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45. 亀裂-4
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仕事をするはずが捗らず、無意味に時だけが刻まれていく。
窓を開け放った教室には、グランドで体育の授業をしている生徒の声と、別棟の音楽室から風に運ばれてくる歌声が流れてきた。それらに混じって吐く重い吐息は、もう何度目だか分からない。
奈央が芹沢とメモを使ってやり取りをしていたと気付いた時から。
林田と芹沢が、以前からの知り合いだと分かった時から。
芹沢は、奈央とも林田とも以前から知り合いだったとしたら……。そう考えた時に、浮かんだ一つの仮説。
──芹沢こそが、奈央が憎むほど好きだった相手なんじゃないのか、と。
その仮説を真実へと近付けた、『奈央』と呼ぶ芹沢の声が頭の中で木霊して、俺の思考を狂わせる。
無意識に出る溜息は、乱れた心を落ち着かせようとする本能的な自己防衛だな……きっと。
「教師って、結構暇なんだね」
グランドからでもなく、音楽室からでもなく、この教室内ではっきりと響く声が、重い吐息を突き破ってきた。
「暇じゃねぇよ」
やんなきゃいけないこと盛り沢山なのに、出来なかっただけだ!
威張れない主張を心の中で展開しながら腕時計に目を向ける。
「お前な、遅刻するにも限度があんだろ。五時限目、あと五分で終わりだぞ?」
「来ただけ褒めてよ。普通なら来ない」
俺とは違って、威張れない言い訳でも胸を張って主張するコイツは、大遅刻して来た林田だった。
「ったく、初日だけだな。まともに来たの」
「お説教なら遠慮しとく。それより、私に何か訊ねたい事でもある?」
林田は、机の上に軽そうな鞄を乱暴に置くと、俺の元へと近づいて来た。
「沢谷、相当難しい顔してたけど、流石にもう気付いた?」
その言葉が真実の裏付けとなる。
「……あぁ。芹沢だったんだろ? 奈央の昔の男って」
「まさか同じクラスになるとはね。しかも沢谷が担任だなんてさ。奈央も内心焦ってたと思うよ。まぁ、一番驚いてんのは裕樹だけどさ。奈央がいるなんて思いもしなかっただろうから。私も教えてなかったしね」
お陰で初日から裕樹の質問攻めにあった、と林田は苦く笑う。
俺にとったって十分驚きだ。奈央の男は、あくまで想像でしか存在していなかったのが、こんなにもはっきりとその姿を見せつけられるなんて。想定外の出来事に、余裕をなくした情けない男に成り下がるざまだ。
「奈央も知ってたんだろ? 芹沢が戻ってくること」
「うん。裕樹の父親の赴任期間は二年だって知ってたから。でも、はっきりとした帰国日は、私があの日に伝えた」
一学期の終わり、奈央と林田が一緒にいたあの時。林田が余計な事を伝えたと言っていたのが、これだったのだろう。
そして、林田が言った通りに奈央の様子は変わった。
真実が分かれば、今までの出来事一つ一つが結びついて、それが俺を臆病にさせていく。
林田が芹沢の帰国日を伝えたあの日。明らかに様子がおかしかった奈央。別れた男の帰国が近いと知って、奈央は感情を乱したんだ。
クラスに仲間が増えると俺が伝えた時だってそうだ。その仲間が男だって直ぐに気付いたのも当然だし、奈央のライバルになると俺が言えば、険しい顔をして不自然な程むきになっていた。
あんなに勉強していたのも、芹沢の事を考えなくて済むように没頭していたんじゃないかと、今なら思えてくる。
林田は、奈央が復讐も考えていたと言っていたが、でもやはり、奈央にはそんなこと出来っこない。奈央はそんなことする奴じゃない。
それ以前に、奈央は芹沢を憎んでなんかいないんじゃないのか? 憎んでいるのなら、あんな動揺なんてしないはずだ。
夜、眠れなかったのも、それだけ芹沢を思ってたってことだろう。俺にしがみついてきたのも、ただ怖かったからだ。
俺が、朝まで奈央を抱きしめて離せなかったように。相手の心を知ることが怖いと、そう思ったんじゃないのか?
