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99. 旅立ちの時-3

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 裏門近くの木に寄りかかってから十分程か。

「やっぱりな」

 求めていた姿を見つけ、苦笑が溢れる。
 おそらく、こんなことだろうと思っていた。
 まだ俺の存在には気付かず、裏門へと向かって近づいて来るのは、他でもない奈央だ。
 在校生に見送られ、正門近くで別れを惜しむ卒業生たちは、その場からなかなか離れられずにいるのだろう。今だって、俺のいるこの場所にまで、生徒達の賑やかな声が聞こえてくる。
 だけど、奈央はそこから抜け出してくる。同級生や後輩達から囲まれるのを避け、正門ではなくひっそりと裏口から出て行くはずだ。教室で、瞬きもせずに焼き付けるような奈央の眼差しを見た時、誰にも何も言わずに旅立つつもりだろうと、確信にも近いそんな予感がしていた。

「おーい、こらっ!」

 寄りかかっていた木から身体を起こし呼びかければ、華奢な肩がピクリと撥ねた。

「本気で黙って行くつもりだったのかよ」

 呆れながら近づく俺に、まさかいるとは思っていなかったのだろう奈央は、驚いたように目を見開いている。

「おまえなぁ、いくら見送られるのがイヤだからって、何も言わずに行くことねぇだろ? それに……、」

 言葉を区切った俺は、奈央の後ろに視線を動かした。
 奈央に話し掛けている途中で気が付いた、奈央の背後遠くにいる二人の人物。俺と同じように奈央の行動を先読みし、見送ろうとしている二人の姿に、胸の奥がじんわりと熱くなる。

「挨拶しなくていいのか?」

 眉を潜め、俺の視線を追うように振り返った奈央は、

「ぇ……」

 二人を視界に収め、小さく戸惑いの声を漏らした。

「行って来いよ」

 戸惑いを隠せない奈央は、身動きせずに目だけで俺にどうすれば良いか尋ねているように見える。

「奈央、家族だろ? あそこにいる二人は、形は変わっても間違いなくおまえの家族だ」

 もう一度、振り返り奈央が辿った視線の先。そこには、まだ蕾しか持たない桜の木の下で、奈央を見つめる奈央の実の父親と、母親と思われる女性が揃って佇んでいた。



 固まったまま動けないでいる奈央の背中をそっと押す。それでも、足に力を入れ踏み出そうとはしない奈央に、

「一緒に行こうか?」

 そう問えば、コクンと頷いた奈央の背中を促しながら、両親の元へと一緒に向かった。
 俺達が近づくと、文化祭以来の父親と、初めて見る目元が奈央とそっくりな母親に頭を下げられる。

「お嬢様のご卒業、おめでとうございます」

 声をかけた俺もまた、同じように頭を下げた。

「沢谷先生、娘が大変お世話になりました。本当にありがとうございました」
「奈央の母です。先生、本当にありがとうございました」

 俺に目線を合わせた両親は、もう一度頭を下げた後、奈央と向き合った。

「奈央、卒業おめでとう」
「おめでとう、奈央」

 父親に続き、柔らかく声をかける母親。
 両親からの祝いの言葉も、僅かに首を縦に振っただけで何も言おうとはしない奈央は、きつく唇を噛んでいる。何を話せば良いのか、本気で分からないでいるのだろう。こうして親子三人が顔を合せるのは、奈央の両親が離婚してからだとしたら、六年以上振りになる。
 両親から愛されていたと理解はしても、普通の家族のように振舞うのは、奈央にはまだ難しいのかもしれない。戸惑いが生じるほど、すれ違っていた時間はあまりにも長い。ましてや、激しく罵ったあの日以来の再会となる父親には、気まずさも感じてるに違いない。
 だけど、そんな娘を、この両親が理解していないはずがなかった。奈央を良く分かっているからこそ、こうしてこの場所にいるほどの両親なんだから……。


