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59. 放たれた想いの刃-4

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 昨日、仕事を終えてから何年かぶりに顔を出した実家。
 安らぎを感じたことなどそう多くはなかったはずの場所で、昨夜は少しの緊張と、そして僅かな温もりを得た、不思議なひと時を過ごした。
 そのせいで気持ちが高ぶっていたのか、まともな睡魔に襲われず、またもや俺は睡眠不足だ。

 寝不足は、人をイラつかせる。

 ……と、言いたいところだが、それだけが理由じゃない。睡眠不足を差し引いたって、普通にムカつくだろ、この状況。

「噂には聞いてたけど、めちゃ美人じゃね?」
「ね、彼氏いる?」
「今度、一緒に遊び行かね?」

 どっから湧いてきやがった、このチャラ男ども!

 そう、今日は文化祭。そして今、制服を着崩した他校のチャラ男達のターゲットになっているのが、午前中の当番である奈央だった。
 教室内前方では、受付と会計、品物を渡す係、と生徒達五人ほどで流れ作業が出来るよう一列に並んでいる。
 その背後では、林田ともう一人の生徒が、ホットプレートを使って焼きそばと、焼きそばの上に乗せる目玉焼きを作っていた。
 奈央はその中の会計担当だ。
 財布からなかなかお金を出さずに、口ばかり動かすヤロー相手にも、奈央は学校内でのいつもの表情で対応している。
 一昨日のあの面談の日。完璧なまでに作り上げてきた優等生の顔は、感情が先行して一度は崩れたというのに、昨日も今日も、まるで何もなかったかのように優等生面を取り戻していた。こんなチャラけたハイエナ共にさえ、戸惑うフリはしても決して素の態度はさらさない。尤も、腹の中では辛辣に詰っていると思われるが……。

「後がつかえるから前に進んで~。それから俺の可愛い教え子ナンパしないように~」

 流れ作業の列と調理組に挟まれた通路をうろつきながら、群がるハイエナを退治にかかれば

「チッ、うぜっ」
「センコーかよ」
「うっせーんだよオヤジ」

 次々に浴びせられる無礼極まりない暴言の嵐。

 このクソガキどもがッ! 

    奈央に関わるとなると、怒りの導火線はどうしたって短くなる。思わず、表に出ろ! と喉まで出かかるが、喧嘩腰の昂る感情は辛うじて抑制した。だが、表情筋までには行き渡らず、こめかみや頬はピクピクと痙攣し、目尻が吊り上がったまま戻らないのを自覚する。凶悪な形相になっているに違いない。
 進学校と名高いうちの学校では、他校とのトラブルを極力避けるために、昔から敢えて平日に一日だけ文化祭を催すのがしきたりだ。今年も例年通り、平日の金曜日に開催されているというのに……。

 なのに何故だ。何でこんな時間にいる? 
 学校はどうした、学校は! そんなに此処に居たいなら、卵でも投げつけて、そのパッサパサに傷んだ茶髪に卵黄パックでもお見舞いしてやろうか?

 イライラが急上昇の真っ只中、

「ぷっ!」

 割って入ってきた耳障りな吹き出す音。神経を余計に高ぶらせる音源を辿れば、背を向けた林田の肩が小刻みに震えている。どうやら笑いに堪えかねているらしい。

    何を呑気に笑ってんだよ。真面目に係の仕事しろ!

 八つ当たりのオプション付きで小言の一つでも言ってやろう、とくわだて近付いてみたが、その前に林田の隣で目玉焼きを焼いている生徒に声をかけられる。

「先生、ちょっとだけ代わって? トイレ行ってくる!」
「あ?……あぁ」

 仮にも食べ物扱ってんだから、デカイ声でトイレとか言うなよな。と、注意する間もなく走って行ってしまった生徒に代わり、プレートの前に林田と並んだ。

「で? 何が可笑しいんだよ?」

 他の生徒達に気付かれないよう小声で話す。

「顔」
「お前、失礼過ぎるだろ」
「沢谷、顔に出過ぎ。少しはアレを見習ったら?」

 アレが何なのかは訊くまでもない。優等生のことだ。

「まあね、分からなくもないけどね。でもそんなんじゃ、他の奴等に不審がられるよ? 少しは自分の立場も考えな」
「…………分かってるよ」
「はぁー、ったく」

 八つ当たりどころか小言も言えず、敢えなく立場は逆転した。邪な企てをした報いか、諭されては立つ瀬もない。呆れた様子の林田は、しょんぼりする担任を置き去りに、ついでに作り途中の焼きそばも放り出し、急にこの場を離れた。

「コラっ、林田どこ行く気だ!」

 目玉焼きと焼きそばと、俺一人じゃ手に負えないだろうが!

