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108. アイツと俺との離れた時間-6

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 この手の話には、一切の口出しをしてこなかったはずの親父の名が出てきて、内心での動揺が激しい。
 親父には、心に決めた女がいると、跡を継ぐと決めた時点で伝えてある。
 それなのに、その親父が乗り気で同席するとならば、考えられるのは一つ。
 俺の意思なんざ捨て置き、本気で政略結婚させようという腹づもりだ。

「だったら尚更、俺は行かない!」

 秘書に対して声を張り上げた。

 ……冗談じゃねぇ。

 やる事はやってきた。これからだって、そうするつもりだ。だが、俺の幸せまで売り渡す気は更々ない。会社を守りながらも、自分の幸せは自分自身で掴み取る。

 これだけは絶対に譲らねぇし、政略結婚もしねぇ!

「社長が何を企んでるのか知らないが、それに従うつもりはない。俺には大切な女がいる」

 毅然と言い切る俺に、

「今回ばかりは辛抱して下さい」

 秘書は尚も引き下がらない。
 行かない、ダメです、の押し問答の末、結局、互いに一歩も譲り合わないまま会社に辿り着く。
 車から降りた俺は、受付にいる林田の顔を見る余裕すらないままエントランスをくぐり抜けると、さっさと執務室に立て籠った。
 さばかなければならない山ほどの書類を前に、考えるのは奈央と会食の事ばかり。

 此処から何とか逃げ切って、絶対奈央に電話してやる!いや、どうせ逃げるなら、それこそNYに行きゃぁあいい。NYに行って、奈央をさらってやるまでだ。そうだ、それしかねぇ! 愚図愚図せず直ぐに行動だ!

 意を決した俺は、金庫室にしまってあるパスポートを手に掴んで急いでドアへと向かう。
 が、しかし……。
    逸る気持ちを抱え勢いよく開けたドアの先で、俺は愕然とした。

「うっ」

 ……な、何故にお前らがいる?



 目の前に立ちはだかる黒い壁。正確には、黒いスーツに身を包んだガタイの良い男が三人並ぶ。――SPだ。
 警視庁の人間ではなく、会社で雇用しているのだから、本来ならボディーガードと言うべきだが、便宜上SPと呼んでいる者たちが、雁首揃えて居並んでいる。

「専務、どちらへ?」
「……トイレだ」

 黒スーツの内の一人に訊かれ、ここを突破するために吐いた嘘は、

「それでしたら、こちらは必要ないかと。お預かりいたします」

 目ざといSPにあっさりと見破られ、手にしていたパスポートを奪われる。

 クソっ! 何処まで俺の邪魔をする気だ。こうなったら強硬突破か? 腕っ節なら自信はある。自信はあるが、何せ相手はSPだ。三人纏めて倒すのは至難の業か。でも、倒せなくても、逃げ切るだけの隙さえ作れれば……。

 『よし!』と意を定め、やる気満々に指の関節をポキポキと鳴らし、拳をきつく固めた時だった。黒い壁の隙間から、ひょっこり顔を覗かせた秘書が口を挟んだ。

「専務、申し訳ございません。これは社長命令です。ですが、私も人の子。専務のお気持ちも理解できます。専務がそこまで拒絶するのでしたら、目を瞑りましょう。大切な女性の元へ行かれるおつもりなんですよね? でしたら私共には止められません」

 ……おっ、分かってくれんのか?

 天の声にも聞こえる秘書の言葉に、思わず口許が弛む。

「悪いな」
「いいえ、致し方ありません。専務の為です」

 随分と物分かりが良くなったのが、いささか引っかかる気もするが、この際、どうだっていい。とにかく、早く行かせてくれ! と心で叫ぶ俺に、秘書の一撃が追加された。

「私も覚悟を決めました。可愛い女房と幼い娘を抱えている身ではありますが、首を覚悟で私達は専務を支持致します」
「なっ!」
「そんなに驚かれなくても……。社長命令に背くわけですから、ここにいる者全員の首が飛ぶことくらい、容易に予想はつきます」
「っ!」

 まさか、こいつの発言は、全て計算尽くされた上でのものか? 理解するフリをして、実は情に訴えるという、狡いやり口で。



 しかし、秘書には産まれたばかりの赤ん坊がいるのも事実だ。しかも、突き刺さってくる複数の目が痛い。どれもこれも、訴えかけるような縋りつく眼差しだ。

 ……っていうか、SP共! デカイ図体して、そんな情けない弱々しい目を晒すなっ!

「……分かったよ、分かった。会食には行く。だからパスポートは返してくれ」

 奴等の立場を考えれば、自分の意志を貫き通すわけにも行かず、一旦、引き下がるしかなかった。
 トイレには当然行くつもりもなく、執務室へと戻るために背中を向けようとした視界の端。秘書の浮かべた笑みに腹黒さを垣間見た気がした。
 それでも実際のところ、今ここで俺が暴走でもしたら、奴等の立場も危ぶまれる可能性は拭いきれなくて。社員の生活も保障しなければならない立場にある身としては、取り返したパスポートを手に、大人しく執務室へと戻るしかなかった。
 デスクに戻っても仕事なんてする気にはならず、思考だけがぐるぐると回り、どうするべきかと答えを探す。
 会食には行くには行ってやる。秘書たちのメンツのためにも。だが、親父の思い通りにさせる気も毛頭ない。
 押さえられぬ苛つきのまま、昼まで待てずに奈央の番号を呼び出すが、やはり繋がらず⋯⋯。

『待ってろよ、奈央。こっちを片付けたら、今度こそ捕獲しに行くからなっ!』

 息巻く俺の揺るぎない決意は、会食の時間が押し迫り、拉致られるように押し込められた車の中でも変わる事はなかった。
 先ずは、会食場所へ着くなり、結婚する気はないと、親父にも相手にもハッキリ断言する。
 それが終わったら、速攻で逃走だ!


 ──しかしそれは、杞憂に終わることとなる。

 

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