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24. 日々の中で-7

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    2学年最後の学年末試験を明日に控え、朝のSHRも教室全体が緊張を孕んだ雰囲気に包まれている。
 そんな中、俺はピリピリと苛立ち、数分後にはソワソワと落ち着きを無くし、更に数分後には、バクバクと騒ぐ心臓を抱え心配へと変わる。

 ……どこ行った!?

 出席を取る時間にいない柏木。最近は、休む事は少なくなったが、今日は遅刻だろうか。
 だが、俺の心配はそれだけじゃなかった。

 ……ない。何度見渡しても同じ。奈央の姿が何処にもないッ!

 昨夜は泊まりこそしなかったが、奈央は朝になってコーヒーが飲みたいと部屋にやって来た。無理矢理叩き起こされ、寝ぼけながらもコーヒーを淹れてやると、機嫌を良く美味しそうに飲んだ後、俺より早く家を出たというのに……。

 何してんだよ。それとも、奈央の意思に関係なく、何かに巻き込まれたとか?
 事故か? 事件か? まさか……ゆ、誘拐?

 俺の思考は、悲観的なものに支配される。

「珍しいわね。水野さんが連絡無しに学校に来ないなんて。何かあったのかしら?」
「……はい。電話入れてみます」
「そうね。沢谷先生、お願いします」
「分かりました」

 クラスを後にし職員室へ向かいながら、福島先生と共に不安を募らせる。
 職員室に入るなり、急いで自分の机に向かい受話器を握り締めた時、他の先生から福島先生に声がかかった。

「福島先生。水野さんから連絡がありまして、途中で気分が悪くなったので、一旦、自宅に戻り、落ち着いてから登校するそうです。明日は試験なので無理しないようにと言っておきましたけど」
「そうですか。分かりました、ありがとうございます」

 福島先生は、俺の方を見て安心したように頷き合図を送ってきた。
 連絡があった事にホッとはするが、また新たな心配が生まれる。

 大丈夫か、奈央……。

 状態を知りたくて、スマホを手に取り人目のつかない非常口へと向かう。

 出ねぇ……。

 短時間に何度掛けても、聞こえてくるのは無機質な機械音と、留守電へと繋ぐ事務的な女の声ばかり。

 お前の声は聞き飽きたんだよ!

 事務的な女に向かってぼやいてみても、決められたフレーズばかりが繰り返される。
 ダメだ、タイムリミットだ。心配しながらも時間となり、授業へ向かうしかなかった。


 1時間目の授業が終わりクラスへ顔を出してみても、まだ奈央は姿を現さず、2時間目が終わって覗いた教室では、柏木が顔を見せていた。
 やっと奈央の姿を確認できたのは、3時間目が終わってからの事だった。





 振り払う手を追いかけ、奈央の腕を掴む。

「大人しくしろよ。シップ貼るだけだろ」
「これくらい大した事ないってばっ!」
「いいから、じっとしとけ! それより、まだ眩暈するか?」
「………大丈夫」

 ホントかよ。
 体調に関しては、コイツの大丈夫ほど当てにならないものはない。
 登校途中で気分が悪くなりふらついたと言う奈央は、バランスを崩して電柱に手をぶつけたとかで、左手の甲にアザを作っていた。

「具合が悪いなら悪いって、連絡ぐらい入れろよな。心配すんだろ?」
「だから、したでしょ! 学校に!」

 あんだけ俺が電話してんだから、俺個人に連絡入れてもいいだろうが。

 奈央は眉を顰めていたが、視線を上の方へとずらしていくと、今度はボンヤリとしている。

「ん? どうした?」
「敬介って、心配性だよね。こんな人だって思わなかった」
「俺もそう思う。手のかかる生徒を持つと変わるんだな」
「それって、教師の言うセリフみたいだね」
「一応、教師なんでね」
「そんなに心配ばっかりしてると……ハゲるよ?」

 ……この女。上ばっか見てると思ったら、俺の頭髪をずーっと見てたのかッ!

「ハゲねぇよ! お蔭様で父親もフサフサだ」
「おじいちゃんは?」

 じいちゃん? もう亡くなってはいるが、ツヤツヤだったのを思い出す。髪の毛がじゃない。頭皮がワックスをかけられたように……うっ! か、隔世遺伝!?

