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57. 放たれた想いの刃-2

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「此処か?」
「うん」

 門燈の明かりに浮かびあがる『Mizuno』の表札。
 迷わずインターフォンを鳴らし担任であることを伝えると、隔てられていた重厚な門がゆっくりと開いた。
 ライトアップされた噴水を横目で見ながら、玄関へと続くアプローチを二人並んで歩き、西洋風の建物を目指す。

「凄いでしょ、奈央んち」

    何度見ても溜息出ちゃう、とブツブツ言う林田に「あー、うん。そうだな」と実家を思い浮かべながら曖昧に答える。
 辿り着いた玄関には、頭を下げて待っている一人の初老。

「夜分に突然申し訳ございません。奈央さんは御在宅でしょうか?」
「はい。しかし、本日は誰とも取り次がないよう仰っておりまして」

 物腰の柔らかいその初老は、申し訳なさそうにまた頭を下げた。

 やっぱり此処にいたのか。

「大事な話があります。奈央さんに会わせて下さい」
「ですが、奈央お嬢様からは、私共も近づかぬよう言われております。申し訳ございません。ご伝言でしたら私の方で承ります」

 主である父親は居ない。母親も同様に不在なら、この屋敷で次に力を持つのは、娘である奈央だ。奈央が駄目だと言えば、それは絶対だと想像はつく。
 しかし、此処で引き下がる訳にはいかない。
 
    見た目、古くから仕えていそうなこの人物なら……。奈央が知っていたくらいだ。一か八かだ。

「“沢谷”と言う名に心当たりはございませんか?」

 唐突に切り出した俺を見ながら、直ぐに頭を働かせた様子の初老は、ハッとした表情へと変わる。全てを理解したに違いない。変化したその表情が答えだ。
 奈央の意見を優先すべきか。それとも、俺の背後にある沢谷と言うビジネスにおいて不可欠な関係を優先すべきか。即座に秤にかけただろう初老は、三度目となる腰を曲げた。

「失礼致しました。ご案内致します」
「ありがとうございます」

 一変した事態に付いていけないのは林田だった。
 初老と俺の顔を代わる代わるに見て、

「なになに、どう言う事?」

 と、騒がしい。

「何でもねぇから気にすんな」

 そう言ったところで、林田の中に浮かんだクエスチョンは簡単に消えそうにない。

「ねぇ、沢谷ってば!」

 奈央の部屋へと向かう階段を上りながらジャケットを引っ張る林田には答えず、『先生と呼べ』と目に圧を込め訴えたものの、悲しいまでに通じない。余計、頭に“?”の数を増やさせてしまったようだ。
 沢谷と名乗った以上、せめて此処では “先生” って敬ってはくれないだろうか。
 呼び捨てで苗字を連呼する林田に、自分の唇に人差し指を立て黙らせる。
 僅かに唇を尖らせた林田の事はこの際無視して、案内されるままに着いて行けば、二階の一番奥の部屋でその足を止めた。

「こちらでございます」
「ありがとうございます」

 初老がうやうやしい一礼をとって場を去ると、両開きのドアの一枚をノックする。だが、扉の向こうからは何の返答もない。
 殴るように大きな音を立て、三回目のノックをした時だった。中からゆっくりと扉は押し開けられ、俺が何よりも聞きたかった声は、不機嫌な色を乗せて廊下に響いた。

「こんな所までどういうつもりですか?」

 面談での態度そのままに、冷たい視線は俺から、そして林田へと流れる。

「林田は関係ない。俺がお前の場所を教えるように頼んだんだ。俺、話あるって言ったよな?」

 冷たい視線を受け留めながら話す俺に、奈央は愛想の欠片も浮かべない。

「私には話す事がないって言いましたよね?……沢谷先生」
「……」

 丁寧な物言いは、優等生を演じているからじゃない。優等生らしからぬ冷めた目は澱んでいるようにも見え、立ち入るな、と表情が言っている。
 “先生”と言う敬称と敬語を意図的に利用しただろう奈央は、俺達の間に確実な一線を引いた。

「それがお前のやり方か?」

 誰も入り込ませない、と強い意思を見せる頑なな態度に、俺の声も自ずと低くなる。

「何のことですか?」

 開けたままの扉の脇で、奈央は壁に寄りかかり目を細めた。

「こんな事して、らしくねぇって言ってんだよ」
「らしくない? 私の何を知ってて、そんなこと言ってるのか、可笑し過ぎて話にならないんですけど。そう言う先生だって、どうやって此処まで来たんだか」

