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15. 理由なき理由-1

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    …………帰りてぇ。

 帰れるものなら今すぐにでも此処から立ち去り、帰ってしまいたい。
 学校は冬休みに入っても、講習を開かなければならない俺達に、まだ休みはない。
 しかも、今日はクリスマスイブ。よっぽど成績が悪く、強制的に受講するよう指導を受けた生徒以外、この日に好んで学校へ足を運んで来る者は少なかった。

「生徒達も帰った事ですしイヴですから、早く帰りたい先生方もいると思いますので、今日の忘年会は早めに繰り上げてやることにしました~!」

 幹事である山岡先生の大きな声が職員室を支配する。

 そう思うなら、今日わざわざ忘年会開くこともねぇだろうよ!

 そう言ってやりたい気持ちを抑え込み、社会人になればこれも仕事の一つだと言い聞かせ、30分だけ早まった忘年会会場へと急いだ。

 そして、今。俺の隣には、うちのクラスの担任である福島先生が座っている。
 普段から気さくな福島先生が隣りなのはいい。だが問題は逆隣りに座る、教師にしては化粧の濃過ぎる英語教師の中村先生だ。やたらと距離を縮めてくるから思わず引き気味になる。

 …………香水、つけてねぇよな?

 そんな警戒心が自ずと強くなる。
 でも一番厄介なのは、目の前に座る体格の良い男性体育教師、田村先生だ。

「ほらほら沢谷先生、若いんだからドンドン飲んで!」

 若いってだけで飲まされたら身が持たない。だが実際は、それだけで十分飲まされるターゲットになってしまう。
 酒は嫌いじゃないし強い方だと思うが、明らかに作りの違う体格をした田村先生に合わせて飲んでいたら、流石の俺も潰れるんじゃないか?
 酔ってる場合じゃない。少しでも早く俺は帰りたいんだ。会えなくてもいいから、アイツの近くにいられるマンションに帰りたかった。奈央が一人で過ごしてるかもしれない、あのマンションへ……。

「沢谷先生~、私が注いだお酒も飲んで下さいよぉ」

 甘ったるい声で横からもビールを注がれる。

「すみません。もう、飲めませんので」

 グラスを手で塞ぎながら何度断ってみても聞き入れては貰えない、前と横に座る今宵の天敵。それらの攻撃をかわす術は無く、奈央の事を頭の片隅に置きながら、喉に刺激を与える液体をひたすら飲むしかなかった。

 マズイ。頭も体もフワフワしてきた。

 それもこれも、目の前に座る冬なのにタンクトップのナルシストマッチョ親父と、隣りの厚塗り女のせいだ。

 こうなりゃ、敬称なんてクソ喰らえだ!

 勿論、口に出すほど意識が乱れているわけではないが、これ以上拘束され飲み続けていたら、面と向かって暴言を吐いてしまう可能性を否定できない。それでなくとも、昨夜のことを引き摺り、刺激すれば感情を昂らせ兼ねない不安定な俺だ。早く自由にして欲しい。そう切に願うのに、世の中、思い通りにはいかないことばかりだ。
 待っている家族はいないのか、日頃から、いつかはその頭に乗っかってるものを剥ぎ取ってやりたいと思っている教頭の言葉に、俺は更にうんざりとした。

「よ~し、場所でも変えて二次会へ流れるか~?」

 普段はお堅い事ばっか言ってるくせに、先頭切ってはしゃぐんじゃねぇよ、おっさん! こんな日に家に帰りたがらないとは、よっぽど家庭で肩身の狭い思いをしているのか、もしくは既に奥さんに逃げられたんじゃねぇのか? 行きたきゃ、一人で勝手に行けっつーの! 侘しい時間に俺達を、いや、せめて俺だけでも巻き込むな!

 一人胸の内、毒舌を展開していた俺の意識は、厚塗り女ではない反対隣から聞こえる言葉に、ピタリと止まった。

「水野奈央のトップを、担任としては喜ぶべきなんでしょうけどね……」

 意味を含めた物言いで、特別コースを担当している数学教師相手に話をしているのは福島先生だ。

「水野がどうかしましたか?」

 俺が訊ねようとした言葉を奪って割って入って来たのは、マッチョ親父だった。

「水野の1位は、いつまで続くのか話してたんですよ。今回も断トツでしたからね」

 特別コースの数学教師が説明する。

「水野に勝つ奴なんていないでしょ~。頭良し、顔良し、それに加えて教師の言うことも聞いてくれますからね~。どれを取っても完璧じゃないですか。正に理想ですよ。高校生じゃなきゃ嫁に貰いたいタイプですよ!」

 そう語ったタンクトップ親父は、口を大開きにし豪快に笑っていて、ハッキリ言って鬱陶しい。

 嫁にしたいだと? ふざけんなよ? 例え、奈央が高校生じゃなかったとしても、お前みたいな奴のところになんか、間違っても嫁になんて行かねーよ。冗談は顔だけにしてくれ。

「私は、完璧にこなすだけが、必ずしも良い事だとは思いません。無理してなきゃいいんですけどね」

 タンクトップの笑いを止める様に、落ち着いた口調で福島先生は会話を続けた。

「何か、気に掛かる事でも?」

 特別コースの教師が静かに問い尋ねる。

「今しか楽しめない事が一杯あるんです。遊びも恋も……。勿論、勉強も必要だと思いますけど、何て言うのかな……もっと器用にやればいいのにって、彼女見てると思うんですよね。根が真面目すぎるのかな」