『捨てられた』って過去に囚われ、それでもまだ、その芹沢を想ってる自分に怯えて。
「沢谷、眉間にシワ寄ってる」
「……」
奈央の変化が全ては芹沢に繋がっていると考えれば、今までの事に理由をつけるなんて容易い。でも、それを俺の中で受け入れ消化するのは、表情にあからさまに出てしまうほど難しい。
「今の奈央になら、ちゃんと言葉が届くかもしれない。私も、もう奈央の言いなりにはならないから。だから沢谷も奈央が間違ったこと──」
「放っといてやれよ」
眉間に出来たシワを直すのも忘れて、林田の言葉を遮った。
「え?」
放っておけ、と言った言葉の意味を探るように見る林田に、それ以上伝えるのは、やはり今の俺にとっては困難だった。
好きだから憎んでるんじゃねぇのか? 正しく言えば、傷を受けた心を隠すように、憎もうとしただけじゃねぇのか?
本当は今でも芹沢に惚れてんだろ? 芹沢だって、今も奈央を想っているように見える。
何もしなくたって放っておけば、またあの二人は……。
次々と溢れ出る想い。
言ってしまえば自分の言葉に更に傷付く気がして、弱い俺は、打ち出したこの想いを一人抱えるしかない。
何も知らずに、海から帰って来てから明るくなった奈央にホッとしていたなんて、めでたい自分に笑えてくる。
奈央は俺に気を遣っていただけだ。根は優しい女だ。奈央の様子を気にしていた俺に、これ以上心配掛けないよう、悟られないよう、奈央は無理していただけだ。
それも限界だったのかもしれない。芹沢と再会するのが翌日に迫った、夏休み最後の日。憎むほど好きな男に会う怖さに奈央は耐えられなくなって、近くにいた俺に縋るようにしがみついてきた。ただ、それだけ。そんな思いに気付かずに、俺は抱きしめただけ。
俺なんかじゃ、その傷を癒すなんて出来やしない。
「沢谷。何考えてんの? あんたが奈央を──」
林田が話している途中で、チャイムが鳴り話を中断させた。
あちこちの教室からは扉が開く音が響き、バタバタと廊下を走り出す生徒達の足音が騒がしい。
廊下へ目を向け、誰もまだこの教室に戻ってこない事を確認すると、林田は続きを口にした。
「あんたが奈央を守ってやってよ」
「……教師としてならな」
眉を吊り上げた林田は、一瞬にして険のある目つきになる。
……他に俺は何て言えばいいんだよ。
どう言う理由で芹沢が奈央を『捨てた』かは分からない。でもあの目は、あの芹沢が奈央を見る眼差しは、まだ奈央に気持ちがあると物語っている。
俺の出る幕なんて、どこにもないだろ。
俺は教師だ。生徒である奈央を繋ぎとめる術はない。自分の気持ちをセーブするしかない。そうする事で、俺は逃げ道を作ろうとしていた。
「あんたにとって、奈央って一体──」
声を低くして詰め寄ってきた林田が、またもその口を閉ざすしかなかったのは、教室内で聞こえた足音のせいだ。
……奈央。
誰よりも早くこの教室に戻って来た奈央は、俺と林田に一瞥くれただけで、自分の席へと向かい椅子に座った。
林田は、俺に一際強い睨みを入れると、向きを変え奈央の元へと向かう。
三人しかいないこの教室に、バン、と奈央の机に林田が思い切り両手をついた音が響いた。
「おはよう、奈央」
おはよう、と言う時間はとっくに過ぎているのに、そんな事に気付きもしないほど、本当は緊張しているのかもしれない。奈央に声を掛けるのは、関わるなと言われるままに従って来た林田にとっては、勇気のいることだ。
