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62. 放たれた想いの刃-7

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 ……怖いよな。怖いと思うよ。今まで黙っていた上に、笑いもしないお姉さんに突然話かけられたんだから。

 いきなり声をかけられた莉央ちゃんは、怯えるように怖々と奈央を見上げた。
 俺も林田も奈央が何を言い出すのか、内心ハラハラしながらも黙って様子を窺う。

「よくそんな咳するの?」

 莉央ちゃんの母親の話が出たから、もしかすると、とんでもない事を口走るのではないか……。と、奈央を信じる一方で、ほんの僅かばかり俺の中に生まれた心配は不要だった。
 愛想の欠片もない奈央の問いに、莉央ちゃんは首を縦に振る。

「深呼吸して」
「……」
「大きく息吸って吐き出せって言ってんの」

 言われるままに従った莉央ちゃんからは、『ぜぇぜぇ』という呼吸音が聞こえてくる。

「シールは?」
「……」
「胸か背中にシール貼ってない?」
「…………今日は貼ってない」

 俺と林田には分かり兼ねる内容でも、莉央ちゃんには通じたらしい。

「由香。ヒロにホクナリンテープ持ち歩いてないか聞いて来て」
「ホ、ホク……?」
「ホクナリンテープ」
「う、うん。分かった」

 意味など分からなくても、早くしろと言わんばかりの目で奈央に追い立てられ「ホ、ホクナリン、ホクナリン……」と繰り返しながら、林田は裕樹の元へと駆けて行った。

「なぁ? そのテープって何だ?」
「気管支の症状を緩和する薬」
「それって、喘息とか?」
「多分」

 ぶっきら棒に話す奈央との短い会話を終えると、林田が薬の袋を持って戻って来た。

「裕樹、今、手を離せそうもないから預かってきた」

 ムッとした表情で奈央は溜息を落とすと、林田から薬を受け取る。

「服、捲るよ」
「…………うん」

 莉央ちゃんの洋服を捲り背中を露にさせると、小さな四角いテープをそこに当てる。くすぐったそうに仰け反る背中に、奈央は手際良く貼りつけた。
 そんな奈央の姿に、俺達の口元も自然と緩む。しかし、それはほんの束の間のことだった。
 洋服を整えている奈央は本当に姉らしく見え、本来、やはり面倒見のいい奴なんだと、改めてそう思っていたところで、突然、奈央は作り途中の折り紙を莉央ちゃんの手から奪った。

「ちょっと奈央。折角、莉央ちゃんが作ってるのに何すんのよ」

 口を挟んだ林田を無視して、奈央は莉央ちゃんの鞄に折り紙をしまいながら俺を見る。

「この子、帰らせて」

 温度のない言い様は真意を量れないが、それは直ぐに奈央が続けた言葉で明らかになる。

「熱がある」
「え?」

 小さな額に手を当ててみる。

 ……確かに熱い。

 シールを貼る時に、奈央の手にもこの体温が伝わったのだろう。

「どう?」

 心配そうに訊ねてくる林田に

「あるみたいだな」

 と答えると、林田はまた裕樹の元へと走って行った。



「先生! すみません。迷惑掛けて」

 慌てて駆けこんで来た裕樹は、確かめるように額に触れると「ごめんな」と、熱のある本人より辛そうな顔で莉央ちゃんの頭を撫でた。

「大事な妹なら、こんな人が大勢いるとこ連れて来るべきじゃないんじゃない?」
「……ごめん」
「私に謝ることじゃないけど」

 莉央ちゃんが咳き込む度に苛ついていた奈央は、存在を疎ましく思ったが為ではなく、風邪を引いているのに、人混みへ連れて来たことに対して憤っていたのかもしれない。

「水野。仕方なかったんだ。お袋さんが入院して裕樹だって困ってたんだよ。それより裕樹。もう係の方は良いから、家に帰って莉央ちゃん寝かせてやった方がいい。車で送って行くから」

 俺が話し終えると、林田は裕樹のブレザーを引っ張り心配そうに見上げた。

「でも裕樹。病院に荷物届けに行くんでしょ? その間、莉央ちゃんどうする? 連れて行けないだろうし……」

 良く聞けば、裕樹は面会時間になったら、入院中に必要な物を母親に届けなければならないと言う。しかし、風邪を引いている莉央ちゃんを、入院病棟に連れては行けない。

「由香、心配しなくても大丈夫。何とかするから」

 何とかするってどうすんだよ。

 暫く沈黙し考えていると、何ともいじらしい声が耳に入ってきた。

「りお、ひとりでおるすばんできるよ。いいこにしてまってる」

 健気だな。だからといって真に受けるわけにはいかない。熱まである、こんな幼い子を一人にするなんて……。

 よし、決めた!

「裕樹、このまま莉央ちゃん連れて帰って、俺んちで預かるわ。水野も手伝ってくれ」
「先生!」
「沢谷!」

 驚く裕樹と林田。その後には「馬鹿じゃないの」と冷めきった声が続く。

「裕樹、面会時間まだなんだろ? だったら、時間来るまで此処にいて、時間になったら病院行ってこいよ。お前が帰って来るまで責任持って預かるから」
「いや、でも、先生にこれ以上迷惑掛けられません」
「どうせ今日は生徒会主催の文化祭だし、教師の俺はそんなに忙しい訳でもない。事情を説明して後は他の先生にお願いするから。あっ、林田。お前も手伝えよ?」
「うん。勿論、私はいいけど」
「じゃ、決まりな」

 さっさと話を進めていると、刺々しい言葉が裕樹へと投げつけられた。

「この子の面倒なら、ヒロが尊敬する人にでも頼めばいいでしょ。可愛い娘なんだろうから」
「……父さん、忙しいんだ。今は仕事外せないと思う」

 目を伏せ遠慮がちに話す裕樹に、奈央が冷笑を浮かべる。

「勝手ね。面倒も見れずに子供作って、そのしわ寄せはヒロにきてるじゃない。理解あるのは結構だけど、そうやってヒロはあの人に利用されてんのよ。せいぜい、二人とも無惨に捨てられないように───」
「奈央、止めてくれ!…………頼む」

 封じ込めるように被せた裕樹の語気は鋭く、しかし、震えていた。
 同時に奈央は言葉を呑みこみはしたが、それは裕樹の頼みを聞き入れたからじゃない。
 尖った口調で攻撃する奈央から、莉央ちゃんを庇い裕樹が止めに入ったように、莉央ちゃんもまた、裕樹を守っているように見えた。
 人見知りで大人しいはずの莉央ちゃんが、恐れもせず奈央に真っ直ぐな眼差しを差し向けている。うっすらと涙が浮かぶ瞳は、明らかに怒りを宿していて、小さな拳を固く握り締めていた。
 その訴えるような眼差しを目に留めた時。奈央は紡ぐ言葉を忘れ、鋭さが抜け落ちた視線を宙に彷徨さまよわせた。

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