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34. 儚き夏の日-3

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    昨夜は、別荘で木村と一緒に夕食を楽しんだ。とは言っても、ほとんどが木村のワンマントークだった気がするが……。

 夕飯も風呂も済ませ、明日に備えて早々にベッドに入ったお陰で、今朝は早くから目が醒めた。
 但し、俺一人だけが、だ。

「うおーっ、天気いいな。奈央、海日和だぞ!」

 まだ横になったままの奈央に気を遣うでもなく声を張り上げると、うんざり顔の奈央がため息を吐く。

「朝っぱらから暑苦しい」

 奈央はタオルケットを手繰り寄せ、頭までスッポリ被ってしまった。

「ほら、メシ食ったら行くぞ。せっかく来たんだから、健康的に外で遊ばないとな!」

 奈央から強引にタオルケットを引き剥がし、それを奪う。
 ブツブツと文句を言いながら起き上った奈央は、

「散々、不健康な生活してきたくせに」

 と、爽やかな朝に相応しくない悪態をつく。

「俺のどこがだよ。仕事と家の往復で規則正しい生活してんじゃん」
「本来は、海なんかよりホテルにしけ込む方が好きでしょ?」

 ──い、いつの話をしてんだよ。

「あっ、間違えた。海より女の人が好きなんだっけ?」
「好きじゃねーよ!」

 声を荒らげて即否定。

「あ、そっか。女の人じゃなくて、女の人とやるのが好──」

 奈央が全てを言う前に、その口を手で塞ぐ。

「奈央、女の子なんだから、そんなこと言っちゃダメでしょ」

 睨みあげた奈央は、俺の手を振り払うと

「苦しいってば。図星過ぎて黙らせるしかなかった?」

 今度は人をからかうように口元を緩ます。

「だから、それはもう過去の──」
「敬介、必死だね」

 言い訳すらさせてくれない奈央は「用意してくる」と笑いながらバスルームへと消えて行った。

「はぁーっ」

 一人取り残された部屋で、遠慮なしに盛大なため息をつく。

 女が好きなんじゃねーよ。だから毎日、寄り道もせずに帰ってるって言うのに、人の気も知らねーで。こんな扱いは、もう慣れた、慣れたけどな! でも俺は人生で初めて、自制心との孤独な戦いを夜毎繰り広げてるっつうんだよッ! お陰で、欲求不満継続中。報われる日なんて来ねぇのに……。

「バカ奈央!」

 枕を掴むと、奈央の出て行ったドアめがけて投げつけ、もう一度深いため息を落とした。





 木村が用意してくれた朝食を食べ終えると、乗り気ではない奈央を急き立て支度をすます。海までは歩いても行ける距離だが、奈央が逃げ出さないよう注意を払って、強引に車へと押し込んだ。

「何で海なんか……」
「もしかしてさ、奈央って水苦手?」
「別に」
「泳げないってことは──」
「ない」

 きっぱり、そう言うなら問題ないよな?

 5分とかからずして到着したパーキングに車を停めると、海の家と呼ぶにはオシャレ過ぎる、カフェ仕様の店に荷物を預け浜辺へと出た。

 寄せては返す波を持つ海面は、まばゆいばかりの光を一身に受け、キラキラと反射しては、俺達の眼を細めさせる。
 奈央も、その眩しさから逃れるように、ポーチから取り出したサングラスをかけた。
 それにしても、比較的穴場だと言われていたこの場所。今年は猛暑的暑さのせいか、カップルや家族がごった返している。

 そして厄介な事に、ヤローだけで来ている連中もかなりいて、その視線は奈央に…………許せねぇ。

「奈央、チョロチョロすんなよ」
「ハァ~……」
「俺の傍から離れるんじゃねぇぞ」
「ふぅ……」
「奈央、聞いてんのか?」
「返事してるでしょ」
「その重い溜息が返事かよ」
「もう煩いな。早く攻撃をかわしたいだけ!」

 ……攻撃? ついに奈央の頭も、この暑さでやられたか?

