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22. 日々の中で-5

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「私もそう思います。悪い事は悪いと謝るべきですよね」

 奈央が穏やかな笑顔で語る。俺にじゃない。俺の視線を通り過ぎ、赤鬼みたいな顔をしている人物へと向けて。
 途端に赤鬼も笑みを浮かべた。さっきまで、怒りで赤くなっていると思われた顔は、今じゃ照れているようにも見える。

 ──このクソ教師。奈央の笑顔にやられてんじゃねぇよ! 奈央、今だぞ! 今こそ、エロ教師ってコイツを罵ってやれ!

「そうか、水野は分かってくれるか」

 気持ち悪く緩みきった単純な赤鬼を、

「はい。勿論です」

 更に奈央が付け上がらす。

 ──しかし、奈央。そんなこと言ったら、林田の立場がなくなるぞ? 林田、怖そうだけど大丈夫か?  小悪魔奈央なら勝てそうだけど、優等生の時は、あまり敵を作らない方が身のためなんじゃ……。

 そんな俺の思いに気付きもせずに

「私の近くにいるんです。悪い事は悪いと、子供相手でもバカみたいに頭下げて素直に謝る大人が。それって凄いなって思うんです。簡単なようで本当は難しいと思うから」

 奈央は珍しく熱く話す。

 でも、バカ・謝る・大人……。この3大ワード、心当たりがあるようなないような。

「それが当たり前なんだ。大人だろうが子供だろうが関係ないんだぞ」

 尤もらしく得意気に話す赤鬼に、奈央は笑みを見せる事で同意しているようだ。
 それを黙って見ている林田と柏木。特に林田は睨んでる訳ではないが、穴が開きそうなほど奈央を凝視している。
 尖ったタイプの林田と奈央みたいな優等生は、どうみても気が合いそうにない。とりあえず、この場に関係のない奈央は先に帰す方が賢明か。

「水野、もう用が済んだなら帰りなさい」

 促した俺にやっと目を合わせてくれた奈央は、

「まだ用は済んでいません」

 と、毅然とした態度で答えた。

「私、見たんです。無抵抗にやられている人を助けに入った林田さんを」

 ここにいる全員の目が驚きに変わる。

「林田さん、誤魔化してなんかいません」

 相次ぐ奈央の発言に一番焦ったのは川崎先生で、奈央の言ってることが本当なのかと確かめだした。

「み、水野。それは何処で見たんだ? 時間は?」
「○○ビル脇、人目の付かない通路で、午後7時になる少し前の事です。助けられた人は直ぐにどこかへ行ってしまいました」

 川崎先生の反応を見ると、唾をゴクリと呑み言葉を失っている。
 どうやら、場所も時間も間違いなさそうだ。実際、昨日は問題集を買いにその近辺にいたのも確かだ。

 ──あっ! それで奈央の奴、待ち合わせ時間に遅れたのか? っつうか、そんな喧嘩を見たんなら俺に一言言っとけよ。それよりも、何故すぐに俺を呼ばなかったんだ!

「林田さんも柏木さんも、誰かに謝らなければならない事は何一つしていないと思いますが」

 笑顔を消した奈央が、意思の強い目で川崎先生を射抜くように見る。『悪い事は悪いと謝るべきだ』そう奈央と語っていた川崎先生に向けて、林田を疑ったことを責めるように。
 笑顔を封印した奈央と、赤鬼から青鬼にへと姿を変えた川崎先生が対峙する。