 嫌な汗が背を伝う。

「も、問題ねぇよ! そ、それより、お前って本当アレだな。テスト前になると体調崩すよな。図太そうに見えて、案外びびってんじゃねーのか? この前のも知恵熱だろ!」

 じいちゃんの顔が、いや、じいちゃんの頭皮が脳裏から離れない俺は、動揺しムキになりながら、奈央の話へとシフトチェンジした。

「はい、終わりっ!」

 シップを貼りその上に包帯を巻く。

「何、これ。嫌がらせ? ふーん、隔世遺伝心配してんだ……分かりやすい」
「煩せぇっ!」

 小さな溜息を付いた奈央の左手は、指が曲げられないほど、包帯によってグルグルと手厚く守られている。
 その後も、奈央は憎まれ口を吐く事はあっても、体調が悪い様子はなく、翌日からのテストも無事に全試験受けることが出来た。
 勿論、今回の試験も結果は1位。トップ更新記録は、まだまだ続くようだ。





 奈央達も3年へと進級間近。その前に明日は、卒業式が執り行われる。
 今日は生徒会を始め、各クラス委員も駆り出されてその前日準備に追われていた。
 奈央も2-Aのクラス委員として仕事を任され、何度となく体育館や職員室への出入りを繰り返している。
 アイツの事だ。内心では、『あたしの貴重な時間奪うなっ!』などと毒付いてるに違いない。
 俺も自分の仕事を片付けると、体育館の椅子出しでも手伝おうと職員室を出た。
 階段を下り、体育館へと結ぶ廊下にまで来てみると、そこには見慣れた後ろ姿。その前には、女子生徒が向かい合って、見慣れた後姿の女──奈央に鋭い眼差しを向けていた。

「私の顔に何か付いてますか? 先輩」

 険悪なムードだということは相手の表情から見て取れるが、聞こえてきた奈央の声は、いつもどおり優等生気取りで、至って落ち着き払っている。

 先輩って事は、卒業リハで登校している3年生か?

「……別に」

 その女子生徒は、顔を悔しそうに歪めながら唇を噛締めていたが、近付く俺に気付くと、奈央の横を通り過ぎ、俺に軽く会釈をして帰って行った。
 すれ違いざまに見た名札には、"金子"と言う文字と、その下には3年である事を示す、学年カラーの緑色のラインが引かれていた。

「水野、あの3年に睨まれてんのか?」

 背後から声を掛けた俺に振り返り

「え? そうなんですか?」

 と、聞き返してくる。

「いや、俺が聞いてるんですけど」
「どうなんですかね?」

 体育館へ向かって歩きながら話しかければ、惚けた返答ばかりが返ってくる。
鈍感であるはずがない奈央からのその切り返しに、違和感を覚えずにはいられない。

    ──小悪魔キャラの時なら『張っ倒す』とか言いそうだよな。って言うか、もしかして既に張っ倒したか? どう見ても、年下の奈央の方が優勢態勢にあったような気がするし。一体、3年にあんな顔をさせるなんて、どんなわざを使ったんだか、この小悪魔は。

 それにしても……。

「寒いな」
「そうですね」

 春はそこまで来ているはずなのに、まだまだ寒い日が続く。
 体育館へ近付くほどに、校舎と結びつける渡り廊下の開け放った扉から、外気の冷たい空気が容赦なく流れ込み、体感温度はグッと下がる。

「こんな日は、温かいものとか食いたくなるな」
「例えば?」
「んー、おでんとか?」
「いいですね」

 手を擦り合わせながら、他愛もない話をして体育館へ着くと、互いそれぞれの仕事をこなした。

 二時間近くかかり全ての準備も整え終わると、生徒達は俺達より一足先に下校だ。

 ……羨ましい。俺も帰りてぇ。

 だが、逃走を許されない俺達教師には、まだまだ憂鬱な仕事が残されていた。俺は、気が重くなるこの時が一番嫌いだ。まるで生徒になった気分だ。
 話の長い教頭が、下っ端の教師に嫌味を散りばめながら進行役を勤める、職員会議と言う名の拘束時間が俺を待ち受けていた。





「ハァー」

 クタクタになって帰って来た、自分の部屋のドアの前。そのドアには、奈央からのメモがペタリと貼りつけられていた。

『お疲れ様。ご飯作ってあるから早く来い!』

 ……へっ? お疲れ様? 奈央が俺に労いの言葉を? 

