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第一章

8. 十一年ぶりの語らい③

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 苺を含んだ口を、もぐもぐと動かすクリスティーナを見つめながら告げる。

「だから俺は、ティナを守るべく、悪を排除するために発言したまでだ」

 訝し気な表情そのままに、クリスティーナは首を僅かに傾けた。まるで意味が分からないと言うように。

「分からないだろうから、危険な悪、というものを、今からクリスティーナに教える」

 こくん、と頷いたあとで、クリスティーナは口を開いた。
 何かを発するためではない。子供のように、あーん、と開いた口ひとつで、もっと苺を寄越せ、と王女らしからぬ振る舞いで催促してくる。
 人の話を訊くにはどうかと思う態度ではあるが、王女様に従うまま、もう一つ苺を放り込んでから、危険な存在を明かす。

「それはな、 勝手に理想を抱き、妄想をたくましくさせ、下心満載で近づいてくる、獣のことだ」


 暫しの静寂のあと、「⋯⋯うん?」と間の抜けた声が、周囲の人間の一人から漏れる。
 何かを察知しかけて戸惑っている様子が、疑問じみた声から滲み出ていた。
 だが、その声に答えてやる義理はない。

「ティナは、素晴らしい王女だと評判だ」
「ええ、任せて。王女歴は二十年よ。王女らしく振る舞うのは特技なの」

 苺を飲み込んだクリスティーナが得意気に言う。これでは、本来の姿を隠し、自ら王女を演じていると言ってるも同然だが、事実でもある。あるべき姿を守り通しているのは、クリスティーナが自らに厳しく律しているからに他ならない。

「そんな素晴らしい女性だと思われるからこそ狙われるんだ。女性なら年齢問わず、国も問わず、見境ない女好きのくせして、さらに完璧な女性に理想を押し付けて、悪の手を伸ばそうとか、絶対に許せん。そんな世にも恐ろしい悪の代表格がエリックだ!  俺は魔の手がティナに伸びないよう、エリックの夢を潰したまでだ!」

「ちょっ、えーっ?   途中から嫌な予感したっけすど、ちょっと待って、えーっ!?」

「いいか、ティナ。エリックとは今後話さなくていいからな。こいつは危険だ。何かされそうになったら直ぐに言えよ?」

 エリックを指さしながら言えば、「わかったわ」と、やけに真面目くさった顔で、クリスティーナが力強く頷く。

「待ったーっ!  姫さんまで、ちょっと待ったー!  なんすか、これ。何で俺が危険人物扱い!?  ひでぇー、殿下が俺にひでぇー」

「日頃の行いだろうな」

 冷たく突き放したのはダニエルで、他の者達もそれぞれの反応をみせた。

 オルヴァーは女癖を、「最早、才能なのでしょう」と淡々と言い、アルクは顔を反らして吹き出している。

 リリーは、感情が表に出やすいのか、眉間に皺を刻みながらエリックを見る目に、隠しもしない侮蔑の色を宿していた。

「みんなして、そりゃないっすよぉ。俺は純粋に憧れてるってだけで」

「純粋の意味を知ってるのか?」

「ひでぇー、殿下がどこまでもひでぇー! 姫さんに手を出すとか、そんな恐れ多いこと考えもしませんよ。そもそも、恋人がいる女性に手は出しません!  だから恋人のいる姫さんに、そんなことしませんってば!  これは俺のポリシーっす!」

 最後は姿勢を正して言いきったエリックに、口を開いたのはクリスティーナだった。

「私、恋人なんていないけど」

 即座に「え?」と、全く同じ反応が四つ重なる。アデイン陣営だ。

「息がピッタリだなんて、やっぱり仲良しなのね。でも、なぜ私は驚かれているのかしら」

 なぜと言われても、なんて答えていいものか、探るようにアデイン側の四人の視線が絡まる。

 これはどういことだ。別れたのか。あれはただの噂だったのか。絡み合う視線から思いが伝わってくるようだった。

 目で語り合っても答えなど出ようはずもなく、だが踏み込んで聞くにはあまりにも繊細な話題だ。

 しかし、驚きが先行していたせいで忘れていた。『純粋』よりもよっぽど、『繊細』の意味を知らないのが、エリックだったということを。

「姫さん、男爵家の息子と付き合ってるんじゃないんすか? 上級文官なんすよね?」

「えーーっ!」

 不躾な質問に、クリスティーナから勇ましい叫び声があがった。

「どうして? どうしてエリックが知ってるの?」

 知っていることに驚愕するならば、やはり恋人がいない、というのが間違いなのか。
 エリックとは話さないよう言ったのは、ついさっきなのに、クリストフェルが疑問に思考を奪われている間に会話が続いてしまう。

