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75. 過去を受け入れて-2
しおりを挟む「だから言わんこっちゃない! 良いですか? 水野は我が校において最も期待のおける生徒なんですよ?」
テストが終わって二日。
順位が廊下に貼り出された日の放課後の職員室で、俺はまた教頭のターゲットにされていた。
原因は奈央の成績だ。
この高校に転入してきてから、ずっと奈央が守り続けていたトップの座は、今回、裕樹に奪われた。
十位以内に入れなかった奈央の成績は、十四位。
「だから言ったじゃないですか! ちゃんと指導するようにと」
一向に止みそうにない教頭の怒りを浴びながら、『14位だろ。充分じゃね?』と、心の中で反発する。
今まで、取り憑かれたように勉強してきたんだ。それは、余計なことを考えないための術だったかもしれない。
いや、それだけじゃないかもしれない。違う側面もあったんじゃないか、と思うのは勘繰りすぎか。喜んでくれる親の顔が見たいがために、努力してきた子供の時のままに、きっと今までも……。
いずれにしても、ひたすら頑張ってきた奈央が、抜け殻のようになり机に向かわなくなっても、俺は何も言わずにきた。
……言えるはずねぇだろ。
傷ついても傷ついたとは言えず、拠り所も求めず。憎しみと言う屈折した形ではあっても、自分を支えるために必死に頑張って生きてきた奈央に、何をこれ以上頑張らせる必要がある?
今は休息の時だ。
自分の結婚さえ犠牲にしようとしていたんだ。それだけの覚悟を以て、復讐を糧にし生きてきた。
その糧を見失った今。奈央に一番必要なのは、充分な休息と居場所だと思っている。
家に帰れば、何も語らずとも今までのように俺の傍にいる奈央が、新たな道を模索し見つけるまで、俺は黙って見守るつもりだ。
奈央なら、必ず今の状況から脱するって、絶対に信じているから……。
二年間の自分を消し去り、今はまだ混迷の中に身を置いている奈央だけど、そんな状態でさえ、これだけの成績を残したんだ。褒めてやっても良いくらいだ。
それもこれも、我武者羅に勉強に励んできた奈央の今までがあったからこそ。決して容易なことじゃない。
なのに、この目の前の糞オヤジは……。
「何か文句でもあるんですか! この大事な時に、そもそもあなたには三年を受け持ってるという自覚が足りないんですよ!」
反抗的な心の内が表情にも出ていたのか、目を剥く教頭は、益々、ヒートアップしていく。
他の先生達でさえ視線を外しオロオロする中。学年主任である福島先生だけが、事の成り行きを黙って見ている姿を、視界の端で捉えた。
「大体ね、あなたは水野奈央の価値を全く理解していない!」
……奈央の価値?
「水野には、有名所の大学に是が非でも入って貰わなきゃ困るんですよ。水野にはそれだけの頭脳がある。過去を見ても例がないほどにね。我が校の名誉は水野が背負ってると言っても良い。我が校の名誉と知名を不動のものにする為にも、こんな所で潰れてもらっては困るんです!」
「…………ふざけんなよ」
俺の中で、ブチっと何かが切れる音がした。
「はぁ?⋯⋯沢谷先生、今、なんと仰いました?」
教頭から向けられる険しい視線。それ以上に、怒りに支配された俺の目付きは鋭くなっているに違いない。
「訊こえませんでしたか? ふざけるな、と言ったんですよ!」
「なっ!」
沈黙を通していた俺が突然に張り上げた声は、瞬時に職員室の空気を凍てつかせた。
「水野の存在価値は、こんなくだらない所にあるわけじゃない!」
「っ!」
「勉強? それが何だって言うんですか。ここを巣立ってからも、アイツには長い人生が待ってるんだ。その為に必要なものは、何も勉強だけじゃない!」
「……っ」
「学校の地位や名誉を勝手に押しつけて、勉強勉強って騒ぐのが教育ならば、んなもんクソくらえですよ!」
ヒクヒクと頬を引き攣らせ、言葉を失う教頭の眼に冷ややかな視線を送る。