「わ、悪かったな林田。これからは誤解を受けないように気をつけなさい」

 青鬼の白旗を上げた言葉により、奈央はすぐさま笑顔を取り戻すと、

「では、私はこれで失礼します」

 踵を返し颯爽と帰って行った。
 しかし、林田達の濡れ衣は晴れても、これでは川崎先生の立場もない。

「林田も規律は守らないとな。学校内で決められてる事は、きちんと守るようにしろよ」

 身なりを指摘していた川崎先生をフォローする意味も込めて、林田に注意をし二人も帰らせた。
 俺と川崎先生との間に流れる気まずい微妙な空気は、

「ご迷惑お掛けしました」

 謝る俺の言葉を無視して、川崎先生が職員室から出て行ってくれた事で、一先ず逃れることが出来た。

 机に戻ると、名簿順に読みやすく纏められた提出物が裏返しに置いてある。それを表向きにし退かすとメモが一枚。

『バカな大人へ……貴重な時間を勝手に奪うな。頭下げて謝って』

 反射的に「ゴメン」とポツリ漏らしながら、3大ワードが散りばめられたそのメモ用紙を何度も見返していた。





「お前、あんなこと言ったら川崎先生に目つけられるぞ?」

 帰るなり手伝わせたことへの詫びを入れ、夕食は俺の手料理を振舞う中、出る話題は今日の一件だ。

「別に今更どうって事ない。目ならとっくに付けられてるし」
「ん? 奈央、何かしたのか?」
「してないわよ。アイツがヤラシイ目でいつも見てくるってだけの話」

 何だと? それは聞き捨てならない。

「変な事されたりしてねぇだろうな?」
「敬介みたいに抱きついたりはしない」

 俺だって一回だけだろ。それも勿体ないことに酔ってて覚えてないときてる。

「でも、今度は違う意味で目つけられるかもな? 色々煩く言われるかもしんねぇぞ?」
「文句ねぇ……。私の一体何処に文句つけようって言うのよ。言えるもんなら言えばいい。挑むところ」

 顔色一つ変える事無くサラッと言ってのけた。ぶれずにどこまでも強気な女だ。でも、所詮女は女だ。何かあった時には、その気の強さだけではカバーしきれない時もある。昨日の林田達の件もそうだ。

「昨日、柏木と林田を見たとき、何で俺を直ぐに呼ばなかった? 怪我がなかったから良かったものの、女なんだぞ? 何かあったらどうすんだよ」

 目だけ動かし俺に焦点を合わせても、直ぐに視線を元に戻し、手元のにあるサラダに箸を伸ばしている。

 青虫め。人の話を聞け。そして、答えろ!

「奈央、聞いてんのか?」
「敬介を呼ぶほどの事じゃないと思ったの。林田さん、強いしね」
「強いのか? なら安心だな………ってわけにいくか! 次からはお前もボケーッと見てないで、誰か大人を呼べよ、いいな?」
「はいはい」

 そんな煙たがるなって。最近、自分でもこんな口煩い奴だったか? って驚いちゃいるが、心配なものはしょうがない。言わずにはいられなくなる。

「な? 奈央が言ってた、お前の近くにいるバカみたく頭を下げる大人って誰?」
「さぁ?」
「惚けんなよ。お前が感心するなんて意外」
「物珍しい生き物だなと思っただけ」

 物珍しいって……俺は珍獣か?

「良い所のお坊ちゃまが人に頭下げるのって、抵抗あるんじゃないかと思ってたから」

 それは関係ないだろ。人に興味は持てなかったが、そんな風には考えた事はない。

「相手を傷付けて、それが自分に非があるって気付いた時、自分の胸も痛むって事、最近知った。この痛みを同じく相手にも味あわせると思ったら、謝らずにはいられなくなるもんなんだな。きっと、親しくなればなるほど余計にそう思うのかもしんねぇな」
「そう……ご馳走様でした」

 食器を手にし立ち上がって背を向けた奈央は、吐き捨てるように言葉を重ねた。

「相手を傷つけたって分かっていても、それを忘れて笑って暮らしてる人達もいる。幸せに浸ってね。どんなに親しい間柄でも、所詮、みんな自分が可愛いのよ」

 この日の奈央は、それ以上多くの事を口にする事はなかった。まるで入り込むなと拒絶するように、無言の圧力をかけている気がした。
 ただこの時。奈央の中には人知れず潜んでいる暗い影がある。そう確かに感じた。

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