 そして最後に、恐らく他の先生の耳には届かなかっただろう小さな声で、

「お人形さんじゃないんだから、もっと楽しい事もあるって教えてあげたい」

 独り言のように福島先生がポツリと漏らした。
 進学校であり勉学第一主義である我が校に於いて、しかも担任である福島先生の今の発言は、否定的にとる先生も多く存在するだろう。でも、俺は違う。福島先生の独り言が俺の胸を温かくする。

「俺もそう思います。教えてやりたいです」

 フワフワする頭で、でもその頭には、しっかり奈央の顔を思い浮かべて、虚ろな目ながらも福島先生を見据えはっきり言い放てば、俺の背中を遠慮なくバシッと叩いた福島先生は、 

「そうですよね!」

 パッと明るい笑みを咲かせた。

「沢谷せんせ~い! 二次会行きましょう、二次会!」

 折角、胸が温まる話をしていたのに、奈央の話題に気を取られている間に、どうやら次の店が決まっていたようだ。
 一次会の居酒屋を出ると、化粧厚塗り女に早速誘われるが、冗談じゃない。誰が行くか! 図々しく腕に纏わりつきやがって!

 社会人としての付き合いもここまでだ。奈央の話をしたせいか、余計に帰りたくなって居ても立ってもいられなくなる。これ以上この場に留まるのはもう止めだ。今の俺には大事にしたいものがある。こんな所で無意味に時間を潰してる暇はない。

「すみませんが、私は此処で失礼します」

 厚塗り女の絡み付く図々しい手を、乱暴に振り解きたい衝動に堪え抜き「すみません」と、謝りを入れながら、そっと退かす。

「いいじゃないですか~。少しくらい!」

 1秒たりとも一緒にいたくない。俺が一緒にいたいと思うのはただ一人だ。

「申し訳ないですけど、結構酔ってますんで」
「じゃあ、私が送りましょうか? 足取りも危なそうですし」

 あんたに送られた方が危ないんじゃねぇの? 身の危険を感じんだけど。

「大丈夫ですから」
「いえ、そう遠慮せずに」
「本当に大丈夫です」

 遠慮してるって言うんなら、それはあんたに対する言い方だけだ。怒鳴りたいのをこうやって押さえてやってんだからな。

「教頭先生! 沢谷先生、二次会行かないって言うんですよ」

 この厚塗り女、厄介な親父にちくんじゃねぇよ!

「沢谷先生、行かないんですか?」

 直ぐ様、反応した教頭が顔をしかめながら近付いて来る。気付かれないうちに、ばっくれてしまえと思っていたのに、厄介だ。

「はい、申し訳ありません。少し飲みすぎたようで」
「若いのにねぇ。普通は最後までお供しますって言うもんだ。まあ、最近の若い人に付き合いが大切だって言っても分からんでしょうけどな。私の若い頃は──」

 始まったよ、オヤジの嫌みが。しかも、クドクドと止まりそうにない。

 何が付き合いだ! その前に、今日くらい家族サービスでもしてやれ。あっ、家族に相手にされないんだっけ。奥さんも出て行っちまったかもしんねぇし。

 頭の中で一人勝手に決め付ける。
    そう考えると不憫なおっさんだ。妻に逃げられ、毛髪にも逃げられ……。
 永遠に続くかと思われる教頭の嫌味を、こうして脳内で同情に変換して、この時間を耐え忍んだ。

「教頭先生、もうその辺で宜しいじゃないですか。折角の忘年会ですし、それに沢谷先生は他に約束もあるかもしれませんよ? こんなイケメンなんですから、彼女がいないわけないですしね」

 俺の同情論もネタがつきかけてた時、助け舟を出してくれたのはマッチョだった。
 小指を突き立て「でしょ?」と、訊ねると同時。横では「本当ですか? えー、彼女いるんですか?」と、騒ぐ厚塗り女。
 俺はそんなふたりに素早く答えた。偽りのない本心を。

「はい。こんな日に一人にさせたくない女がいるんで、申し訳ないですが、先に上がらせて頂きます」

 アイツと会えなくてもいいと思ってたがヤメだ。
 俺といると楽しいと言ったアイツ。燻る不安より、アイツと過ごす時間は間違いなく俺にとっても楽しく大事なひと時だ。ぐちゃぐちゃと考える必要なんてない。──理由なんて何もいらない。

「ね、教頭先生。そう言う訳ですから、もう野暮な事は言わずに二次会に行きましょう。私がお供しますよ。残念ながら私には彼女いませんから~。ほら、沢谷先生も急いで帰って上げて下さい。可愛い彼女さんのとこへ!」

 マッチョ……もとい、田村先生は教頭を宥め、まだ騒いでいた厚化粧女も引っ張って行ってくれた。
 途中、俺の方に振り返り、暑苦しいウィンクを寄越してきたのは余計だが、とりあえずは感謝だ。
 俺は田村先生に頭を下げると、会いたい奴の元へと急ぐ為に皆に背を向けた。

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