「奈央? 大丈夫か?」
「もういいから、早く日陰に行きたいの。紫外線浴び捲りなんだけど」

 攻撃って、紫外線のことかよ。もっと分かりやすく話せ! って言ってしまえば、この小悪魔娘の不機嫌が最高潮に達するやもしれない。それを避ける為にも、借りたパラソルの下へと、そそくさと避難した。
 パラソルの下のサマーベッドに腰掛けるや否や、日焼け止めを塗り出す奈央。その隣で大人しく待っていた俺に、その日焼け止めがスーッと差し出された。

「敬介、後ろ塗って?」
「あぁ」

 ポーカーフェイスで受け取ってはみたものの。何故かドキドキと鼓動が煩い。

「変なこと考えないでよね」

 追い討ちをかけるように奈央に言われ

「か、考えるはずないだろうが! ガキ相手に」

 情けないことに、少し噛んでしまった。

 ───相手が奈央だと、どうして俺の心臓はこうも狂う?

 手が震えるのがばれない様に、白くて滑らかなその肌に、わざと乱暴に塗ったくってく。

「はい、終わり。よし、じゃあ行くか」

 日焼け止めを奈央の方へと放り投げた。

「ちゃんと塗ってくれた?」
「塗ったよ。ほら行くぞ」

 折角綺麗な肌なのに、夏の太陽に痛めつけられるわけにはいかない。乱暴だったのは認めるが、ちゃんと塗ったんだから問題ないだろう。それなのに、この女は。

「いってらっしゃい。お気をつけて」

 まるで他人事のように、俺の相手をしようとはしない。

「お前、ここまで来て諦め悪いな。つべこべ言わずに行くぞ」
「足が砂だらけになる」
「後で水で流せばいいだろ」
「髪の毛がバリバリになるのが嫌」
「シャワー浴びればいい」
「化粧が落ちるのが嫌」
「奈央はスッピンでも可愛いから大丈夫だ」

 そこまで言うと、プイっと俺から顔を逸らし小さな声を出す。

「……泳げない」
「え? ……奈央、泳げるって言わなかったか?」
「泳げるわよ」
「どっちだよ」
「プールでは泳げるけど海は無理。波が苦手……」

 少し頬を膨らませ、面白くなさそうに言う。
 そんな奈央から奪うようにサングラスを外すと、その細い手首もしっかり捕獲し、海に向かって歩き出した。

「ちょっと、一人で行ってってば」
「俺と一緒なら大丈夫だ」
「大腸菌がいるかもしれないでしょ!」

 なんつーう理由だよ。

「問題ない。水質検査はちゃんと行ってるはずだ」

 腰の引ける奈央を引っ張りながら、波打ち際まで来ると

「ちゃんと手握ってろよ。波が来たら背を向けてジャンプしろ」

 掴んでいた手に力を込めた。

「くらげがいたら? 人喰いザメがいたら?」

 奈央は下を向きながら、未だブツブツと情けない声を漏らしてる。

 どこまで心配してるんだよ。しかし、奈央がここまで怖がるのも珍しい。

「そんなに怖いなら俺にしがみついてろ」

 途端に顔を上げた奈央は、海の中にいるカップルへと視線を移した。
 キャーキャーと嬉しそうに騒ぐ女が男の首にしがみつき、隙間なく肌を密着させている恋人達。

「私にあれをやれと?」

 急に冷静になる奈央の声音は固い。
 細めた目も、眩しさのせいだけではないだろう。絶対零度の冷めた目でそのカップルを見ている、いや、見下している。
 それだけじゃない。俺へと移動した奈央の眼差しもまた、背中に嫌な汗を掻いてしまいそうなほど、冷ややかなものだった。
 大抵、この後に言われる台詞なんて……

「何考えてんのよ、変態」

 こんなもんだ。

「あのなぁ、お前が怖がるから言ってやってんだぞ」

 俺に下心なんてあるはずないだろッ!

 ないけども……。嫌な訳でもなかったりする、という本心が見透かされないうちに「離すなよ」と、強制的に海の中へと引き込んだ。

「ほら、奈央ジャンプしろ!」

 押し寄せて来た波。たいして大きなものではなく、言われた通りに奈央もジャンプしたのに、軽すぎるせいか? 足が波にすくわれそうになっている。
 慌てて細くくびれた奈央のウェストを引き寄せ、水にのみ込まれないように体を支えた。

「だから嫌なの!」

 奈央の抗議も空しく、すぐにまた次の波がやってくる。さっきのよりも大きな波を目前に、遂には冷めた目で見ていたカップル同様、奈央の腕が俺の首へと回り、しがみ付いてきた。
 ただ異なるのは「キャー」なんて叫びながらも、嬉しそうに笑うカップルの女とは大違いで、大きな波の音をかき分け聞こえてきたのは、

「落としたら殺す」 

 物騒な科白せりふだった。


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