 蔑んだ目で俺を見る。

「お前が逃げ回るんじゃ、手段なんて選んでらんねぇからな」
「逃げる?」
「あぁ、そうだ」

 寄りかかった壁から体勢を整えた奈央は、一旦部屋の奥へと入り、戻ってきた左右の手には、一本の煙草と灰皿を持っていた。その煙草を指で挟んで俺に見せる。

「だったら、一本分だけ」
「あ?」
「一本分だけ話を聞きます。これを吸い終わったらタイムリミット。話があるのなら簡潔にして下さい。こんな所で無意味な時間を無駄に使いたくありませんから」

 そう言い放つと、気だるそうにまた壁にもたれ掛り、煙草に火を点けふかした。

「分かった。今日は用件だけ言って帰るよ」

    未成年の分際で、と叱るべきものは呑み込み、話し合う為の最悪の妥協点として折れる。
 頑なになった奈央に、今日一日で何とかしようとは思わない。無理な話だ。

「奈央、これ、続きがあったんだな」

 ポケットから取り出した物を奈央へ突き出す。

 ───謝る必要なんてない。嫌だなんて思えなかったから。

 奈央の字でしっかりと書かれたメモ帳だ。
 横目でそれを確認した奈央は、間を開けて「あぁ」と言うと、灰皿に灰を落とし、馬鹿にしたようにフッと笑った。

「その通りですけど? 嫌じゃありませんでしたよ? 正しくは、先生じゃなくても誰とでも平気だって意味ですけど」
「見え透いた嘘をつくな」
「もしかして、勘違いさせちゃいました?」

 不敵に笑って見せてた奈央との距離を縮めようと、一歩前へ出る。

「敬語なんて使わなくていい」
「……」
「なぁ、もう自分の殻に閉じこもるなよ」
「……」
「俺はもう逃げないから」
「……」

 奈央の気持ちを知るのが怖くて、耳を傾けようとはしなかった、あの時。

「鍵を返した日。本当のこと話そうとしてくれてたんだよな?」
「……」

    己の弱さ故に視野が狭窄きょうさくしていた結果がこれだ。全てを知れば傷付くのは自分だと思い込み、恐れを成したが為に、奈央が作った話すきっかけさえも潰した。何も言わせぬよう上辺の言葉で先手を封じて、奈央の伝えたい思いをね付けないがしろにした、思慮の欠如。突き放された、そう取られてもおかしくはない。
    受けとめる器がなかったばかりに、奈央が再び心を閉ざそうとしているのならば、もう二度と間違わない。どんなやいばを差し向けられても逃げの一手など使わない。閉ざすなら強引にでも押し開くまでだ。

「今度こそ、辛い時、悲しい時、いつだって俺はお前の傍にいる」
「必要ない」

 だったら、また。あの夏の日のように……。

「気持ち、揺るがしてやるよ」
「意味の分からない事ばかり言わないで。疲れるんだけど」
「お前が言った言葉だ。記憶のないお前が、気持ちが揺らぐ、ってな」

 俺の視線から逃げた奈央は、苛つきを隠さず灰皿の上で吸ってもいない煙草を弾いた。

「頼む、逃げないでくれ。全てのことから逃げないで欲しい」
「逃げた覚えなんてない」
「大切な友人から逃げんてるだろ?」
「別に逃げてないわよ」

 林田の嗚咽が漏れ聞こえてくる。

「俺からも逃げてるよな?」
「逃げてないって言ってんでしょ」
「だったら、怖がってないでちゃんと向き合え。お前は一人じゃない」
「もう何なのよ。訳分かんない。いい加減にしてよ!」

 冷静さを失くし、荒らげた奈央の声が響く。

「ごめんな、奈央」
「今度は何」
「一人でよく頑張ったな。もっと早くに気付いてやれれば良かった。悪かった」

 俺が何を言おうとしてるのか、探るように見る奈央。その距離を更につめ、口を開きかけた奈央の頬と頭に手を添え、そのまま引き寄せる。
 俺は躊躇うことなく、お前を一人にはしないと想いを伝えるように──唇を、そっと重ね合わせた。
 触れていた唇をゆっくり離すと、奈央が俺の手を邪険に振り払う。

「何してるの?」

    凍てつくほどの声で鋭く睨み上げてくる。

「謝る必要なんてないんだろ? 俺も奈央だからした。そう思える女は、他には一人もいない」
「……」
「なぁ、奈央?」

 呼びかけを無視して視線をずらした奈央は、短くなった煙草を吸おうと指を口元へ運んだ。
 しかし、その手は俺の次の言葉で、ピタリと空中で止まる。

「さっきまで一緒だったんだ。…………奈央の親父さんと……一緒だった」

 止まったままの奈央の手元からは、長くなった灰が重力に負け、音もなく静かに床へと落ちた。

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