奈央だって他に俺しかいないとは言え、まさか堂々と林田が話し掛けてくるとは思わなかったのだろう。整った奈央の眉が僅かに動いた。
「奈央。私、親友やめたつもりないから」
椅子に座っていた奈央は、目線だけを動かし林田を見上げる。
「もう、あの頃の奈央じゃないでしょ?」
一方的に繰り出される話に何も答えず、奈央は瞬きもせずに、ただジッと林田を見上げていた。
「ちゃんと聞こえてるよね? 変なこと考えてないよね?」
その言葉に奈央の眼差しが強くなり、 噤んでいた口を開き、冷たく言い放った。
「目障り」
奈央の鋭い眼差しに射すくめられても、
「諦めて」
今日ばかりは林田も引くつもりはないらしい。
そんな二人を、他の生徒達がいつ戻ってきてもおかしくない状況で、ひやひやしながら俺は黙って見ているしかなかった。
それを終結させたのは、奈央だった。
「邪魔よ」
強い視線を林田から外しながら、奈央が抑揚なく切る。
徐に教科書を机の中から取り出し、林田の手が乗っかったままの机に置こうとした時。もう一度林田を見上げて奈央は言った。
「邪魔だって言ってるの。聞こえない?……由香」
名前で呼ばれた林田の肩がピクリと動き、その手が机からそっと離れた。
元々関係の深い仲に出来た溝なんて、きっかけさえあれば簡単に埋められるのかもしれない。親友にしても、恋人にしても。
でも俺達は……。
ガヤガヤと騒ぎながら生徒達が教室に戻ってくると、林田は自分の席へと戻り、机の上に突っ伏した。
奈央は特進コースの授業を受けるため、早々とまた一人教室を出て行こうとする。
今は、あれ以上の会話のなかった二人だけど、多分、奈央にとっても林田は大切な奴だ。この二人なら時間が経てば元のように戻れるだろう。そして、芹沢とも。
何も始ってもいない、俺と奈央のあやふやな関係とは繋がりが違う。
だから、大事にしろよ? ちゃんと、お前の大切なもの。
奈央は、孤独なんかじゃない。無理して、孤独に慣れようだなんて思うんじゃねぇぞ。もう、自分にバリアなんて張るなよ?
教室を出て行く奈央の姿を目で追いながら、一人胸の内、呟いた。
素直になれず、傷つくのを恐れている奈央の背中を押してやろう、そう覚悟を決めながら……。
窓を開け放った教室には、グランドで体育の授業をしている生徒の声と、別棟の音楽室から風に運ばれてくる歌声が流れてきた。それらに混じって吐く重い吐息は、もう何度目だか分からない。
奈央が芹沢とメモを使ってやり取りをしていたと気付いた時から。
林田と芹沢が、以前からの知り合いだと分かった時から。
芹沢は、奈央とも林田とも以前から知り合いだったとしたら……。そう考えた時に、浮かんだ一つの仮説。
──芹沢こそが、奈央が憎むほど好きだった相手なんじゃないのか、と。
その仮説を真実へと近付けた、『奈央』と呼ぶ芹沢の声が頭の中で木霊して、俺の思考を狂わせる。
無意識に出る溜息は、乱れた心を落ち着かせようとする本能的な自己防衛だな……きっと。
「教師って、結構暇なんだね」
グランドからでもなく、音楽室からでもなく、この教室内ではっきりと響く声が、重い吐息を突き破ってきた。
「暇じゃねぇよ」
やんなきゃいけないこと盛り沢山なのに、出来なかっただけだ!
