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60. 放たれた想いの刃-5

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 何処もかしこも賑やかな声と熱気に溢れている校内を、見回りも兼ねて歩き廻る。
 一通り巡って、何事もないことにホッとしながら時計を見れば、時刻は昼になろうとしていた。
 焼きそばを販売している我がクラス。本格的に忙しくなる時間だ。
 昼からは、人員を増やした体制での係の交代もあるし、様子を見にクラスに戻ろうかと人の波を避けながら歩いてる廊下で、今朝、お袋さんの具合が悪いために遅刻をすると連絡があった裕樹を見つける。

「裕樹! 今来たのか?」
「はい、遅れてすみません」
「いやそれはいいんだ。それよりお袋さんの具合はどうだ?」
「実は入院する事になって。あっ、でも数日で退院出来るんで心配は要らないんですけど。ただ……」

 裕樹は顔を曇らせ言い澱んだ。

「どうした? 何か困ったことでも……あ!」

 裕樹の背後からひょっこり顔を出した姿に気付き、話の途中で奪われてしまった俺の視線。しかし、直ぐに俺の視線から逃げるようにその姿を隠してしまった。

「あっ、隠れた。あはは、可愛いな!」
「先生………妹なんです」
「あぁ」
「母さんが入院したせいと、少し風邪気味ってのもあって、俺から離れないんで連れて来たんですけど。でも俺、午後から係の仕事入ってるし……」

 困ったように眉を下げた裕樹に、伝えることは直ぐに決まった。

「何も心配すんなよ。妹は面倒見るから、お前は係の仕事を予定通りすればいい」
「でも、先生………」
「問題ないから。ほら教室行くぞ」

 俺の後ろから気の乗らない裕樹と、その裕樹に隠れるように歩く妹。
 教室の引き戸の前で、入るのを躊躇した裕樹の腕を掴み中へと促せば、目敏くその姿を見つけた女子達が、黄色い声を上げて駆け寄って来る。

「わぁー、芹沢君の妹?」
「可愛い~!」

 取り囲まれたことに驚いたのか、裕樹の制服をギュッと掴んでいる妹は、咳をしながら顔を俯かせ、誰とも目を合わそうとはしない。

「こらこら、おまえ達と違ってチビちゃんはシャイなんだぞ。あんまり驚かすなよ。仕事がないんなら、どっか他のクラスにでも遊びに行って来い」

 裕樹の妹を構いたいのか、もしくは、裕樹により近付くための切欠きっかけにしたいのか……。どちらにしても、騒ぎ立てられるのは避けたくて、女子達を蹴散らした。

 教室の隅で裕樹兄妹を一旦待たせ、その間に生徒の一人を捕まえ状況確認を済ますと、倉庫と化してる別の教室へと走る。
    目的の物を見つけ両脇に抱えると、急いでまた引き返した。
    抱え持ってきたものは、軽量仕様のパーテーションだ。それを周囲の目から遮断するように教室の端に立て置き、そこで妹の面倒をみようと机をニ個ずつ向かい合わせにテーブルを作った。
 初めての人だと、馴れるまでに時間が掛かるらしい裕樹の妹とは、何度か会った事があるという林田を呼びつけ、面倒をみて貰えるよう頼み込む。

「いいよ。かったるい仕事も終わったし」

 快く引き受けた林田を見て、裕樹の妹も小さな声で「ゆかちゃんだ」と言うと、強張っていた表情をやっと綻ばせた。

「林田、宜しくな。俺も傍にいるようにするし、あともう一人にも頼むつもりだから」

 そう言うなり顔色を変えた裕樹と林田。

 ……揃って不安そうな顔すんな。

 裕樹が妹を連れて来た時点で、初めからそのつもりでいたし、考えを変えるつもりは毛頭ない。

「先生もう一人って、もしかして……」
「ああ、裕樹の想像通りだ。適任だろ? 今、他の先生に頼まれて職員室に焼きそば届けてるらしいけど、直ぐ戻って来るはずだから」
「待って下さい。奈央には頼みたくありません」
「そう言うなって。それにほら、ちょうど帰って来たぞ」