 アイツがそんなこと言うなんて初めてだ。
 この際、後に続く命令形は気にしない。そこは目を瞑ろう。実際、奈央の言いなりに、急いで用意するわけだし。

 俺は、自分の部屋に駆け込むと、シャワーを大急ぎで浴び、部屋着に着替えて奈央の部屋へと向かった。

「奈央、ただいま!」

 ドアを開け入ると、玄関にまで漂ういい匂い。

 もしかして、これって……。

「遅いっ!」
「これでも急いで来たんだけど」

 部屋の奥から出てきた奈央。

「お腹、空いてるよね?」
「ああ。メチャクチャ空いてる」
「そう。良かった」

 第一声の “遅い” とは打って変わって、満面の笑みを惜しげもなくこの俺に披露してくれる。

「なんか、すげーいい匂いすんだけど。これって、もしかして……」
「うん、おでん。敬介、食べたかったんでしょ?」

 俺が学校で食いたいって言ったから、作ってくれたのか? ヤバイ、マジですげぇ嬉しいかも! 

    未だかつて、こんなに優しくされた事があっただろうか。

「いいから、早く向こう行って座んなよ」
「おう。ありがとな、奈央」

 感激する俺は、言われるままに席に着く。

    ──マズイ! 涙、出そうかも…………しかし、残念ながら嬉し涙ではない。

 箸やら取り皿やら並べて、やっと落ち着いて奈央も席に着く。

「敬介、ビール飲む?」
「いや、いい」

 だから、何で未成年の家にビールが置いてあんだよ。俺はいつも自分で飲む分は、持ち込んでるって言うのに。そう文句を言う気力は即座に奪われていた。

「あのさ、奈央」
「なに?」
「奈央ん家には『普通』の鍋はないのか?」
「あるけど?」

 ……そうか、あったんだな。

「じゃ、何でそれを使わないんだ?」
「決まってんじゃない」

 一体、何がこの小悪魔娘の中で決まっているのだろうか。

「普通の鍋じゃ入りきらないからに決まってるでしょ」

 当然とばかりの返答だ。

「へぇ、そうなんだ。それでこれは? これも、元々持ってたものか?」
「まさか。買ったの」
「そうか、買っちゃったのか」
「うん」

 テーブルのド真ん中に置かれたおでん鍋。普通の鍋でも土鍋でもない。
 美味しそうな匂いで人を惹き付け、白い湯気を立ち上らせているそれは、業務用のおでん鍋だった。コンビニに置いてあるのと同じだ。明らかに家庭用じゃないと分かる。
 普通の鍋では入らないからと、業務用の鍋を買う発想は、なんらおかしなことではないと思っているらしい。
 普通の鍋に入るだけの分量にしようと言う思考は、どうやら持ち合わせていない模様だ。

 ……頭良いくせに、謎だ。

 もしかして、これは奈央の優しさと言うより、俺に対する嫌がらせか? とさえ思えてくる。

 関東風に仕上げられたプカプカと浮ぶおでん達。しかし、その下の奥深くに、どれだけの具材が沈んでいるのだろうか。
 奈央は金持ちの娘なのに、決して食べ物を粗末にはしない。それはいい事なんだろうけど、いい事なんだが……、時としてそれは、俺を大いに苦しめる。涙が出そうな程にだ。

「今の時期なら、明後日くらいまでもつよね?」

 ……明後日までの献立は、既に決定済みなんだな。

「明後日までは、もたないんじゃないか?」
「だったら、明日までに食べきればいいじゃない」
「いや、やっぱもつと思う」

 明日までじゃ、1回にどんだけ喰わされるんだよ。

「いいから、早く食べなよ」
「あぁ、頂きます」

 取り放題のおでんを皿に乗せ口へと運ぶ。

「おっ、すげぇ旨い」
「そ? 沢山食べてね」
「おぅ」

 旨い。確かに旨い。今日だけなら、沢山食べられるかもしれない。但し、二日後も同じ感想が言えるかどうかは、俺も自信はない。

「ハァーー」
「何なのよ、その溜息は。私のおでんに何か文句あるわけ?」
「そ、そうじゃねぇよ」

 文句があるとは言えない。『作りすぎなんだよ!』と、声高々に指摘するのは愚かな行為だ。
 それに、溜息の原因は、あるまじき量のおでんだけが理由じゃなかった。

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