威張れない主張を心の中で展開しながら腕時計に目を向ける。
「お前な、遅刻するにも限度があんだろ。五時限目、あと五分で終わりだぞ?」
「来ただけ褒めてよ。普通なら来ない」
俺とは違って、威張れない言い訳でも胸を張って主張するコイツは、大遅刻して来た林田だった。
「ったく、初日だけだな。まともに来たの」
「お説教なら遠慮しとく。それより、私に何か訊ねたい事でもある?」
林田は、机の上に軽そうな鞄を乱暴に置くと、俺の元へと近づいて来た。
「沢谷、相当難しい顔してたけど、流石にもう気付いた?」
その言葉が真実の裏付けとなる。
「……あぁ。芹沢だったんだろ? 奈央の昔の男って」
「まさか同じクラスになるとはね。しかも沢谷が担任だなんてさ。奈央も内心焦ってたと思うよ。まぁ、一番驚いてんのは裕樹だけどさ。奈央がいるなんて思いもしなかっただろうから。私も教えてなかったしね」
お陰で初日から裕樹の質問攻めにあった、と林田は苦く笑う。
俺にとったって十分驚きだ。奈央の男は、あくまで想像でしか存在していなかったのが、こんなにもはっきりとその姿を見せつけられるなんて。想定外の出来事に、余裕をなくした情けない男に成り下がるざまだ。
「奈央も知ってたんだろ? 芹沢が戻ってくること」
「うん。裕樹の父親の赴任期間は二年だって知ってたから。でも、はっきりとした帰国日は、私があの日に伝えた」
一学期の終わり、奈央と林田が一緒にいたあの時。林田が余計な事を伝えたと言っていたのが、これだったのだろう。
そして、林田が言った通りに奈央の様子は変わった。
真実が分かれば、今までの出来事一つ一つが結びついて、それが俺を臆病にさせていく。
林田が芹沢の帰国日を伝えたあの日。明らかに様子がおかしかった奈央。別れた男の帰国が近いと知って、奈央は感情を乱したんだ。
クラスに仲間が増えると俺が伝えた時だってそうだ。その仲間が男だって直ぐに気付いたのも当然だし、奈央のライバルになると俺が言えば、険しい顔をして不自然な程むきになっていた。
あんなに勉強していたのも、芹沢の事を考えなくて済むように没頭していたんじゃないかと、今なら思えてくる。
林田は、奈央が復讐も考えていたと言っていたが、でもやはり、奈央にはそんなこと出来っこない。奈央はそんなことする奴じゃない。
それ以前に、奈央は芹沢を憎んでなんかいないんじゃないのか? 憎んでいるのなら、あんな動揺なんてしないはずだ。
夜、眠れなかったのも、それだけ芹沢を思ってたってことだろう。俺にしがみついてきたのも、ただ怖かったからだ。
俺が、朝まで奈央を抱きしめて離せなかったように。相手の心を知ることが怖いと、そう思ったんじゃないのか?
『捨てられた』って過去に囚われ、それでもまだ、その芹沢を想ってる自分に怯えて。
「沢谷、眉間にシワ寄ってる」
「……」
奈央の変化が全ては芹沢に繋がっていると考えれば、今までの事に理由をつけるなんて容易い。でも、それを俺の中で受け入れ消化するのは、表情にあからさまに出てしまうほど難しい。
「今の奈央になら、ちゃんと言葉が届くかもしれない。私も、もう奈央の言いなりにはならないから。だから沢谷も奈央が間違ったこと──」
「放っといてやれよ」
眉間に出来たシワを直すのも忘れて、林田の言葉を遮った。
「え?」
放っておけ、と言った言葉の意味を探るように見る林田に、それ以上伝えるのは、やはり今の俺にとっては困難だった。
好きだから憎んでるんじゃねぇのか? 正しく言えば、傷を受けた心を隠すように、憎もうとしただけじゃねぇのか?
