃあ……」

「ずっとあそこにいる?
 私が今までいた、1000年以上もの時間。」

ちょっと?怒った顔で答える。


「………………」

「なんて言っても、もう銀の鍵もなくなっちゃったし、戻りたくても戻れないけどね。」

「そ、そっか……」
正直、ほっとしてしまう。
この体に対する違和感や、嫌悪感はほとんど感じていないくせに、あの空間に対してはなんともいえない恐怖がついてまわる。

「気のせいか、体から力が抜けていくような……」


「あ、お兄ちゃんは今日インキュバスになったばかりだから、全然生気が足りてないんじゃないかな?」

「お、おいおい……」

「それに、インキュバスになったばっかりのお兄ちゃんじゃ、誰の夢の中にでも入れるってわけじゃないだろうし。」

「?
 それってどういう……」



「うーん、細かい話はおいておくけど、新米インキュバスのお兄ちゃんは、夢の中に入るのにまだ慣れてないから、まずは入りやすい人の夢に入らないと駄目って事。」

「入りやすい人……って?」
簡単に言うとお兄ちゃんに対して警戒心の少ない人、よく顔をあわせる女の人ってこと。

「よく、顔をあわせる……」
その言葉に図書委員の三人の顔が、頭に浮かぶ。

「……って、何考えてんだ、俺は……」

「どうしたのお兄ちゃん?」
リルが不思議そうに覗き込む。

「え? い、いや、別に……」
慌てて、その場をつくろうが・・・・・・

「うふふ……」
リルが、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、いじわるそうに微笑む。

「な、なんだよ?」

「お兄ちゃん。経験ないんでしょ?
 さっきのキスでわかったもん。」

「な……」
見た目年下の女の子に自分の経験のなさでからかわれるのは少しばかり決まりが悪い。

「だから、私がついていってあげる。」
そう言って、にっこり微笑む。


「え?」

「え? じゃなくて、今にも誰かから生気をもらわないと、お兄ちゃんが危ないんだから、ほら、誰かいないの?お兄ちゃんの知っている人。」

「そんな事、急に言われても……」
図書委員のみんなにしても、家を知っているほどの知り合いは……


「あ……」
そういえば、あそこの教会が刀麻先輩の……

「どうしたの?」

「いや……その……」

「お兄ちゃん、何をためらっているのか知らないけど、そのままじゃ明日の朝までに死んじゃうよ?」

「……っ……」
リルの言葉に今まで感じた事のない疲労がのしかかってくるのを自覚する。


「こ、こっちだ……」
強烈な眠気に襲われたみたいに薄れていく意識をなんとかつなぎとめながら、翼を動かしてうろ覚えの道をたどっていく。

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