「噂で訊いたっす。姫さんに恋人がいるって、他国でも結構有名な話だと思うっすよ」

「えーーっ!」

 絶叫、再び。

「噂? ヴァスミル国内ならともかく、他国にまで噂が回ってるの?」

 知ってた?  と、クリスティーナが慌てたようにアルクとリリーの方を向けば、アルクは呆れた表情を作った。

「そりゃあ、知ってましたよ。ご自分が注目される存在だって、いい加減自覚しましょうよ」

「嘘、知ってたんだ。もしかしてリリーも?」

「はい」

 リリーは静かに認めた。

「知らなかったわ。だって誰も私に何も言わなかったじゃない」

「ええ。姫様に直接訊ねるような不届き者はいませんでしたからね」

 リリーに皮肉を吹かれ『申し訳ない、不届き者がいて』心で詫びる。
 しかし、全く皮肉が刺さらないのが当の本人、エリックだ。

「で、やっぱり噂は本当なんすか?   文官の男と付き合ってるって」

 何という直截ちょくさいな聞き方。リリーに牽制されたというのに、一体どんな神経をしているのか。これが同じ文化圏で生きる同じ人種なのかと、時折、理解に苦しむ。
 しかし、クリスティーナに気にした様子はない。

「そうね、噂は過去においては本当の話ね」

「というと、もう付き合ってないんすか」

「ええ、終わったことよ」

 その答えに胸がきしむ。何かあって、泣く泣く別れるしかなかったのではないか。そんな疑念が浮かび、考えるより先に口を突いて出ていた。

「国王陛下に反対されたか、縁談でも持ちかけられたのか?」

 クリスティーナが首を振る。

「お父様は何も仰らないわ。私のことは、どう扱っていいのか持て余してるでしょうし、縁談が来ても兄が握り潰してくれているわ」

 ならば何故。答えを得られぬまま、エリックが呟いた。

「別れてたいたとは……」
「そこは箝口令を敷いたんで。まぁ、完全には無理でしょうけどね」

 答えたのはアルクだったが、箝口令を敷く、その言葉がどうにも引っかかる。
 クリストフェルは、こっそりとリリーを盗み見た。

 奥歯を噛み締め、膝に置いた両の手は、拳を作り僅かに震えている。
 やはりリリーは、感情が表に出やすいようだ。

 何かある。クリストフェルは直感的にそう思った。これ以上、別れた原因には触れない方がいい、そんな気がした。

「縁談を握り潰すとは、流石はティナの兄上だな。簡単にティナをくれてやりたくはないんだろう」

 軽い口調を装い、話題の方向性を僅かにずらす。

「私も結婚は考えていないわ。まだまだやりたいことがあるんだもの。なのに、強引に駐在公使の役職を回してくるだなんて」

 訊けば、前任者が外れたのには、クリスティーナの兄である、レイナルド王太子が一枚噛んでいるらしい。
 前任者の退任は、表向きは妻の病気が理由だが、その実は不貞発覚により、妻が錯乱状態に陥ったというのが裏背景で、

「奥さんにバレるように仕向けたのは、絶対に兄よ。私にこの役を就かせるための、兄の陰謀だわ。あの策士め!」

 と、口を尖らせクリスティーナは断言する。

 前任者は、クリスティーナ達の従兄弟で、ヴァスミル国王位継承権第四位でもある。仕事は杜撰ずさんだったらしく、そういった諸事情も含めレイナルドは動いたのだろうが、引き継いだクリスティーナからすれば、しわ寄せをまともに食らった形だ。その荷は相当なものだろう。だが、それに対応出来るだけの、あらゆる知識をクリスティーナは叩き込まれている。

 何故なら、女子には王位継承権は認められていないものの、帝王学に準ずる英才教育を幼少の頃から受けていたからだ。これは、ヴァスミルの王位継承資格者が少ないことの要因による。

 ヴァスミル現国王の子供は、クリスティーナより十歳年上のレイナルドと、クリスティーナの二人のみ。王妃は体が弱く、クリスティーナが九歳の時に儚くなったが、国王はその後も独り身を貫いている。つまり、レイナルド王太子以降の継承者層が薄い。

 喜ばしいことに、今でこそレイナルドは二人の子息に恵まれたが、それまでは、レイナルドの次の順位継承者は、不貞を犯した前任者の従兄弟だったのだから、先行き不安な悩ましき問題であったはずだ。

 恐らく国王は、女子にまで継承権を広げることも視野に入れ、クリスティーナを教育した。或いは、当時はまだ見ぬ次世代の継承者、レイナルドの子息を補佐する立場に置くために。

 事実、レイナルドの長男はまだ五歳と幼く、成人前にレイナルドに何かあれば、幼き子を導く補佐的人材が必要となる。だとすれば、国王の判断は間違ってはいなかった。間違いではないが、クリスティーナに与えられた使命はこれだけではない。それがクリストフェルには切ない。

 だが、クリストフェルは知っている。どんなに重い責を負わされようとも、その為に努力を重ねなければならなくとも、それでもクリスティーナは、笑ってこう言うのだ。

 ──そのために私は生まれてきたの、と。


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