「アイツは今、葛藤の中にいる。それは前向きに生きる為の表れだと、自分はそう信じてます」
「……」
「そんなアイツに心を養う時間を与えて何が悪い。長い人生を考えれば、今のこの時間なんて大した時間じゃない。その時間が今の水野には何よりも大切なんです。誰かのためじゃなく、自分自身のために」
「……」
「それでも人格を無視して教頭の言う教育を押し付けると言うのなら、俺は教師としても人としても、アイツを全力で守るまでです」
教頭の作った拳がわなわなと震え出した。
「なっ、何を偉そうにっ! 昨日今日教師になった若造に、教育のなんたるかを言われたくはない!」
「その若造でも、あなたよりは水野奈央という人間を見てきたつもりです。謝罪するつもりも、自分の発言を訂正するつもりもありません」
「っ!」
「ただ……」
一旦、言葉を区切って周りを見渡す。
「大きな声を上げ、みなさんにご迷惑かけた事に関しては謝ります」
巻き込まれるのはごめんだ、とでも思っているのか、何の反応も見せない同僚達。
その中に、黙って俺達の動向を窺っていたはずの福島先生の姿がない事に気付いた。
福島先生には、後できちんと謝んねぇとなぁ。
学年主任と言う責任ある立場上、福島先生にも、教頭の怒りの矛先が向くとも限らない。
「さ、沢谷先生! 我が校においてふさわしくないあなたの発言や私に対する無礼は、校長にも理事長にも報告しますから、そのおつもりで!」
「ええ、どうぞ」
どうせ校長や理事長に言ったところで、大したことにはなりやしない。二人には既に、今年度一杯で辞職する旨も伝えてある。そして、俺が“沢谷”の人間である事も承知している二人だ。事を荒げたくないのが本音だろう。
尤も、たとえ沢谷と言うネームバリューがなく大ごとにされようとも、俺は間違ってるとは思わないし、謝罪する気は露程もないが。
「あっ、それから……」
怒り収まらぬ顔の教頭を尻目に、
「水野は、潰れたりなんかしませんよ。絶対に」
職員全員に言い放ち、話は打ち切りだとばかりに背を向けた俺は、福島先生を探すためその場を後にした。
*
……何処行ったんだ?
部活の顧問もしていない福島先生。校舎内にいるはずなのに見つからない。
先生が良く使う準備室を覗いてもいないし……。まさか、トイレに行ってるだけとか?
一階から順に見て行き、残るは三年の教室がある階だけだ。部活も引退してる三年のフロアには、もう誰もいないだろうが、念のために覗いて、それでもいなかったら、気は重いが職員室に戻るか。そう思いながら三年のフロアに辿り着いた時。それは俺の耳に入ってきた。
「今、何を思う?」
踊り場から声のする廊下に出れば、声の主である福島先生と、順位表を見上げる奈央がそこにはいて……。俺は、咄嗟に踊り場の壁に背をつけ身を隠した。
「水野さん? あなたは今、何を思うかしら?」
奈央からの返答はなく、もう一度福島先生が柔らかな声で問いかける。
「………………私は……」
かなりの間を開け話し出した奈央は、
「私は、間違ってなかった」
そう答えた。
「間違ってなかった?」
「……はい」
こっそり奈央の様子を窺えば、微動だにせず貼り出されている順位表を見上げたままだ。
「感情に振り回されなければ……、こんな成績にはならなかった」
「……」
「だから私は、間違ってなんかいなかったんです」
「……」
「無駄な感情を捨てて、周りの感情にも流されないで……そうやって私はトップを守り続けてきたんですから」
「そう」
「でも、もう……」
焦らす事もなく話の続きをジッと待つ福島先生の顔は、凄く穏やかで優しかった。
「感情を捨てるのが難しい」
「うん」
「今だって……どうして……こんなに泣きたくなるんだろう」
か細い奈央の声は震えていた。
福島先生からハンカチを差し出された奈央は、今、間違いなく泣いている。
今すぐにでも抱きしめてやりたい衝動に駆られた俺は、それを押し留めるように拳をギュッと固めた。
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