 何があっても、両親の奈央に対する見返りを求めない無償の愛は変わらない。形は違えど、家族の繋がりを放棄するつもりも微塵もない。そう思わせるものを父親の右手に見つけ、俺は父親の前に手を伸ばした。

「私が撮りますよ、家族写真」

 俺の言葉に反応した奈央が、父親の持つカメラに素早く視線を投げる。

「お願いできますか?」
「勿論です」

 父親からカメラを受け取った俺の横では、困惑したように奈央が眉を寄せる。そんな奈央の腰に母親が手を回し、自分達の方へと引き寄せた。

「奈央? あのアルバム、ほとんどお父さんが撮ったものなのよ?」

 柔らかな口調で奈央に話し掛ける母親が指すのは、神戸に帰った時に奈央が見せられたという、大量のアルバムのことだろう。

「写真を撮るのが好きって言うより、あなたの成長をカメラに収めるのが大好きな人なの」
「……」
「奈央の中学の卒業式だって、こっそりやって来ては何枚も隠し撮りしてたんだから」

 微笑みながら母親が語る、知らなかったに違いない真実を前に、閉じていた奈央の口元が「え?」と形取る。
 奈央だけではない。

「気付いてたのか?」

 父親もまた、驚いた様子で差し挟んだ。

「えぇ。あなたのことだから、無理してでも来るような気もしていたし」
「だったら、声をかけてくれれば……」
「声をかけたら、あなたは写真撮るのを遠慮してしまうでしょう? 奈央に会わないで欲しいと頼んだのは私だから」

 ごめんね、奈央……と、母親が奈央に視線を戻し話を続けた。

「私とお父さんは離婚してしまったけれど、私はお父さんを一人の人間として、とても尊敬しているの。お父さんの奈央に対する愛情も、どんなに離れていても疑ったことはないわ。だから、中学の卒業式の時も、もしお父さんが来れなかったとしても、私は奈央の写真を送るつもりでいたのよ?」
「……」
「奈央には辛い思いをさせてしまったけど、私とお父さんの思うところは一緒よ。奈央、あなた愛してる」

 奈央の長い髪を撫でる母親と

「愛してるよ、奈央」

 奈央の肩に手を置き、愛しげに目を細める父親。
 二人の変わらぬ愛情に触れ、奈央の唇が徐々に震え出す。とうとう、肩まで震え出した奈央を見つめる二人の眼差しは、何処までも優しい。


「こんなに大きくなって」
「あぁ、本当だな。産まれた時は、あまりにも泣き声が小さくて心配したものだけどな」
「そうだったわね。ミルクが欲しくても小さい声でしか泣かなくて、奈央は産まれた時から我慢強い子だったわ」
「我慢強くて、そして負けず嫌いだ」
「えぇ、本当に……。ねぇ、あなた覚えてる? 奈央が補助なしの自転車を練習していた頃のこと」
「勿論、覚えているよ。毎日毎日、擦り傷作って帰って来て、気が気じゃなかった」
「遂にはあなた、奈央に見つからないように、影からずっと隠れて見ていたものね」
「何かあったらと思うと心配だったんだ。転んでも転んでも泣きもせずに立ち上がる奈央に、何度手を差し出そうになったか分からないよ」
「奈央は、本当に負けず嫌いだから。そう言うところ、あなたにそっくりよ?」
「我慢強いところは、君譲りだ」

 両親が幸せそうに声を漏らして笑う。
 俺は、何も言わずにシャッターを切った。
 奈央を挟み、奈央の成長を振り返り語られる両親の話を訊きながら、我慢できなくなった奈央の嗚咽が交じる中で、俺はシャッターを切り続けた。
 奈央の瞳から止めどなく流れ落ちる涙。左右からは、慈愛に満ちた眼差しが包み込む。
 ファインダー越しに見たそれは、紛れもなく愛情溢れる家族の姿で……。
 俺は何度も何度も、カメラにその姿を記憶させた。

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