 きっぱり拒否する裕樹に構う事無く、教室の入り口に視線を合わせれば、タイミングよく戻ってきた奈央の姿が視界に入る。

「水野! ちょっとこっちに来てくれ!」

 声を張り上げ奈央を呼ぶと、すかさず裕樹が止めにかかった。

「先生、待って下さい!」
「裕樹。大丈夫だ。大丈夫だから」
「だけど……」

 裕樹が戸惑う間にも、呼ばれるままに近づいて来た奈央は、俺達の前で足音を止めた。

「何でしょうか」
「水野、頼まれごとしてくれないか?」
「……出来ることなら」

 先程の強引な約束の件があったからか、迂闊うかつは踏めないと警戒を強めているようだ。

「勿論、出来ることだ。裕樹の妹の面倒を見て欲しいんだ」

 そう言って、林田と並んでいる裕樹の妹へと目で促させば「え?」と、形取った口元から声にならない声を漏らした奈央は、ゆっくりと俺の辿った視線の道筋をなぞる。
 その途端、今まで崩れなかった優等生の奈央の表情が、瞬時にして緊張したものへと変わった。
 それを察した林田は、奈央の視線から遮るように妹の身体の前へとさり気なく出た。

「林田、悪いがチビちゃんと一緒に飲み物でも買って来てくれるか?」
「分かった」

 金を預けると、林田は妹の手を取り教室を出て行った。
 一旦この場から妹を遠ざけ、「立ち話もなんだから、お前ら一先ず座れ」と二人を椅子に座らせる。

「何故、私が面倒をみなくてはならないんですか? 彼を手助けする義理などありません」

 芹沢と向かい合う形で椅子に腰をかけた奈央は、周囲を気にして声こそ潜めはしたが当たりは強く、大人しく言うことを聞くつもりはないらしい。

「子供好きだろ? はなちゃんと遊んであげてたじゃん」
「子供は嫌いって言ったでしょ」

    敬語を放棄した奈央は、剣呑な雰囲気を漂わせた。

「睨んでも無理。もう決まりだから」
「先生……」

 間に割って入って来たのは裕樹だ。
 何が言いたいのかは分かるが、悪いが聞く耳を持つつもりはない。

「裕樹、こんなこと言ってるけど、奈央は子供に好かれんだぞ。任せて大丈夫だ」
「なに勝手に決めてんのよ」

 奈央の文句を最後に、それぞれが何かを考えるように落ちた沈黙。
 それを破ったのは裕樹だった。

「奈央」

 呼び掛けに答える代わりに、奈央は目線のみを裕樹に合わせる。

「頼む。アイツを傷つけるような真似だけはしないでくれ」

 頭を下げて頼む裕樹を冷たく見た奈央は、フッと馬鹿にしたように笑った。

「へぇ、良いお兄さんしてるんだ。そんなにあの子が大事?」

 冷笑を湛えたまま奈央が陰湿に返せば、即座に頭を上げた裕樹は、身を乗り出し奈央の腕を掴んだ。

「あぁ、大事だよ。もしも、アイツに何かしたら、例え奈央でも許さない」
「そう。好きにしたら? 私なら、別に何をされても構わない。人を許せない気持ちは、誰よりも私が知ってるしね」

 挑発する奈央を見る裕樹の目にも強さが増す。奈央も決して逸らしはせず、空中でぶつかりあう二つの視線。
 奈央を掴む手はそのままに、裕樹が思いを込め言い聞かせるように話しだせば、奈央は緩めていた口元を引き締め、鋭利な眼光を向けた。

「大切な妹なんだ。俺だけのものじゃない。だからこそ大切だとも思うし、可愛くも思う。アイツは──」

「…………」





「───────奈央にとっても妹だろ?」




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