本当は今でも芹沢に惚れてんだろ? 芹沢だって、今も奈央を想っているように見える。
何もしなくたって放っておけば、またあの二人は……。
次々と溢れ出る想い。
言ってしまえば自分の言葉に更に傷付く気がして、弱い俺は、打ち出したこの想いを一人抱えるしかない。
何も知らずに、海から帰って来てから明るくなった奈央にホッとしていたなんて、めでたい自分に笑えてくる。
奈央は俺に気を遣っていただけだ。根は優しい女だ。奈央の様子を気にしていた俺に、これ以上心配掛けないよう、悟られないよう、奈央は無理していただけだ。
それも限界だったのかもしれない。芹沢と再会するのが翌日に迫った、夏休み最後の日。憎むほど好きな男に会う怖さに奈央は耐えられなくなって、近くにいた俺に縋るようにしがみついてきた。ただ、それだけ。そんな思いに気付かずに、俺は抱きしめただけ。
俺なんかじゃ、その傷を癒すなんて出来やしない。
「沢谷。何考えてんの? あんたが奈央を──」
林田が話している途中で、チャイムが鳴り話を中断させた。
あちこちの教室からは扉が開く音が響き、バタバタと廊下を走り出す生徒達の足音が騒がしい。
廊下へ目を向け、誰もまだこの教室に戻ってこない事を確認すると、林田は続きを口にした。
「あんたが奈央を守ってやってよ」
「……教師としてならな」
眉を吊り上げた林田は、一瞬にして険のある目つきになる。
……他に俺は何て言えばいいんだよ。
どう言う理由で芹沢が奈央を『捨てた』かは分からない。でもあの目は、あの芹沢が奈央を見る眼差しは、まだ奈央に気持ちがあると物語っている。
俺の出る幕なんて、どこにもないだろ。
俺は教師だ。生徒である奈央を繋ぎとめる術はない。自分の気持ちをセーブするしかない。そうする事で、俺は逃げ道を作ろうとしていた。
「あんたにとって、奈央って一体──」
声を低くして詰め寄ってきた林田が、またもその口を閉ざすしかなかったのは、教室内で聞こえた足音のせいだ。
……奈央。
誰よりも早くこの教室に戻って来た奈央は、俺と林田に一瞥くれただけで、自分の席へと向かい椅子に座った。
林田は、俺に一際強い睨みを入れると、向きを変え奈央の元へと向かう。
三人しかいないこの教室に、バン、と奈央の机に林田が思い切り両手をついた音が響いた。
「おはよう、奈央」
おはよう、と言う時間はとっくに過ぎているのに、そんな事に気付きもしないほど、本当は緊張しているのかもしれない。奈央に声を掛けるのは、関わるなと言われるままに従って来た林田にとっては、勇気のいることだ。
奈央だって他に俺しかいないとは言え、まさか堂々と林田が話し掛けてくるとは思わなかったのだろう。整った奈央の眉が僅かに動いた。
「奈央。私、親友やめたつもりないから」
椅子に座っていた奈央は、目線だけを動かし林田を見上げる。
「もう、あの頃の奈央じゃないでしょ?」
一方的に繰り出される話に何も答えず、奈央は瞬きもせずに、ただジッと林田を見上げていた。
「ちゃんと聞こえてるよね? 変なこと考えてないよね?」
その言葉に奈央の眼差しが強くなり、 噤んでいた口を開き、冷たく言い放った。
「目障り」
奈央の鋭い眼差しに射すくめられても、
「諦めて」
今日ばかりは林田も引くつもりはないらしい。
そんな二人を、他の生徒達がいつ戻ってきてもおかしくない状況で、ひやひやしながら俺は黙って見ているしかなかった。
それを終結させたのは、奈央だった。
「邪魔よ」
強い視線を林田から外しながら、奈央が抑揚なく切る。
徐に教科書を机の中から取り出し、林田の手が乗っかったままの机に置こうとした時。もう一度林田を見上げて奈央は言った。
「邪魔だって言ってるの。聞こえない?……由香」
名前で呼ばれた林田の肩がピクリと動き、その手が机からそっと離れた。
元々関係の深い仲に出来た溝なんて、きっかけさえあれば簡単に埋められるのかもしれない。親友にしても、恋人にしても。
でも俺達は……。
ガヤガヤと騒ぎながら生徒達が教室に戻ってくると、林田は自分の席へと戻り、机の上に突っ伏した。
奈央は特進コースの授業を受けるため、早々とまた一人教室を出て行こうとする。
今は、あれ以上の会話のなかった二人だけど、多分、奈央にとっても林田は大切な奴だ。この二人なら時間が経てば元のように戻れるだろう。そして、芹沢とも。
何も始ってもいない、俺と奈央のあやふやな関係とは繋がりが違う。
だから、大事にしろよ? ちゃんと、お前の大切なもの。
奈央は、孤独なんかじゃない。無理して、孤独に慣れようだなんて思うんじゃねぇぞ。もう、自分にバリアなんて張るなよ?
教室を出て行く奈央の姿を目で追いながら、一人胸の内、呟いた。
素直になれず、傷つくのを恐れている奈央の背中を押してやろう、そう覚悟を決めながら……。
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