「あちっ!」

 ホットプレートの上に乱暴に置かれたヘラ。熱を持った複数のヘラと格闘しながら、焦げ付きそうな焼きそばをほぐす。

「代わります」

 食材から目が離せずにいた俺に、ふいに声が届く。間違うはずもないこの声は、林田ではなく奈央だった。

 え、林田は? と辺りを窺うと、

「あ? 何か文句あんの? とっとと金出しな!」

 奈央がいるべきはず会計の場所に林田はいて、奈央がいなくなり不満を漏らしている男達を相手に凄んでいた。その様は、先程までの経緯を知らなければ、まるでカツアゲだ。

 アイツ、本当に昔イジメられてたのか? 今のたくましさからは全く想像もつかないんだけど。

「林田と代わったのか?」
「はい。ここは熱くて堪えられないそうです」

 俺の手からヘラを奪い奈央が静かに答えた。
 それはこじ付けで林田が気を遣ったのだろう。此処にいれば、奈央が変な連中に声を掛けられずに済むからと。更には、ナンパする連中のせいで、これ以上、俺の表情が物騒にならないようにと。

「変な男の相手して疲れたろ」
「はい」
「無視してればいい」
「はい」

 奈央とこうして話すのも一昨日の夜以来だ。あれからも奈央はマンションには帰って来ていない。学校でも話す機会はなかった。
 たった丸一日だけど、直接その声が訊けなかった俺にとっては、例え一言の『はい』であっても、自分を押し殺し作り上げているだろう優等生の返事であっても、拒絶しないでいてくれる事に安堵する。

「ヤケドしないようにな?」
「はい」
「今日は好きなだけ、大量に作っていいからな?」
「……………はい」

 即答しないところに素の奈央を垣間見たような気がして、嬉しさに任せ笑みが浮かぶ。
 その笑みも収め、続けて願いを言い渡せば返事はなかった。

「明日、時間を作って欲しい」
「……」

 プレート上で音を立てる卵を、意味もなく弄りながら横目で奈央を窺う。表情が崩れないのを良いことに一気に畳み掛けた。

「逃げんなら、どんな手使ってもとっ捕まえるけど? 無駄に逃げるか、諦めて俺の話聞くか。どうする?」

 そこまで言ったところで、トイレから戻って来た生徒の姿を教室の入口に見つける。

「明日、連絡入れるから。必ず時間作れよ」
「……」

 バタバタと近付いてくる足音。

「先生、ごめんね。アレ? 水野さん、林田さんと交代したの?」
「うん、そうなの」

 戻って来た生徒により話は強制終了。しかし、返事だけは貰っておかねばならない。流石に他の奴がいる前で、優等生は俺を邪険には出来ないだろう。

「水野さっきの件、分かったな?」
「………はい」
「問題ないな?」
「……はい」
「約束は守れよ?」
「………分かりました」

 何の話か興味があるのか、卵を焼きながらチラチラ見る生徒に気付かぬふりして、しつこく念を押しもぎ取った言質。約束せざるを得なかった状況で交わしたこの約束を、奈央が有効とみなすかどうかは疑問だが、それでも逃げるなら、宣言通りとっ捕まえるだけだ。

「じゃ、二人共頑張ってな」

 チャラ男に言い寄られている時より、間違いなく腹を立てているに違いないのに、やはり奈央の表情は一ミリたりとも崩れない。だから俺も、何食わぬ顔して声を掛け、その場を離れて他の生徒達の中へと紛れて行った。

 きっと明日は、かなり冷たくされるだろう。それも仕方のない事だ。強引な約束を取り付けられたのが面白くないと思う以前、俺が話すつもりの内容自体が受け入れ難いはずだ。そうやって否定しながら生きて来たのだろうから。
 アイツが、所々で零した言葉がその表れ。全てを知った日から、記憶を辿っては言葉の一つ一つを思い出していた。まるでジグソーパズルのように言葉のピースを繋ぎ合わせれば、それが奈央の抱えていた闇だった。
 昔、裕樹がそうであったように、俺もまた、何気ない言葉で奈央の傷口に触れた。何も知らなかったとはいえ、それを『ごめん』だけで済ませたくはない。
 全てを受け入れろとは言わない。それでも、奈央は知るべきだ。

    どうやって伝えるのがベストか……。見回り以外にやることのない俺は、明日の約束ばかりを考えてしまう。
    でもそれは、予定外の出来事によって無意味に終わった。
 明日を待たずして訪れた、避けては通れない状況。
 奈央は逃げようもなく、そして俺もまた、決して逃そうとはしなかった。

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